第33話『動く理由』-4
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「早く入れ!」
「わ!」
男に背を押され、エディは危うく転びかけた。しかし、ドアの中からいっせいに振り返った顔に、思わず目を瞬く。生気のないうつろとした目が、一瞬自分をとらえてまたすぐ元のように床に落ちる。
大きな建物だとは思ったが、ここは大きなホールになっていた。そこに無数ともいえるほどに敷き詰められた形で膝を抱えて座る人々。町の人間だ。
(てことは……ここが役所?)
「(あんた、こっちへおいで……)」
中年の女性の小声に、エディは身を低めて歩き寄った。集団に混ざったエディに、既に男達の関心はないようだ。
「大丈夫かい? 真っ青だよ」
「……ええ」
先程の吐き気から、まだ顔色が冴えないようだ。エディは顔をそらした。頭から布を巻いたその女性は、エディの事を気遣えないぐらいに顔色が悪い。
「あんた、この町のもんじゃないね。誰か尋ねてきたのかい?」
その言葉に、自分の役目を思い出す。「ここに、ケイさんはいますか? 葵の館の……」
「あんた、ケイの知り合いかい?」
後ろから、男性が割って入った。「ケイならホラ……あそこだ。茶色の羽織りの……」男性の指先には、体を寄せ合った女性達のグループが見えた。皆羽織りをしているが、確かにその茶色の羽織りの女性には、見覚えがあった。ただ、黒髪を背中まで垂らしたその顔は、以前見た時よりもずっとふけて見えた。壁際に立つ男達の目を盗みながら、エディは人を分けてケイのそばに移動した。
「あんた……!」
エディを見るなり、ケイはその化粧っ気のない目を大きく見開いた。
「ケイさん……ですよね。以前……」
相手の顔に、語尾が消える。顔色も悪く、化粧もしていないケイは以前見たときとはまるで別人のように華がない。
「メレイと一緒にウチに来た子、よね? なんでこの町に……いつ来たの?」
「今朝、メレイさん達と一緒に」
「一緒に? 一緒に捕まってるの?!」
思わず声を荒げたケイに、エディは慌ててその口を手で塞いだ。「いえ、メレイ達は外で隠れています。あなたを助ける為に」エディの言葉に、ケイが目を見開く。
「何ですって?」
思わず、その目が部屋の壁沿いに立つ男達に向く。
「あんた達だけで……? 何人いるの?」
「以前お会いしただけです。でもあなたの居場所が分らなかったから……。メレイがあなたを心配して探しています」
「メレイが……」
「おい、あんた!」
突然、別の太った中年男が割って入った。肩を引かれて振り返ると、目の前に必死の形相のその顔があった。
「あんた今朝この町に来たならグリンストンを通ったか!?」
「グリンストン……?」
勢いに圧倒され、エディは思わずただ反復した。
「夜明け前に、やつらの残党がグリンストンに向かったんだ。あそこには家族が……!」
「え……?!」
やっと言葉を理解した途端、鋭く何かが真横を通過した。風を切ったその音に、エディと男が同時に目を見開く。ナイフが、数メートル先の壁に突き刺さった。自分達の顔の真横を、通り抜けたのだ。
太った男が、腰を抜かしてその場に座り込む。それを見て、ナイフを投げたらしい見張りの男達が、声を上げて笑った。騒ぐな、という意味なのだろう。
「セーズナだけじゃなくて……。そうか……」
エディの頭で、彼らの行動が繋がった。彼らはおとといの深夜にセーズナに現れ、次に昨夜からこの地、そしてその後、その残党がグリンストンに向かったというところか。いや、残党はどちらかというとここに残った者達か?
