第4話『森の少年』-1
二時間後、ニースの言葉通り、船はウィルバックと呼ばれる港町に上陸した。日もそろそろ真上に昇るだろうか、砂の王国の大陸とは違い、焼けるような太陽の日差しに加えてとても蒸し暑い。
船の乗客達は次々と荷を持って、港に降り立った。港は他の船の客も多く、非常に込み合っている。ワットが背伸びをしつつ、船から下りた。
「やぁっっと到着だぜー!船旅は疲れるよなぁ。シャルロット、あれ以来船酔いは?」
次に降りてくるシャルロットを振り返り手を伸ばすと、シャルロットは、自分の手荷物を渡した。
「平気。でも船ってすっごい揺れるのね」
身軽になったシャルロットは船のふちから軽々と地に足をつけた。
「久しぶりに揺れない地面だわ!」
思わず大きく伸びをし、確かな地を踏んで飛び跳ねた。
「そうだな。初めての船旅がこんなに長距離では疲れただろう。今日はこのまま宿に泊まることにしよう」
背後から降りてきたニースに、シャルロットは頬をかいて振り返った。
「あ、やだ私ったら…」
ニースは笑って先に進んだ。ワットから荷物を受け取ろうとしたが、ワットもいつのまにか先に行ってしまっていた。
「嬢さん」
「え?」
慌てて進もうとした途端、声をかけられて足を止めた。船内で一度だけ言葉を交わした商人の男だ。今度は、頭からフードをかぶり顔も姿もよく見えない。しかし、話し声で同じ人物だとわかる。
「何…ですか?」
男性の格好を見て、シャルロットは思わず眉をひそめた。
「コレをお渡ししたくてね」
笑ったように、男はローブの中から小さなビンを取り出した。明らかに怪しいビンを、シャルロットは目を凝らして見つめた。
「あのー…、私お金ありませんけど…」
「クク…ッお金はいりませんよ。私はあの方に差し上げたいだけですから」
男は小さく笑い、先を歩くニースの方に顔を向けた。
「…あの方?ニース様ですか?」
「私の地方では評判の名物の塩ですよ。船上で、嬢さんが料理しているのを拝見しました。道中、お使い下さい」
「え?だって高い物なんじゃないですか?そんなもの貰ったら…」
シャルロットが断る前に、男はシャルロットの手を取ってビンを持たせ、そのまま歩いてってしまった。
「あっあの!ちょっと!これ!」
シャルロットが呼び止めるまもなく、男は港の人ごみの中に消えていった。シャルロットの声に、ニースとワットが振り返った。
「どうした?」
説明するにも、しようがない。シャルロットは狐につままれたような顔で二人に歩き寄った。
「何だそれ?」
ワットの言葉に、シャルロットは首をかしげた。
「さぁ…。さっきの人に、貰ったの。お塩だって。有名なお店なのかな…。ニース様のこと知ってた人みたいですけど…?」
ニースを見上げたが、ニースの顔から見て、全く心当たりもなさそうだ。男の姿は、とうに見えない。ワットがビンを手に取って日に透かした。
「高値で売れんじゃねーか?」
「ダッダメよ!ニース様にって事で、貰ったん……っ!?」
ワットからビンを奪い返した途端、シャルロットは背筋が凍るような寒気が体に走った。
「おっと!!」
気が付いたときには、手からビンが滑り落ちていた。それを、ワットが素早く救い上げた。
「…っぶねぇなぁ!何やってんだ?」
――何だ、今のは。シャルロットにワットの言葉は聞こえていなかった。背筋を冷たい氷で一気に撫でられたような――。
「おい」
ワットに肩を叩かれ、その重みで我に返った。思わず顔をあげると、ワットの顔が目の前にあった。
「…え?」
「えじゃねーよ。危ねーだろ」
「あ…、ゴメン。何か急に寒気がして…」
「寒気ぇ?この蒸し暑さで?」
「…か、風邪かな」
シャルロットは首をかしげ身を抱きしめた。
「さぁ、とりあえず町中に入ろう」
気を取り直すようなニースの声に、シャルロットは顔を上げた。
