第29話『地図の行方』-3
国境の足元から門を見上げると、その威圧感は押しつぶされそうなほどに大きかった。天高くそびえ立つ左右対称に造られた鋼鉄の門は、細部まで燃えるような鳥の彫刻がされていた。初めて目にするものだが、その彫刻には見覚えがあった。ニースの持つ剣の柄に彫られたものと同じ、火の王国の紋章である鳳凰を模した彫刻だ。
「そこの者達、身分証を提示しろ」
門の中腹にある窓枠が開き、男が二人顔を出した。男達の服には見覚えがあった。ニースがいつも着ている、火の王国の制服と同じものだ。彼らの位置を考えると、シャルロット達がガン・ジミリーを歩いてくる姿はとっくに見えていたに違いない。
ニースが一歩前に出て、顔を上げた。ニースは、今日は火の王国の制服を着ていなかった。
「王宮騎士団隊長、ダークインだ。王の命により世界視察に向かい、任務を終えて戻ってきた。開門を願う」
ニースの言葉に、兵士達が一瞬ぽかんとしたのがシャルロットからもよく見えた。
「ダ、ダークイン様?!」
「ば、馬鹿な……いや、間違いない!」
「す、すぐ開門致します!」
互いに顔を見合わせるように、兵士達はすぐに窓枠から姿を消した。シャルロット達が顔を合わせる中、門の中から数人の男達が騒ぐ声が聞こえた。
「……何だ?」
門の右端、その隅から、鍵が開くと同時にドアが開き、兵士が一人転がり出てきた。途端に背をまっすぐに伸ばし、頭を下げた。その後ろからも、同じように兵士達が合わせて六人出てくると、同じように並んで頭を下げた。
「お帰りなさいませ、ダークイン様! ご無事で何よりです!」
揃った若い兵士達の声に、今度はシャルロット達が面を食らった。「ああ、ありがとう」ニースだけが、柔らかく言って前に出た。一瞬で、ニースは兵士達に囲まれ、門の中に案内されていた。取り残されたシャルロット達は、顔を見合わせるしかない。
「な、何かすごいな」
アイリーンが、目を瞬いた。
「そ、そうだよね。ニース様、偉い人なんだよね」
毎日一緒にいると、そんな事も忘れてしまう。隣国の下働きだった自分ですら、ニースとは出会う前からその名を知っていたのだ。言われて見れば、当然の事だ。
「……そりゃそうだろ。あの年で王宮騎士団の隊長だぜ? そこらの兵士にとっちゃあ憧れの的ってやつだ」
もてはやされるニースを、ワットが呆れるように遠目で眺めた。言われてみれば、ニースを囲んで尊敬の眼差しを向ける兵士達は、自分とさほど年齢は変わらないだろう。ようやく興奮が収まってきた兵士の一人がシャルロット達に振り返った。
「ダークイン様、あの方達は?」
「私の連れだ。身分は保証できる」
ニースが振り返ると、シャルロットは小さく頭を下げた。兵士達に案内されて、隅のドアをくぐると、そこは一面、別世界がだった。
荒野に近い赤茶色の大地に、左右にはまだ巨大な赤茶色の岩壁、国境を境に徐々に岸壁の高さが下がり、すぐに岩肌は地面と同化している。その先には、巨大な町が広がっていた。見渡す限り、赤と茶色の屋根が永遠と続いている。そして、はるか遠くに見える灰色の建物――。
「火の王国の城……クニミラ城だ」
シャルロットの視線に気が付いたのか、ニースが言った。
「あそこが東の大陸の最南でもある」
「ここが火の王国……」
肌を撫でる風は先程までと変わらず、にわかに暖かい。同じ大陸の南に位置する国でも、砂の王国とはだいぶ違い、過ごしやすい。
「赤毛の女性……ですか?」
兵士の言葉に、シャルロットは振り返った。「ああ、背の高い……。ここ数日の間に見なかったか?」ニースが、兵士の一人に聞いていた。しかし、兵士は首をかしげて「いいえ」と答えただけだった。他の兵士も、反応は変わらない。ニースが振り返る前に、シャルロットは目をそらした。口には出さなくても、やはりニースも気にかけているのだろう。
兵士達に見送られ、荒野を少しも歩かぬうちにシャルロット達は町に入った。白い石に赤や茶色の屋根、平屋が続く町は、多くの人が行き交い、国のはずれである国境の町だというのに、とても活気がある。いつの間にか空は水平線から順にオレンジ色に染まり始め、頭上には星が光り始めている。
「ここから城まではまだかかる。今日はこの町に泊まろう」
ニースが一つの宿を指した。
翌朝、シャルロット達が起きる前に、ニースが町の役場で馬を一頭借りてきた。国に仕える軍人には、馬など必要なものは無料で貸し出されているらしい。
「便利なもんだな。……軍人には」
砂の王国でも一般人だったワットが率直な意見を述べた。一緒に行ったらしいパスの話では、店主はニースを見て口を開けたまま、しばらく動いていなかったらしい。
朝のうちに町を抜け、ニースを先頭に、シャルロット達は馬で町から一本にのびる街道を進んだ。一面の赤茶色の大地は、どこか閑散としている。太陽が頭上を通り過ぎる頃、今まで遠かった城がずっと近づき、シャルロット達は城下町に入った。
白い石造りの家に、赤茶色の瓦の屋根が印象的で、ほとんどが平屋だ。町の人達の服装も、クィッドミードでケイ達が着ていたような、ゆるく羽織った着物がほとんどだ。異国の格好、さらに、ニースと同じ黒髪に黒い目の多いこの土地では、シャルロットの金に近い茶髪やパスの明るい髪色と青い目はとても目立つ。
人通りの多い中、奇異の目が集まるのを感じながら馬を進めると、中年の女性がシャルロット達を見て口を開けた。