どちらにしろ、この地域一体が襲われたことに間違い無さそうだ。
「……僕はセーズナから直接ここへきたからグリンストンの事は……」
エディの返事に、男は下を向いたまま動かなくなった。ケイがエディに近寄った。
「やつらの戦力はほとんどがグリンストンだよ。奴らの頭がそう言ってたんだ。あの大男が……」
「大男……?」
『もし、捕まった先にリーダーがいたら、絶対に近寄るんじゃない。大男で両足に斧を持っている。それと……シンナがいたら顔を隠せ』
ニースの言葉が、頭をよぎった。
「(どなたか、書くものを持っていませんか?)」
低めた声に、近くにいた少女が、ポケットからペンを出し、貸してくれた。エディは服の一部を切り、そこに文字を書きつづった。ポケットに入れておいた小石に、それを縛る。エディは周囲を見回した。部屋の窓は開いている。
見張りの男達がよそ見をしている間に、エディはそれを外に投げつけた。
「ワット!」
物陰から、シャルロットはワットの袖を引いた。建物の周囲にも見張りはいたが、シャルロット達は三組に別れてそれを遠目に見張っていた。エディから、それがくるのを待っていた。窓から飛び出してきた青いそれが地面に転がったのを見て、エディの服の切れ端だと直感した。幸い、外にいる見張りの男はそれに気が付かなかったようだ。
シャルロットはこっそりそれを拾い、布を取り外した。青い布に黒い字で、走り書きがある。
『この町にリーダーはいません。ここには町人と賊の残党だけです。残りは夜中の間にグリンストンへ向かったらしいです。ケイさんもここにいます』
「グリンストン!?」
思わず上げたワットの声に、見張りの男が顔を向けたので、シャルロットとワットは慌てて身を隠した。
ニースの場所へ移動し、メレイを呼び寄せてから役所をわずかに離れる。
「ケイ……」
手紙を読んで、メレイが小さく呟いた。
「ファウター達は……グリンストンに向かったと考えるのが自然だな。だがそれが今朝なら、もういない場合もあるだろうが……ワット?」
「……え? あ、ああ」
上の空だったのか、我に返ったようにワットが言った。ニースが小さく眉をひそめたが、追求する気はないようだ。シャルロットは不安が胸をかすめた。グリンストンがワットにとってどういう町か、知らないわけではない。
幼い時から十代を過ごし、ワットが成長した故郷の一つでもある町。それがグリンストンだ。
「こんな町の残党くらい私一人で充分よ」
メレイが背の剣を鞘から抜いた。「ファウターがいないんだったら何の問題もない。今すぐケイ達を解放する」まるで小石を拾うかのように簡単に言い放つメレイは、ニースを振り返った。
「そうだな、エディも心配だ」
同じく、ニースが剣の柄を握る。「ちょっと待てよ」ワットが、慌てたように口を挟んだ。
「ザコ共でもかなりの数だぜ。一人も逃さねーってんならゆっくりやるんだろ? 俺は……」
「グリンストンに……行きたいんだよね?」
シャルロットが口を挟むと、ワットはシャルロットを振り返った。その目が、どうしてそれが、と言いたげだった。――そんな事は、考えなくてもわかる。
自分にとって大事な町が襲われてれば、今すぐ助けに行きたいに決まってる。ワットはあの町を酷く言っていた。だが反面、本当はとても大事に思う気持ちを捨て切れていないということを、シャルロットは知っていた。
「グリンストンか……」
メレイが口を開いた。「やつらが今朝から向かってるなら、もう手遅れかもしれないわ」今は昼間だ。ここクィッドミードからグリンストンまでは、馬でゆっくり走って半日だ。もう奴らはそこに着いているだろう。
「でも……」
「ワット」
ワットの言葉を遮り、メレイが剣の刃を撫でて目を伏せた。
「あんた、今すぐグリンストンに行きなさい」
その視線が、隣のニースに向く。
