第32話『懐かしい顔』-2
ルビーから城の寝室をいくつか貸してもらえ、シャルロットはクルーがいるというパスとワットの部屋に顔を出した。ベッドに腰掛けたクルーを見るのは、本当に久しぶりだ。
「お前まだこんなところにいたんだな。よく親父が許したな」
向かいのベッドでくつろぎながら、ワットが言った。「いや、本当は黙ってるつもりだったんだけど、ルビーが先に妹に報せててさ」クルーが参ったよ、というように歯を見せて笑う。
「とりあえず父上には手紙で何とか了解を得たんだ」
「クルーも女の子には弱いよね」
その目が、ちらりと横目でワットを見る。同じベッドに座るワットは、誰の事だと目を細めた。
「あいつは俺よりずっと頭がいいんだよ」
クルーが落とすように笑んだ。
「俺が……、風の王家の人間がここにいる事がどういうことか、ちゃんと分ってる。でもルビーはこの国では一人なんだ。家族は小さな甥っ子だけ……。幼馴染くらい、いてやってもいいだろう?」
「……そうだね」
その優しい空気に、シャルロットはほっと心が温かくなった。こんな気持ちになるのは、いつぶりだろう。その横で、パスが欠伸をしながらベッドに入った。もうそんな時間か、とクルーが立ち上がる。
「明日には行くんだろ? 酒持ってくるから待ってろよ」
厨房の鍵はどこだったか、と呟きながら歩くクルーの背に、ワットが「ああ」と返す。思わず、シャルロットは立ち上がった。
「ちょっと! 明日出発するのよ? 前も二人してそれですごい二日酔いになってたのに!」
一瞬顔が向いた二人が、視線を重ねる。「……お前先寝たら?」ワットが、ぽつりと呟いた。
「私だってもっと話したいもん! いいよ、お茶淹れるから!」
ふん、とワットから顔をそむけ、シャルロットはベッドから立った。棚のコップを探すシャルロットを遠目に、クルーが奥歯を噛みしめて笑った。
「お前ら、上手くいってるんだな。前よりずっとよさそうだ」
「……何が」
避けたい話題のように、ワットが口の端を伸ばす。
「もう手ぐらいつけた?」
「あのな……」
お前はメレイか、と言おうとした時、「何が?」とシャルロットが割って入った。
「……別に」
ふい、とワットが顔をそむける。顔に「?」マークが張り付いたシャルロットの目が自分に向くと、クルーは歯を見せて笑った。
「何でも。シャレルちゃんも、久しぶりに見たけど相変わらず可愛いね」
「クルー…。そのセリフ、いつも言ってると効果が薄れる」
「そう? 覚えておくよ」
笑顔は崩さないクルーに、シャルロットは思わず笑いがこぼれた。
一方、ニースとエディの部屋では、メレイがニースと旅路についての情報をまとめていた。
「……家に?」
ニースの提案に、エディが椅子から振り返る。「帰りませんよ。一緒に付いていくって言ったじゃないですか」ニースが地図から顔を上げた。
「ああ、それでも水の国にいるんだ、ここから半日ほどで家族に会える。一度、会ってきたらどうだ?」
ニースの隣で、メレイは我関せずと入った様子で頬杖をついて地図を覗いている。ニースの目に、エディはニースの言いたい事の察しがついた。
「……僕は家に戻る気はありませんので」
小さく、息をつく。「家に戻れば、母はきっと僕を止める。でも、僕はもう決めたんです。これから戦が起こるにしろ、そうでないにしろ……あなただけじゃない。僕は争いで傷つくであろう人達を、助けたいんです」
言葉が途切れると、一瞬部屋が静まり返る。「僕、もう寝ますね」エディはそう言って微笑み、ベッドへ移動した。
「……ああ、お休み」
やっと、ニースが言えた言葉だった。
「強くなったわね、あの子」
隣で地図に目を落としながらメレイが呟いた。「初めて会った時よりもずっと」その口元は、かすかに笑っている。
「しかし……」
「人の言葉で止まるような……そんなおとなしい子じゃなくなったのよ、あの子は」
ニースはエディに目を向けた。部屋の隅のベッドは、既に動いていない。
「そんな顔しないの。あんたには、あの子達を巻き込んだ責任がある。あんたの人望が、人を動かすのよ」
メレイは目を伏せて笑った。
「お前……」
ニースの言葉の途中で、メレイは立ち上がった。「もう寝るわ」そう言い残し、一度も目をあわせようとはしなかった。
