第28話『火の国へ』-4
「……眠れないの? 体痛い?」
月も高く上った頃、ニノーラの古城、その一室で、シャルロット達は横になっていた。一室といっても、屋外に等しいその場所は、障害物もなく、木々もない。おかげで、月明かりが辺りを照らしていた。
「ううん……」
シャルロットの言葉に、隣で寝ているアイリーンが頭を押さえて起き上がった。布に包まっては寝転んでも、地面は石だ。体が痛くなっても無理は無い。
「葉っぱ音がうるさくてさ……、喉も渇いた……」
「あっちの井戸で水が飲めるわ」
寝る前に見つけた井戸の方向を指差すと、アイリーンは「飲んでくる」と、おぼつかない足で夜風の中に消えていった。
その視線の先で、ニースが火の番をしているのが見える。見張りを兼ね、ワットもそこにいる。パスは、その傍で寝転んでいるものの、おそらく眠っているだろう。
「……耳が良すぎるのかな」
「アイリーンは五感がいいからね」
ここにいるのは、エディとシャルロットだけだ。
「起きてたの?」
「実は、野宿って初めてなんだ」
エディが顔を向けた。比較的裕福な家庭で育ったエディなら、それは当然の事だろう。そんな事に、今更気がついた。
「……大丈夫?」
「僕は全然。それよりアイリーンが可哀想だけど……」
言葉の途中、突然の物音に、それは遮られた。石の壁を強く叩いた音に、全員が振り替える。ワット達も起きていたのか、素早く半身を起こした。物音の方角にニースが素早く薪の一つを向けると、そこにいたのはアイリーンだった。
猛然と戻ってきたのか、息を切らし、崩れた石の壁に手をついて肩を上下させている。叩いたと思わせたそれは、アイリーンがぶつかる勢いで戻ってきた音だったようだ。
「……ど、どうしたの?」
シャルロットは思わず腰を浮かせた。
「……い、今……!」
ほぼ同時に、アイリーンが飛びついてきた。そのまま、自分が来た方角を全力で指差す。
「木の上! 人がいた! お、おばけ……!」
「ええ……?!」
思わず声が裏返ってしまったが、ニース達は逆にほっと息をついたようだ。「……や、やだ。変な事言わないでよ……!」シャルロットはアイリーンの肩を撫でた。酷く動揺しているのか、アイリーンはその口を空回りさせている。
「だ! だって……!」
「木の上ってどの辺だよ?」
呆れたように、ワットが再び寝転んだのが見えた。
「……えと、あれ……くらい」
一瞬指を迷わせてから、アイリーンが付近にある木を指差す。それは、大の男の身長よりもはるか高い木の上だ。
「んなとこに人間がいるか……」
興味が失せたように、ワットは顔をそむけた。ニースもわずかに笑みをこぼし、火を枝でつく作業に戻っている。
「……気のせいよ、アイリーン」
「だ、だよな……」
口元を引きつらせ、アイリーンは自身に言い聞かせるようにシャルロットから離れた。
「エディ、一緒に寝よ」
「いいよ」
アイリーンはこれ以上目を覚まさぬようにか、エディの隣で頭まで布をかぶった。
しかし、アイリーンがそちらに行ってしまうと、シャルロットは急に心細くなった。横になったものの、葉擦れの音と、背後の暗闇が、いやに気になるようになってしまった。
(アイリーンが変な事言うから……!)