「あんたもよ。ここは私が片付ける」
「無理を言うな、人数も分らないのに……」
「騒ぎは起こさない。一人ずつ確実に仕留める。ケイ達に危害を加えられると困るし……一人の方が好都合よ」
しばらく見つめ合ったあと、ニースはそれを信用したのか、静かに頷いた。
「わかった」
その目で、ワットを振り返る。「グリンストンに向かうぞ」パスが、慌ててニースを見上げた。
「オ、オレ達は?」
「メレイと一緒にここに残っていてくれ」
「物影に隠れているといいわ。私が倒す賊の手足を縛っておいて。全員一度は気絶させるから」
「お、おう」
パスが上ずった声で言った。ニースがアイリーンの頭を撫でた。
「シャルロット、アイリーンも、ここに残ってくれ」
「あ、ああ」
「……わかりました」
シャルロットは小さく頷いた。本当は、ワットについてグリンストンに行きたかった。だが、もしグリンストンが戦場になっていたら、自分は足手まといでしかない。セーズナの一件で、シャルロットはそれを痛感していた。――しかし。
二人が馬をどうするか、と話す二人の背を眺めると、不安がこみ上げるのは抑えられなかった。いくら彼らの腕が立つといっても、あまりに人数が多ければ限界もある。口をついて止めそうになるのを、シャルロットは無理やり手で抑え込んだ。
「シャルロット」
ふいに、ワットが短刀のついたベルトを締めなおしながら振り返った。口に手を当てていたシャルロットは、反応も遅れていたのだが。
「ん?」
その手が引かれ、反射的に顔を上げたのもつかの間、言葉は発せられなかった。口は、ワットの唇で塞がれていた。
それがすぐに離れると、シャルロットはぽかんとしたままワットを見つめることしかできなかった。
「すぐ戻る。……心配するな。ニース、行くぞ」
シャルロットが我に返ったのは、手が離れた後だった。
「こっちが片付いたら応援に行くわ」
「こっちもだ。片付き次第戻ってくる。その時は最初にグリンストンとここの間を通るのに使った公道を使う。お前もそうしろ」
ニースとワットの背に、メレイが「ええ」と背を向ける。
シャルロットはそれを見つめたまま、声が出なかった。――行ってしまう――。
「ワ、ワット!」
喉から声を絞り出し、無理矢理声を張った。ワットとニースが振り返る。シャルロットは強く手を握り締めた。硬く、口を結ぶ。
「心配は……しない! 信じてるから!」
「……上等。しっかりやれよ」
「ワットも……!」
ワットが口の端を上げると、シャルロットはそれに勇気をもらった気がした。同じように、笑う。
ワットとニースの背が見えなくなると、メレイが地面に剣を突き刺した。ポニーテールの髪をほどき、もう一度結い直す。その姿に、シャルロットは再度気を引き締めた。
「さっきも言ったけど、目立ってケイ達に手を出されるわけにはいかない。時間をかけてもいいから一人一人確実にいくわ」
髪を結い終え、ポニーテールを振るメレイの言葉に、シャルロットとパス、アイリーンは同時に頷いた。
「見えた! グリンストンだ!」
クィッドミードを出発して約二時間。赤茶色の大地の隙間に、石造りの白い家々が覗き始めた。
それを見て、一層に馬の速度を上げる。町からは、灰色の煙がいくつも立ち昇っていた。次の瞬間、町の出入り口に男が二人、立っているのが見えた。
「見張りだ!」
馬を駆ったまま、ニースが腰の剣を抜く。すぐに、相手もそれに気がついた。
「な、何だテメエら! 馬を止めろ!」
慌てて手を伸ばすも束の間、馬の速度に人間がかなうわけがない。ワットが先に、馬で飛び越えるように、男達の間をすり抜けた。
「クソ!」
男の一人が、その背めがけて弓を引く。しかし、放つ前に、後方から来たニースの剣に、それを飛ばされた。
「うわ!」
男が地面に倒れる間に、ワットとニースは町に入った。
