第31話『交錯の誓い』-2
「だから言ったでしょ?チョロいって」
暗く狭い貨物室。メレイの明るい声と、ニースのため息が重なった。顔に手を当て、言葉もない。――助かったといえば、助かったとのだが。
メレイが兵士達の気を引いている間に船に乗り込んだシャルロット達は、全員が並ぶには狭すぎる範囲に身を縮めていた。動かずとも、互いの肩が当たる。
「それにしても揺れるな……! 狭いし!」
「船底だからな。しょーがねぇだろ」
パスの文句を流しながら、ワットは隣で青白い顔をしたシャルロットの背を撫でた。「おい、大丈夫かよ」その言葉に、黙って頷いて見せるも、顔を上げる余裕はない。――また酔った。
船に乗るのはもう何度目か。それでも、シャルロットは一向に船には慣れなかった。船上ですがすがしい空気に当たれば気分もごまかせるだろうが、そう言っていられる状況ではない。出発直後から、気持ちの悪さを通り越して今や頭痛を伴う吐き気を感じていた。
「待て! ここで吐くなよ?!」
口を押さえるシャルロットから身を引き、パスが念を押す。メレイの隣のアイリーンが、手に当たるメレイの髪を触った。
「なあ。これ、どうしたんだ?」
前は綺麗な赤毛だったのに。その面影はかけらもなく、真っ黒に染められている。自分も黒髪のアイリーンとしては、もったいないとしか思えない。
「色をつけたのよ。洗えば落ちる」
そんな会話も遠く感じ、シャルロットはワットに寄りかかって目を閉じた。――到着まで二日。できるだけ、眠った方が良さそうだ。
どれくらいの時間が過ぎただろうか。窓も無く、光の入らない部屋は、時間の感覚を失わせる。たくさんの積荷である木箱に囲まれ揺れていると、体も痛みを通り越し、何だかどうでも良くなってきた。
ゴォォオン……
胸に響く轟音と、船を揺るがす振動。それがゆっくりと収まり始めると、アイリーンが壁の隙間から外をのぞいた。外は、まだ太陽の光の残る時間だ。「おい、着いたぞ」はやる気持ちを抑えながら、こちらを振り返る。しかしシャルロットは、酔いを通り越した具合の悪さで体力が落ち、いつものエネルギーはかけらも残っていなかった。がやがやと、船員達が降りていくのがわかる。
火が沈み、船の周囲に人影がなくなり始めた頃、シャルロット達はようやく港に降り立った。
「やっと出たぁー!」
地に足をつけ、パスは大きく背伸びをした。月も高く上り、周囲にはたくさんの船。少し船から離れてしまえば、もはやどの船の乗船者かなど、まったく分からない。すう、と大きく胸の中に空気を入れると、シャルロットの体も水が入ったように感覚を取り戻し始めた。
「それ、もう取ってもいいんじゃねぇか?」
ワットが頭のバンダナを巻きなおしながら、ニースのフードを指差した。暗がりの港では、互いの顔すらはっきり見え辛い。「いや」とニースは首を横に振った。
「顔を知った者がいるかもしれん。念のためだ」
「大陸を越えたのよ? 大丈夫よ。てゆーか、あんたみたいなでかい奴がフードかぶって歩いてる方が目立つわ」
ニースとワットを追い越しながら、メレイは大きく手を伸ばす。
「久しぶりだな、この空気!」
パスが大きく生暖かい空気を吸い込んだ。その様子に、エディが笑う。
「そっか、パスはここの出身なんだよね」
「おう、ここからずっと……向こう側の海のとこに住んでたんだ」
「この町も知ってんのか?」
港の奥、町の明かりを遠目に覗いていたアイリーンが振り返った。
「ここには来た事ねぇけど……町は知ってる。パックバックってんだ」
港の周りは、生い茂る木々に囲まれている。パスが指差す森林の隙間から明かりが覗くのを見ると、町はその奥にあるようだ。「歩いてすぐだ、行こうぜ」パスを筆頭に、シャルロット達は港を進んだ。
港と町をつなぐ森林の中に作られた道を進むと、すぐに煌々とした町の明かりに照らされる。シャルロットは、その町並みに懐かしさを覚えた。――以前に南の大陸を訪れたのはいつだったか。初めて城を出て、ニースとワットと共にファヅバックを目指した。
それほど前の事ではないというのに、それは遠い昔のようだ。
「うわあ……!」
