第32話『懐かしい顔』-4
「逃げる者は放っておけ! 金目のモンだけ奪え!」
燃え盛る炎の中で、馬上の大男が声をあげた。それに従うように、周囲の盗賊達が武器を持って走り回る。村の中心、広場の中央で、大男が部下の一人を呼び止めた。
「奴らを見つけたか」
「い、いえ! そのような情報はありません! 既に逃げた後かも……」
大男の針のような視線に、若い男は身を震わせた。黒の短髪に筋肉だらけのごつごつした大きな体はボロボロの服の上からでもそれがわかる。顔も体に合わせたような岩のような鼻と口だ。腰の両側に、大きな斧を下げている。
「今すぐ奴らを見つけておれの前に連れて来い!」
「は、は!」
大男の怒声に、男達はあっという間に散り散りになった。一人になった大男は周囲を見回した。そして、小さく舌を打つ。
「……あいつはどこいった?」
だから嫌だったんだ、と言わんばかりの息をついた途端――。
「ヒィン!」
突然、馬が前足を高く上げて暴れだした。制しようとしても、言う事を聞かない。「チッ」大男はそれをやめ、馬から飛び降りた。馬は我を忘れたように暴れているが、大男が手綱を握ったままなのでどこにもいかれない。大男は馬の後ろ足に、小さなナイフが刺さっているのを見つけ、それを遠慮なく引き抜き、捨てた。
「ルジューエル賊団幹部が一人、イガ=チファウタだな」
遠い背後からの女の締まった声に、大男は振り返った。広場の入り口、立ち上る黒煙の前に、赤毛のポニーテールを風に揺らした女が立っている。
「……何だ、お前」
イガ=チファウタ。それは確かに自分の名だ。目を細めると、その女の手に小さなナイフが二本握られているのがわかった。今しがた捨てたナイフに目を落とす。それはきっと、同じものだろう。女が身をかがめて足元に倒れている盗賊の手から、サーベルを拾い上げた。ゆっくりとそれを持ち上げ、構える。
「貴様の顔も……忘れた事はなかったぞ」
――整った顔に、筋を入れるように。女の気迫は、その背後に移る燃え盛る炎そのものだった。しかし、イガはその曲がった薄い口に小さく笑みを浮かべた。女がどれだけ気迫を背負おうが、イガからすれば滑稽としか思えなかった。
「……覚えなんてモンはねぇが」
イガはゆっくりと、右手で左腰に下げた斧を抜いた。その先を、女の方面に向ける。
「只者じゃなさそうだな。おれの事を知ってるってことは……てめえはダークインの一味か」
炎による熱い風が肌を伝う。メレイは、男の問いに答える気は無かった。ギュッとあごを引き、全身に力を入れる。次の瞬間、メレイはイガに飛びかかった。鋭く剣を振り下ろす。しかしそれは、イガの振り上げた斧の刃先に勢いよく弾かれた。「チッ!」
その勢いにとらわれる前に、メレイはイガから数歩下がった。
「そんなヤワな剣でおれとやる気か?」
イガが唇の端が、小さく上がる。メレイは呼吸と整え、再び横から斬り込んだ。――しかし。
当たった場所が、悪かった。メレイと同時に振られた斧は、メレイの持つサーベルを真っ二つに叩き折った。刃先が鋭く回転して飛び、勢いの止まったメレイの頭上から、イガの斧が振り下ろされた。
――ガキン! 強い金属音と共に、二人の時間が止まった。メレイの顔の目前に迫った斧は、その寸前、メレイが片膝を地面に落として手元に残ったサーベルの柄で防いでいた。――なんて力!
メレイは両の腕に走るしびれに唇を噛んだ。それでも、相手が手を抜いていた事がわかる。この腕の太さで、これが本気で振り下ろした力のわけがない。
「女にしてはやるな」
イガが笑いを漏らした。
ギリギリと、斧とぶつかり続けるサーベルの柄が震える。
「……ダークインはどこにいる?」
イガの問いに、メレイは答えない。歯を食いしばるメレイと違い、イガの顔はまったく余裕だった。
「質問を変えよう。おれを知っているようだが……誰の仇討ちだ」
上からの重心が、腕を伝い、地面につけた片膝を痛ませる。――まずい。
「……おしいな。女でお前ほどの腕はそうはいねえ……。エフィが部隊に欲しがるだろうに」
「……ざけるな……!」
それでもやまない眼光に、イガはもう一方の手で、反対の腰に下げた斧を抜いた。
「話す気が無いなら……おれも興味なんてない。……死ね」
それが高く頭上に上げられた瞬間、メレイは両腕の力を抜き、イガの斧ごと柄を地面に向かって落とした。体勢を崩したイガが無理矢理頭上から斧を振り下ろす。メレイはしゃがんだまま、自分の引いた足首のブーツを掴んだ。――その瞬間。
重いものが風を切る音と共に、振り上げたイガの斧が遠くへ吹っ飛んだ。大きな音を立て、それが地面の上でクルクルと回転して動きを止める。
ブーツから抜いた小さなナイフを握ったまま、イガを通り越したはるか後ろにメレイは唇を噛んだ。
「ニース……! 余計なマネを……!」