頭まで布をかぶっても、布から出た足先ですら、何かに掴まれそうな気がする。
耐えられず、シャルロットは膝をついたままワット達の方まで移動した。そこで寝転ぶと、隣でワットが起きたのが分かった。
「何だ、お前まで怖くなったのか?」
笑ったような声に、シャルロットは聞こえないふりをして頭まで布をかぶった。
木々の生い茂る闇の中で、数個の光が揺れていた。
数箇所におこした薪の火。その揺らぐ炎が、擦り切れた服を纏う男達を映し出している。十人前後、周囲に自分達の敵がいないことを知っている彼らは、ゆったりとした時間を過ごしていた。――しかし。
炎が風向きとは違う方向に揺れた瞬間、風と共に、何かがその中心に降り立った。それに驚き、男達が即座に体を起こし、剣に手をかける。しかし、その正体を見た途端、全員がそれをやめ、体をのけぞらせた。
片手片膝をわずかに地につけ、バランスを崩さずに闇から降り立ったのは、年端もいかぬ十二、三歳ほどの少女だ。
明るめの茶色い髪を片耳の上に一本に赤いリボンで結い、額に降りた前髪から覗く薄茶色の目には、歳相応の少女らしい笑みがある。風変わりな赤と白を貴重とした派手な格好から細い手足を伸ばし、少女が立ち上がった。
「な、なんだお前……!」
「(ばっか! 知らねぇのかよ!)」
一瞬、開きかけた口を、隣の男が勢いよく塞いだ。「(シンナ=イーヴだ。頭達のお気に入りだぜ)」冷や汗が、男の額に伝った。十人いても、少女以外に動いたのはその二人だけだ。他の男達は、立ち上がりかけた姿勢のまま、止まっている。
「ユッちゃんの部隊の人達でしょ?」
暗闇の森には似合わない明るい声で、シンナが男達を見回した。
「命令伝達。明日ここにくる人を全員殺せ、だって。でも、ニース=ダークインって人と、茶色の長い髪の女の人は殺しちゃダメだって。わかった?」
後ろ手を組み、シンナは足を遊ばせた。その正面の男が、目をそらさずに立ち上がった。
「……ユチア様は?」
「兄様のとこ」
会話に飽いたように、シンナが背を向ける。その態度に、男は眉を寄せた。
「ダークインは分るが、その茶髪の女ってのは見たら分るのか?」
「わかるんじゃない? とにかく捕まえればいいって」
「……方法は問わないか。ここに来るのは何人ほどで?」
「知らない、見てなかったから」
まるで興味も無いそぶりに、男がますます眉を寄せた。しかし、突然振り返ったシンナに、その表情を慌てて戻す。幸い、シンナは男の顔などに興味は無かったようだ。
「じゃあね、アタシもう帰るから。ユッちゃんが片付けたら全員分の証拠は持ち帰れって」
――証拠、すなわち首。言わずとも、男は黙って頷いた。「バイバーイ」シンナそのまま、付近の木の枝に飛び移り、再び闇の中に消えていった。男達が周囲を見回しても、既にその姿は見つけられなかった。
「……いつもながら読めねぇガキだ」
残された男は、小さく呟いた。
「今日は向こうの丘まで行こう」
周囲が明るくなるのと同時に出発すると、先頭のニースが馬上から振り返った。
早朝の森は、朝霧に包まれている。視界も悪いが、夜の闇に比べればずっとましだ。
「あれって結構近いんじゃねぇか?」
ニースの言葉に、ワットが額に手をかざした。木々の隙間に見える赤茶色の岩肌が、前方にはある。
「あそこで休まないと、何もない奥地で野宿する事になる。高台の方が少しは安全だろう」
「そうですね……」
周囲を見回し、シャルロットは同意した。昨日と違い、今日は風もない。朝霧の中、聞こえる音は自分達が歩かせる馬の足音だけだ。葉すれの音すらない森はなんとも不気味だった。
しばらく馬を歩かせると、ようやく朝霧も晴れてきた。結局、ワットの言ったとおり、丘の足元にくるまでには二時間もかからなかった。
「上まで行くのか?」
ワットが、面倒さげに丘の上を見上げた。急勾配で、ところどころに赤茶色の岩肌が露出した丘は、木々もあるが馬では非常に登りにくそうに見える。
「どうせ明日もここ通るんだろ?」