「じゃあ私、宿の場所聞いてきます!」
元々荷をワットに持ってもらっていたシャルロットは身が軽かったので、さっさと進んで町人に宿の場所を尋ねた。残ったワットが、ニースを振り返った。
「なぁ。俺、もう宿に泊まる金無いんだけど」
「宿は二部屋借りればいい。一部屋は彼女に。もう一部屋に私らが泊まれば問題ないだろう」
「マジ?サンキュー」
ワットは呑気に、シャルロットに続いた。
ウィルバックの家々は石造の二階建てが多く、屋根の色もカラフルで見た目も良い。大通り以外はところ狭しに家が立ち並び、町の奥には見渡す限りの大きな森が見える。町の人々は、女性は露出度の高い服に腰布を巻き、男性は砂の王国とさしてかわりばえはないが、短い袖の服を着用していて、色も奇抜だ。何より、砂の王国と違い、この大陸の人々は髪の色が、ほとんどが黒か茶色の人々が多く、金に近い茶髪のシャルロットとワットの髪は目立った。
大通りでは、馬車が行き交い、人通りも多い。見たことのない町の色、人々の服装に感激し、シャルロットは顔を左右に振りっぱなしだった。
ワットは若い女の子の二人組にヒラヒラと手を振って愛想をまいていたが、シャルロットとニースは無視してそのまま宿屋に入った。宿は木造の小さな宿で、ニースが宿のお爺さん話して、部屋を借りた。ニースを店の主人と一階に残し、シャルロットとワットは先に二階へ上がった。
「ずっと船に乗ってた所為で、まだ足が浮いてる感じだな」
「そうだね」
「俺は早く寝てぇな」
部屋の前に着くと、シャルロットは部屋の鍵を開けた。
「でも、せっかくだから町中も見てみたいわ」
「そうだなぁ」
返事から、ワットにはあまり興味がなさそうだ。ニースが、一階から上がってきた。
「今日はここで休んで、明日朝ファヅバックに行こう。たぶん馬か何かを借りることになると思うが…」
「とりあえず中に荷物を置こうぜ」
「あ、夕食どうします?」
「君も疲れているだろう、ここの主人に頼んで頂くことにしよう。それと日が落ちる前に、明日からの食料も買いそろえておかないとな」
「はい。あ、お部屋…、わざわざ別にして下さらなくても…。今度からは一緒で構いませんので…」
シャルロットが言うと、ニースは微笑んでそのまま正面の部屋に入っていった。
予想通り、ワットは町にはついてこなかった。ニースと一緒に必要物資を調達しつつ、シャルロットはエリオット達への土産を探した。
この町独特の刺繍が入った布でできた服や布地、絨毯など、見たこともない品々に目移りしてしまうばかりだ。
エリオット達への土産と簡易地図、食料を購入し、町の飼育小屋で馬を明日から借りる手続きをすると、店の女主人はニースが気に入った様子で、ニースは気がついていなかったがだいぶ割引されていた。
夕食後、一人になったシャルロットは、部屋でベットに寝ころんだ。宿屋で夕飯をご馳走になり、満腹になったところだ。
「ふぁ〜…。たっくさん食べたなぁー…。それにベットなんて久しぶりの気分!」
寝返りをうつと、自分の置いた荷物が目に入った。ディールート国王から預かった書状が入っている荷だ。シャルロットは船上でのニースとの会話を思い出した。
(ディルート様は、一カ月前にファヅバックに使者を送ったんだったら、こんなにすぐに何で使者を送るんだろう。…そんなに伝えることいっぱいあるのかな…)
心の中で、自分の理解できない身分の高い人間の悩みを想像する。答えの出ない考えに、シャルロットは自分の身に心を置き換えた。
「『新しい使者』かぁ…。私、上手くやれるかな。」
小さく呟き、シャルロットはいつの間にか眠りに落ちた。
早朝、きっちり支度を整えたシャルロットは元気よくニース達の部屋のドアを叩いた。
「おはようございます!」
少し間をおいた後、ドアが開いた。
