第30話『決別の時』-2
日も高く上り、暑さが体にしみ始める頃、シャルロット達はワット達の部屋に集まっていた。
「そろそろ、オレ達は帰った方がいいのかな」
パスがベッドの上で足を投げた。結局、パス達は少年と二時間以上遊んでから部屋に戻ってきた。ニースは、途中でどこかへ行ってしまったらしい。
「あたしはまだニースと離れたくないな」
椅子に逆向きに座り、アイリーンは背もたれにあごを乗せて口を尖らせた。自分達の服は既に乾いたので、動き辛い着物はもはや誰も着ていなかった。「そうは言っても、いつまでもここにいるわけには……」エディが、隣で小さく笑う。テーブルで頬杖をついていたシャルロットは、アイリーンに視線を移した。どこか、部屋にはだらりとした空気が漂っている。
「アイリーンは私と一緒に砂の国に来るんだよね?」
「あー、その事なんだけど……」
アイリーンが顔をあげた時、部屋のドアが開いた。
「ニース様」
「ここにいたのか」
入ってきたニースが、ドアを閉めた。「話があってな」ニースが顔を向けても、ワットはシャルロットの正面に座ったまま、顔を向けなかった。
「これから、インショウ様に会いに行く」
「国王に?」
パスが顔をあげた。
「昨夜の話……俺は、やはりインショウ様を信じたいんだ。しかし、そうも言ってられなくなるかもしれん。俺が留守にしている間にやはり城は変わった。もし、あれを戦に利用するつもりなら……」
「……ニース様がまとめていた地図……ですか?」
「それもあるが……とにかく、今はインショウ様と話をするのが先決だ」
「面会は、よそ者は参加できねぇのか?」
ワットが顔をそむけたまま言った。
「お前、もしあいつがお前の考えを裏切ったら……どうするつもりだ?」
その視線が、ニースに定まる。張り詰めた空気に、シャルロットは息を呑んだ。
「……二度と、インショウ様には従えなくなるだろうな」
静かな言葉で、ニースが言った。ワットが、小さく息をついて席を立った。
「前から思ってたんだけどよ」
その口の端を、わずかにあげる。「お前頭いい癖に……バカだよな」その言葉に、ニースは一瞬だけ目を丸くした。
「嫌いじゃないぜ、そういうの」
ワットがかまわず、腰に下げた短刀のベルトを締めなおす。
「とっとと行くぞ」
そう言って、ワットはニースとすれ違って部屋のドアを開けた。
「わ、私も!」
強く手を握り、シャルロットは立ち上がった。
「私も一緒に行きます!」
「オレも!」
「あたしも!」
「ぼ、僕も一緒に行っていいですか……?」
シャルロットを筆頭に、パスとアイリーン、エディが続けて立ち上がった。ニースはきょとんと目を瞬いたが、その口元は、ふっと緩んだ。
「……ありがとう」
――この廊下を進み、もう一つ階段を上がれば玉座の間だ。
シャルロットは、心臓が低い音を立てるのが分かった。しかし、ニースと別れる前に、この不安だけは無くしておきたかった。これがニースに付き合う最後の仕事となるだろう。
そうだ。この不安を無くし、ワットと一緒に国に帰る――。
(……こんな時こそ、未来が見えればいいのに)
ニースと話し、インショウはどんな反応をするだろうか。ニースは、国王の意思に逆らおうとしているのだから、もしかしたら、それは良くない結果を招くのではないか?
