第31話『交錯の誓い』-4
都合により、第三十一話分の1〜4を少々修正しています。文字数のかたよりをなくす為に3の後半から話を付け足していますのでご注意ください。
「酷い雨ね。……風も強いし」
暗い部屋の一室で、メレイが窓に手をつけた。日中とは思えないほどに空も暗く、降りしきる雨が窓に打ちつけられるたび跳ね返る。部屋を振り返ると、ワットがベッドに寝そべったまま、目を閉じていた。その隣で、エディは椅子に座って本を読んでいる。
「ニースは?」
「……乗船の交渉だと」
少しの間の後、ワットが目を閉じたまま答えた。「一時間後の船だ。ヒマのねぇ奴だよな」淡々と語る口調には、ひとかけらも気遣いはない。メレイが空いたベッドに移動し、腰をかける。
「静かですね」
エディが、本を閉じた。
「いつもなら……パスとアイリーンが騒いでいる頃なのに」
まるで聞こえていないように、ワットとメレイは返事をしなかった。
カッチノーバックに近づくほど、外の雨は強みを増し、強烈な光と共に雷が何度も轟いた。
「キャア!」
「う、うるせーぞ!」
割れるような雷が響くたび、アイリーンが目をつぶって耳を両手で押さえつけた。その度に、パスがアイリーンの声に驚いて体をびくりとさせている。「……わ、悪い」悔し紛れにパスを睨みつつも、アイリーンはシャルロットの腕にしがみついた。
「……シャルロットは平気なんだな」
シャルロットの背と椅子の背もたれに顔を埋めるアイリーンが顔を上げた。「時々、国でもあったから」シャルロットは、思わず口元がほころんだ。
「ここじゃあスコールなんてしょっちゅうだぜ?」
言葉の通り、慣れているのだろう。パスは先ほどから、雷など気にかけてもいない。その目が窓の外を見上げると、暗雲の立ち込めた空は、時間の感覚さえ狂わせた。
「こんな強い雷は初めてだ」
アイリーンは、まだシャルロットの背に顔を埋めたままだ。「なあ」パスが不安げに顔を向けた。
「カッチノーバックについてもニース達がいなかったら……どうする?」
その不安は当然だ。この悪天候の中、残額の少ない金を頼りにカッチノーバックに向かってもニース達がいるという保障はない。シャルロットは膝の上に視線を落とした。ワットからもらったハイビスカス。南国を思わせる鮮烈な赤い花。その茎を、ぎゅっと握り締める。
「……いるよ、絶対」
それを見るたび、不思議な確信があった。――この道を、彼らも通った。そう感じるのは、この肌だ。
窓の外は、相変わらず視界が悪い。自分達は彼らの後を追っている。その確信があるのに、シャルロットには心を締め付ける不安があった。
――自分達の行動は、正しいのか。
ニースが南の大陸まで足を運んだのは、自分達を安全な場所へと送るためだ。自分ひとりならば、ニースはすぐにでもあの城へ戻っていただろう。それなのにニースを追う自分達の行動は――。
「……でも、私は」
想いが、口からこぼれる。
この先、ニースについていくことは今までとはわけが違う。国の人間だったニースは今や国を追われ、行動を共にすれば罪に問われるのは必至なのだ。その原因である彼ら――ルジューエル賊団。
彼らと関わりを持てば、確実に命の危険が付きまとう。だからこそ、ニースは自分達を置いて行った。――だが。
(私は……力になりたい)
――いつも優しいニース。自身の事を気にもかけずに、他人を想ってくれる。
一緒に消えてしまったメレイ。いつも一歩引いたところにいるのに、本当に辛い時は、いつだって励ましてくれた。ニースと一緒にいるはずだ。
――ワット。いつだって、自分を守ってくれた。そばにいてくれた――。
(私だって……私だって……)
「お客さん、あと少しでカッチノーバックに到着しますよ」
車内に、御者の声が響いた。
カッチノーバックの町は、南の大陸、北の港に通じている。
