第29話『地図の行方』-1
(……八、九……全部で十一……)
ニースが腰の剣を握り、目を配らせた。自分に剣を向けている男は、まだ動く気配はない。他の男達も、それは同様だ。
殺された馬からは、なおも血が流れ出ていた。その光景に、シャルロットは体の奥から怒りが沸き立った。
「よくもこんな……!」
――酷いことを。男達を睨んでも、反応はない。それどころか、男の一人が笑った。
「茶髪の女……お前だな」
「……え?」
一瞬聞こえた言葉に、シャルロットは眉をひそめた。
「手持ちの金は無い。襲っても利益は無いぞ」
腰の剣に手を当てたまま、ニースが声を上げた。しかし、彼らに反応はない。マスクで顔を隠している分、雰囲気も分かりづらかった。
「……ニース=ダークイン」
男の一人が、呟いた。「……なぜそんな事を知っている」ニースが、目を見開いた。
「それはお前が知らなくてもいい事だ」
短刀を構えたその男が、わずかに笑む。「……始めるか」男が、周囲に目を配らせた。男達の剣を握る手に、力が入る。
「シャルロットは下がれ! エディ! そのまま逃げろ!」
ニースが叫んだのと同時に、自分に向かって振り下ろされた剣を、自らの剣で防いだ。
「行け!」
「おわ!」
ワットがパスを突き飛ばすのと、そこに男がかかってくるのは同時だった。素早く、ワットが短刀でそれを受け止める。そのまま足をすくおうと、蹴りを出すも、避けられた。
転がったパスは、すぐに身を起こした。ポケットからヌンチャクを取り出し、構える。エディはアイリーンを乗せたまま、男達を振りきり、シャルロットのそばに行った。
ニースが自分に斬りかかる男の攻撃を防ぐ。それを流し、別の男の剣を受け、切り替えすのと同時に相手の腕を切った。しかし、男達はそれにも動じずに襲ってきた。
(こいつら……!)
――ただの山賊じゃない。うぬぼれるわけではないが、自分がこの東の大陸でどう呼ばれているかは知っている。
(俺を知っているのにかかってくるという事は……!)
「ニノーラに戻れ! パスも行け!」
ニースが、シャルロット達を振り返って叫んだ。とっさの事に、パスも慌てて言うことを聞いた。
「おっと、逃がすわけにはいかねぇ」
パスの動きに、男の一人が足を向けた。「全員の首を持ち帰れって言われてんだ」背後に迫るその手には、剣が握られている。
シャルロットは足がすくんだ。立ちふさがった男は、たった一人だ。今まで相手が剣を持っていようが、怖いと思ったことなどなかったのに。旅をするうちに、いつのまにか知ってしまった。自分がいかに、非力な存在かという事を。――しかし。
「なんだ、そう睨むな」
ここで引くわけにはいかない。こういう場面で引いてはいけないことも、一緒に学んだ。男から目を離さず、シャルロットは一方後ろに下がった。
「安心しな、テメェは殺すなって言われてんだ」
――何? シャルロットは目を細めた。――今、何て言った?