広場の向こうに立つニースが手近のサーベルを投げ、イガの斧を腕から飛ばしたのだ。その手で腰にかけた剣を抜く。先程より幾分笑いの消えたイガが、ニースを頭から足先まで眺めた。
「ニース……。貴様がニース=ダークインか……。やはり仲間……」
イガの言葉に、ニースがメレイに引けをとらない気迫でイガを見据えた。
「ルジューエル賊団の一味だな。……なぜこの村を襲った!」
その剣の先を、イガに向ける。
「愚問だな。お前を殺すためだ」
ニースとはあまりの温度差のある態度で、イガが手元に残った一本の斧をニースに向けて構える。
「ニース! メレイ!」
ニースとはまた別の道から、勢いよく走りこんできたワットが慌てて足を止めた。広場の三人に、即座に判断がつく。「……まさかこいつは……!」ワットの言葉に、ニースもメレイも答えなかった。ワットの後ろから、一緒だったのか息を切らせたノーマーニが現れた。
「譲ちゃん!」
声に反応し、メレイが振り返る。肩で息をするノーマーニが抱えているのは――。
「ノーマーニ! それを返しなさい!」
声に反応するように、ノーマーニが布に包んだそれをメレイに投げつけた。メレイがそれを受け取り、慣れた手つきで布を捨てる。一瞬、イガはそれを視界に入れたがその視線はすぐにまたニースに戻った。メレイが、剣を構える。斧一本でイガはニースとメレイの両方を見定めて足を引いた。しかし、メレイは鋭い目でニースを睨んだ。
「ニース! 余計な手出しをするな!」
「無理を言うな! 状況を見ろ!」
怒声に怒声で返す二人を交互に見ながら、ワットも腰の短刀を抜く。三人に囲まれると、イガの顔から笑みが消えた。あいた手の指を口に当て、大きく息を吹きつけた。指笛だ。燃え盛る炎に負けない高い音で、それは周囲に響き渡った。
「大兄様……」
ふいに、シンナは階段の踊り場からその壁の向こうを見つめた。
「……何だ、今の笛……わ!」
呟いたアイリーンの腕を、強くシャルロットが引いた。バランスが崩れ、アイリーンの体がシャルロットの胸にぶつかる。
「何すんだ……」
言いかけで、アイリーンの言葉は止まった。自分を抱きしめたまま離さないシャルロットの目は、一点を向いたまま外れない。
「この子……ルジューエル賊団よ。風の国で……ワットに大怪我をさせた……」
「……え?!」
思わず、アイリーンはシンナを振り返った。壁から視線を戻した、シンナの目が、自分に向く。目が合うと、シンナは少女らしい笑みでニッコリと笑った。
(こいつが……!? ルジューエルの一味って賞金首じゃねーか!)
――自分と変わらない歳なのに。目を見開いたままのアイリーンは、驚きを隠しきれていなかった。
シンナを見つめ、シャルロットは唇を噛んだ。――この子は強い。
(ワットでも互角だったのに私達にどうにかできるワケない……! でも……!)
「私達に……何の用……!?」
喉から搾り出すように、言葉を発した。アイリーンを両手で抱いたまま、あごを引く。ここには、自分達しかいないのだ。シャルロットの後ろで、パスとエディも呆然としたまま動けないでいる。シャルロットの刺すような視線を受けながらも、シンナはそれを素通りするかのように笑んだ。
「お姉ちゃん、久しぶり」
軽く、その手が振られる。親しみのある友人に向けるように。その手首に、銀色の丸い玉がリボンで飾り付けられているのが嫌でも目に付いた。――忘れるわけは無い。あれが、この子の武器。ワットに大怪我をさせたものだ。
「お前……ホントに外の奴らの仲間なのか……?」
アイリーンが信じ難い様子で口を開いた。「そうだよ」と、シンナが軽く答える。しかし、その態度がアイリーンのスイッチを入れた。
「フザけんな! すぐにやめさせろ! こんなことしてなんになるってんだ!」
「シンナは知らないよ。それより大兄様が呼んでるの」
「おおあに……?」
「バイバイ」
軽く手を振ったあと、シンナはくるりと方向を変え、今下りてきたばかりの階段を駆け上がった。
「ちょっ……おい待て!」
唖然とするシャルロットの手をすり抜け、アイリーンがそれを追う。「アイリーン! だめよ!」とっさに叫んでも、遅かった。二階の階段の踊り場で、シンナは窓枠に足をかけていた。
「おい!」
その後姿に、アイリーンが手を伸ばす。しかし、すんでのところでシンナは窓から飛び降り、アイリーンの伸ばした手は空を掴んだ。
すぐに、その窓の下を覗きこむ。二階から飛び降りたシンナは、既に何事もなかったかのようにそこに立っていた。一度だけ窓の上のアイリーンを表情もなく見上げ、シンナはそのまま煙の中に消え去っていった。
「……あいつ……!」
窓から離れると、アイリーンは追ってきたシャルロット達の間をすり抜けて、階段を下りて家を飛び出した。
「アイリーン!」
「おい!」
それを追ったシャルロットを追い、パスが方向転換する。
「シャルロット!」
「エディ! ここに居て!」
ソファに寝たままの女性を指差し、シャルロットは家を飛び出した。