翌朝、空が白み始める頃に、シャルロット達は城の出口でクルーに見送られた。ルビーが馬車を出してくれたおかげで、大陸の東にある港までの道のりは保証された。ルビーは、見送りにはこなかった。さすがに、兵士達の前でニースを送ることはできなかったのだろう。それでもルビーは、ニースの事を火の王国に報告するつもりはないようだった。
「気をつけろよ。危なくなったら、すぐこっちに逃げて来い」
クルーがワットの背を叩くと「頼りにしてるぜ」とワットはふざけて笑った。
「クルー、会えて嬉しかったわ」
「俺も」
クルーに身を寄せ、目を閉じる。顔を上げると、クルーが明るい笑みをくれた。
「元気でな、パス。新しいお連れさん達も」
馬車から、パスがクルーに大きく手を振った。最後に馬車に乗り込んだニースに、クルーが手を差し出した。「無茶するなよ」ニースがその手をとり、硬く握手をする。
「クラディス殿も」
ニースの言葉に、クルーが吹き出した。
「クルーでいいよ。お前達は」
その手を離すと、ニースは馬車から改めて城を見上げた。変わらぬ美しさで聳え立つ、ノマラン・ラナ。目を伏せ、ニースは深く頭を下げた。――それはきっと、ルビーへの想いがさせるものなのだろう。
「出すぞ」
ワットが馬の手綱を握り、馬車を出した。シャルロットとパスは身を乗り出し、てクルーが見えなくなるまで手を振った。
ノマラン・ラナを出てからは、進みは至って順調になった。走っていれば馬車の中は誰にも見えないうえに、王家の馬車を止めるものなどどこにもいない。大陸の最東、港町についたのは、同日の夕暮れ時だった。
ルビーの書状により、船には誰の疑いもなく堂々と乗船することができた。中型の船で、十数人でいっぱいになるであろう船だったが、火の王国から出たときの状態を思えばシャルロット達にとっては充分な環境だった。
水の王国を離れるとき、シャルロットは心の中でもう一度ルビーとクルーに礼を言った。
「つっかれたぁー」
船から飛び降り、パスは大きく背伸びをして空を仰いだ。水の王国を出て二日、シャルロット達の船は土の国のひとつの村に入った。海岸沿いに位置するこの村は見るからにさびれており、同じ土の王国の集落でもグリンストンやクィッドミードとはほど遠い。
「セーズナか……」
ワットが、村を見つめて呟いた。「グリンストンの隣町よ」メレイが船から降り、付け加える。
「クィッドミードもな」
それぞれ、思い入れのある町だ。ワットはすっとメレイに背を向けた。
日中だというのに、港となる海岸にはほとんど人はいなかった。同じ船に同乗していた客達も、いつの間にか村へ入って入ったようだ。
「ずいぶん静かだな。もう日も高いってのに……」
「ああ、もっと警備も厚いと思っていたが」
パスの言葉に、ニースが周囲を見渡した。「確か前は、海沿いだと海賊が出るからって通らなかったんですよね」エディがニースを見上げた。――確かに、それで前はセーズナではなくグリンストン経由で土の国を抜ける事になった。
それなのに、船から降りてきた異国の客に対してはのぞき見ようとする人影一つなかった。
ニースを先頭に砂浜を歩いていくと、すぐに道は赤茶色の大地に変わり始めた。硬い空気に生暖かくそよぐ風。セーズナの村は木造りの家々が多く、その高さは二階から中には四階建ての家まである。
「高ぇなー……」
パスとアイリーンが口をあけて頭上を見上げる。歩きながら、シャルロット達はニースを先頭に家々の間を抜ける路地を歩いた。その家の影から出た途端――。
「ち、ちょっとあんたら!」
男の声に、先頭のニースとワットが足を止めた。おかげで、エディと話しながら真後ろを歩いていたシャルロットはワットの背中に鼻をぶつけた。
「あなたは……」
見覚えのある男に、ニースの声が自然と消えていく。四十代半ばほどの中年の男だ。古びた服に、黒い短髪、口元には同じ色の重苦しいひげ。ニース以上に、男の顔は驚いたまま固まっていた。
「……ちょっとぉ……、急に立ち止まらないで……あれ?」
鼻を押さえなてワットに文句を言いつつも、その視線はその先にある。それを覗いた途端、シャルロットも目を瞬いた。――どこかで会った――、そう、この大陸で。メレイの知り合いの――。
