第28話『火の国へ』-1
夜が明けると、雨はあがっていた。
窓を開ければ、雨のつゆが光る、よく晴れた朝。水溜りに反射する朝日を眩しく感じ、エディは目を細めた。
別室で支度を整えたシャルロットとアイリーンが部屋に戻ると、メレイとニース、ワットの姿が無く、部屋にはエディとパスだけだった。
「エディ、メレイちゃん達、戻ってきた?」
「ワットさんは顔を洗いに下に行ったけど……。ニースさん達は朝からずっと見てな……」
エディの言葉の途中で、シャルロットの背後のドアが開いた。
「あ、ニースさ……」
言いかけでシャルロットは言葉が止まった。――ぐっしょりと濡れ、泥で汚れた昨夜と同じ服だ。ニース自身も、顔を下げたままシャルロット達を見ようとしていない。
「ど! どうしたんですか?! それ……」
シャルロットの言葉を背に受けながら、ニースは顔も上げずに近くのベッドに座り込んだ。普通とは思えないニースの様子に、エディ達も目を見開いている。
「……メレイ……知りません?」
かける言葉が思い浮かばなかったシャルロットは、とりあえずもう一つの気になる話題をかけた。
しかし、それでもニースはうつむいたままだった。「……ニース様?」ニースの隣に立ち、シャルロットは顔を覗き込んでもいいか迷った。
「あいつは、戻らない」
「え?」
ニースの声は小さく、聞き取りづらかった。うつむいたまま、ニースが繰り返す。
「メレイは一人で火の王国へ向かった」
「……え、……ええ?!」
一瞬、反応が遅れるも、その意味が頭に入ると、シャルロットを含め、エディ達も「え?!」と、声を上げた。
「な! 何で!」
ベッドから身を乗り出し、アイリーンがニースの腕を掴む。シャルロットは口に手を当てたまま、はっとした。
――昨夜のメレイに感じた予感。自分のベッドを、とっさに振り返った。枕元に置いたままだった、メレイから貰った紐のついた石。――自分がいなくなる事を、もう決めていた。あれは、別れの品だったのか。
「メレイ……!」
「メレイが探していた人間が、火の王国にいる事が分ったらしい。あいつは一晩も待たずにそこへ向かった。……俺が止めても、無駄だった」
ニースの言葉に、アイリーンが「そんなあ!」と、声を上げる。同時にエディが顔をしかめた。
「……そんな、無茶ですよ! 女性が一人で火の国に行くなんて……! ケイさんだって言ってたじゃないですか……この辺りは特に危ないって……!」
ニースはうつむいたまま、反応がなかった。普段見せないニースの空気に、パスは場の雰囲気がどんどん沈んでいくのを感じた。
「あんなに長く一緒だったのに、挨拶もナシかよ」
ふざけたように言ってみても、沈んだ空気は一層に沈んでいった。
「……メレイが?」
朱の塔の裏手で、顔を洗い終えたワットが振り返った。後ろで、シャルロットはタオルを渡しながら小さく頷いた。
「……そうか。最後までわけわかんねぇ奴だったな」
顔を拭きながら、ため息混じりに言う。朱の塔の部屋の戻る途中、シャルロットは昨夜、メレイが石をくれた事を話した。「それをもらった時に感じたの。すごく……不安だった。それがこんな事になるなんて……」
階段の途中で、シャルロットは足を止めた。
「メレイは、もう二度と私達と会う気はないんだよ。……だから、私にあれをくれた」
体に、ぎゅっと力が入った。
「……嫌な予感がするの……、分からないけど……すごく嫌な感じが……」
顔を歪めるシャルロットに、ワットはかける言葉がなかった。シャルロットがメレイをどんなに好きだったかは、よく知っている。「シャルロット……」ワットがシャルロットの肩に手を置いた時。
「あれ?」
突然、頭上から声が割って入った。顔を上げると、階段の上からケイが顔を出している。
「もう出発するのかい? ちょうど良かった、メレイに渡して欲しいものがあるんだけど……」
言いかけで、シャルロットとワットの顔に、ケイから笑顔が消えた。ワットが、息をついた。
「メレイは……もういねえよ。昨夜のうちに火の王国に向かった」
一瞬、間をあけてケイの顔が歪んだ。「……バカな子だね……ホントに!」何かを悔やむように、その歯を噛みしめる。
「何か知ってるんですか?!」
ケイの所まで階段を駆け上がり、シャルロットはケイの腕を掴んだ。しかし、ケイは「いや」と、首を横に振った。
「……嘘です」
シャルロットは気がついたらそう言っていた。まっすぐ、ケイの見開いた目が返ってくる。「ケイさんは……メレイのことを知っています」それを見つめ、シャルロットには不思議と確信めいた自信があった。
「おかしな言い方をする子だね」
ケイが鼻で笑った。しかし、それに対してもシャルロットの目は真剣だった。はぐらかせない態度に、ケイが息をついた。
「……確かに。私はメレイの事情を知っているよ。でもあの子から口止めされていてね。言うわけにはいかない」
シャルロットとすれ違い、ケイは階段を降りた。
「用が済んだなら出てっとくれ。今日も店は忙しいんだ」
「ケイさ……」
「聞こえなかったのかい?」
足を止め、振り返ったケイは先ほどまでのケイではなかった。――シャルロット達の知らない、鋭い目。その目が、シャルロットを射すくめた。
「ここは私の店だ。メレイの口利きがない奴らを長く泊めるほど景気もよくないんでね」
そう言い捨てると、ケイは背中を向けて階段を降りていった。
「ケイさん!」
追おう踏み出したが、ワットに腕を掴まれた。
「やめとけ」
「だって! メレイの事聞けるとしたらきっとケイさんにしか……」
「無駄だ。あの女は話さねぇよ」
顔をしかめてワットを見上げると、その視界に、上階から降りてくるトーンが目に入った。寝起きなのか、昨夜の華やかさとはかけ離れ、髪もボサボサだ。向こうも、同時にこちらに気がついたようだ。
「あれ、あんた達もう行くの? じゃあイズも?」
「メレイのこと教えほしいの!」
一瞬で、シャルロットは寝ぼけ眼のトーンに飛びついた。――この人しかいない!
