第34話『二局の戦い』-3
「ふぁー! つっかれたぁ!」
仰向けでベッドに勢いよく倒れこむと、アイリーンは息をついた。
「お疲れ様」
隣のベッドで、エディが笑う。「つーか、エディの方が疲れてんだろ」別のベッドから、パスが口を挟んだ。
「てめーこそ大した手伝いしてねーだろーが!」
飛び起きたアイリーンに枕を投げつけられ、パスがそれを投げ返すと二人はベッドに転がって喧嘩を始めたが、もはや誰にも止める気力は残っていない。それを尻目に「二人ともやめなよー」と力なく言い、シャルロットもベッドに転がった。
葵の館の一部屋。今しがた、やっと最後の怪我人の手当ての手伝いを終えたエディと付き添いのアイリーンが帰ってきたところだ。全てが終わり、緊張の糸がほぐれたシャルロットはもう手足を動かす気力もない。何より、向こうのベッドにワットの背が見えることが嬉しかった。
その時、部屋にノックの音が響いた。
「メレイ、いる?」
「ケイ?」
その声に、メレイがドアを開けた。日中とは違い、綺麗に身を整え、美しく着飾ったケイがそこに立っていた。右手の手首から手のひらまで、包帯が巻かれている。自分に集中した視線にわずかに目を伏せ、ケイがメレイを見上げた。
「町の人があんたにお礼がしたいって。店に来てるのよ。あんた、さっき貰わなかったんだって?」
片方の手のひらがいっぱいになるほどの布袋を、ケイがメレイに差し出した。中からは、ジャラリと重厚な硬貨の音がする。
「受け取らなきゃいいのに」
「置いて行っちまったんだよ。私も今日は片づけで忙しいし……抜けられなくて。明日返しに行くけど、一応あんたに言っておこうと思って」
「いらないから返しといて。私達も明日発つから」
メレイは手を腰に当てたまま、ケイから差し出されるそれを取らなかった。「そうよね」ケイが、再びそれを下げる。ベッドからそれを見ていたシャルロットには、うつむいたその顔がわずかに曇ったように見えた。
ケイが、部屋の奥に首を伸ばした。
「エディ君」
「はい?」
突然話を振られたエディが、アイリーンとパスを力ない手で離しながら振り返った。
「昼間手当てした人がお話したいって店に来てるけど」
「あ……」
一瞬、エディが気まずい顔をした。「断るかい?」ケイが、クスリと笑う。
「すみません……」
エディが頭をかくと、ケイは笑って「だと思った。断っておくよ」と、そのまま部屋を出て行った。ベッドに戻るメレイに、ワットが口の端から笑いを漏らした。
「大人気だな。お前ら」
メレイがそのまま黙ってベッドに戻る。その顔には、先ほどまでケイと会話していた時の笑顔はない。
「……何だ?」
振り返ったワットに、メレイはベッドで足を組みながら目を伏せた。
「礼を貰う理由なんてない」
その低い声に、シャルロットは顔を向けた。
「何言ってんの、あんなに頑張ったのに」
思わず笑いが漏れるほどに。そう、今日一日メレイの背を追いかけていた自分は良く知っている。メレイがどれだけこの町の為に働いたか。その言葉に、メレイが小さく目を開けた。
「本当は……この町であまりいい思い出は無いの。今日ここを助けたのは、ケイの為よ。ケイには昔、本当に世話になった。……命の恩人なのよ」
その言葉に、部屋が静まり返った。一人静かに座っていたニースも、顔を向ける。
「町を助けたのは……ただの結果よ」
メレイはそういうと、ごろりとベッドに寝転がった。そのまま、その目を閉じる。シャルロットは何も言えず、ワットと顔を合わせた。ふいに、アイリーンがワットを振り返った。
「なぁ、そっちの町にはあいつは……シンナはいなかったのか?」
「……あ? ああ」
ワットの答えに、アイリーンは顔をうつむけて肩を落とした。しかし子供の心理など、ワットの理解できる範疇ではないし、もとより興味もない。
「捕まえた賊達はどうしたんですか?」
エディがニースに言った。
「水の王国に引き取ってもらう手配をした。火の国は今どこまでやつらが入り込んでいるか判らないからな……」
ニースはそのまま黙って荷の整理をしていた。ふいに、シャルロットは胸に不安がよぎった。
かつて自分が忠誠を誓った国が、今は信頼のおける場所ではなくなってしまっている。もし、自分の暮らしていた砂の王国がそうなってしまったら、自分は今のニースのように冷静でいられるだろうか。全てに疑心暗鬼になり、信じるものさえなくしてしまわないだろうか。
答えの出ない問いを頭にめぐらせながら、シャルロットはベッドに入った。
翌日、日が昇らない時間に、シャルロット達はクィッドミィードを出発した。馬は、その辺りにいた賊達のものを勝手にもらう事にした。今までの荷馬車では、この先の森林地帯を馬車で抜けられない。クィッドミィードの町並みが小さくなり始める頃、先頭で馬を歩かせるニースが振り返った。
「よかったのか。彼女に挨拶もしないで」
