第3話『出国』-3
四人部屋といっても部屋は二段ベッドが部屋の両脇の隅に置かれ、入り口付近に小さなテーブルがあるだけの、小さな部屋だった。ベットに寝そべると、シャルロットはすぐに寝てしまった。本当に、いつ寝たのかも気がつかないままに。
ワットは反対側のベッドに寝そべり、バンダナを取った。頬杖をついて、熟睡するシャルロットが目に入ると笑いがこぼれた。
「ハハ…。口開けて寝てやんの」
髪をほどいただけで、シャルロットは死んだように眠って入る。一人起きているニースはテーブルに紙を広げ、羽ペンにインクをつけながらサラサラと何か書きとめていた。
「疲れていたのだろう。バントベル宮殿とベル街以外には、出た事がなかったと聞いている」
「ふーん。たしかにすげえ張り切りようだよな。ずっとあんな感じか?」
「そうだな。この子なりに、頑張ってくれている」
ワットはしばらくシャルロットを眺めてから笑った。
「ま、からかいがいがあって面白い奴だよな」
「…まだ子供だ。あまり、度が過ぎるのは良くない」
「はいはい」
寝返りをうち、今度はニースに顔を向けた。ニースは床にきちんと座り、まだ紙に何かを書きとめている。
「なぁ、あんたって、火の国じゃ相当な身分なんだろ?」
「…何故そう思う?」
ニースのペンの動きが止まる。それでもこちらを見もしないニースに、ワットは小さく息を付いた。
「この国の下町にいる俺だって、あんたの名前くらい知ってるぜ。『ニース=ダークイン。東の大陸一の剣の使い手』ってさ。王族付きの剣士が、なんでこんな所で1人旅なんてしてるんだ?」
ニースはテーブルに広げられた紙を手にとって眺めたが、ワットに顔を向けた。
「君こそ、こんなに簡単に私の旅に同行を決めて良かったのか?ここに帰るまでに1ヶ月はかかる」
「…俺は、そうだな…。別に決まった仕事もしてねぇし…。その日暮らしの生活だ。…あ、でも借りてる部屋が少し心配だな。帰ったら無くなってるかもしれねえ」
「シャルロットの兄への償いなら、本人に謝った方が良いのではないか?」
ワットがため息をついた。
「苦手なんだよ。改まって謝ったりするのは。それに…、と」
ワットは自分がシャルロットの兄に怪我をさせたことはニースに話していなかったことを思い出した。それは、怪我をさせた人物=盗賊であることがわかってしまうからだ。しかし、ニースの柔らかい雰囲気が、自然とワットの口を和らげた。
「『あなたの腕を折りました。』なんて、俺が謝りに行ったりしたら、捕まっちまうしな」
その言葉に、ニースが顔を向けた。しかし、特別表情を変えたわけではない。
「…成程」
小さく言っただけの言葉に、ワットは何だかニースが気に入り始めた。ふいに、そのテーブルに置かれた紙に興味を惹かれた。
「なぁ、それ何してんだ?」
「…これが私の旅の目的だ」
ニースが紙を眺めて言った。
「そういえば、まだ聞いてなかったな。あんたの旅の理由。こんな付き人も護衛もいないような旅が、身分の高い剣士のするような仕事なのか?」
「王族付きの剣士だからこその仕事だ」
ニースの言葉に、ワットは首をかしげた。
「聞いたことはないか?…世界視察」
「世界視察?」
「5大国で統制されているここ一帯の国々が、均衡を保つには色々と交流も必要でな。各国でだいたい5年に一度くらいはこうして他国の視察の為に使者を送り合う。時期は別れているが。それに次々と発達してくる町々の為の地図の調整も兼ねているのだ。このドミニキィの町も、5年でずいぶんと発達したようだ。ウィルバックのおかげだな」
ウィルバックは、ファヅバックと同じく南の大陸に位置する町の名だ。ワットも、それは知っている。
「フーン…で?何であんたがそれをやってんだ?」
