第33話『動く理由』-1
メレイの剣が、イガに振り下ろされる。強い金属音と共に、続けて刃がギリギリと軋んだ。目前のメレイの剣にイガの目の色が変わった。
「ずいぶんいい剣を持ってるな……!」
その切っ先から手元までを舐めるように見据える。その視線が、剣のつばに刻印された紋章に留まった。「……お前」途端に、イガの手から力が抜けた。
――間違いない好機、の筈だった。しかし、同時にそれは消え去った。大きな影が、自分の真横に落ちてきたからだ。
メレイは思わず剣を引き、距離を取った。片手を地面につけ、イガの隣に降り立ったシンナがゆっくりと顔を上げる。
「あのガキは……!」
ワットがニース横につくと、シンナがメレイと剣を合わせたままのイガに笑顔を向けた。
「どうかしたの?」
シンナの言葉に、イガがニースを見据えた。「左の奴がダークインだ。首を取れ」シンナの目が、イガと同じ方向に向く。
「いいよ」
それがニースをとらえると、手首に飾られた銀の玉を触った。イガが、メレイに体を向けた。その斧を、まっすぐに向ける。その顔に、今までの笑みはない。
「お前の相手になってやろう」
「……いい度胸」
メレイは剣を構えなおした。その体格差にも、恐れは微塵も感じない。その剣で強く斬り込むと、想いっきり弾かれた。
「その剣」
追撃しようとした途端のイガの言葉に、メレイは足を止めた。
「お前の物か?」
「……そうよ」
一瞬それに目を落とし、柄を握りなおす。
「どこで手に入れた」
「昔から、私の剣だ」
イガがわずかに目を細めた。「……その赤毛」言葉尻に、笑いがこもる。
「……そのギャレット賊団の刻印……! その赤毛にも覚えがあるな。……貴様、ゴーグス=ギャレットの娘か!」
言い当てたような、あざけるような言葉に、メレイは眉一つ動かさなかった。こらえるように、イガが口から笑みをこぼす。
「まさかこんな所で会えるとはな……! あの時一緒に死んだと思ってた! こりゃあいい、ダークインの首と一緒に、ルーイにいい土産ができた」
「おい!」
イガの高笑いの合間から、甲高い声が舞い込んだ。振り返ると、家の影からアイリーンが飛び出してきたところだった。ここまで走ってきたのか、口を開けたまま、肩が激しく上下している。
「アイリーン!?」
ニースが思わず声を上げた。しかしアイリーンの目は一点を捕らえ、その方向に足を踏み出していた。――しかし。
「バカ野郎! そこで止まれ!」
ワットの怒声に、反射的に足が止まった。銀の玉を両手にしたシンナが、わずかにそれを視界の端に入れる。攻撃態勢に入ろうとしているシンナにアイリーンは一歩踏み出した。
「やめろよ! お前、自分が何してるか判ってんのかよ!」
その問いに、シンナが腕を止めた。「……何って」耳に入れただけの言葉に、首をかしげる。
「大兄様の言うとおりにしているだけだよ?」
「言うとおりだと……?!」
アイリーンは唇を噛んだ。「人を傷つけて……、殺して……何とも思わないのか!? 何でそんなに笑って……うわ!」背後からの衝撃に、言葉が止まる。
「アイリーン!」
やっと追いついたシャルロットがその背後から飛びついたのだ。一瞬で、シャルロットにすらも状況がわかる。――ここにいてはいけない。
「こっち来て!」
「次から次へと……」
アイリーンを押さえるシャルロットとそれに続くパスを見て、イガが息をついた。
「シャルロット……! ……くそ!」
アイリーンを囲むシャルロットとパスに、ワットは唇を噛んだ。味方が多くても、これでは逆に不利だ。シャルロット達がいるのは、イガを挟んだ広場の反対側だ。今あっちに向かわれたら――。
「こいつらを殺れ」
アイリーンを見つめたまま突っ立っているシンナの背に、イガが言った。その視線が振り返ると、シンナの視線がワット、ニースと順にとらえる。銀の玉を持った手が、空中に文字を書くように、滑らかに動いた。
アイリーンは目を細めた。シンナを見つめるその姿に、違和感があった。――その間の空間に、何か障害物があるような。
(……何だ?)
