第30話『決別の時』-5
ジクセルの言葉で、ニースの疑問は確信へと変わった。
「貴様……、……ルジューエル……か? ルジューエル賊団の長……!」
握り締めた手に、力が入る。ニースの言葉に、ワット達は動けなかった。以前見たことのあったルジューエルの手配書。しかし、ジクセルとその似顔絵とは似ても似つかない。髪も長く、凶暴な雰囲気が漂っていた似顔絵と違い、目の前の兵士は短い黒髪に、鋭く伸びた黒い目、高めの鼻に、少し大きめの口。肌の色は、少し褐色を帯びている。
(ルジューエルとユチア=サンガーナ……! じゃああの女も……!)
ワットは口を噛んだ。――なんでこんな奴らが城の中に。
ニースの声は、当然アイリーン達を掴んでいた兵士達にも聞こえた。しかし、彼らはあまりの言葉に互いの顔を見合わせただけだった。ルジューエルの名など、兵士ならば誰だって知っている。女性が、ふっと笑いを落とした。
「大人しくつかまっておく事ね。この娘がどうなってもいいなら暴れてもかまわないけど……」
ヒールの音を立て、女性が再び足を進める。
「呼ばれてるの、じゃあね」
ニースが我に返った。「逃がすものか!」一歩、足を踏み出すと、再びルジューエルの剣の切っ先が自分に向く。ニースも剣を握りなおした。しかし、ユチアの顔が同時に視界に入る。――動けない。
「待ちやがれ!」
ワットは先ほど倒した兵士の剣を広い上げ、回転をかけて女性に向かって投げつけた。しかし女性が顔を向けたと同時に、その間にユチアが割って入った。ワットが「な!」と口を開いたのも束の間、ユチアはシャルロットを抱えているにもかかわらず、長剣で造作も無くそれをからめとり、頭上に飛ばした。
「……チ!」
ワットの舌打ちに、ルジューエルが女性に目を向けた。
「早く行け」
「言われなくても」
女性は、そのままドアの向こうに姿を消した。
「待っ……」
「やめた方がいいぜ」
階段を駆け上がったワットの前に、もう一度ユチアが立ちふさがった。肩には、シャルロットを担いだままだ。
「テメエ……!」
「オレが言うのもなんだが、エフィは強い。シンナを鍛え上げたのだって、エフィだなんぜ。覚えてるだろ、あのガキ。お前をズタボロにした」
言葉の途中で、ユチアはシャルロットがわずかにうめき声を上げた事に気が付いた。同時に、それはワットに耳にも入ったようだ。
「シャルロット!」
ワットの声に、ユチアは肩に担いだシャルロットを腰までに下ろした。
(……苦しい……)
揺らぐ頭で、シャルロットには体の感覚がなかった。おぼろげな暗闇、空気が体に入らず、まぶたが開けられない。誰かが、近くにいる――。
片腕にはシャルロット、そのもう片方の手には長剣が握られている。ワットの目線に、ユチアは目を細めて笑った。
「お前、この女が大事か」
ワットに見せつけるように、シャルロットの髪を掴んで顔を上げさせる。シャルロットの意識はまだ無いに等しかった。
「さっきまで二人で楽しんでたんだぜ。調教する前に邪魔が入っちまったけど……」
その舌で撫でるように、シャルロットの頬を舐めつけた。ワットは一瞬で全身の血が沸き立った。
「テメエ!」
短刀を振りかざし、ユチアに向かって振った。――しかし。
ガキン、と短刀は大きな音を立てた。シャルロットを床に離し、ユチアがその長剣でワットの短刀を受け止めたのだ。その瞬間、ユチアがにやりと笑った。
ワットが反応するには、遅かった。ワットの勢いを殺す前に、ユチアはそれを利用して長剣を回し、ワットはその背後まで弾き飛ばされた。
大きな音と共に、ワットが体勢を崩し、転がり込んだ床で即座に身を起こし、ユチアを睨み返す。
「……チ!」
シャルロットは、ユチアの足元に倒れたままだ。「へッ」ユチアが、鼻で笑った。
「チョロいもんだな」
アイリーン達を抑えていた兵士達は、顔を合わせた。自分達にとって、どちらが敵か。王の命令はニースを。しかし、この状況は――。
