第34話『二局の戦い』-2
思わず、メレイは足を止めてしまった。同時に、奥歯を噛んだ。――しまった。
勢いを殺さなければ、今の一瞬でカタはついたのに。絶対に、ケイも助けられていた。
メレイが手を出せないでいるのを見て、残った男達がにやりと笑った。残った彼らは、ケイを人質に取った男を含めて三人。武器もあり、体も大きい。
二人が、ゆっくりと剣を片手にメレイに近づいた。メレイは剣を握り締めた。――しかし。
ここで手を出せば、ケイの命がない。二人の足が、次第に近づいてくる。唇を噛み、目を細める。しかし、手はない。握り締めたその手の力を緩めかけた時――。
「……あんた、あたしを誰だと思ってんの」
低い声が、メレイを正気に戻した。ケイの声。
「……何?」
思わず、ケイを捕まえていた男がその顔に向かって眉をひそめる。「こんなことでビビって」うつむいたままのケイが、だらりと下げていた手を振り上げた。
「葵の女将が務まるかってんだ!」
集団の中にいたエディは思わずあっと声を上げた。――ボタ。大きなしずくが、床に落ちる。首に当てられたナイフを素手で掴んだその刃先、ケイの握った手の中から、鮮血が一本の流れのように次々と滴り落ちた。
「な……!」
思わずひるんだ男から、ケイの手がナイフと同時に体の自由を奪い返す。自らの血に染まったナイフを向ける中年女に、男は一瞬ひるんだ。しかし、すぐに我に返ったようだ。
「このババア! なめやがっ……」
しかし、男は自分の立ち場所を忘れていた。男がケイに手を伸ばした途端、立ち上がったエディがそのまま男の両足を掴んで一緒に倒れこんだ。
「メレイ!」
ケイに怒鳴られ、呆然とそれを眺めていたメレイは我に返った。剣を握りなおし、自分の真後ろまで迫っていた男の剣をかわし、攻撃を返す。倒れた男達を、周囲の町人達が乗りかかるように次々と押さえ込んだ。――十一。
合計十二人。最後のひとりとなった男は、自らの危機を悟ったのか、慌てて指笛を吹いた。
高らかに響くその音に、一瞬笑みを浮かべる。しかし、目前に迫ってくるメレイにその効果はなかった。
「無駄だ。呼んでも誰も来ない」
「……な、何だと……?」
「外には一人も残してない。お前の仲間は、もう誰もいない」
メレイが口の端を上げるのに比例して、男の顔が歪む。
「く……!」
一瞬、逃げるかとも思った。しかし、叫び声を上げて自分に向かってきた男を、メレイは躊躇無く切り伏せた。男が倒れると同時に、目を伏せる。「ふぅ」気を取り直すため息と同時に、ホール内に歓声が響き渡った。うずくまっていた彼らが立ち上がると、ホール内は一瞬にして狭い室内へと変化する。
動ける町人達が、こぞって倒れた賊達を縛り、ホールの隅へを集めた。
騒ぎの中、メレイがしゃがみこんだケイを捕らえた。肩から茶色の羽織りをしたケイは、座り込んだままエディの手当てを受けている。
「……ケイ」
――無事でよかった。胸の奥からの呟きに、ケイが顔を上げる。その顔に、ケイはふっと息をついた。
「ばかね、あんた」
「……え?」
にっと、口の両端を伸ばす。
「あの程度でビビるなんて、度胸が減ったんじゃない? 昔のあんたなら、まっすぐ突っ込んでたろうに」
その笑みに、メレイは笑いがこぼれた。
グリンストンでは、事態の収拾がついた。人数に任せてグリンストンを襲った彼らの中にはニースの相手になる腕のものはおらず、多すぎる人数にはワットと町の人の協力が功を奏した。
倒れた賊達を縄で縛りあげる町人達を眺めながら、ニースが腰に剣を鞘に納めた。
「やはりファウター達はいなかったな」
「エディの言ったとおりか……。いても不思議はねぇと思ってたんだけどな……」
「ワット!」
話の途中、腕を包帯で固定したウィンドラーが、白い石通りの向こうから駆け寄ってきた。
「怪我は……大丈夫そうだな」
言いかけで、ウィンドラーの様子にワットが口調を変える。
「まあな、すぐ手当てしてもらったし。……それにしてもおめぇ、どこでこんなこと覚えたんだよ」
いぶかしげな視線が、ワットの腰の短刀に降りた。その視線に気がつき、ワットも目線を下げた。
「町を出てから、な」
周囲は体のあちこちに傷を負った町人達がせわしなく行き交い、その中には以前ワットを責めた女性達の姿もかいま見れる。自分達をチラチラと見る彼女達を尻目に、ワットはニースに視線を戻した。
「ここはもう大丈夫だろ。ルジューエル賊団の連中はさっさと水に……」
