第4話『森の少年』-2
「この子かわいい!」
自分の乗っている馬のたてがみを撫で、シャルロットは馬に抱きついた。
「…どこが?」
まったく理解できない様子で、ワットはシャルロットの馬を見た。どう見ても、他の馬とどう違うのかすらわからない。
ニースはシャルロット達のはるか前方、ウィルバックの出口で役人から出入りの許可を得ていた。港町の門と森の境は木の柵になっていて、一カ所がドアになっている。そのドアを管理者の町役人数人が守っていて、とても厳重に管理されていた。
「ここ、出入り厳しいんだね。ドミニキィなんて、素通りだったじゃない?」
「飼育小屋の主人も言ってただろ?森の中は獣や賊が多いんだ。ほっとくと危ねぇからな」
「へ、へえ…」
シャルロットはまたワットの言葉を半信半疑に聴いていた。
「シャルロット、ワット、行くぞ」
ニースの声に、二人は振り返った。門番と話がついたらしく、門番の一人が、門を開けた。
森には、一応道が存在していた。ファヅバックから南の大陸にある四方の町に向かって延びる道だと、ニースが言った。あまり整備されているとは言いがたい道で、両脇は草木が生い茂り、先はまるで見通せない。ウィルバックを出て馬で一分も進まないうちに、木々であっという間にウィルバックは見えなくなった。
ウィルバックよりはるか高台にあるというファヅバックへの道のりは、常に上り坂だ。進むにつれて何度か分かれ道があったあが、ニースが地図を確認しつつ、道を進んだ。
砂の王国と比べてはるかに蒸し暑い気候の中、ウィルバックから出て三時間ほど進んだところで、通り道の脇に川が見えてきた。
「川だわ。ニース様、今ってどの辺りなんですか?」
「レーン川だな。ここまででだいたい半分か…」
「やっと半分ですかー」
蒸し暑さから、自然と背が丸まってだらりとしてしまう。ワットはいつもつけている頭のバンダナを取り、馬の手綱を放して着ている服を仰いだ。
「そっれにしてもあっちーよな…。んだよこの湿気!」
明らかに、苛立ちが募っている様子だ。砂の王国と暑さはさほど変わらないが、蒸し暑さには縁が無いシャルロット達にとって、この湿った熱気は辛いものがある。
「確かにな。聞いた話だが、この辺りは先日から雨続きだったらしい。だから余計湿気も多いんだろう」
普段火の王国の兵士の制服をかっちりと着ているニースですら、上着を脱いで、首のタイもはずしている。ニースが何かを思い出したように、自分の馬の後ろに積んだ荷から四角くいウチワを取り出した。
「使うか?」
ニースがワットにウチワを投げた。
「飼育小屋の主人から頂いた」
「あ、そう」
ワットは、呆れた顔でウチワで仰ぎながらニースを見た。
「何だ?」
「別にぃ?あー腹減った」
ニースの事をいたく気に入っていた女主人からのサービスだろう。その証拠に、シャルロットとワットの分はない。町のチンピラのような印象を与えるワットより、誠実そうで見目もよいニースの方が気に入られるのは当然だ。シャルロットは心の中で笑った。
「町を出てから三時間くらいたちますよね。休みます?」
「そうだな…。このスピードだったらきっとファヅバックに着くのはやはり日が暮れてからだろうし…」
なるべく早く進んでしまいたい、そういう雰囲気があった。シャルロットはだらけているワットを振り返った。
「ワット、頑張るわよ!」
「…はいはい」
ウチワで仰ぎ、ワットはあごを上げた。シャルロットはふと、自分の水筒がカラになっていることに気がついた。
「ニース様、私水汲んできます。水筒、空になっちゃったみたいで…」
シャルロットは水筒を逆さにしてみせた。
「俺行こうかぁ?」
だらしない声でワットに言われたが、相手が頼りに出来る状態でもなさそうだと同時に思った。シャルロットは馬の向きを変えた。
「すぐ済むから先行ってて。ニース様も、すぐ追いつけますから」
「…判った。じゃあゆっくり進んでいるよ」
ニースが答えると、ワットは周囲を見回した。
「まぁ、この辺は何かの気配もねぇし…、大丈夫だろ」
シャルロットが河に向かうのを見て、ニースはワットを見た。
「少し先に行くぞ」
「ああ…」
そう答えて馬を進め、数秒もしない間にシャルロットの姿は見えなくなった。しかし、同時に問題に当たった。進路の道が土砂崩れでグチャグチャになっていたのだ。とても通過できる状態ではなく、二人は馬を止めた。
「どうするよ…。脇道は馬が入れねえだろ」
「…地盤の緩みか…。戻って他の道を捜すしかないだろう。地図を確認しよう」
ニースが地図を取り出して開いて道を探し始めた時、突然――。
パンッ パパンッ パンッ パンッ!!
