第35話『星空の誓い』-2
日が昇ると同時に、シャルロット達は砂浜を進んだ。馬の足が沈む砂浜を午前中いっぱい歩き続けると、正午を過ぎる頃には砂浜を抜け、赤茶色の岩肌もいつの間にか地面と同化していた。――火の王国の片隅だ。
「結局、この道は何も無かったな」
馬で進みながらワットがこぼした。何もないにこした事はないのだが、今の状況を考えるとどうも疑心暗鬼になってしまう。海沿いから離れて内陸に入ると、遠目に赤茶色の屋根瓦が広がる市街地が見え始めた。家々の煙突からは、煙が昇っている。
「……早くつきすぎたな」
岩陰に隠れ、ニースが市街地を覗いた。「日中に街は抜けられない。ここあたりで夜まで待とう」そう言って、岩陰から戻る。エディとメレイが馬から下りた。
「こんなそばで大丈夫なのか?」
ワットに手を借り、パスも馬から下りる。
「……ああ。好んで沿岸側に来る者はいない」
市街地の賑やかさとは裏腹な岩陰で、シャルロット達は腰を下す事にした。
「ねえ、昨日シャルロットとどうだったの?」
楽しげに口角を上げるメレイとは対照的に、ワットが濁った声を出した。「……起きてたのか」その様子に、一緒の輪にいたニースとエディが顔を上げる。小さく視線を上げ、波打ち際で遊んでいるパスとアイリーン、そしてシャルロットを視界に入れると、ワットはメレイに視線を戻した。
「気づいてんなら声かけろよ」
「邪魔しちゃ悪いと思って」
楽しげな笑みに、ワットは目をそらした。
「何も……すぐ戻ったろ」
「そう? 何か雰囲気違ったけど」
――いつもは興味もねぇくせに。余計な時ばかり気にかけるのは、この女の特性だ。加えられるエディとニースの視線に、ワットはため息をついた。別に、隠す事でもない。
「……この旅が終わったら、シャルロットと一緒になりたいと思ってんだ」
ニースの目が顔を覗き込むのが分かった。同時に、エディが目を丸くする。
「……プロポーズ、ですか?」
「……そんな大層なもんじゃねぇけど」
改めて言われると、気恥ずかしい。頭をかくワットに、メレイが吹き出た。「あんたでもかわいいとこあんのね!」その勢いで、腕を叩く。
「うっせーな……」
メレイを睨み、ワットは手を払った。
「出会ったばかりの頃を考えると信じられないな……」
――まだ旅を始めたばかりの頃。三人で歩いていた頃を思いだすと、思わず笑いがこぼれる。「俺だって……」ワットは、小さく視線を下げた。
「自分がこんな風なるなんて……思いもしなかった。こんなに大事なもんができるなんて……」
途端に、その輪にシャルロット達の騒ぎ立てる声が舞い込んだ。
「……あいつら騒ぎすぎだ。言ってくる」
甲高い声に舌を打ち、ワットが立ち上がる。
「ワット」
ニースの声に、ワットは足を止めた。
「幸せにしてやれ。必ず」
その言葉に、一瞬ニースを見返す。それから足を踏み出すのと同時にワットは口の端を上げた。
「……言われなくても」
町の明かりが消えると、周囲は月明かりと、星の輝きが目に映りるようになり始めた。
「行くぞ」
ニースが馬上から振り返る。町の脇を抜けるだけなら、夜道にいたっては何の問題もない。見張りがいても抜けてしまえば済む事だ。町の脇を抜けてからは公道を抜ける予定だが、夜が更けるまでたっぷりと休息を取ったおかげで、シャルロット達には十分に体力があった。
「ここから城まではどれくらいだ?」
「……夜明けまでには」
「どうやって城に入るんですか?」
ワットの後ろで、シャルロットはニースに首を伸ばした。
「考えている道がある。夜明けまでならそこから入れるだろう。誰かに見つかる可能性もあるが……そうしなければインショウ様までたどり着く事はできない」
「ルジューエルの一味は?」
後ろを走っていたメレイが言った。「ルジューエルは必ずインショウと一緒にいる」その低い声に、ニースが先頭からわずかに顔を向ける。
「奴らに戦意があるのなら、受けて立つしかないだろう。できるかぎり争いは避けたいが……」
ニースの言葉に、メレイは「そう」とだけ、小さく言った。その言葉に、シャルロットはメレイを振り返れなかった。今顔を合わせても、何も言うことはできない。