馬車を降りると、雨はやんでいた。――バシャン。足元で、土が跳ねた。土道を覆う水たまり。家々の屋根からは雨水が滴り落ちている。時は夕刻、せっかく雨が上がったというのに、暗雲も手伝い町は夜のようだった。
小さな町だ。町の入り口からその奥の港まで、一目で見渡せる。その向こうに広がるのは、漆黒の海だった。
「片っ端からあたるっきゃねーかなぁ……」
パスが後ろであごに手を当てた。肌を撫でる風は暑く、その上湿りすぎていて気持ちが悪い。「でももう暗いしよ……。オレ、この町ほとんど知らねぇんだよな……」弱気なパスを知り目に、シャルロットは歩き出した。
「おい」
アイリーンが背後から声をかける。それでも、シャルロットは足を止めようとは思わなかった。――なぜだろう。なぜだかわからないが、何かがわかる。水たまりを飛び越え、一軒の家を見上げた。
「ここ、宿屋だよね」
パスとアイリーンを振り返ると、二人は顔を合わせた。明かりも少ない町中、よく見れば確かにその家には宿屋の看板が出ていた。「そ、そうだな……て、おい」パスの返事を聞き終わらないうちに、シャルロットはその家のドアをノックした。
「いらっしゃい」
軋むドアを開けると、中は暖かい明かりが揺らいでいた。数人はいればいっぱいになってしまう玄関の奥、そのカウンターから、初老の男性が顔を向けている。
「こんな時間にお嬢さん一人で……どうしたんだい?」
驚いたのか、店主は目を丸くした。「あの……」シャルロットは、なんと言っていいのかわからなかった。口ごもる間に、後ろからパスとアイリーンが顔を出す。
「今日ここに泊まっているお客で……男の人三人と、女の人……来てませんか?」
「男と……?」
店主はわずかに首をかしげたが、同時に「ああ」と声を漏らした。
「ああ、それならもしかして……」
「ちょっと、早くしてよ」
店主の言葉を遮り、壁の向こうから女性の声が聞こえた。思わず、顔を向けた。この声は――。
「あ! お嬢さん?!」
店主の言葉など、耳に入らなかった。
「メレイ!?」
大きな音を立てて、シャルロットはドアを開いた。その勢いに、部屋の中の顔が振り返った。暖炉に、それを囲うソファ。広々とした空間で、二人は距離をとって座っていた。目を丸くしてこちらを見返しているのは、ニースとメレイだった。
「ニース様……!」
口を開けたまま、それ以上言葉が出なかった。それは、ニースとメレイも同様だったようだ。シャルロットの後ろから、追突するようにパスとアイリーンが顔を出した。
「ニース! メレイ! ……すっげぇ! ピッタシじゃねぇかシャルロット!」
「……何故ここに……」
ニースが、我に返ったように立ち上がった。一瞬、部屋に静寂が漂う。「どうしてここが……」そういいながらソファを越えるニースにシャルロットがもう一度口をあけた途端――。
「起こせって言っただろ」
「起こしましたよ。それでも寝てたじゃないですか」
部屋の隅の階段から、聞き覚えのある声と、足音が降りてきた。ドアの前のシャルロット達に、降りてきたワットとエディの足が止まった。
「……シャルロット……?!」
階段の中腹で呆然とする二人をよそに、シャルロットは目の前のニースに向き直った。
「シャル……」
――パン! ニースの言葉は、途中で遮られた。頬に入った、シャルロットの平手によって。
その音に、部屋中が静まり返る。
手のひらの熱に、指先が震えた。力を込めた平手でも、ニースの片足すらずらせていない。しかし、何よりも、自分を見下ろすその目は大きく見開いていた。
「私……! 私、ただの仕事としてニース様と一緒にいるんじゃないんです……!」
呆然と自分を見返すその目を唇を噛んで見上げる。ニースの指先が、はたかれた頬を触った。ワットが一歩、階段から降りた。目が合うと、ワットが階段を降りてこちらに歩いてきた。