「な! ル、ルジューエル?!」
途端に、ウィンドラーが言葉を詰まらせた。「ルジューエルって、あの?!」その声に、ワットは振り返った。その視線が、そのまま縛られている男達に向く。ワットは、あご先でそれを指した。
「見ろよ。……片羽の竜の刺青。あれが奴らの証拠だ」
言葉どおり、縛られている男達の肩、背と、わずかにそれが垣間見れる。「水の王国に連絡して引き取ってもらえ」気を取り直すように、ワットが言った。
「水の? 火の国じゃなくてか?」
「ああ、火の王国は今やめとけ」
ワットの忠告に、ウィンドラーは片眉をあげた。
「よくわかんねぇけど……。わかった。町長に伝えておく」
「頼んだぜ。おいニース」
いつの間にか町人達に囲まれてお礼を言われていたニースが振り返った。思わず、振った手が下がる。まったく、ため息をつきたい気分だ。自分も同じ働きをしたのに、なぜあいつばかりがこうも人目を引くのだろう。
「……ったく」
鼻で息を吐くのと同時にそれを流し、ワットはニースに歩き寄った。
「早いとこクィッドミィードに戻ろう。シャルロット達が心配だ」
「ああ、そうだな」
視線を合図に町人達の輪から抜け出すと、次第に周囲の視線が集まってくるのがわかった。ふいに、ワットの視界に栗色の髪を豪華に弾ませた太めのドレスの女性が目に入った。――知っている女。自分を、心の底から嫌悪している女だ。前にここに来たときも、シャルロットにいらぬ事を吹き込んだ。
ワットが目をそらす直前、女性の口が開きかけていた気がしたが、ワットにとってはどうでもいいことだった。いつの間にか自分達の乗ってきた馬が、近くに用意されていた。町人の誰かが、もって来てくれたのだろう。
「ワット!」
ニースとそれぞれ馬にまたがった瞬間、ウィンドラーが呼び止めた。その声に、視線を向ける。
「……今日お前が来てくれたおかげで、助かった人が大勢いる」
子供に言い聞かせるように。ウィンドラーが全員に聞き渡る声で言った。
「もしまだ……昔のお前を責める奴がいたら、そいつの方がこの町にいる権利はねぇよ」
いつの間にか、周囲は静まり返っていた。ウィンドラーの発言に、ワットは思わず見開いた目を周囲に向けてしまっていた。自分に向けられている目は、軽蔑の目ではない。その全てが、感謝に満ちていた。
「言い尽くせないほど感謝している。……ありがとう」
その鋭い目が優しく笑うと、ワットは口元がほころんだ。
「またな」
その笑顔をウィンドラーに向け、ワットは馬を駆った。
ワットとニースが馬で町を去る姿を、スーディベルは屋敷の窓から見つめていた。
「スーディベル」
その場から動かないスーディベルの後姿に、ミジベンド夫妻が声をかけた。
「私達は昔……、あれをお前の為だと思ったが……」
消え入るような父親の声に、スーディベルは髪を振って振り返った。咲いたような、輝くような笑顔で。
「昔の話よ、パパ、ママ。私も、前に進まなくちゃ」
「途中で会わなかったな、メレイの奴」
日も傾いた夕暮れ時、ワットとニースはクィッドミードに入った。馬を駆って進むも、役所の付近で町人が行き交っているのが目に入った。
「上手くいったみてぇだな!」
ほっと、胸の詰まりが落ちる。役所の前で、ワットとニースは馬から下りた。周囲はストレスが抜け落ちた顔の町人達が行き交っていたが、皆せわしなく怪我人の手当てや片付けで呼び止められる雰囲気ではない。壊れてしまっている役所の入り口のドアを踏み、ワットとニースは中に入った。ごった返しになっているホールの中で、それを見た一人が弾けるように立ち上がった。
「ニース! ワット!」
「パス」
腕を振って、パスが駆け寄ってきた。ニースがほっと息をついた。
「無事だったか……。皆は?」
「エディはあっちだ。町の医者と一緒に、怪我人の治療をしてる」
振り返るパスの視線の先で、エディが怪我人の腕に包帯を巻いている姿が見えた。その傍らで、アイリーンがその手伝いをしている。
「早かったわね」
背後からの声に、ニースが振り返った。入り口に立っていたのは、タオルで汗を拭うメレイだった。
「よくやったな……怪我でもしたか?」
わずかに背を曲げて歩くメレイに、ニースは眉をひそめた。その言葉を、メレイが鼻で笑う。
「ちょっと疲れただけよ。町の人に馬を貰ってそっちに行こうと思ってたんだけど……必要なかったわね。今は私より、あの子が大忙しよ」