「なっ何だ!?爆竹か!?」
胸を突き抜ける弾けるような音に、ワットは一気に意識がはっきりした。爆竹だろうか、確かに聞こえた。近くの川沿いの茂みからだろうか、ニースも同じ方向を見ていた。
「…誰かいるのか?」
ワットが馬から降りた。目を凝らし、川沿いの木々の茂みを見る。
パンッ パンッ パンッ!!
再び、同じ場所から爆音が聞こえた。
「何かいる、見てきていいか?」
「判った、山賊かもしれないから気を付けろ」
頷くと、ワットは茂みの中に姿を消した。
(山賊なら数人はいる…。シャルロットの所に戻らなくては…)
パンッ パンッ パンッ!!
馬の方向を変えた途端、今度は、ワットが入って行った茂みとは反対側のの脇道から音が聞こえた。目を凝らしても、木々が生い茂っているだけで何も見えない。
「…先に確かめるか」
馬から下りると、ニースは近くの枝にワットの馬と自分の馬二頭を縛った。一歩、茂みの中に入った瞬間、頭上から葉擦れの音がした。反射的に上を見たが、リスが一匹、枝から枝へと移っただけだった。ニースは茂みの中に、足を進めた。
シャルロットは、川辺で水筒のふたを閉め、馬のヒモを解いていた。
「何?今の音…」
(何かが破裂したみたいな)
馬にまたがると、道を進んだ。
(すごい音だったわ…。爆竹…かな)
少しの不安を覚えながら道を進んだ。早く、二人と合流しなくては。道を進むと、すぐに二人の馬が目に入った。同時に、塞がれた道。しかし、2人の姿はない。
「…あれ?」
馬から降りると、シャルロットはつながれた馬の鼻を撫でた。
「ここにいてね」
正面は土砂で行き止まりだ。となると、二人の行き先はこの左右の茂みのどちらかだろう。シャルロットは馬から手を離し、近い方の茂みに足を伸ばした。その途端、目の前が暗くなった。
「…ん?」
ズザザザッ!!
音と共に、黒い影が目の前に降ってきた。
「きゃあっ!!?」「い゛っ!?」
思わず頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
(やだ何っ!?)
目をつぶって固まったが、体に何も異変はない。その代わり、自分の体が泥でたっぷり濡れているのがわかった。とりあえず、自分に何もぶつかっていないことがわかると、そうっと原因となった陰に視線を移した。
そこにいたのは少年だった。尻餅をついて、頭に巻いたバンダナに手を当てて、顔には大きめのゴーグルをつけている。シャルロットに負けないくらい、体中泥まみれだ。少年は、ゴーグルの向こうの大きな目でシャルロットを凝視していた。
ゴーグルで顔は見えづらいが、体の大きさからまだ11、2歳ほどだろう。
「…く、熊じゃなかった…」
思わず安堵の息が漏れた。すると、突然少年が我に返ったように勢いよく立ち上がり、ワット達の馬にくくった荷物に飛びついた。それを縛ったヒモに手をかけると、シャルロットはほぼ条件反射で同時に飛びついた。
「あっ!ちょっと!!」
思わず立ち上がって全力で少年の肩を引いた。しかし、とっさの事で全力で強く引きすぎた。
「わっ…」
ドシャッ!!