その途端、全員の耳を風切り音がかすめた。
「ウアッ!」
ひゅっときこえたそれと同時に、アイリーンを抑えていた兵士が小さく声を上げる。エディが振り返るまでに、兵士はアイリーンを残して床に倒れていた。首筋に、小さな矢が刺さっている。――死んでいる。
「あ!」
同時に、アイリーンが腕を抑えて倒れこんだ。
「アイリーン!」
矢の一つが、腕に刺さっている。動揺を見せた兵士達に、次々と矢が刺さる。それをかわすように身を低くして、エディがアイリーンの腕を押さえて矢を抜いた。アイリーンが、痛みに声を漏らして体を震わせる。別の兵士が再び首筋に矢を射られ、倒れこんだ。
「伏せろ!」
ニースはルジューエルの剣を弾き、壇から飛び降りた。すぐに、一番近くにいたパスの頭を掴み、床に伏せさせる。エディが、アイリーンを抱えて床に伏せた。
「キャアー!」
部屋の隅にいた女性達の数人が、兵士達が倒れているのを見て悲鳴を上げた。ホールにいるのは、いまや自分達と彼女達だけだ。兵士は皆、床に倒れている。――何なんだ、これは。
ニースが周囲を見回した途端――。
「何事ですか!」
女性達の悲鳴に、部屋の外から数人の兵士達が駆け込んだ。
「反逆者だ! この者たちニース殿の仲間が衛兵を殺した! 直ちに全員捕らえよ!」
ルジューエルが声をあげた。兵士達は一瞬顔を合わせたが、床に倒れた仲間達を見つけて意を固めた。
――兵士は十人以上。皆、一様に剣を手にしている。
「わ! 何だよ!」
手を伸ばしてきた兵士に、アイリーンは思いっきり噛み付いた。「うわ!」と悲鳴をあげ、兵士が手を引っ込める。
「ちょ……! 待ってください、誤解です!」
エディが叫んでも、兵士達は聞く耳を持たない。女性達が、部屋の隅で悲鳴を上げている。
「……は……っ!」
その高い声が耳を突き抜けると同時に、シャルロットの口から胸へ、空気が入った。途端に、指がピクリと反応する。――動く!
見上げた先には、短刀を構えたワットの姿。すぐ頭上には、その相手――。
両腕で、シャルロットはユチアの腰元に飛びついた。
「ワットに何すんのよ!」
「うお!」
ユチアが驚いたのは、一瞬だけだった。足を一歩ぐらつかせる程度だったタックルだ。「チ、うるせぇな」ワットが目を見開く頃には、シャルロットはユチアの片手に突き飛ばされていた。
「キャ!」
「シャルロット!」
その勢いで、シャルロットは階段へ倒れこんだ。――落ちる!
「い……!」
そう思ったのも束の間、何かに当たって、階段の中腹で勢いが止まった。階段に手を付き、顔を上げる。落ちきらなかったのは、人の足にぶつかったからだ。シャルロットが顔を上げると同時に、相手もこちらを見下ろした。――ルジューエル。
漆黒の、光のない目が自分に降りた途端、シャルロットは目を見開いた。まるで、時が止まってしまったかのように思えた。周囲が暗転し、自分とルジューエルだけになる。そして、すぐに床に両手をついたままの自分だけが、闇に取り残された。その常闇が、沸き立つようにざわざわと自分の肌に触れ始める――。
「や……っ!」
気がついたら、シャルロットはその足から飛びのくように離れていた。後ろに尻餅をついた衝撃で、現実に戻る。周囲の騒ぎが遠く聞こえた。見開く目には、自分を物のように見つめるルジューエルしかない。
(今のは何……! 今のは何!)
体が震え、足が立たない。見上げた顔が、ゆっくりと口を動かした。
「うるさい小娘だ。……お前に羽はいらないな」
ルジューエルがその手に持った剣の切っ先を、シャルロットの膝元に向けた。シャルロットの目に銀色の光が反射しても、シャルロットはまったく動けなかった。その切っ先が、ゆっくりとルジューエルの頭上に上がる。次にそれが鋭く降りれば――。
(……逃げなきゃ……! 逃げなきゃ……!)
