第28話『火の国へ』-3
翌朝、夜が明けると同時に、シャルロット達は馬で村を出た。今度は村の裏手にある門を開けてもらい、村に入る前に見た橋を渡った。
目の前に広がる森林は、その足元まで来ると、一層大きく見えた。――今まで見てきた森とは、比較にならない。
生い茂る木々は葉で天井が見えず。それが空を隠し、日中でも森中に闇を落とし。一面に広がる森林と両側にある海を隔てているのは、赤茶色のとがった岩肌だ。
「空も見えないし……迷っちゃいそうね」
馬のままに森に入りながら、シャルロットはこぼした。足場が悪い上に、深緑に包まれた薄暗い森は気味が悪い。日中だというのに、その暗さは雨の日の夕暮れに近いものがある。
耳に届く音は、馬の足音と、葉擦れの音だけだ。「だよな、空も見えなきゃ話になんねぇぜ」と、パスがワットの背から振り返った。
「まっすぐ行けば、三日で抜けられるはずだ」
ニースが答えた。その時、アイリーンが一緒の馬に乗るエディの手を引いた。
「……おい! ちょっと待て!」
「ん?」
アイリーンの声に、先頭のニースを含め、それに続いていたワットとシャルロットも馬を止めた。「何だ?」ワットが振り返った。
「何か……誰かいる……! ホラ、あの辺……」
アイリーンが指をさす方向に目を細めても、その先にあるのは深緑だけで、何も見えない。
「人……?」
「何だよ、見えねぇのか?」
アイリーンの言葉にも、誰も返事はできなかった。「見てこよう」ニースが、馬から下りた。
足音を消しながら進むニースの姿は、あっという間に見えなくなった。この森では、数メートルも行かないうちに、草木で視界は途切れてしまう。
「山賊じゃなきゃいいけど……」
シャルロットは胸に手を当てた。
「アイリーンは目がいいね」
エディがアイリーンを見下ろした。「そうか?」と、アイリーンは足元の小石で遊んでいる。
それについては、シャルロットも同じ考えだった。アイリーンを除けば、おそらく一番目がいいのはパスだろう。海沿いで育ったパスは空の流れを読むのも上手だったが、アイリーンはそれ以上かもしれない。
普通の町で育ったアイリーンがそれを上回るのは不自然な事だが、それでもシャルロットには納得する理由があった。
(……アイリーンも、もしかしたら……)
――自分と、同じではないかと。
近頃、そう思わずにはいられなかった。占い師の母を持つアイリーンに、シャルロットは自然と期待をしてしまう。
シャルロットが考えている間に、ニースが戻ってきた。
「そこの影に五、六人いる。気付かれない方が良さそうだ。遠回りをしよう」
「……ああ」
ワットが馬の足の向きを変えた。
「何だよ、見つかったって平気じゃんか」
ニースがいるなら、という意味のアイリーンの言葉に、エディが笑った。
「危ない事は、無いに越した事はないよ」
森に入って数時間後、シャルロット達は休息をとる事にした。比較的見通しのよい場所で馬をつなぎ、小岩に腰掛ける。昨晩宿泊した村で買ったパンで、昼食をとった。
ニースの荷から、アイリーンが勝手に地図を取り出し、エディと一緒にそれを広げていた。ニースの書く字や文は、アイリーンにはまだ難しすぎるからだ。エディが、地図から現在地を指差した。
「今はこの辺。ずっといけば、夕方までにここにつく予定だって」
東の大陸の中央に位置するこの森の、左の海際にあるしるしにアイリーンが一緒に目を落とす。「これ、村?」記された文字は、『ニノーラ』とある。エディがあごに手を当てた。
「えっと……、古城の跡地って書いてあるね……。こんな森の中だし、昔の城……誰もいないだろうね」
「……ふ、ふーん」
アイリーンの声が、わずかに上ずった。隣のパスが、ニヤリと笑った。
「なんだおめー、古城が怖いのか?」
「バ! バカ言ってんじゃねぇよ! 怖いわけねぇだろ?!」
手元にあった布袋を掴み、パスに投げつける。「わ! 何すんだよ!」それが顔面にぶつかる前に弾かれると、その反射神経が、アイリーンの気に障った。「この!」と、口を曲げ、間髪いれずに中身入りの布袋を投げつける。