「本来、世界視察の任は王が任命するものなのだが、我が国の場合は必ず王宮の騎士団隊長が務めると決まっていてな」
「…へぇー!じゃああんた、騎士団の隊長なのか?」
「…そうだ。就任したばかりだが、今は後悔している。この大事な時期に、国を離れるなど…」
ワットは不思議に思った。しかし、ニースが言葉を止め、突然ペンとインクビンを片づけ始めた。
「何だ?」
ニースの態度の変化に気が付いて、ワットが上半身を起き上げた。ニースはテーブルの物を荷物の中に入れると、ベットの方に歩き寄った。
「明日からは船上で過ごすことになる。もう寝た方がいい」
ニースは二段ベットの上段にいるワットの下のベッドり、視界から消えた。
「ああ…、そうだな」
意味のわからない態度でも、さほどそこに興味はない。ワットもそのまま、眠りについた。
翌朝、シャルロットは窓の外から聞こえる鳥の声で目が覚めた。
「うう〜ん…っ」
手で目をこすりながら寝返りを打ち、一瞬無言になってからゆっくりと起きあがった。
「起きなきゃ…。やだ、私カーテン閉めなかったんだ…。ワッ…」
隣のベットを振り向くと、ワットのベッドにはカーテンが引かれていているのかいないのかわからない。
(まだ寝てるのかな…)
「寝てるの?…。ニース様は…」
下のベットを覗くと、こちらはカーテンも布団もキチンとたたんであった。部屋にはいないようだ。窓辺のカーテンは開き、外の天気のよさを伺わせる。シャルロットは、はしごでベッドから下りた。
「…顔でも洗おう」
ワットは放っておき、そのまま部屋の外に出た。長い髪を一本で三つ編みにしながら廊下から階段を下りると、裏口から店の外に出て、井戸から水を汲んで顔を洗った。思いっきり顔を洗うと、スッキリと目が覚める。店内に戻ると、宿の主人に出くわした。
「ああ、起たんですね。お言付けがございますよ」
「…言付け?あ、ニース様からですか?」
「ええ、ご一緒の男性は港に船の手配に行くとのことです。何でもウィルバックに行くらしいじゃないですか」
ウィルバックは、このドミニキィ港と行き来の一番多い、南の大陸最西に位置する港町の名だ。ウィルバクへは、その町を経由して行かなくてはならない。
「え!?もう行っちゃったんですか!?」
シャルロットは驚いて身を乗り出した。
「え?ええ。先程。でも…」
「港かぁ。走れば追いつくかも!おじさん、ありがとうございました!」
シャルロットは意気込んで走り出すと、店を出てしまった。
(あ、ワット…。まいっか、寝てるし!)
店主がその姿を見送りながらあっけにとられた。
「お嬢さんはここで待っていろ、って言付けだったんだけどなぁ」
カーン、カーン、カーン…。
店から港までは走って5分もせずに到着した。港では出航合図の鐘が鳴り響いており、停泊していたのは小さな船がほとんどだが、それなりにしっかりした船ばかりだ。
シャルロットは息を切らせて港に入った。
「嬢ちゃん大丈夫かい?」「朝からどうしたよ?」
周囲の漁師達から冗談交じりの声が飛んでくる。シャルロットは苦笑いを振りまきながらニースを捜した。
「シャルロット?」
「ニース様!お早いですね!」
ニースが、シャルロットを見つけてくれた。息切れをごまかすように思いっきりの笑顔で答える。
「3人分船の手配をした。昼に出航するそうだ。ウィルバックまで2日程かかるから、今のうちに必要な物を買いそろえておくと良いな。ワットは?」
「は、はい。まだ寝ていました。そっか…じゃあ、とりあえず宿に戻ってワットに伝えます」
シャルロットは戻ろうとしつつも、走った疲れで足がフラついていた。ニースは心配でシャルロットと一緒に戻ることにした。
「ああ、私も一緒に戻ろう。宿代を払う」
「やだ、まだ寝てたの?」