いくら頭で叫んでも、足はおろか、指先さえ、その切っ先をとらえる視線さえ動かせなかった。――周囲の騒ぎが遠く聞こえる。
「シャルロット!」
ワットとニースが、同時に叫んだ。ニースが兵士を押しのけ、足を踏み出す。ワットが短刀を、ルジューエルに向かって投げつけた。
それが振り下ろされた瞬間、シャルロットは全身に力を入れて身を守った。悲鳴も漏れない瞬間に、大きな音が金属音が走る。
あまりの恐怖に、時間の感覚など無かった。しかし、身を守った体勢から――痛みがない。
カラン、と何かが落ちる音がした。
おそるおそる、シャルロットは目を開けた。見慣れた短刀が、足元に落ちている。いつの間にか、自分には誰かの影が降りていた。
顔を上げると、色鮮やかな刺繍の入った赤い着物が目の前にあった。自分とルジューエルのと間に、それが入り込んでいた。我に返ると、それは女性の背中だった。黒髪を長く下ろし、片膝をついている。その手には、一文字に頭上に上げた剣。
彼女が、ルジューエルの剣を止めたのだ。部屋の隅にいた、女性の一人――。
ルジューエルがわずかに目を見開いた。
「逃げるのよ、あんた達は引きなさい」
顔の見えない背からの言葉。シャルロットは、口を開けた。――さして懐かしくも無い、聞き覚えのある低めの声。
「……メ……!」
「メレイ?!」
シャルロットの言葉が終わる前に、ニースとワットの声が飛んだ。赤い着物を崩して着たメレイは、赤毛を黒く染め上げ、ていた。
「お前……?」
「早く行きな! ワット!」
メレイが剣を交えたまま声を上げると、ワットは我に返った。唖然としているユチアの横をすり抜け、シャルロットの手を掴み、抱き上げた。
「わ!」
「行くぞ!」
ニースがパスの手を引いた。
「エディ! アイリーン!」
ニースの声に、エディがアイリーンの手を掴み、ニースを目指す。ユチアが我に返り、ニースに足を踏み出した。
「逃がすかよ!」
その瞬間、ルジューエルの剣を振りきり、振り返ったメレイが何かをユチアに向かって投げつけた。――カツン。
小さな音が響いた途端――周囲は、一瞬にして煙に包まれた。
ユチアは腕で口元を押さえ、足を踏み止めた。「クソ!」煙幕だ。
周囲の兵士達も、煙にまかれて足を止めた。
ワットに抱えられたまま、シャルロットには何も見えなかった。
周囲が同様で足を止めている間、ギン、と大きく剣を弾く音が聞こえた。メレイが、正面のルジューエルに向かって剣を降ったのだ。しかし、それはルジューエルの剣によって止められた。
「チ!」
さらに、もう一撃。しかしそれを弾かれると同時に、煙の隙間からニースが手を伸ばした。
「メレイ!」
その声に、視線が重なる。その鋭い目は、戦いを止めようとする目ではない。しかしニースは、メレイの腕を掴んだ。
「ニース!」
最初は足を浮かせなかったものの、ルジューエルから数歩離れると、メレイはニースに引かれるままに走った。
煙のかすかな隙間から、ルジューエルの目にはニース達の背が見えた。
「お前こんなとこで何してんだよ!」
ワットが、前を走る着物姿のメレイに叫んだ。ニースを先頭に廊下を駆け抜けると、まだ騒ぎの浸透していない城内では、使用人や兵士達が何事かと振り返る。
腰までの長さの髪は変わらなくても、黒髪を結わずに揺らしているメレイは、まるで別人だ。ワットの横を、シャルロットも精一杯に走った。
「メレイ、また会えるなんて! さっきありがとう!」
「体が勝手に動いたのよ! あいつと接触する機会をずっと狙ってたのに……!」
振り返らず、メレイがこらえるように言った。一番後ろを走るエディとアイリーンは、シャルロットと同じくついて来るだけでも精一杯だ。
「どこに逃げんだよ?! 何で兵士があいつらの言う事聞いてんだ?!」
逃げ足だけは速いパスが、先頭のニースに追いついた。ニースは唇を噛んだ。ルジューエル――ジクセルは、城の警備隊長。
「警備隊長は城内の兵士の筆頭だ……! 奴が警備を敷く前に城から出る!」
どうしてこんな事に――!
「つーかこれって指名手配もんだろ! 城内どころか城下町でもまずいんじゃねぇの?!」
ワットの言葉にニースは顔を歪めた。しかし、今は城から出る事が先決だ。
徐々に煙が晴れた部屋には、ルジューエルとユチア、動揺に顔を見合わせる兵士達がその場に立っていた。数人の兵士は、怪我を負い、倒れた兵士を起こす者もいる。ユチアが長剣を肩に乗せ、ルジューエルの隣に立った。
「追うか?」
「ああ、全員殺れ」
ルジューエルが剣を腰の鞘に戻した。
「占い師の娘は?」
ユチアの言葉に、ルジューエルの目が静かに向いた。
「……好きにしろ」
一瞬、ユチアの口元に笑みが浮く。「だが」ルジューエルが続けた。
「あれは殺すな。お前の言うとおり、確かにいい血をしていたかもしれん。……ただし奴らが国外に逃げられたら、それ以上は追うな。見張りだけだ」
「……了解」
もう一度、ユチアの口の端が浮く。音も無く、ユチアはその場から立ち去った。
…やってしまいました。
五話目突入。
うーん、修行せねば。