「ぅわっ!!」「きゃあっ!!」
2人の声が重なった。シャルロットの勢いで少年の体がひっくり返り、二人は一緒に転んでしまった。おまけに、シャルロットは顔から泥に突っ込んでしまった。少年のポケットから、バラバラと何かがこぼれ落ちた。
全身泥まみれだったが、少年がしようとした事を思えばそれどころではない。しかしそれは少年も同じのだったようだ。勢い良く顔を上げ、やっとで体を持ち上げシャルロットに向かって少年はゴーグルを額に上げて怒鳴った。
「何すんだよ!泥だらけだぜ!!」
「なっ!それはこっちのセリフよ!あなた今荷物取ろうとしたでしょ!」
ほぼ同時に怒鳴り返すと、シャルロットは自分の方に伸びていた少年の足を捕まえた。すると、付近の茂みから葉擦れの音がした。
「シャルロット!?どうした…?」
「ワット!良い所に来た!」
グットタイミングとばかりに泥だらけの顔をワットに向けると、明らかに、ワットは身を引いた。
「何やってんだよ、泥だらけじゃねーか!?…何だコイツ?」
「この子!?泥棒さんよ!!」
ワットと目が合った途端、少年の態度は一変した。シャルロットに掴まれていた足を勢いよく振り払い、立ち上がって逃げ出した。しかし、その瞬間にワットにその腕を掴まれた。同時にその小さくて細い体が、簡単に地から足が離れた。
「はっ離せ!!」
空中で手足を暴れさせても、ワットには多少泥が飛ぶ程度で手も足も届いていない。シャルロットのそばに落ちている爆竹が、目に入った。
「なるほどね…。さっきのはお前の仕業か」
ワットが少年を見ると、少年は顔をそむけた。
「こんな所で何してんだ?家は?ファヅバックのガキか?それともウィルバック?」
顔を背け、少年は何も答えなかった。
「ワット…シャルロット、どうしたんだ?…その子供は?」
ニースが、茂みの奥から戻ってきた。手には、爆竹のかけらをもっている。
「さっきの音の正体」
ワットが爆竹をニースに放った。
「ガキのイタズラだ」
泥だらけのシャルロットと少年、少年を掴むワットを見て、ニースはため息をついた。
「ワット、離してやれ」
「…甘いな。おいお前、逃げても無駄だからな」
舌打ちと一緒にワットが手を離すと、少年はすぐにワットから離れて、腕を払った。シャルロット達を見回し、警戒を見せるものの逃げる様子はない。
「泥だらけじゃないか。川に戻って洗ってくるといい。この少年も、一緒に」
ニースが少年を見ると、少年は意表をつかれたように目を大きくしてニースを見上げた。シャルロットは自分の服を見直し、ようやく自分が全身泥だらけだということに気がついた。
「あ…。はい…、行って来ます。ねぇ、君も…」
少年に手を伸ばすと、少年は一歩下がって疑い深いようにシャルロットを睨んだ。
「お、お前ら…、山賊じゃないのか?」
「山賊?やだ、違うわよ」
思わず、小さく吹き出して笑ってしまった。
「だからそんな警戒してるの?」
「…ち、違うのか?」
少年がさぐるようにシャルロットを見ると、ワットが、少年の腕を取った。
「おい、ガキ。とにかく行ってこい。逃げたりしやがったら承知しねーぞ。話はあとから聞いてやる」
ワットが手を振って払うと、その勢いで少年がよろけた。
「ワットってば、怖がらせないでよ」
ワットと少年の間に入ると、シャルロットは少年の肩に手をおいた。
「平気よ、何もしないから!」
少年はシャルロットを見上げたが、口をつぐんでその手を払った。シャルロットにとっては、かわいい子供の意地にしかみえなかったが。
「行こっか」
シャルロットが川に向かうと、少年はその場に立ち止まったままだったが、ワットが睨んでいることに気がついて、しぶしぶつ足を進めた。
「おいニース。俺達も行くぞ」
「ああ」
ワットに呼ばれ、ニースも馬を引いた。