シャルロットは部屋に入るなり、まだベットの上にいたワットにそう言った。起きてはいるがまだゴロゴロとしていたらしい。シャルロットの声で、ようやく上半身をむくっと面倒くさそうに起き上げた。まだ眠そうに片手で顔を覆った。
「…ああ」
「早く起きて。もう宿を出て港に行くんだよ」
シャルロットはワットの方を見ないまま、次々と片づけを初め、ほとんどない手荷物をバックに詰め始めた。
「宿代と船代、ある?」
ベットの上をチェックすると、はしごから飛び降りワットを見上げた。
「…宿代…」
寝ぼけて呟いたような返事があり、シャルロットはため息をついた。
(ダメだこりゃ)
「とにかく、すぐ仕度してきてね」
シャルロットは荷を持って部屋を出た。部屋のドアが閉まると、ワットはやっと、頭を掻きながら体を起こした。
「金…か。考えてなかったな…」
宿を出た後、シャルロット達は馬に荷を乗せ、自らは歩いて馬の手綱を引いていた。宿に入る前と同じ格好の丈の短いワンピースに短パンで、支度を整えた。ワットの金はほとんど足りず、シャルロットの持ち金からの借金となった事で、シャルロットは朝からイライラが募った。
「ちょっとしっかりしてよ!お金も無いのに、どうして一緒に泊まってんのよ!」
「まぁまぁ、ホント助かったって。出航まで時間があるんだろ?俺はちょっと外すぜ。借りた金と船代稼いでくる。港で待ち合わせよう」
ワットが立ち止まると、シャルロットは目を開いた。
「え?まさか盗…」
シャルロットの言葉が終わる前に、ワットはもと来た道を戻っていった。不安が残ったまま、ニースを見上げた。
「ニース様、私、出発前にこの子達を町の入口の飼育小屋に預けてきます。明日には宮殿の使いが引き取りに来てくれる予定ですから…」
「判った。じゃあ、私は必要な物を買い足しておこう」
時間まで、ニースとも別れて行動することにした。
チャリンッ
船上の甲板、手すりに手をかけたワットは、手のひらで数枚のコインを転がした。船は小さな船だった。船の主が2人と、シャルロット達を含めた客が6人。他の客はただの商売人で、中年の男性ばかりだ。船の中には大きめの部屋が一室あり、そこが客用の休憩所になっている。そこから階段で下りると、トイレや簡易シャワー室、台所等もあった。ワットは不満そうにしていた。
「借金と船代で、ほとんどなくなっちまったぜ。この船ちょっと高くねぇ?」
わずかに残ったらしいコインを手で転がすワットを、シャルロットは荷を抱えながら睨んだ。
「信じらんない!あの子を売っちゃったなんて!」
今にも食いつきそうな勢いのシャルロットを、ワットは気にもかけていない。
「だって俺の馬じゃねぇし。前の主人よりはマシな飼い主が見つかるさ」
猫のように威嚇するシャルロットを尻目に、ワットは銀貨をポケットに突っ込んで、シャルロットの手荷物を片手で持ち上げた。
「あれ…?あ、ありがと」
思わず、狐につままれたような顔になる。シャルロットは室内に向かうワットに続いた。ニースは自分の荷物をワットと同じ場所に置いた。
「この港からウィルバック港行きの船は漁業船が多いんだ。民間船は特に少ないから、自然と高くもなるさ」
「ニース、ウィルバックまではどれくらいだ?」
「二日程度だな」
二人が会話をしている間、シャルロットは船の周りと足元が気になって仕方がなかった。
「どうした?」
「う、何でもないわ…。ね、それよりさ。ワットって船旅初めて?」
「…いや?昔に何度かあるけど?…何で?」
首をかしげたワットに、シャルロットは慌てて手を振った。
「ううん、何でもない!あ、荷物整理しないとね!」
その時、船乗りの声が響いた。
「出航するぞー!!」
シャルロット達は港を振り返った。
カーン カーン カーン
出航の合図の鐘の音が響き、船底からの振動が来ると、舟は陸を離れ港を出発した。