隣を走るメレイを、ニースが振り返った。手綱を握るニースの前では、パスが再び夢の中に入っている。
「別れの挨拶は苦手なの」
「また会いにくればいいじゃねーか」
エディの後ろから、アイリーンが顔を出す。「な」とエディを見上げるアイリーンに、ワットの後ろで背に身を寄せていたシャルロットは胸が痛んだ。――また、があるなら。
その視線が、メレイの背に戻った。
火の王国に戻る。それは、まぎれもなく彼らとの対峙を余儀なくされることだ。ギュッと、ワットの背を抱く手に力が入った。自分達があそこに戻るのは、ニースの為だ。そして、ニースは国の為に。しかしメレイは――。
「どうした?」
ワットの声に、シャルロットは我に返った。思わず上げた顔からは、その不安は読み取られなかったようだ。
「何でもない……」
シャルロットはワットの背に顔をうめた。
馬での移動は、速度を格段に上げた。その代償として疲労を感じるサイクルが早まったが、クィッドミードを出て、シャルロット達は日が真上に昇る前には次の目的地に到着することができた。前方の大地を区切るような大きな河。そして、その手前には高い木の柵が広範囲を囲っている。以前、火の王国に入る前に寄った、土の国最後の村――。
村のそばで休憩を取り、シャルロット達は以前と同じ橋から河を越えた。
目の前に広がる巨大な森を見るのはこれで二度目だ。以前と変わらぬ静寂と不気味さを保つ薄暗い森に、シャルロットは背筋が冷えた。そして――。
「この森の向こうが国境なのね……」
息を飲み、口から漏れる。――早く進め。いや、進みたくない。
二つの想いが、胸の中で交錯する。
「どうやって国境を抜ける? 絶対にばれるぜ」
「国境は通らない」
ワットの問いに、ニースが先頭を進みながら振り返った。「ニノーラの古城を覚えているか?」はるか頭上で、鳥達が数羽移動する。その羽ばたきさえ、シャルロット達の耳に届いた。
「ああ、あの丘のだろ」
姿が見えるのはだいぶ先だろうが、以前ここを通ったとき、そこに立ち寄った。
「あの裏手から海岸に出られる。そこから海岸沿いを抜けて国内に入るつもりだ」
ニースは前を向いたまま言った。
「……その道、地図には?」
ワットの問いには、少し間があった。意図的にニースがそれを話からはずしたと思ったからだ。ニースの答えにも、わずかに間があった。
「以前までの地図にはないが、俺の地図には……追記している。見張りがいる可能性もあるが、国境は絶対に越えられない」
選ぶ道は無い。そんな言い方だった。ワットはそれ以上、会話をしようとはしなかった。
「さすがに、そこらの賊は姿を消したわね」
話を変えるように、メレイが言った。もとより、メレイは先の会話に興味はないようだ。一人で馬に乗るようになってから、メレイは一人で黙っていることが多かった。
「何でだ?」
ニースの前から、パスが振り返る。
「……あいつらよ」
「あいつら?」
首をかしげたと同時に、パスも理解できたようだ。――ルジューエル賊団。
「あいつらはここを通って土に移動した。それなら……不思議じゃないわ」
言葉の裏に隠された意図に、パスがうつむいた。彼らにとって、自分達以外の人間は何なのだろうか。逃げたにしろ、殺されたにしろ、この森には一層人気がなくなった。
空高くそびえ立つ木々は、空を覆い隠す。時間の間隔が無くなる中で何度か休息を取り、おそらく深夜を越えたであろう頃、木々の間からはやっと深遠の空に星々が覗き、赤茶色の岩壁が目立つようになってきた。その隙間から、灰色の石造りの建物が見え始めた。
「ニノーラの古城! やっと見えた!」
額に手をかざし、緊張の糸がわずかに緩む。「やった!」同時に、アイリーンやパスが声をこぶしを握り締めたような声を出す。「あそこで休むんだよな!」急に元気を取り戻したようなパスに、ニースが笑った。
一度休息をとったことのある場所というのは、自然と人を安心させるらしい。
「あれ?」
目をこすりながら、アイリーンが素っ頓狂な声をあげた。「どうしたの?」エディの声にも顔をあげず、アイリーンが古城に目を細めた。
「あそこ、……誰かいる」
「……え?」
エディがそれを見つめても、その気配はつかめなかった。「やだ、賊かな」一緒に、シャルロットはワットを見上げた。
「煙が立ってる。細いけど……」
「行けばわかるわ」
馬の足を止めたニース達を追い越し、メレイが幾分も気にしていない声で先に進んだ。「待て」わずかな煙の筋を確認し、ニースが馬から下りた。
「何人いるかもわからないだろう。俺が先に行って見てくるから皆はここで……」
「俺が行く」
ニースの言葉を遮り、ワットが馬から下りた。その手綱をシャルロットに手渡す。
「お前のツラ知ってる奴がいるかもしれねぇし……万が一って事もある。面倒はごめんだ」
ニースの返事を待つ前に、ワットは目の前の丘をさっさと駆け上がっていった。