第35話『星空の誓い』-1
静寂を取り戻したニノーラの古城跡で、生き残った兵士達はシンナに殺された兵士達を地に埋めた。
それを埋める者と、墓標となった人数はほぼ同じだ。三十人近くいたと思われた兵士達は、いまや半数になっていた。朝霧の晴れた遺跡。血の海と化した場所には、遺体を回収した後は、誰も足を踏み入れていない。
エディが怪我人を手当てしている間、シャルロットとアイリーン、パスはそれを手伝い、ワットは兵士達の遺体を埋葬を手伝いにまわった。
「命令?」
兵士の隣に、ニースが腰を下ろした。まだあどけなさの残るその青年は顔色も悪く、黒い目と癖の入った黒髪が、火の国の国民だという事を色濃く表している。「はい」肩を落とし、青年がうつむいた。
「インショウ国王からの命令で、土の国の……イーバを襲えと……」
「インショウ様が……?!」
思わず、身を乗り出した。――そんなバカな。
脳裏に、無垢な少年だった頃のインショウの笑顔が思い浮かぶ。
「俺達には、信じられませんでした……。ですがインショウ様の命令に背くわけにもいかなくて……。皆で城を発ったものの、イーバまで進むわけにもいかずここに……」
「イーバにも行かず城にも戻らず。何日ここに?」
ニースの傍らにメレイが歩き寄り、腕を組んだ。一度だけメレイを見上げ、兵士はまたうつむいた。
「……五日になります。自分が情けない……。結局、こんな事に……!」
兵士はそのまま頭を抱え、肩を震わせた。
「命令は、インショウ様から直接?」
「いいえ、ジクセル殿です」
ニースの問いに、後ろから現れた別の兵士が答えた。
「カルディ?」
兵士に、ニースは目を見開いた。カルディと呼ばれた青年は、ニースよりも少し若い。短く硬い黒髪が四方に跳ねていて、ほぼ無傷のようだ。「お久しぶりです、ダークイン隊長」カルディが、目を伏せるように頭を下げた。
「最近の命令はほとんどがジクセル殿から直接……」
「……成る程ね」
メレイのため息に、カルディが顔を上げた。
「隊長はジクセル殿をご存知で……?」
まっすぐ向いた黒い目に、ニースは「ああ」と目を細めた。同じように、カルディの表情が曇る。
「最近インショウ様の近くにおられる方なんですが……。何というか……あまり大きな声ではいえないのですが、どうも馴染めない方でして……。彼の命令は、冷酷そのものです」
「……ニース」
メレイの声にニースが顔を上げると、メレイがカルディをあごで指した。その様子に、カルディがはっと眉をひそめる。
「も、申し訳ございません! 部下達がこんな時にこんな話……」
「ジクセルと名乗る男」
ニースが言葉を遮った。「ジクセルは偽名だ。本当の名はルジューエル。ルジューエル賊団の長だ」途端に、カルディが目を見開いた。しかし、しばらく言葉の意味を完全には理解しきれなかったようだ。
「国際指名手配犯に指定されてる。知っているな?」
「ま、まさか……! ジクセル殿はインショウ様の相談役まで勤めている方ですよ? それが……!」
口を空回りさせ、そのままカルディが驚きで言葉を詰まらせる。ニースが目を伏せた。
「間違いない。奴と話した時に分かった事だ。……そのあと嵌められたが」
「しかし……!」
ニースの言葉にも、カルディは信じきることが出来なかったようだ。「エルベ殿の事件……! あれを納めたのは他ならぬジクセル殿ですよ?!」
「自分の部下を使えば、事件なんていくらでも起せるわよ」
流すように、メレイが言った。ショックからか、カルディの言葉はそのまま続かなかった。
シャルロットは一人、兵士達の座る間を縫って仲間を探していた。ニースとメレイが兵士と話していたのは知っている。パスも一人、石垣のそばでうつむいて座っていた。肩を落とし、ひどく気落ちしている様子だった。
ワットを探し、遺跡の裏へと回った。しかし、そこには既に埋葬の終わった墓標と、泣き崩れる兵士が数人いるだけだった。シャルロットは胸が痛んだ。盛り上がった赤茶色の土の上に、まっすぐに剣が突き立てられている。その下に眠るのは、彼らの友人であり、仲間だったはずだ。丘の最果てでもあるこの場所から見えるのは、はるか下の青々とした広い海。既に高く上った日差しがさんさんと降り注いでいた。
彼らの背が、いつ自分のものになるかも分からない。そう思うだけで、胸から何かがこみ上げる。――その途端。
「……う」
思わず、嗚咽が漏れた。腹の奥をひっぱられるような不快感――。
(何……?)