後ろから体を引かれ、シャルロットは我に返った。「……パス?」気がつくと、ヌンチャクを握ったパスが自分よりも前に出ていた。
「先に行け」
「……え?」
「先に行けって言ってんだよ!」
背を向けたまま、パスが怒鳴った。そのままさらに、一歩前に出る。
「お、おい!」
エディと一緒に馬に乗っていたアイリーンが、声をあげる。しかし、パスはヌンチャクの片方を回転させ始めた。
「お前が戦うってのか?」
ヌンチャクの先端が円状に見え始めると、男が笑った。パスの目は、男から一瞬も離れていない。「パ……」言いかけで、シャルロットの足は止まった。その背に伸ばそうとした手が、自然と戻った。その背に感じたのは、――気迫だ。
男が一歩、前に出た。そして、次の一足で急速にパスとの間合いを詰め、剣を突き出した。しかし、パスはそれを体を横にそらして避けた。
「へぇ……!」
男は余裕に笑った。「よく避けたな!」そのまま、剣先をパスに引き戻す――が。
それが届く前に、パスのヌンチャクが男のあごを打ち上げた。男の一撃目、その時点で、ヌンチャクの片割れはパスの手から離れていたのだ。
一瞬で、男は視界を失った。男の剣が、シャルロットの近くに音を立てて転がる。
「……は」
男が倒れるのと、パスが目を大きく開いたまま息を漏らすのは同時だった。
口を開けたシャルロットだったが、それは一瞬の事だった。パスの行動は、他の男達の気を引いた。
「あのガキ!」
付近の男がパスを睨んだのに、ワットが気が付いた。
「パス、そいつらにかまうな! 行け!」
怒鳴り声に、パスは我に返った。気が付けば、他の男達が自分の方に向かってきているではないか。「やべ!」パスはすぐ後ろのシャルロットの手を引いた。
「逃げろ!」
「う、うん!」
シャルロット達を尻目に、ワットは苦戦を強いられていた。殴っても蹴っても、相手が倒れないのだ。戦い慣れているのか、男達のそれはそこらの山賊とはまるで違っていた。人数も多い。
(……クソ!)
唇を噛み、ワットは短刀を逆手に持ちかえた。その勢いのまま、それを相手の腕の付け根に突き立てる。
「うあ!」
男の悲鳴に躊躇せず、それを一気に抜いた。同時に、その頬に返り血が飛ぶ。
「……野郎!」
燃えるような目で、地面に膝をついた男が顔を上げた。しかし彼はもう相手にはならない。それに目を向けず、ワットは次の相手に向かった。――加減などできるか。
横から切りかかってきた男を振り向きざまに切り返す。腹に入れた一閃は、男の勢いを殺すことなく吹き出す血と共に男を地面に倒した。しかし、それを確認している暇はない。――あと四人!
ニースが、正面の男を切り倒した。相手が倒れるのを確認する前に、背後から剣を振りかぶった男の足を貫く。
「ぐあ!」
ニースが周囲に目を向けた途端、背後に倒れた男が顔を上げ、叫んだ。
「××××××! ×××××××!」
シャルロット達にも、言葉は聞こえた。しかし、何と言ったのかまったく分からなかった。
「×××!」
別の男が同じように答える。その途端、シャルロット達に視線が集中した。
「な、何!?」
思わず、身が固まった。
「何だ……ぅお!」
同時に、ワットとニースに別の男が襲ってきた。
シャルロットは動けなかった。ワットとニースにかかった男達のうち、二人がこちらを追ってきている。
「こっちに!」
エディに腕を引かれ、はっとした。「パス! こっち乗って!」続けてエディが、パスを掴む。
「お、おい?!」
パスが動揺している間に、エディはパスをアイリーンの乗った馬の前に乗せた。
「オ、オレ馬は乗れね……」
「大丈夫だ!」
言葉と同時に、エディが馬の後ろ足を叩き、走らせた。
「げ! マジかよ!」
「おい! お前乗れねぇんじゃ……」
後ろのアイリーンの声など、聞いている暇はない。とっさに手綱が取れただけでも、パスにとっては褒めて欲しいほどだった。
「ちょ……、パスは馬には……!」
「いいから!」
エディが、シャルロットの手を引いた。
「狙われてるのはシャルロットだ!」
そのまま、馬が走っていった方向とは逆に足を踏み出す。「え?」それを聞き返す前に、シャルロットの足も一緒に走っていた。確かに、男達はパス達には見向きもせずにこちらを追ってきている。ワットとニースもそれに気がついた。シャルロット達が散ると、その姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「シャルロ……」
ワットが気を逸らした瞬間、交戦していた男が距離を取り、草むらに消えた。ニースと交戦していた男が背を見せて逃げ出したのも、同時だった。一瞬、呆気に取られたものの、今は深追いをしている場合ではない。既に、自分達の周りに敵はいなかった。残りはシャルロット達を追ったのだ。
シャルロットとエディの足では、あっという間に男達に追いつかれた。
「きゃあ!」
後ろを走っていたシャルロットの腕が、男に掴まった。「シャルロット!」その拍子に、エディとの手が離れてしまった。
「やだ!」
「来い! ユチア様の命令だ!」
一瞬、シャルロットは耳を疑った。――ユチア?