アイリーンが感嘆に声を漏らした。月夜を思わせないほどの明かり。行き交う人々とどこからともなく響く太鼓や鈴の音。こんな時間にもかかわらず、子供達が走り回っている。
「何これお祭り?!」
シャルロットは思わず足を止め、わあ、と手を合わせた。
「あー、そういやそんな時期だったな。年に一度のパックバックの祭りだ。運いいなー、オレ達!」
「何が?」
腕を組むパスを、ワットが見下ろした。
「祭りの時は大陸中から客が集まる。だから広場の建物が開放されるんだ。自由に泊まれるぜ」
「へぇ、そりゃいい」
――金のない自分達には。ワットがニースを振り返った。
今や金どころか、手持ちの荷物は無いに等しい。混乱の最中に城を出たせいで、旅の荷も、全員が城に置いたままだった。当然、金など持っているはずもない。
賑わう人々を通り越し、パスの案内で広場へ向かった。パスの言ったとおり、町は人で溢れていた。他の土地からの客も多いのか、異国の風貌を持つアイリーンも目立たない。この地の人々はパスと同じ、茶色い髪に青い目の住人が多いようが、それもファヅバックと同じだ。
町の中心、広場の建物は三階建ての古い木造の家だった。大きなホールとして各階に一部屋ずつ。ベッドも無いが、早くもホールは満員になりつつある。なんとか三階の隅にスペースを見つけ、シャルロット達は腰をおろした。
「……腹減ったあ」
ようやく落ち着くと、アイリーンが腹を撫でた。祭りの出し物か、外からはおいしそうな匂いが漂ってくるというのに。隣に座るエディが振り返った。
「何か食べたい? ……あ、でもお金無いか……」
「あら、じゃあこれで何か買いなさい」
じゃり、とエディの手に小さな布袋が降ってきた。見なくてもわかる、金の音だ。エディが「え?」と顔を上げたが、アイリーンが素早く立ち上がった。
「ありがとメレイ! エディ、行こ行こ!」
「あ、うん……。じゃあ、パスも行こうか」
「おう!」
アイリーンに引かれるエディが、パスの手を引く。三人は、他の座り込む客達をすり抜けて部屋から出て行った。
「大丈夫か? 放っておいて」
見えなくなった背に、ワットが振り返る。「エディがいるから平気じゃない?」床に座りなおしながら、シャルロットは笑みがこぼれた。以前なら、誰がどこに行こうが興味すら持たなかったのに。
「パスだって、この町知ってるみたいだし」
「……だよな。ファヅバックで迷子になった誰かさんとは違うよな」
笑いを含んだワットの言葉に、口を結んでその腕を強めにひっぱたく。
「……少し、いいか」
ニースの低い声に、シャルロットとワットは振り返った。
「話しておきたい事がある」
メレイも顔を向けた。祭りの中でも、この部屋は角に当たる。一瞬その輪が静まり返ると、窓辺の向こうからの賑わいがとても遠く感じた。
「何ですか?」
シャルロットが首をかしげると、ニースは目を伏せた。
「この町で……。俺と別れて、砂の王国に帰ってくれないか」
「……え?」
思わず、聞き返した。頭が真っ白になり、言葉が何も出てこない。ワットとメレイも、ニースを見たまま何も言わなかった。ニースの目がシャルロットに定まると、シャルロットはその目前の床に両手をついた。
「ど、どうしてですか……!」
詰め寄ったシャルロットに、ニースは目をそらした。
「あとでパス達にも言うつもりだが……、俺はまた火の国に戻る。その時、一緒にシャルロット達を危険な目に合わせるわけにはいかない。ここならパスの家も近いし……。シャルロットも、ワットが一緒なら簡単に砂の城まで帰れるだろう」
「そんな……!」
思わず口を開くも、次の言葉は出てこなかった。――そんなこと、考えられない。こんな状態のニースをおいて、家に帰るなんて。――だが。
同時に、ある事がシャルロットの頭をよぎった。――砂の宮殿。あそこが、どんなに安全な所かシャルロットはよく知っている。もしこのまま砂の城に戻れば――。
ニースが、ワットに顔を向けた。
「シャルロットを送って行ってくれるな」
ワットはその目を見つめ、視線を唖然と口をあけているシャルロットに移した。「……ああ」そう呟いて、ワットは目を伏せた。