「おい、お前何で……ごぶ!」
思わず、階段のエディが、傷みを感じるように顔を歪めた。間髪入れずにはいったシャルロットのこぶしで、ワットがよろける。
「な、何すんだよ!」
「それはこっちのセリフよこのバカ!」
「何だとお前……!」
頬を押さえたまま、ワットの言葉は途中で止まった。――シャルロットの、あまりに歪んだ顔に。
「いい加減にしてよ! どうしてこうなのよ! いっつも肝心な所は話さないで……」
吐き出すたび、言葉が勢いを失う。溢れるように大粒の涙がこぼれた。肩が震え、言葉に詰まる。それを見られるのが悔しくて、顔を下げた。
「……何で……何でよ……。一緒にいるっていったでしょ……。お願いだから……私には何でも言ってよ……。黙っていなくなるなんて事……しないで……!」
その行為が、どれだけ悲しかったか。そして何より、悔しかったか。
どうしていつも、自分はワットの事を判ってやれないのだろう。シャルロットは手の甲で涙をぬぐった。――どうして。
静まりかえる部屋に、シャルロットのすすり泣きだけが響く。ワットの腕が、その弱々しい肩を抱いた。
「……ごめん」
「……もう聞き飽きた……!」
――本当に。一瞬、その腕を拒む。しかし、シャルロットはその温もりに負けた。「もう、……謝んないで」謝るような事を、しないで。両腕でしっかりと、ワットに抱きついた。
「この裏切り者ー!」
「うわ! 痛!」
沈黙を破るように、アイリーンの飛び蹴りがエディの背中に炸裂した。エディが背を押さえながら振り返る。
「ご、ごめん」
「謝ってすむかよ! 何であたし達に黙って出て行った! ニースもだ!」
両手を握りしめ、今度はニースに向かうところをエディが腕を引いて止めた。「ニースさんを責めないで」その言葉に、キッとアイリーンの鋭い目が振り返る。う、と言葉に詰まりながらも、エディが言った。
「アイリーン達の安全を考えての事で……」
「じゃあなんでエディは一緒に行ったんだよ!」
加えてパスにも睨まれると、エディは両手を上げて二人をなだめた。
「水の国まで送ってくれるつもりだったんだ。僕一人じゃ危ないからってわざわざ……」
助けを求めるように、その視線が泳ぐようにニースに向く。ニースは視線を下げ、重く息をついた。
「……俺は……また火の王国に戻る」
「……わかってます」
ワットの腕に抱かれたまま、シャルロットは言った。「それでも、ついていきたいんです」ニースと、視線が重なる。
「君達を、危険にさらしたくない。ワットとメレイはそれぞれの意思でついてきたんだ。だから……」
「オレも自分の意思だ! このまま分かれるなんてごめんだぞ!」
パスが口を挟んで怒鳴った。
「あたしだって! 今度置いてきやがったらこんなもんじゃすまねえぞ!」
くわえて、アイリーンが怒鳴る。シャルロットはワットの腕から離れた。
「……私もです。仕事なんて……もう関係ないんです。私も……ニース様の役に立ちたいから……」
再び、沈黙が流れる。再びニースが息をついた。
「……君は正直、一番連れて行きたくなかったんだよ」
「……え?」
ニースの言葉に、シャルロットは顔を上げた。
「奴らが君を狙っている以上、俺達に何かあったら守ってやる事はできない……。だったら砂の王国で静かに暮らせば安全だと思ったんだ」
その目が、わずかに曇る。――それはきっと、他人を巻き込む事を悔いている目だ。それでも、シャルロットの気持ちは変わらなかった。ニースを、一人にしたくなかった。
「私は……一緒に行きたい。私はいつも皆の足をひっぱってばかりだった……。でも、あの人達が狙ってるっていう私の力は……きっと、ニース様の為にあったんです。今それを使わなければ……役に立てなければ……私は一生後悔します」
見上げたニースの顔が、固く口を閉ざした。自分を見返す目は、もう説得する事を諦めていた。