「……いや! 離して!」
エディが、シャルロットと格闘する男に掴みかかった。
「彼女を離……うわ!」
しかし、エディの腕は簡単に振り払われ、突き飛ばされた。その拍子に、エディは後ろに倒れた。
「エディ! ……きゃ!」
エディに手を伸ばした途端、体が浮いた。男に腰から持ち上げられ、その肩にかつがれたのだ。
「やめ……」
その途端、ひゅっと風を切る音が耳をついた。同時に、男が「う!」と、苦痛の声を上げる。
同時に、その原因に気がついた。
「エディ! てめぇ後で覚えてろよ!」
パスが、男の背中にくっついていた。その両手にヌンチャクを握り、ロープを男の首に引っ掛け、その体重をかけたのだ。
慌てて首のロープを掴んだ男が、シャルロットを手放した。
「キャア!」
腕から、地面に落ちた。
「ガキが!」
「うわあ!」
パスが優位だったのは、一瞬だけだった。あまりに違う体躯の差に、背後のパスは軽がる持ち上げられた。「げ! 何すん……」パスの言葉が終わる前に、パスの体は男の片腕に投げ飛ばされた。
「うわあ!」
「パス!」
シャルロットの声と同時に、パスは遠くの草むらに落ちて姿が見えなくなった。
「×××、×××!」
別の男が、さらに何かを叫んだ。シャルロットがそこに目を向けた途端――。
一瞬の事で、目をそむける暇もなかった。叫んだ男の胸元に、投げつけられた短刀が突き刺さのだ。
「……あ!」
思わず口を押さえるも、悲鳴に近い声が漏れた。
男の時は、一瞬止まっていた。わずかに胸を見下ろし、そのまま声も無く地面に倒れた。
目を見開いていると、背後に何かが落ちる音に、振り返った。たった今まで自分の真横に立っていた男が倒れたのだ。その首の後ろには、小さなナイフが刺さっている。――見開いたままの目。手足が、まだ痙攣を見せていた。
「ひあっ……!」
とっさに、立てない足のままあとずさった。――死んでいる。
「大丈夫か!?」
遠くからのワットの声で我に返った。木々の向こうから、ワットが駆け寄ってくるのが見えた。前に伸ばしたままの片手から、あれはワットが投げたのだろう。その体には、腰から足先にかけて血が付着していた。
ワットに手をかりて、立ち上がった。
「け……怪我……」
赤黒いそれに手を伸ばすも、たった今までの動揺で口が回らない。「俺の血じゃない。怪我は?」落ち着いた声のワットに、シャルロットはやっとの事で何度か頷いた。今更、足が震えてくる。
ワットに寄りかかると、安心感からようやく思い出した。
「こ、この人達、あいつの仲間なの……!」
「あいつ?」
「ユチアって言ったの!」
倒れた男を見下ろしても、既に死んでいるのだろう、動く様子は無い。
「あ!」
後ろからの声に、シャルロットは振り返った。アイリーンの乗った馬と、もう一頭を引くニースが、木陰から現れた。
「し……死んでんのか?」
アイリーンが、眉をひそめて口を押さえた。「ああ」と、ワットが答える。
「こいつらルジューエル賊団だ」
その言葉に、エディを起こすのに手を貸していたニースが振り返った。
「……完全に待ち伏せてたな。お前を狙って。……でも、何でシャルロットまで……」
執拗に狙うなら、全員でニースだけを狙うはずなのに――。
迷わず自分達を襲ってきた男達を思い出すと、シャルロットは思わず背筋に寒気が走った。もし、あのまま連れて行かれたら――?