シャルロットが振り返っても、ワットは何も答えない。同じくそれ以上何も語らないニースに顔を向けても、同じ事だった。それを見て、メレイが息をついた。
「あんた達も出てきたら? ……寝るまで時間もあるし」
「……え?」
その言葉に、シャルロットは我に返った。
「せっかくの祭りなんだから。いってらっしゃい」
言葉と同時に、メレイがもうひとつ、エディに渡したのと同じような金の入った袋をワットに投げつけた。
「……メレイは?」
「やあね、邪魔はしないわ」
シャルロットの言葉に、メレイがふざけて笑った。ちらりと、ワットがニースを確認する。しかしニースは、目を伏せたままだった。ワットはシャルロットの手を取り、一緒に立ち上がらせた。
「行こうぜ」
「え……あ、うん」
他の客達の合間を縫いながら、部屋の出口に向かう。しかし、手を引かれながらもシャルロットは何度もニースを振り返った。――これで終わりなんて考えられない。このまま帰るなんて――。
しかしシャルロットの想いもむなしく、廊下に出るまでニースは一度もこちらを見なかった。
残ったメレイは、その場に座ったまま横目をニースに向けた。影の降りた顔に、暗い色の半袖のシャツ。蒸し暑さのあるこの土地では、マントなど羽織っている方が目立ってしまう。マントをやめ、火の制服からそれに着替えたニースは、それでも堅実な風貌が残っている。――今、この男が何を思っているかなど、容易に想像できる。
「私は行くわよ」
メレイの言葉に、ニースがただその目を向けた。
「目的は同じ。……あんたはあいつらを、城から追い払いたいんでしょ?」
――その結果が何であろうと。メレイの心に眠るものが何なのか、ニースが知らないわけではない。例えその目的が、「殺す」にすり替わっているとしても。本心の隠れた一瞥に、ニースは目をそらした。
「これから、どうする……」
「知ってるか!? 火の王国の噂!」
突然、メレイの言葉を遮るように、隣の客の声が割って入った。当然、自分達に向けられたものではない。輪になっている彼らの背に、自然と視線が向いた。
「何だぁ、そりゃあ?」
「何でも戦を起こそうとしてるって噂だぜ!」
「まっさかぁ!」
どっと起こる笑い声は、酒の肴でしかない噂話だ。
「あるわけねーだろぉ」
「いやしかしなぁ、聞いた話じゃ港の船! 東の大陸に入る船を打ち切ったらしいぜ」
「マジかよ、そんなん……」
彼らの話は、延々と続いている。
「もう密航はできないでしょうね」
ニースの目がそこに向いているのを見て、メレイが呟いた。
「……それでも」
ニースが小さく言った。「それでも俺は、こんな風に逃げているわけにはいかない。もう一度、インショウ様と会わなくてはならない」顔をしかめ、その手を強く握り締める。思いつめるその姿は、まるで小さな傷すらも吸い込んでしまうスポンジのような。それでいて、決してそれを表に出す事のない肌。
メレイが、小さく息をついた。
「私達も出るか」
「……え?」
メレイの言葉に、ニースが目を瞬いた。すぐに、その目に意識が戻る。
「お腹減らない? 付き合ってよ」
何事も無かったかのような笑顔で言うメレイに、ニースは眉をひそめた。
「……金がないだろう」
先程ワットに渡した金が最後だという事を、ニースは知っている。そして、それが港からこの宿にくる間に彼女が人からスッた金だということも。
「そんなの、またスる……って、やあね冗談よ。睨まないでよ」
肩をすくめ、メレイが視線をはずした。「しょうがないわね」息をつき、メレイがポケットから淡いピンクのリボンを取り出した。レースの付いたそれは、あまりにその主に似合っていない。
それらを首やポニーテールの髪に飾っているメレイを、ニースは口を薄く開いて眺めた。――客観的に見れば、黒髪に飾ったそれと、地味な服装。それを見れば、顔立ちも手伝って清純なイメージを作れないわけではない。ただ、ニースの頭にはそんなことは一瞬たりともよぎらなかっただけだ。
「何をしている」
「祭りなのよ? 金なんて、いくらでも稼げるでしょ」
腰を上げ、メレイはニースを見下ろしてにやりと笑った。