メレイがエディをあごで指した。
「シャルロットは?」
ごった返す人の中でも、その姿は見当たらない。周囲を見回すワットを、パスが見上げた。
「町の奴と薬屋まで包帯取りに行ってる。足りないらしくてさ」
「怪我人は多いのか?」
「半々よ。それよりも何人も死人が出てる」
メレイの言葉に、ニースが眉を寄せた。「あんたが責任感じる事じゃないわ」息をつくように、メレイが周囲を見回した。
「それより今日はケイが部屋を貸してくれるそうよ。ゆっくり休みましょう」
「あ!」
両手で抱えた大きな紙袋から、一つの包帯の筒が転がり落ちた。ただでさえ目の前が見えない大きさなのに、無常にもそれは足元に弾んで地面を転がっていく。
「待って待って……!」
空が薄い闇に覆われ始めた薬屋からの帰り道。シャルロットは慌てて身をかがめて包帯に手を伸ばすと、紙袋のバランスが崩れた。
「おっと……!」
絶対に落ちるはずだったバランスの紙袋が、なぜか自分の手から外側へ倒れていない。「あれ?」首を伸ばすと、それが別の手に支えられている事に気がついた。ふわりと、それが自分の手から離れる。
「持ちすぎじゃねぇか?」
「ワット!」
紙袋の向こうから見えた顔に、シャルロットは思わず口をあけた。両手で抱えていた紙袋はあっさりとワットの片手に納まった。自分にかかったワットの影に、シャルロットは夢でも見ているのかと思った。ワット達はまだ、グリンストンだと思っていたから。
ぽかんと口を開けたまま立ち尽くしているシャルロットに、ワットがにやりと息をついた。その手を、シャルロットの頭に乗せる。
「心配は、しないんじゃなかったのか?」
「……し、してない。……してなかったわ!」
我に返り、遅れながらも反論する。頭に置かれた手をどかしたが、その手を離したくはなかった。小さく握った手に、視線を落とす。
「良かった……無事で……!」
心の奥で張り詰めていたものが急速に溶けだし、シャルロットは両手でワットに抱きついた。それに答えるように、ワットがあいた片手でその背を抱く。
「……お前も」
「怪我は? ……グリンストンは?」
「無事だ。向こうにいたのはたいした事ねえ野郎達だけだった」
「……そう……」
安堵の息をつき、ワットから離れる。
役所に足を向け、紙袋を片手で持ったまま、ワットが言った。
「スーディベル……覚えてるか?」
「……う、うん?」
忘れるはずが無い。以前グリンストンで出会った、ワットが昔付き合っていたという、栗色の髪の美しい女性が頭に浮かんだ。歩きながら、ワットはずっと前を見ていた。
「あいつにも会ったよ。お前、言ってただろ? あいつとちゃんと話せって……。本当だったよ。あいつと……もう一度話せてよかった」
その横顔は、小さく微笑んでいるようにも見えた。
「……昔は、死ぬほどあいつが憎かったのに。結局、俺はあいつを見捨てる事なんてできなかった。……本当は、どこかではわかってたんだ。あれが、あいつの想いじゃなかった事なんて……」
「……あれ?」
シャルロットは眉をひそめた。ワットの口から笑みがこぼれる。
「俺達が付き合ってた頃、あいつは、何の前触れも無く俺と会わなくなった。俺は、あの家の庭師だったんだ。でもそれもクビになって……。何回家に行っても、顔も見れないで追い返されて……。俺は訳も分からないまま……だんだんスーディーを憎み……自暴自棄になっていった」
言葉が途切れ、ワットが遠くを見つめるように息をつく。
「やっぱガキだったんだよな。ずっと後になって……そんな事あるわけないって気がついた。仕事をクビになったのも、スーディーが俺と会わなくなったのも……スーディーの父親に付き合ってるのがばれた直後だった。それが分かっても……俺にはどうする事もできなかった。町での悪評も広まった後だったし……。だから俺は……それを考えないようにした。気がついた時には、もう遅かったんだ。もう戻るところなんてどこにもなかった。気がついたら、あいつを憎む気持ちだけが残っちまってた」
「……ワット」
握り締めた手を、胸に当てる。その奥が、小さく痛んだ。一瞬、ワットの横顔には悲しみの色が見えた気がした。それは空に降りた闇のせいか。しかし、自分にそれが向けられる時には、いつもの優しい笑顔に戻っていた。
「昔の話だ。……ほら、早く歩けよ」
「うん!」
微笑み、差し伸べられた手を取ると、シャルロットはそれをしっかり握って帰り道を歩いた。