そんな願いもむなしく、最後の階段を前にしても、頭には何も浮かばなかった。階段を上がるニースの背を視界に入れ、シャルロットは階段に足を踏み出した。
「……ん?」
胸元に手を当てた途端、気がついた。最近、シャルロットは不安になると、メレイからもらった石を触る癖がついていた。何の気なしに触ったものの――。
「やだ……!」
思わず止めた足に、前を歩いていたニース達が振り返った。
「……どうした?」
「メレイの石! 部屋出るときにはあったのに……!」
ぺたぺたと体を触り、それが無いことに気がついた。シャルロットがいつもあの石を身につけていた事は、ワット達も知っていた。「落としちゃったのかな……?!」シャルロットはもと来た廊下を振り返った。
「すみません、ちょっと見てきます!」
「おい」
ワットが止める前に、シャルロットは走った。すぐに戻れば、見つけられるだろう。
残ったワット達は、先頭のニースと顔を合わせた。
「……先に行くか?」
「そうだな、すぐ戻るだろう」
ワットの言葉に、ニースは再び階段を登った。
廊下に敷かれた赤い絨毯の上を、シャルロットは注意深く見ながら歩いた。青い石だ。白い紐もついているし、落ちていればすぐに分かる。
身をかがめながら何回か使用人や警備兵達とすれ違った。だいぶ自分達の部屋まで近づくと、角を曲がったところでも兵士とすれ違った。兵士は身をかがめて歩くシャルロットの背を振り返り、足を止めた。その時、シャルロットの目がきらりと光る青いものをとらえた。
「あ!」
飛びつくように、それを拾い上げる。白い紐の両端に、青い石。「あったぁ!」再び手にしたそれに、安堵の息が漏れた。――こんなに大事なものを落とすなんて。
「……良かったぁ……」
目を閉じた途端、後ろから肩を引かれた。
「よお」
反射的に振り返ると、真後ろにいたのは城の兵士だ。――若い男。その顔を思い出すのに、時間はかからなかった。
「久しぶりだな」
口を開けたまま、シャルロットは目を見開いた。自分よりも高い目線。その茶色い前髪から覗く黒く鋭い目。
「……ユ……チア……」
喉の奥から、声が漏れた。叫びたくても、これしか声が出なかった。――ユチア=サンガーナ。ルジューエル賊団の一味、高額の賞金首の――。
目を見開くシャルロットの肩を掴んだまま、ユチアは口元の端をあげた。
玉座の間、ドアの目前で、ニースが門番の中年の兵士に声をかけた。
「インショウ様はいらっしゃいますか」
「ええ、ジクセル様とご一緒です」
「……そうですか」
ニースが手を伸ばし、ドアに手をかける。
「シャルロットは? 待たねえのか?」
パスが後ろから声をかけた。廊下の向こうを振り返っても、まだ戻ってくる気配はない。
「……いない方がいいかもしれない」
ニースは顔を向けず、ゆっくりとドアを開けた。
「ちょっと!」
ドアが閉まると同時に、シャルロットはその入口から中に突き飛ばされた。
ニ、三歩よろけながらも体勢立て直し、入り口に立つユチアを睨み返す。部屋は狭く、隅に木箱が積み上げられた倉庫のような空き部屋だ。窓枠はあるものの、ここが何階かもわからない。
腕を組み、ユチアは獲物を見る目でにやにやとシャルロットを見つめた。――どうして。
状況を理解するよりも、シャルロットは頭の中が完全に混乱していた。どうしてこの男がこんなところにいるのだ。ここは国の城の中だ。国の中で、一番安全な場所ではないのか。しかも、なぜこの男はこの国の兵士の服を着ている――?
一歩、ユチアが部屋に踏み入ると、シャルロットは我に返った。今は、そんな事を考えている場合ではない。ユチアから目を離さぬよう、同じように、シャルロットは一歩後ろに下がった。
「何で……あんたがこんな所にいるの……?!」
「……さぁ、何でだと思う?」
どこか人をからかうような、ふざけた言い方だった。口元も、ずっと笑っている。それでも、ユチアがまとう空気には押しつぶされそうな威圧感があった。――あの目を見つめすぎると、頭がおかしくなりそうだ。しかし、目をそらすわけにはいかない。
ユチアがしっかりと着ていた制服の襟元を緩めた。
「こ、こっちが聞いてんのよ! 兵士に成りすまして……何が目的!?」
噛み付くように叫んでも、内心に言葉ほど勇気はない。この男の強さは、風の王国でしっかりと見ている。あの時ユチアは、ニースと互角に戦っていた。
(私なんかじゃ絶対にかなわない……!)