「ノーマーニ?!」
後ろから飛んだメレイの声に、シャルロットは振り返った。
「譲ちゃん……! こんなところで一体……っと!」
男が、何かを言いかけて口に手を当てた。その様子に、メレイが前に出る。
「いいわ。もうみんな父様の事は知ってる」
「……そう……ですか」
次第にその顔が落ち着きを取り戻し、じっくりと全員を見渡した。
「またこんなところでお会いするなんて……。ゆっくりと話がしたいものです。……今日はこの村にお泊りで?」
「ええ、火の国に向かっているところなの」
「火の国ですって?!」
突然、ノーマーニの顔色が変わった。その声の大きさに、さすがに通行人も振り返る。「あそこは今や閉鎖状態ですよ。国境は封鎖され、聞くのは悪い噂ばかりで……」
「国境が封鎖?」
ニースが思わず口を開いた。
「なぜ……」
「わたしの知ったことじゃありませんよ」
ノーマーニの言葉に、シャルロット達は顔を見合わせた。――確かに、ニースも堂々と国境から通ろうとは思っていなかっただろう。しかし、事態は予想以上に深刻さを見せている。封鎖となると、まったく別の話だ――。
「知り合いがいます。宿を紹介させましょう」
話を変えるように、ノーマーニが明るく入った。「助かるわ」メレイが荷と一緒に剣を背にかけなおす。ノーマーニの視線が、その剣と一緒に動いた。
「譲ちゃん、その剣……見せてもらえますかね?」
わずかに怪訝そうな顔を見せ、ノーマーニが言う。メレイは自然な手取りで、たった今背につけた剣を取り外してそれを渡した。シャルロットの横で、ワットが小さく舌を打つ。不思議に想いながらもシャルロットはノーマーニが鞘から剣を抜くのを眺めた。
「……懐かしい……。この出来は、後にも先にもこれ一本だけ……。お父上なら長く使っていただけると思ったんですが……。これはそこらの技師じゃあ磨げなかったでしょう? 特殊な刃に仕上げましたから」
「……さぁ。他人に預けた事ないから知らないわ」
メレイが小さく首をかしげる。舐めるように刃を見渡しながら、ノーマーニの目が細くなった。
「だいぶ切れ味が落ちているでしょうね。今晩お借りできれば精製した時に近い状態でお返ししますよ。どうです?」
「本当?」
メレイが話し込んでいる間、アイリーンは体の疲れに限界を感じていたのか、その場に座り込んでしまった。
「なあ、先に宿に案内してくれよ」
ワットが口を挟むと、「ええ、そうね」とメレイが振り返る。
「わかりました。ではこちらへ」
案内してもらったのは、三階建ての一軒家だった。家の主は中年の女性で、どうやら宿ではなくノーマーニの知人らしい。案内された三階の部屋は、広くはないが素泊まりには充分な部屋だった。アイリーンが窓を開けると、高いだけあって村の全景が見渡せる。空は次第に白み始め、もうすぐ日の落ちる時間だ。すがすがしい風に、アイリーンは空気を吸い込んだ。
「気持ちいいー……」
部屋のソファで、シャルロットは後ろの壁際に座るワットを振り返った。部屋にベッドは二つしかない。ワットはそこに寝る気はないようだ。
「メレイ、まだ話してるのかな」
「さぁね」
関心もないような返事が返ってきた。
「剣は預ける事にしたらしい」
部屋の隅で、ニースが代わりに言った。「メレイの剣って、そんな切れ味悪かったっけ?」ベッドに転がり、パスが顔を上げる。
「悪くはないよ。むしろ立派なものだ。……あの加工のおかげだろうな。確かに変わった造りだとは思っていたが……」
「え! お前見せてもらった事あんのかよ?!」
突然、ワットが身を起こす。「ああ……それがどうした?」ニースが首をかしげた。
「あの野郎……」
壁を睨み、ワットはそのまま椅子に座り込んだ。
「……何だ?」
「ワット、前にメレイに剣見せてって言ったら断られたんですって」
「おい!」
教えてもらったばかりの新情報。いきなりの漏洩に、ワットが怒鳴る。シャルロットは笑いをこらえようとすればするほど肩が震えた。
「……確かに、あれは見事な剣だからな。初めて見たときから俺も興味があったな」
ニースが笑ったが、ワットは壁を向いたまま答えなかった。