ワットの腕が、後ろから体を抱きしめた。
「……今度こそ……お前は俺が守る」
「ワット……」
「奴らに渡すようなことは命に代えてもしない」
「……ばか」
その誓いに、シャルロットはふっと笑った。
「あたしも行くからな」
「オレも」
「……僕も行きます」
エディの言葉にも、ニースは眉根を寄せたままの顔を向けた。
「この中に、誰かが深い手傷を負ったら、適切に処置できる人がいますか?」
「……今までとは違うんだ。安全どころか……命の保障すら出来ない」
「だからこそ、僕が行けば保障できますよ」
エディの笑みに、ニースは何も言い返せなかった。「決まりみたいね」ずっと頬杖をついたまま、成り行きを見ていたメレイが立ち上がった。
「もう寝ましょ。私達、ちょうど寝るところだったのよ」
まるで、何事もなかったかのように笑った。
同じ宿の一室で荷物を整えると、シャルロットはベッドの上に座った。
「じゃあ、嵐で船が出せなかったの?」
「ああ。代わりに明日の朝一の船に乗る予定になってる」
隣に座り、ワットが答える。「……運よかったよな、オレ達」パスが、伸びをしながら呟いた。
「ちょっと何これ!」
部屋の隅で、メレイ濁った声を上げた。その手には、小さな布袋。先程、シャルロットがメレイに渡したものだ。
「お金ほとんどないじゃない! いくらあげたと思ってんのよ」
「……あ。そ、それがね、ここに来るまでの馬車代がちょっと高くてー……」
言いながら、シャルロットは目をそらした。「ふっかけられたって事?」後ろでメレイが呆れた声を出す。
「シャルロットの交渉、下手なんだもんな」
パスの言葉に、シャルロットは枕を投げ付けた。
「移動する金なら、まだ俺も持ってる」
荷を片付け終えたニースが言った。
「心配するな。元々、騙し取ったような金だ」
「騙し……?」
「ちょっと、人聞き悪いわよ」
呆れから一転、メレイの声が鋭くなる。シャルロット達の視線に気がつくと、メレイは目線を斜め上に向けた。
「……ちゃんとした賞金よ。あの祭りで腕自慢の連中に勝ったんだから」
――なるほど。メレイの容姿に騙されて剣を構えたまま油断する男が簡単に目に浮かんだ。
「なあ、明日は水の王国だろ?」
ワットの言葉に、ニースが「ああ」と振り返った。
「エディのうちですか?」
「もううちには寄らなくていいんですけど……」
シャルロットの言葉に、エディが振り返る。「いや」ニースが言った。
「元々、ここからは水の王国に行く船しか出てない」
「そうなんですか」
へぇ、と息をつくと、同時に欠伸が出た。やわらかいベッドは、日中の緊張と疲れを一気に引き出す。
「オレ寝よう……」
隣のベッドで、パスが大きな欠伸をしながらベッドに入った。「俺らも寝ようぜ」隣で、ワットがそうだな、と伸びをした。
ふいに、シャルロットは不安がさした。夕べ、自分達が寝ている間に言ってしまったニース達。こうしてワットと並んでいること自体、本当ならありえないことなのだ。そう思うと、不安でもあり、嬉しくもある。頭を乗せるように、ワットの肩に身を寄せた。自然と、その温もりに口元が緩む。――こうしている事だって、ひょっとしたらできなかったかもしれない。
ワット達を追っている時にあった、あの確信めいた感覚。あれは、間違いなく何かに導かれていた。それはきっと、この体を流れる血の力のおかげなのだ。
「どうした? 一緒に寝るか?」
「ち、違うわよ……! バカ!」
思わず、顔を上げて身を離した。自分でもわかるほどの頬の熱さ。ぶっと吹き出したワットが、その肩とって寄せた。
「冗談だよ」
いつものかけあいで同じ形に戻ると、シャルロットは笑ってしまった。胸の奥がくすぐったい。その感覚がふんわりと体を包み、ほっと暖まる。
今だけは、この血の力に感謝した。この人と再会できたのは、この力のおかげなのだから。