思わず、口を覆う。ふいに、視界の端にアイリーンの背が見えた。
「……アイリーン?」
墓標のそばに立つアイリーンは、海の向こうに顔を向けたまま、振り返らなかった。流れるような風がその黒いウエーブの髪を揺らしている。小さなこぶしは、ぎゅっと握り締められていた。
「……あたし……許せない。……あいつ……こんなこと……!」
奥歯を噛みしめるような声。先程からの不快感が体内を支配し、吐き気を増長させる。――気持ちが悪い。
だがそんな事よりも、今はその小さな肩を抱きしめたかった。その髪を撫でると、アイリーンの白い肌がいつもよりも一層白い気がした。
「……顔色が悪いわ」
「……シャルロットも」
小さく上げた顔が、しかめるように視界を閉ざす。不快感は広まるばかりだ。胸の中で渦巻くこれは、何なのだろう。まるで、自分の意思とは関係のないところで自分の体が同調するような――。
「シャルロット?」
割って入った声に、シャルロットは振り返った。
「……ワット」
「調子悪いのか?」
その顔色に、ワットがスコップを肩にかけてアイリーンを抱いたままのシャルロットを見下ろす。
「……ううん」
シャルロットは首を横に振った。視線を下げると、ワットの汚れた服が目に付いた。埋葬を手伝ったせいか、そこには土や浅黒い血のあとが付いている。――胸が痛い。
「……あいつと目が合った時さ」
アイリーンの呟きに、シャルロットは顔を向けた。
「あいつ、なんか変だった」
「変……?」
顔をあげないアイリーンに、ワットが眉をひそめる。
「何て言えばいいか分かんねぇけど……あたし……、こんな事やめさせたい」
「……アイリーン」
シャルロットの声に、アイリーンが顔を上げる。
「火の城へいけば、あいつもいるんだろ?! 早く行って……あいつをぶん殴って……目ぇ覚まさせてやる……!」
黒い髪を揺らし、こぶしを握ったままアイリーンは遺跡の方に戻って行った。
ワットが、その背を遠目で眺めた。
「……あいつ、ずいぶんシンナの事気にかけてるな」
「歳も近いもの……気になるに決まってるわ。止めたいって思う気持ちも……わかる気がする」
うなだれた頭を、ワットが抱いた。
「俺には理解できねぇけど。どう思う?」
「……私は」
ワットの言葉に、シャルロットは目をそらした。その視界に、赤茶色の墓標とそれを嘆く兵士達の後姿が見える。――あの子さえいなければ、こんな事にはならなかった。
それは、思わざるえない思いだ。
「……許せないわ」
ワットに寄りかかったまま、硬く目を閉じる。先程から感じていた不快感が何なのか、次第に頭が理解し始めていた。墓標の前にいればいるほど、その思念は強くなる。
――この地の果てで殺された者達の無念が、胸の中で響くのだ。その声が何を訴えているかなど、シャルロットにはわかるはずもない。だが――。
「……けど、アイリーンがそうしたいなら。私は協力したい。あの子がどんな子だとしても……アイリーンには傷ついてほしくないの」
「……そうか」
ワットに促され、シャルロットは墓標に背を向けた。ゆっくりとその足を遺跡に戻す。
「お前がそうしたいなら、協力はする。ただやつらとの争いが始まったら、お前らは絶対に出てくるなよ」
「……ん……」
その言葉に、シャルロットは明確な返事ができなかった。わずかに声を漏らし、それをごまかした。――もしもそうなった時。仲間が危険にさらされた時。ワットが危険な目に合ったりしたら。
命に代えても飛び出すだろうと。心は、そう言っていた。