今の返事に同意の意志があるとは思えなかった。それはおそらく、ニースも気がついただろうに。何もいわないニースの背を眺め、シャルロットは胸を渦巻く不安を押さえ込んだ。
ほどなくして町を抜け、城へと続く公道に出た。深夜ともなると、公道とはいえ通行人はゼロに等しい。ただ万全を期す為、シャルロット達は、草木の多い脇道を走る事にした。
数時間馬を進めると、水平線の向こうに灰色の角ばった城が覗き始めた。空には暗雲が立ち込め、濃い霧が周囲を支配し始める。永遠とも思える夜は、次第に時間の感覚を狂わせた。
わずかに冷たい風が肌を伝うと、シャルロットは身が震えた。自然と、口数も減る。
「……静かだな、この辺」
ニースと同じ馬に乗るパスの呟きが、シャルロットの耳にも届いた。ふいに、アイリーンが顔を上げた。
「どうかした?」
振り返るエディに答えず、アイリーンが目を細めた。
「……いる」
「え……?」
その視線の先に目を細めても、濃い霧が邪魔をして何も見えない。公道からそれたこの場所は、自分達以外には草木が点在するだけだ。ぎゅっとアイリーンがエディの背に掴まった。
「……誰か……いる」
アイリーンを振り返り、ニースが馬を止めた。同時に、ワットとメレイも足を止める。ニースがすらりと剣を抜いた。「馬を」そう言って、パスに手綱を渡し、馬から降りる。つられるように周囲を警戒しつつ、ワットとメレイが馬から下りた。
「こっちもお願い」
「下がってろ」
ワットから手綱を預かるのと同時に、メレイからもそれを預かる。ワットの言葉に、エディとシャルロットは馬を下げた。濃い霧で役に立たない目の代わりにニースが耳を澄まる。ふいに、アイリーンの目が一人で馬に乗るパスの周囲の霧の変化を捉えた。――同時に、背筋が凍った。
「パス! よけろ!」
静寂を切り裂く声に、いっせいにアイリーンに視線が向く。――しかし。
「……え?」
呼ばれたパス自身は、反射的に顔を向けただけだった。わずかに馬の位置がずれた瞬間――。
「ギィ!」
「うあ!」
鉄を切り裂くような馬の声と共に、その片足がはるか頭上まで切り飛んだ。その衝撃に取られ、パスが馬から弾き飛ばされる。切断された馬の足が地面に叩きつけられるのと同時に、馬の悲痛な叫びとその血が吹き出した。
「い!」
地面に転がったパスは、瞬間的に腕が前に出たのか、体は打たなかったようだ。
「……ってー……」
パスが腰を押さえて立ち上がる頃には、馬は既にこときれていた。思わず、シャルロットは口を押さえた。目が離せなかった。しかし、ニースとワット、メレイは、別の場所へ目を向けていた。暗雲立ち込める空から、限界に達したのかついにぽつりぽつりと雨が降り始める。次第に線となって降り注ぐそれは、周囲の霧を巻き取るように血に落としていった。
同時に、シャルロットははっとした。――囲まれている。二十人前後はいるだろうかという、武器を持った男達に。
「……賊?」
身をすくめ、シャルロットは周囲に目を配った。自分達を遠巻きに囲うように、男達がこちらを見ていた。ワットが、舌を打った。
「……この辺の賊団?」
「違う。今のは……」
エディの言葉を、アイリーンが打ち消した。「あいつだ……!」その背を、きつく抱きしめる。
一瞬、シャルロットは暗がりの視界に違和感のある赤い色を捉えた。
「ワット! あそこ!」
点在する木の一つ、その枝の上に、シンナが座っていた。雨のしずくもまったく気にかけず、こちらを眺めて口元にはうっすら笑みが浮かんでいる。
「あのガキか……!」
ワットは唇を噛んだ。目が合った事に気がつくと、シンナは造作もなくそこから飛び降りた。そのまま一人の男の横に立ち並ぶ。
「ごめんね大兄様、避けられちゃった」
周囲の男達とは違い、数歩下がった場所に立つ腕を組んだ大男――イガ=チファウタを見上げ、シンナはいたずらが失敗したかのように笑った。
「今のはほんの挨拶だ」
声を上げ、イガが笑む。彼らとの間には、何人とも言えぬ男達が武器を持って立っている。剣を片手に周囲を警戒するニースの隣で、メレイが剣を握りなおした。
「……ファウター」
イガの指先が、まっすぐにニースを指した。
「全員殺せ」