「ああ、戻ってくることにはなる」
「な、昼メシは?」
パスがワットの後ろから顔を出した。パスとしては、そこさえ押さえておけば何度野宿しようが問題ないらしい。シャルロットは馬の後ろに結びつけた荷に手を伸ばした。
「そうね、パンもそろそろ無くなるし……。この辺で食べれるものがあるといいんだけど」
「とりあえず上まで行こう」
ニースが馬を進めると、ワットはしぶしぶだったが、シャルロット達もそれに続いた。
ふいに、丘を進みながら、シャルロットは胸に違和感が広がった。
――今まで進んできた静かすぎるこの森の空気は、こんなにも張り詰めていただろうか。肌を動かすたびに感じる、刺すような空気は――。
「これは……」
ニースの声で、シャルロットは我に返った。いつのまにか、先頭でニースが馬から下りてしゃがみこんでいる。首を伸ばすと、地面を手で触っているのが見えた。「まだ新しい……」そこには、焚き火の跡があった。
「どうしました?」
エディがシャルロットのさらに後ろから言った。その声に、ニースが振り返る。
「焚き火の跡がある。まだ新し……」
途端に、ニースの言葉が途切れた。
「ワット!」
ニースが声を上げるのと、一番後方にいたワットとパスの馬の背後に何かの影が落ちたのは同時だった。突然の物音に、ワットとパスが振り返る。
しかし、落ちてきた『それ』は、既に次の体勢に入っていた。かがめた体から、銀色に反射する線が延びる――。
パスが反応する前に、ワットがパスを抱えて馬から飛び降りた。シャルロット達が、ようやく振り返った時だった。
「ギィ!」
ワット達が地面に転がるのと同時に、馬が悲痛の叫びをあげた。剣で後ろ足から体を貫かれ、擦り切れたマントを羽織った男がそれをためらいもなく抜く。もう一度、馬が声をあげるのと同時にその血が吹き出した。
「キャアア!」
破裂したように吹き上がったそれに、アイリーンが悲鳴をあげた。馬は苦痛に暴れたが、地面に倒れるとすぐに動かなくなった。
「……な!」
パスはワットの脇に抱えられたまま動けなかった。一瞬の事すぎて、頭が追いついていなかった。血のついた剣を持ち、男が立ち上がる。金に近い茶色の短髪、擦り切れたマントを纏い、鼻まで隠れるマスクを顔に巻き、唯一、鋭い目がそこから覗いている。
「ワット!」
突然の襲撃に、シャルロットは馬の前足を上げて方向転換した。即座にワットとパスに向かおうとしたのだが、途端に、それに気がついて背筋に寒気が走った。―― 一人じゃない。
頭上から葉音がするのと同時に、背後にドスン、と影が落ちてきた。――男が二人。木上に潜んでいたのか。
「シャルロット!」
ワットが声をあげたのも束の間だった。自分の目の前、ニースの背後、エディとアイリーンの馬の前にも同様に、木上から男達が降りてきた。――完全に、こちらの位置を把握している。男達に阻まれ、シャルロット達は動けなくなった。
その剣が、すぐに向けられた。
「ワッ……」
ワットを振り返った途端、鈍い音に言葉が止まった。一瞬、何が起こったのか分からなかった。しかし――。
「ギィィ!」
「きゃあ!」
馬が、突然声を上げて暴れだした。誰かが、馬の後ろ足にナイフを飛ばしたのだ。「く……!」
激しく体を揺らす馬を制しようとしたが、力が強すぎて手綱では制御しきれない。――だめ!
馬から飛び降りようとした瞬間、激しく前足を上げた馬に振り落とされた。
「きゃっ………い!」
幸い、地面には先に手がついた。しかし、同時に腕と足をすりむいた。馬は、ナイフが刺さったまま、丘の下と消えていった。
「シャルロ……」
「動くな」
馬に乗ったままだったエディが、アイリーンを乗せたままシャルロットに近寄ろうとしたが、男に剣を突きつけられ、馬を止めた。
シャルロットは腕を押さえながら立ち上がり、即座に男達と間を取った。
「……山賊か」
ニースが、マスクの男の一人に目を細めた。
「これで逃げられねぇだろ」
男が、マスクの向こうで笑ったのが分かった。