ニノーラ古城跡の裏手はかなりの急勾配の崖だったが、残ったカルディ達兵士の協力もあり、馬も一緒に下してもらう事ができた。
右手は永遠に広がる青い海、左手は天高くまでそびえる赤茶色の岩肌、進む道は細く延びる白い砂浜だ。
カルディ達兵士は仲間全員の埋葬を終えるまで移動はしないと言った。しかし必ず後を追う、とニースに硬く言っている姿を、シャルロットは通りすがりに耳にした。
「まだ具合悪いのか?」
ワットの馬の背に乗ると、ワットが振り返った。気がつけば、かなり体重をかけていたようだ。
「ううん、平気……」
余計なことで足をひっぱりたくはない。この具合の悪さは、きっとワット達には無いものだ。そう、あの墓標の前にいすぎたせい――。
「無理すんなよ」
ワットはそれだけ言って、再び前を向いた。シャルロットは小さく目を閉じた。
こうしていると、心の不安が少しだけ溶ける気がした。しかし、恐怖が完全に消えるわけではない。
今朝の事、この先の事、色々考え始めればきりがない。この白い砂浜を抜ければ、いよいよ火の王国に入る。本格的に彼らと戦う事になるだろう。――ニースが強いのは知っている。ワットも、メレイも、今まで自分が見てきた人々の中で、一番強い。それでも、ルジューエル賊団には、いまや背後に国がついているも同然だ。火の国の兵士でさえ、敵になってしまった。味方のいない自分達が彼らと戦えば無事ではすまない。そして、その敗北が何を意味するか。
不安をかき消すように、シャルロットはワットの背を強く抱いた。
月が高く上る頃、左手に見える赤茶色の岩肌の高さが次第に低くなるのを見て、次第に国境に近づいていると感じるようになった。
「今日はここで休もう」
ニースを先頭に馬を止める。見晴らしのよい砂浜は、周囲に人気が無い事を示していた。
「見張り、いなかったな」
「地図を確認しないわけないわ」
ワットの言葉に、メレイが荷を降ろしながら言い捨てる。――彼らの余裕の表れか、それとも罠か。
「どっちにしろ、休むには最適だわ」
メレイの言葉には、全員同じ意見だった。
月の輝く夜空、闇を埋め尽くすほどに広がる星々を眺め、シャルロットは空に手を伸ばした。掴めそうなほど近いのに、握ればそれは指をすり抜ける。不安に負け、いくら目を閉じても眠れない。打ち寄せる波が足に届きそうな場所で腰を下ろし、シャルロットは一人皆の寝ている輪から外れていた。
(宮殿からも……よく見てたっけ)
――目を閉じれば思い出す。あの、懐かしいバンドベル宮殿を。エリオットは、ミーガンは、宮殿の友人達は今頃どうしているだろうか。宮殿を出てからさほど月日がたったわけでは無い。しかし、彼らに向かって手を振ったのが、もうずっと昔のことのようだ。
(心配……してるよね。砂の王国にも、ニース様の事は伝わってるだろうし。私の事も……)
「眠れねぇのか?」
空に向かってかざしたてのひらの隙間からワットの顔が覗いた。「ワット……?」思わず、顔を上げて振り返る。
「明日から火の王国だな。……眠れねぇのも無理ねぇか」
シャルロットは海を眺め、小さく頷いた。
火の王国に入れば、何が起こるかわからない。兵士に捕縛されて殺されるかもしれないし、ルジューエル賊団の罠にはまるかもしれない。そう、あいつらの手に落ちる事だってありえることなのだ。
ふいに頭に乗った手に、シャルロットは顔を上げた。ワットが笑って隣に座り、空を見上げる。
「いい眺めだ」
言葉につられ、シャルロットも空を見上げた。いっぱいに広がる星空に、波が打ち寄せる音だけが響く。