「……大丈夫?」
エディが、腕を押さえながら言った。
「エディ……。ありがとう……」
――本当に。エディが連れ出してくれなかったら、どうなっていたか。「こいつらがシャルロットに来るって、よく分ったな」ワットが死んだ男を見下ろした。
「北端語で……そう言ってました」
エディの言葉に、ニースが顔を上げた。
「北端語が分かるのか?」
「本で読んで学んだ事があるんです。話せないけど、聞き取るくらいなら……」
「他に何か言ってたか?」
ワットの言葉に、エディは眉をひそめた。
「……分りません、必死でしたから……。でも、ニースさんが駄目ならシャルロットだけでも、て……」
シャルロットと目が合うと、エディは気を使ったように語尾を濁らせた。
「……何だってんだ……? あの野郎が……何でシャルロットを狙う?」
ワットの言葉に、シャルロットは身を抱きしめた。――そんな事、こっちが聞きたい。だいたい――。
「おいい!」
静寂を破る突然の怒声に、シャルロット達は驚いて顔をあげた。草むらから上半身だけを突き出したパスが、憤怒の形相で両腕を上げていた。
「オレは無視かよお前ら!」
「あ! てめー、んなとこ隠れてやがったのかよ?!」
「はぁ?!」
アイリーンの口調が、一層パスに火をつけた。「ざけんな! オレは戦ったんだよ! てめーこそモタモタしやがって!」ズカズカと草むらをなぎ倒し、髪に葉をつけたままパスがアイリーンに詰め寄った。「は!」アイリーンは、馬上からそれを鼻で笑った。
「男のクセに馬にも乗れねぇ奴がよく言うよ」
「ぐ……っ! てんめー……っ!」
「ち、ちょっとちょっと二人とも」
シャルロットはぎりぎりと歯を軋ませるパスとアイリーンの間に入った。「アイリーン、言いすぎよ。パス、さっきはありがとうね」肩を叩いて感謝を伝えると、パスの怒りも自然と鎮火したようだ。わずかに目を瞬き、「ああ」と呟いて顔をそむけた。
「何だ、お前馬乗れたのか」
ワットが意外そうにアイリーンを振り返った。――そういえば。先ほどからニースが離れても、アイリーンは一人で馬にまたがったまま、手綱を握っている。
「簡単だよ、こんなの」
平然と言うアイリーンを、パスが横目でジロリと睨んだ。「……だったらなんでいつもエディと乗ってんだよ」棘を含んだ言葉に、アイリーンはわずかに頬を赤く染めて言葉を詰まらせた。もっとも、パスはそんな事は見てもいなかったのだが。
「これから……どうします……?」
エディが、ニースを見上げた。馬は一頭殺され、もう一頭はどこかへ行ってしまった。ここにいるのは残った二頭だけだ。ニースは誰もいない自分達がいた場所を振り返った。当然、木々に邪魔されてそこまでの距離は見えない。
「すぐにここを離れる。……奴らのうち二人を逃がした。仲間を連れて戻ってくるかもしれない」
「賛成」
ワットが、片方の馬の手綱をシャルロットに渡した。
「お前は乗れ」
「え……、でも皆は……」
当然、この人数では全員は乗れない。シャルロットが戸惑っている間に、「パスもだ」と、ニースがパスをアイリーンの後ろに座らせた。アイリーンはパスを後ろに乗せる事を渋っていたが、この状況でそこは妥協したようだ。小さく舌打ちして心を静めていた。
「それからワット」
ニースの言葉に、ワットが振り返った。
「お前もだ。足をやっただろう」
「え……?」
シャルロットは思わずワットの足下に目を落とした。確かに血はついているが――。
「やだ、さっき……!」
「全部が俺の血じゃねぇよ」
ワットが、バツが悪そうに顔をそらした。「軽く切っただけだ、……エディ、お前乗れ」ワットが顔を向けるも、エディは首を横に振った。
「僕は平気です。それより傷の手当ては後でしますから……それまでワットさんが乗って下さい」
ワットは返事をしなかった。しかし、顔を背けると、黙ってシャルロットの馬の後ろにまたがった。――珍しい。人の言う事を、受け入れるなんて。
そう思ったのは、シャルロットだけではなかっただろう。ひょっとしたら、本当に足が痛むのかもしれない。
そう思ったが、それを口に出すのはやめておいた。アイリーンとパスの馬の手綱を、ニースが横で歩きながら引く。
「行こう」
やっと、森は半分まで抜けたところだ。