シャルロットは目を細めた。――どうしよう。どうすればいい――?
考えれば考えるほど、頭が回らない。ユチアが一歩近づくたび、シャルロットは後ろに下がった。いつの間にか、壁が背につき、もう下がれる場所はなくなっていた。
「クッ……!」
ふいに、ユチアの口から笑いが漏れた。
「な、何がおかしいのよ!」
言葉任せに声を張り上げた。――弱みなど見せるものか。震えたら負けだ。
「……相変わらずだな。現状も判らないのに威勢だけはいい」
事実を射抜いた言葉に、シャルロットは動揺を隠し切れなかった。ぎゅっと、唇をかみ締める。――その通りだ。この部屋に、ドアは一つしかない。それも、ユチアの後ろにあるドアだけ。
デイカーリの古城でのユチアの仕打ちを思い出し、シャルロットは背に汗が伝うのを感じた。
「……何のつもりなの? 私に……何の用なのよ……!」
足が、震えそうだった。それでもユチアは、また一歩、近づいてくる。
「分ってるんじゃないか? ま、オレは命令意外にも興味あるけど……」
笑ったように言葉を吐き、その目でシャルロットを射すくめる。
「その目が……」
「寄らないで!」
威勢よく言ったつもりが、声が震えた。このままでは――。
シャルロットは無理矢理体に力を入れた。強く握り締めた手で、木箱と一緒に立てかけてあったモップを手に取った。
(ワット達はインショウ様に会いに行ってる……今は誰もいないのよ!)
――やるしかない!
それを剣のように正面に構えた。ユチアは武器を持っていない。
「それ以上近づいたらこれで殴るわよ!」
まっすぐ突きつけた棒モップの先を、ユチアの胸元で止めた。その行動が意外だったのか、ユチアは一瞬目を丸くした。しかし、すぐにその顔には笑いが戻った。
「殴る? おもしれえ、やってみろよ」
シャルロットは心を決めた。奥歯を噛みしめ、手にしっかりと力を入れる。
「やあ!」
それを一気に振り上げると、ユチアに向かって叩きつけた。――しかし。
「遅い」
肩を狙って振ったそれは、ユチアの体に届く前に、その片手に掴まれた。
一瞬、視線が重なった。
「あ!」
人の力とは思えない勢いで、ユチアが掴んだモップをそのまま横に引いた。両手でしっかりとそれを握っていたシャルロットは勢いに引っ張られ、部屋の中央の方までよろけてモップを奪われた。
「ぅわ……!」
片手を付き、転びはしなかった。しかし、同時に気が付いた。――チャンス。
シャルロットはドアに向かって手を伸ばした。――が。
「きゃ!」
がらん、とモップの転がる音と同時に、シャルロットはノブを掴む直前に、もう一方の腕を後ろに引かれた。
「離して!」
全力で引いたが、びくともしなかった。とっさに、もう一方の手でユチアの顔に手を振ったが、それも顔に届く前に止められた。
「……くっ!」
ユチアを睨みあげても、その顔には一点の歪みもない。体の大きさ、力の差、何もかもが違いすぎる。両腕は、びくともしない。
「私に何の用があるっていうの! 殺すなら殺せば?! 化けて出てやる!」
「そう……その目だ」
シャルロットを見下ろし、ユチアは口の端をあげた。――何? シャルロットは眉をひそめた。
「デイカーリで見たときから、その目が気に入ってた」
「何言って……い!」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。ドアに背を叩きつけられ、強い痛みが走った。しかしそんな事は、シャルロットの頭の片隅にも入らなかった。目の前にあるのは、ユチアの顔だ。――自分の口に、その唇を重ねた顔があった。