「……昔から、何かあると、うちの塔の屋上から空を見たわ。ここもそことつながってるんだって思うと……少し落ち着く」
ワットと目が合うと、笑みがこぼれた。故郷からこんなに離れたこの場所で、ワットと二人でこうしていることが不思議でならない。自分達がこれからしようとしている事ですら、遠い話のようだ。それなのに、ここにいる事をとても幸せに感じる。
「怖い事もいっぱいあったけど……私、皆といられて楽しかった。いろんな国を回って……皆と出会って、ワットとも会って……。この旅で……とっても短い間だったのに、私の中の大半のエネルギーを使っちゃったみたい」
皆と出会った頃の事を思うと、笑いがこぼれる。――ミーガンと一緒に遠目で見たニース。深夜の宮殿で出会ったワット。森林の中で爆竹を投げてきたパス。砂漠で再会したメレイ。ルビー様を助けてくれたエディ。私に元気をくれたアイリーン――。
「空を見て、休まる事なんてなかった。……私、変わったかな」
シャルロットの目に、「ああ、そうだな」とワットが目を伏せる。
「最初に会った頃は、まだほんのガキみてーなツラしてたからな」
「ちょっと!」
ワットが笑うと、シャルロットは頬を膨らました。
「俺は……」
「ん?」
「俺はこの旅についてきて良かった。お前の兄貴に感謝してる」
過去を思い浮かべるような言葉に、シャルロットは思わず笑いをこぼした。
「お兄ちゃんに怒られるよ」
少なくとも、その思い出に兄のエリオットがいい感情を持っているとは思えない。
「でもあの時、私と会わなかったら……、お兄ちゃんが居合わせなかったら……、こんな風にワットと話してなかったかもしれないんだよね」
そう、遠いあの日。ワットとエリオットが剣を向け合った瞬間から、自分達はこの道を歩んできたのだ。
そっと、自分の手のひらを見つめる。あれほど恨んだこの力。それすらも、この旅の一部だった。それを受け止め、自分を支えてくれたワットを愛した。
「この旅が終わったら、兄貴に謝りに行くよ」
「お兄ちゃんの怪我? それはもう……」
言いかけで、シャルロットの言葉は途切れた。唇に触れた、ワットのキスによって。背を抱く腕が、とても心地よく感じた。その唇が、ゆっくりと離れる。
「旅に出る前に……お前の兄貴に言われたんだ。妹に手ぇだしたら承知しねぇって」
「やだ嘘!」
いつの話かも分からない内容に、思わず赤面する。「お兄ちゃんってば……!」恥ずかしい事をついさっきまで兄をかばう言葉を言っていた事を少しばかり後悔する。
「……もしかしたら、見抜いてたのかもな」
「何が」
悪態をつくように笑うと、ワットの顔から笑みが消えた。
「お前と、結婚したい」
「……え?」
聞き間違いかとも思った言葉に、思わず口が開く。
「……今、何て?」
「この旅が終わったら……。砂の王国に帰って、お前と結婚したいんだ」
打ち寄せる波の音が、とても遠く感じる。
「一緒に暮らそう。この旅が終わっても……ずっと一緒にいてほしい」
ワットを見つめたまま、シャルロットは言葉が出なかった。あまりの言葉に、自分の言葉が紡げない。
「……わ、私……」
ワットに抱きしめられると、シャルロットは胸が詰まって言葉が出なかった。代わりに、涙がボロボロと溢れてきた。
「……私も、一緒にいたい……!」
力の入らない手でワットの背を掴むと、ワットがその指でシャルロットの涙をぬぐった。
「ここまで来たんだ。全部カタつけて……一緒に帰ろう」
出ない声の代わりに、シャルロットは何度も頷いた。