「…オーッス…、早いなシャルロット…」
ドアを明けたのはワットだった。頭もボサボサで、支度もまったくできておらず、一目見て今起きたばかりと判断できる。
「ちょっと、まだそんな格好してるの?ニース様は?」
部屋を覗いてもニースの姿はない。あくび交じりにワットが答えた。
「ああ…。ニースならさっき出ていったぜ…。何かどっかでこの辺の道を聞くとか言ってたなぁ」
「えぇ!?また?!」
「何が?」
「ニース様ってすっごく朝が早いの。私、一緒に付いてきて四日目だけど、一度も先に起きれたことないわ!今日こそはって思ってたのに!」
シャルロットが悔しがっている間も、ワットはあくびをしながらベッドに座った。
「そうそう。あのね、宿屋のご主人がゴハンできたよって呼びに来てくれたの。食べるでしょ?支度して食べに行こうよ。チラッと見たけど何かおいしそうな料理がならんでたんだよね。ね、早く仕度して!」
「…んだよ、朝から元気いー奴だな。俺はまだ眠いんだ…。メシはいいから寝さしてくれよ…」
髪をグシャグシャとして、ワットは顔すら上げない。シャルロットは暗い部屋のカーテンと窓を全開にすると、腰に手をあてて、ワットの前に立った。
「ホンット朝弱いわね!ニース様とは大違い!ちゃんと起きてよ!」
数日一緒にいて気が付いたが、どうやらワットは寝息が悪いらしい。シャルロットの大声に、ワットは頭を抑えた。
「今日だって長ーく歩くんだから!ちゃんとご飯食べなきゃおなか空いちゃうでしょ!護衛してくれるんじゃなかったの?そんなんじゃ頼りに出来ないわ!」
「あーもう!判った、わーかったよ。起きるよ。食いに行くってば!」
怒鳴り声に腰を上げ、ワットは寝ぼけた目でシャルロットを見下ろした。シャルロットが眉をひそめると、ワットは何か思いついたように笑み、腕をシャルロットの肩に回した。
「…何、まだ寝ぼけてるの?」
「別に?ただ女の子の声で起こして貰うのって悪くないよな、て思って」
ワットが顔を近づけた途端、シャルロットは、我に返った。
「わっ!ちょっと!」
思いっきり両手でワットを突き飛ばすと、ワットはまたベットに座り込んだ。
「ふざけてないで早く支度して!私先行ってるから!」
シャルロットは怒鳴りつつも、みるみる顔が赤くなっていくことに気がつかないわけにはいかなかった。その上、ワットが下を向いて笑いを押し殺しているのがわかる。
「笑うなバカ!!」
手近のクッションを力の限りでワットの頭に投げつけ、それがワットに当たったかも確認する前に、シャルロットは部屋から出た。あんな奴、二度と起こしてやるものか!
ワットはベットに座ったまま、クッションを元の位置に戻し、立ち上がった。
「まったく、からかいがいのある奴」
自然と、口から笑みがこぼれた。
「お世話になりましたー!」
朝食後、宿を出て馬を借りるために店に向かう途中、大通りを歩きながワットが地図を広げた。
「あれ、ここからファヅバックまでって、一本道じゃねぇんだ」
「その線にある道だ。馬を一日走らせればつくらしい。向こうに着くのは日が落ちた後だろう。途中で休憩することになるかもしれないな」
まだ朝だというのに、町は活気に溢れていた。ジャリ状の広い道には所々で商売人が物を売っているが、ベル街と違い、遠くから声をかけるだけで直接肩を叩いて腕を引くような事はない。その分、歩きやすい。
ワットと一緒に、シャルロットは地図を覗き込んだ。
「あ、途中はずっと森なんだね」
「熊が出るもよ?」
「え!?くっ熊!?」
その反応に、ワットが吹き出した。一瞬で、だまされたとわかる。
「…っ!この!!」
せっかく今朝のことを水に流してやったのに。シャルロットがワットを捕まえて思いっきり叩いていても、ニースは気にしないで、そのまま先に進んだ。