「ちょっと……ダークイン様……!? ダークイン様ですよね!?」
シャルロット達が反応するよりも、周囲のざわめきの方が早かった。一瞬で広がったそれと同時に、シャルロット達の進路はあっという間になくなった。
「帰っていらしたんですね!」
「世界視察って本当だったんですか?!」
「わぁ! 本物のニース様!」
周囲の子供や通りがかった大人、付近の商人までもが押し寄せ、シャルロット達は口を空回りさせるしかなかった。ニースを囲む人波で、まったく進めない。
「な、何だ……?」
アイリーンが目を大きくして周囲を見回した。握手を求める人々に、ニースは馬から降りた。
「すみません、急いでまして……」
周囲の手を断りつつも、馬の手綱を引いて少しずつ進む。危なくて、そのまま進めたものではない。一緒に乗っていたパスが降りようとすると、ニースは手でそれを止めて馬を進めた。アイリーンと一緒に乗っていたエディ、シャルロットと一緒に乗っていたワットも、同じように降りて馬を引く事にした。これだけの人に囲まれて自分にも奇異の目が集まっているのが分かる。ニースと違い、そんなことには慣れていないシャルロットは視線が定まらずに挙動不審になるしかなかった。
ニースを囲う町人達は、皆一様に、ニースに好意を示していた。長旅の体を気遣う者、自分の店の食べ物を差し出す者など様々だったが、馬を降りても周囲から頭ひとつ分抜け出ているニースが、それを丁寧に断っているのが見えた。
「……ニース様ってホントすごいのね……」
思わず、息が漏れた。今まで自分がニースにとっていた態度を思い出すと、笑えない。ここの人達に知れたら、殴られる勢いだろう。
「ニース、急がないと日が落ちるぜ」
後ろからのワットの声に、ニースは振り返って町のはずれを指差した。あちらから抜けようという意味だろう。足の向きを変え、ニースを先頭にシャルロット達は何とか町人達の輪から抜け出した。
「また市街で泊まってくか?」
「いや、このまま行く。街道からは外れよう」
「賛成」
ワットの棘を含んだ言葉に、シャルロットも心の中で同意した。
再び馬を走らせると、あっという間にクニミラ城に近づいた。灰色で巨大な城の背後は、赤茶色の岩山に覆われている。空が夕日に燃え始めると、そこに浮かぶ雲が城と同じ灰色に染まって見えた。
ワットの後ろで馬に揺られながら、シャルロットは目を細めた。かすかに、それと同じ色が城から空に向かって伸びている。
「……煙?」
その呟きが聞こえたのか、ニースが前方から顔を向けた。
「工場だ」
「工場……?」
首をかしげると、ニースは再びその視線の先を見つめた。
「ああ、……鉄の精製工場。国の武器を作っている場所だ」
「武器……」
繰り返すように、シャルロットは呟いた。ニースの持つ立派な剣も、そこで作られたものなのだろうか。
燃えるような夕日の中に浮かぶ影の降りた灰色の巨大な城は、今まで見たどの城よりも重く暗い重圧を感じた。
灰色の城壁の足元に到着すると、門番の若い兵士達が駆け寄ってきた。
「ダークイン様! 国境より報せを受け、お待ちしておりました! ご無事で何よりです!」
兵士の一人が、敬礼しながら馬上のニースに言った。「インショウ様よりご伝言です! そのまま玉座の間へお願い致します!」いちいち張り上げる声に、アイリーンがエディを振り返って笑っていた。ニースが、馬から降りた。
「わかった。面会の間、彼らを私の部屋へ案内してくれないか」
ニースが後ろのシャルロット達に目を向けると、兵士達は顔を見合わせた。
「い、いえ、それが……インショウ様は全員で玉座の間にいらっしゃるようにと……」
「全員……?」
語尾を濁らせたような兵士の言葉に、ニースは眉をひそめた。――国境の兵士が、こちらの人数を伝えたのだろうか。しかし、断る選択肢はない。一日馬に乗って表情に疲労が見える面々を見渡し、思わず息が漏れた。しかしこれが、最後の仕事だろう。
「……わかった。すまない、皆も疲れているだろうが、少し付き合ってくれ」
クニミラ城は灰色の石造りの城だ。城内も同じ色に包まれ、長い廊下には赤い絨毯が敷かれている。その左右の壁には、いたるところに彫刻や絵画が飾られていた。
ニースとすれ違う城の使用人や兵士達は、ニースを見るたびに立ち止まって深々と頭を下げたまま、シャルロット達が通り終えるまで頭を上げなかった。
「(な、何だよ、ニースってばそんなに偉い奴だったのか!?)」
やっと頭を上げて去っていく兵士を振り返り、アイリーンがエディの手を引いた。先頭で、若い兵士と何かを話しながら、ニースは特別それらに構う様子もなく、先を進んでいる。会話の声にさほどいつもと違う雰囲気は見られなかったが、長い旅を終えて戻ってきたのだから、嬉しくないはずもないだろう。
何度か階段を登り、廊下を進むと、一つの大きな扉の前でニースと兵士は足を止めた。扉の左右には、背筋をまっすぐにした兵士が一人ずつ立っている。その場を漂う雰囲気に、シャルロットは息を呑んだ。この城には、今まで入ってきたどの城よりも厳しい威圧感のようなものを感じる。――この部屋は一塩に。
そう。この扉を開ければ全てが終わるのだ。この長く、五大国を回ってきたニースの、自分達の旅が。
ニースが、ゆっくりと左右に開くその扉を開けた。