シンナが、片足を後ろに小さく引いた。――まるでそれが合図かのように。
シンナの足元から、土が強烈な勢いをつけて四方に飛び散った。その砂塵は一瞬で地面をつたい、ワットとニースの合間を裂いた。ワットとニースが、同時に左右に飛んで避ける。
「ニース!」
シャルロットに掴まれた腕を引く勢いで、アイリーンが叫んだ。その声に反応し、ニースが目前の砂塵を横に転がって避ける。シンナはニースを見据え、明らかに狙いを絞っていた。手が離れたワットは、イガに狙いを絞った。
「ニース! ガキは任せた!」
自らに飛んでくる地の砂塵を避けながら、ニースが「ああ!」と答える。しかし、隙を見てはシンナに近づこうとするも、シンナはまるで羽が生えたかのように高く飛び回り、間合いが詰められない。
ふいに、シンナがシャルロット達の付近に足をつけた。シャルロットはアイリーンを抱えたまま身構えた。しかし、シンナの目はアイリーンを見つめたまま動かない。離れた場所で、ニースが剣を握りなおした。
「ワット! 下がってな!」
「今さら引けっか!」
短刀でイガに斬りむワットに、同じくイガに剣を向けるメレイが怒鳴った。イガの斧を避け、ワットが数歩離れた場所に転がる。その隙にメレイの剣がイガの腕をかすると、わずかに血が弾けた。
「チ……!」
その筋肉の多い巨体は、的としてはあまりに大きい。「×××……!」顔をしかめ、イガが何かを口走った。しかし、メレイとワットには聞き取れない言葉だった。その顔が、シンナをギラリと振り返る。
「×××××! ×××!」
弾けたように、シンナが振り返った。小さく膝を曲げて跳ね上がり、イガの隣に着地した。――その瞬間。
「きゃあ!」
思わず、シャルロットは腕で身を守った。イガとシンナを中心に、円を描いたように砂塵が舞い上がったのだ。その砂の突風が、一瞬で広場を包んだ。
「何!?」
「あのガキだ!」
それのせいで、メレイとワットの動きが止まる。視界がゼロになるまで一面が砂になった直後、それはすぐに晴れた。
「……な、何なの」
その場でアイリーンと抱き合ったまま、シャルロットは恐る恐る目を開けた。変わらず、広場には周囲からの悲鳴や火事の轟音に包まれている。しかし、ここには自分達しかいなかった。――イガとシンナがいない。
「逃……げた……の?」
「……そのようだ」
ニースが片手で剣を回し、息をついて鞘に納めた。「二人相手では分が悪いと。奴がそう言ったのが聞こえた」
「畜生!」
悪態をつき、メレイが剣を地面に突き立てた。「落ち着け」憎悪にしかめた顔にニースが言った。
「村の中だ。撤退させただけで充分だろう」
その言葉に、メレイは冷めた一瞥を向けると、何も言わずに剣を背に納めて広場を去った。
「大丈夫か?」
メレイを目で追うシャルロットは、ワットの声で我に返った。
「……う、うん。アイリーン、平気?」
シャルロットの問いに、アイリーンは下を向いたまま「ああ」とだけ答えた。
「エディはどうした?」
「家にあいつらが入ってきて……メレイがやっつけてくれたわ。でもあの家の人が気を失っちゃったって……。エディが一緒にいてくれてる」
「アイリーン」
ニースの声で、アイリーンは顔をあげた。「ありがとう、声をかけてくれなかったら危なかった」優しい声に、アイリーンが眉をひそめた。
「何であの子が俺にくるってわかったんだ?」
「……え? 見えてなかったのか?」
アイリーンが目を瞬いた。
「糸だよ、糸」
「糸……?」
ニースが目を細める。「そうか」ワットが振り返った。
「それがあいつの武器……。今まで光しか見えなかったけど……」
「糸って……。そんなのであんな事が出来るの?」
半信半疑でシャルロットはワットを見上げた。「……ああ」思い出したように、ニースが呟く。
「なぜ今まで気が付かなかったんだ。……確かにそういう武器はある。ただ、あんな小さな子供にそんな武器が使えるとは思いもしなかった。あれは鋼糸だ」
「鋼糸? 全然見えなかったぜ?」
「色でもつければ簡単だ。……それが神風の正体」
「たまには役立つじゃねーか」
「うあ!」
ワットの手がアイリーンの頭を撫でる。しかし、その遠慮のない力にアイリーンの頭がぐらぐらと揺れた。「おかげであいつ用になんかいい戦法が見つかるかもしれねぇな」アイリーンの怒りの手が届く前に、ワットは方向を変えてシャルロットの方に行ってしまった。
「ワット、シャルロット達を連れて宿に戻っててくれ。奴らはもう引くだろう」
イガ達が引けば、手下達も引いていく。ニースの言葉に、シャルロット達は宿に戻る事にした。火の手は相変わらず上がっているが、周囲の悲鳴が、先程よりも収まり始めている気がする。
「おい、行くぞ」
その場に立ったままのアイリーンに、パスが声をかけた。「……ああ」そう言ってやっと足を進める返事は、どこか上の空だ。
シャルロットは、アイリーンを振り返った。アイリーンが見つめる先は、立ち上る黒煙の向こうだ。考えている事が、分かる気がした。
自分達の命を狙う賊団に、歳の変わらぬ少女がいるのだ。何も考えないわけがない。――だが。
(私達を狙う一味なのに……あの時……)
シャルロットの脳裏に、宿でシンナと対峙した時が浮かんだ。
(あの子はいつでもアイリーンを……私達を殺せた)
確かに、風の王国では躊躇無くワットを傷つけた。それは許せる事ではない。しかし――。
「シャルロット、急げ」
ワットに手を引かれ、シャルロットは広場をあとにした。