「どわ!」
次はとっさにそれを避けたパスの後で、真後ろに座っていたワットの背にぶつかった。
「……あ」
振り返ったワットに、パスとアイリーンは同時に声を漏らした。
「……お前ら、いい加減にしろよ」
その睨みに、二人は一瞬顔を合わせたが、勢いよく顔をそむけて互いに背を向けた。シャルロットはワットから落ちた布袋を受け取った。
「やだ、残りのパン入れてる袋じゃない。大事にしてよ」
「……あいつらも少しは大人しくならねえもんかね」
そう漏らした途端、ワットの顔が変わった。何かに気がついたようなそれに、シャルロットは首をかしげた。
「どうし……」
「シ!」
口に指を当て、ワットがそれを遮った。
「何かいる」
ワットの言葉に、「え?」と返した途端――。
「なんだ、旅人か」
数人の、擦り切れた服の男達が、草むらから姿を現した。お世辞にも、人相がいいとはいえない。それぞれ、剣やナイフを手にしていた。
「男三人、ガキが二人……女もいるなぁ」
男の一人が、シャルロットを差して数えた。男達に一番近かったニースが、座ったまま彼らを見上げた。
「んな怖え顔しなくたって、大人しくしてりゃあ痛い目にはあわねぇぜぇ」
男達が顔を合わせて笑った。男達は六人前後だろうか、自分達と変わらぬ人数でも、向こうからすればこちらは獲物でしかない。それでも、ニースが一緒にいる今、シャルロット達に不安はなかった。
男達が笑っている中、ニースが腰の剣に手を当てて立ち上がった。
「お……」
立ち上がると、先頭の男よりもニースの方が背が高い。見上げる顔に、男が思わず足を引くと、座ったままのワットが顔を上げた。
「お前らこそ、今すぐ行けば見逃してやんよ」
ワットの言葉に、男達は一瞬遅れて吹き出した。「おいおい兄ちゃん、何の冗談だ?」男の一人が、ワットの隣のシャルロットに視線を落とす。
「悪くねえな」
シャルロットは思わず顔をそらした。ワットがそばに居ても、その舐めるような視線は耐え難いものがあった。
それと同時に、シャルロットは割れるような音に顔を上げた。
「はーい、猶予終わり」
立ち上がったワットが、男を殴ったのだ。その勢いで、男が一気に一番後ろへと吹っ飛んだ。
「次はどいつだ?」
ワットが睨むと、男達から笑いが消えた。しかし、ワットの前に、ニースの背が割って入った。
「去れ。無駄な争いはしたくない」
見下ろされるニースの目に、男達はやっと判断を変えた。先頭にいた男が小さく舌を打った。
「い、行くぞ……!」
後ずさりしつつ、男達は再び草むらに姿を消した。倒れた男は、誰も連れて行かなかった。
「……何だ、ずいぶんあっさりしてんな」
一度も立たなかったパスが、目を瞬いてニースを見上げた。ニースが、腰の剣から手を離した。
「俺達も長居は無用だ。出発しよう」
ニースの言葉に、シャルロット達は荷をまとめる事にした。
夕方までにシャルロット達は三回も違う山賊に出くわした。その度に、ニースとワットが山賊達を追い払った。ただでさえ、旅人として狙われやすい自分達は、子供二人とシャルロットを合わせていることで、さらに襲いやすいと思われるのだろう。
暗い森に一層闇が降り始めた頃、生い茂る木々の隙間に灰色の石造りの建物が見え隠れするようになった。
「何か見えてきたわ!」
「……古城だな。あれがニノーラ……」
ニースが、一緒に目を細めた。わずかに高台にあるそれは、遠目から見ても城としての形をほぼ失っている。
馬でその丘を登ると、あっという間に森の木々よりも上に出た。空は、既に日が沈んでいた。
ニノーラの古城は、灰色の石造りに、その壁にはいたるところに深緑のコケが生い茂り、かつては壁としての役割を果たしていたそれらも、もろく崩れていた。
「……ボロボロ」
馬から下り、シャルロットはこぼした。同時に、ワットが隣に降り立つ。「確かに、誰もいなそうだ」そう言って、石の壁に触れた。
「今夜はここで休もう」
ニースが荷を降ろすと、シャルロットも同意した。