グリンストンはまさに混乱に陥っていた。とはいえ、戦いがおきているわけではない。町の人々が、一方的に襲われているだけだ。
「……何てことだ……!」
馬を止め、ニースが唇を噛んだ。倒れている人々の数も半端ではない。美しかった白い町並みは、あちこちが灰色の煙に染まり、鮮血をまとった人々がそれに染みを落とす。ふいに、周囲を見回すワットの視界に乱闘中の一団が入った。
「ワット?!」
とたんに、ワットが馬を駆った。ニースが振り返ると、その先には店の壁に背をつける若い娘達と賊の男が三人、そして、その間に立つ一人の男が賊達にサーベルを向けて立っていた。かなり不利な状況に見える。
ワットがつく前に、男が賊に斬りかかった。しかし、三対一では勝ち目もない。あっという間にサーベルを飛ばされ、男が地面に転がった。賊の剣が、躊躇無く男に降り注ぐ――。
倒れた男が痛みを前に目を閉じた瞬間。ドン、と鈍い音が耳に入った。そして、自分に痛みは降ってこない。ほぼ同時に、自分の背後まで目の前にいたはずの男が吹き飛ばされたのがわかった。思わず、その顔を上げる。
目の前に、大きな馬の足があり、自分に影を落としていた。馬が、相手を蹴飛ばしたのだ。
「ウィンドラー!」
ワットは、馬から飛び降りた。
「ワット!?」
思わぬ人物に、ウィンドラーが怪我を忘れるほどの驚きで目を見開く。
「何だテメ……ぶ!」
男の言葉が終わる前に、ワットの足が男の顔面に衝突した。その勢いに、男が頭から地面に倒れる。「な!」もう一人の男が口をあけている間に、ワットは追撃の速さで男の腹に膝を入れた。うめき声を上げ、男が倒れたまま動かなくなる。
ワットはすぐに、唖然として倒れたままのウィンドラーに肩を貸し、起こした。
「大丈夫か? いつからこんな事になってる」
「……今朝だ。明け方くらいに……急に。人数も半端じゃなくて……。戦える奴は応戦はしてるが……い!」
ウィンドラーが苦痛に顔を歪めた。――土ぼこりにまみれた体。今までずっと戦っていたのだろう。ワットは家の壁に並んだ木箱にウィンドラーを座らせた。
「ウィンドラー! 怪我を見せなさい!」
とたんに、壁際にいた女性達がいっせいにウィンドラーに駆け寄った。その一人が、勢いよくウィンドラーの腕の服を裂く。そこは、赤黒い液体でいっぱいに染まっていた。
「あなたも、ありがとう……!」
一人が振り返り、ワットに頭を下げた。
「知り合いか?」
女性達に囲まれてウィンドラーに近寄れないワットの後ろから、ニースが馬に乗ったまま歩み寄った。ワットは「ああ」と振り返る。――この町で、唯一の親友。
「ワット……」
弱々しいウィンドラーの声に、ワットは顔を向けた。
「ミジベンドの屋敷へ行け……!」
「……何?」
思わず、眉をひそめた。ウィンドラーが、その目を向ける。
「町で一番目立つ屋敷だ。やつらが狙わないはずがねぇ……!」
「スーディーは……!?」
全身に、冷水を浴びたような感覚があった。今までかいた汗が、一瞬にして冷える。
「ほとんど家にこもりっぱなしって聞いてる。……きっと家だ」
どくん、と心臓の鼓動が聞こえた。――あの女。この世でもっとも憎んだはずの女。しかし、脳裏に浮かんだのは数年前に時間を共にした頃の華やかな笑顔だった。
突然、ワットが馬に飛び乗った。「ワット?!」とっさに、ニースは馬の方向を変える。
「俺は屋敷に行く! お前は町中の連中を頼む!」
「待っ……」
ニースの返事を聞く前に、ワットは馬を走らせていた。
殺してやりたいほど憎い相手だった。ボロボロになってしまえばいい。何度も、何度もそう思った。――愛していたから。それと同じ大きさの傷が、心に残った。
そう、あんなに呪った事が、現実になるかもしれない。
ワットは唇を噛んだ。手綱を握る手に汗がにじむ。
ワットには、彼女を見捨てる事はできなかった。