シャルロットの勢いに身を引きつつ、トーンは「は?」と、目を瞬いた。
「メレイ? ……イズの事を? 何で?」
「メレイが一人で火の王国に向かったんです! メレイがずっと探していた人が……そこにいるって!」
「……なんですって?」
シャルロットの言葉に、トーンの目が変わった。
「イズの奴、やっぱり……」
「やっぱり?」
ワットが口を挟むと、トーンは口を押さえた。
「……何か知っているんだな?」
ワットの言葉に、トーンは一瞬顔をそむけたが、思い直したように真剣な目を向けた。
「……こっち来な」
トーンはそう言うと、あごで上階を指し、降りてきた階段を再び上がった。
「こう見えても忙しいんだ。あと三十分もしないで客が迎えに来るから。ああ、適当に座って」
部屋の隅にあるドレッサーに座り、トーンは化粧を始めた。どうやら彼女の部屋のようだが、中は服や物がいたるところに落ちており、座れる場所など見当たらない。店中に香るものと同じ、強い花のような香りが、この部屋にも充満していた。
「イズは……、ああ、あんた達はメレイって呼ぶんだっけ? まぁいいわ。あの子の事は……」
ドレッサーの鏡越しに、トーンがそこに立ったままのシャルロットとワットを見つめた。口を開くその顔が、シャルロットには少しだけ曇って見えた。
「あの子は、私のちょっと前からこの店にいた子で……。同い年だから、十二の時ね……」
トーンが器用に髪が結い、リボンで留めた。
「しばらくは一緒に食堂の下働きをしてたんだけど、その後は一緒にこっちの店に移ったの。どんな仕事かは……わかるでしょ?」
自嘲を含んだトーンの視線に、シャルロットは目をそらすしかなかった。
「あの頃、この辺をうろつく孤児にとっては、珍しい事じゃなかった。……私もそう。親を亡くして……頼った親戚に売られたの」
トーンが、鼻で笑った。トーンがアイメイクで目を閉じてくれた事が、救いだった。
「あの子は時々個人的に客を取ってたみたいだけど……、私達はハタチになる直前までずっとルームメイトで……一緒に働いてた。だから、一番の親友だったのよ」
化粧道具をドレッサーに置き、トーンが息をついた。「……そう思ってたのは、私だけかもしれないけど」そう、付け加える。
「あの子よく言ってたわ。『絶対、あの男を見つけてやる』……って」
「あの男……?」
ワットが、鏡の中のトーンに言った。
「あの子は、よく夜中に一人で剣の訓練をしてたわ。どこで習ったか知らないけど、イズにかなう奴なんて大人の男でもいなかったのに……。子供の頃、初めてイズが剣を振るのを見たとき、怖かったけど、……憧れた」
口紅を塗り終えると、トーンが振り返った。
「でもしばらくするとそんなこと全然言わなくなってさ……。諦めたんだなって、思ってた矢先に……ここを出て行っちゃった」
その顔が、暗く曇る。
「……ショックだった。親友だと思ってたのに、私、あの子の事何にも知らなかったんだ……って」
シャルロットは胸が痛んだ。メレイが自分の事を話さないのは、きっと昔からだったのだろう。彼女はそうやって、誰にも頼らず生きてきたのだ。
「だからイズと会うのは、本当に久しぶりだった」
「探してるって言ってた男の事は?」
ワットが腕を組んだ。その言葉に、トーンが目を伏せる。既に化粧を施したまつげは長く、美しかった。
「……一度、酔った時に無理に聞いたことがあって……。どうやら、あの子の家族を殺した男らしいんだ。聞くんじゃなかったって思ったけど……」
シャルロットは目を見開いた。では、探しているのは、家族を殺した相手――?
シャルロットは体が動かなかった。探して、どうするというのだ? その為に旅をし、女性ながらにあれほどの剣の腕を身につけて。頭の中で、断片の記憶が一つの確信になった。――復讐。
浮かんだ言葉に、シャルロットは吐き気がして口を塞いだ。
「……何ていったかな……。すっごく有名な盗賊団のリーダーなんだけど……。なんとか……エルって……」
「ルジューエル……?!」
眉をひそめるトーンに、ワットが声を上げた。その言葉に、トーンが驚いたように顔を上げる。
「あ、ああ、それよそれ! ……よくわかったわね」
シャルロットはワットと顔を見合わせた。――ルジューエルが、メレイの探していた男。
「あの子は今も一人で生きてるのね。……昔と、何も変わってなかった。あんた達も火の王国に行くんでしょ? もし、もう一度イズに会えたら……」
トーンはまっすぐに顔を上げた。
「もう一度会えたら……あの子を、助けてあげて」