第27話『別離』-3
「うまいな、コレ!」
朱の塔、二階の食卓で、アイリーンが食事を頬張ったまま言った。シャルロット達が全員で囲ってぎりぎりの広さのテーブルに、その背後はすぐ壁だった。急ごしらえで、食卓にしてくれたのだろう。
「そう、それは良かった」
部屋の入り口にたったケイが言った。軽く添えられた言葉にしては、並べられた料理も多く、盛り付けも華やかだった。
「……ホントだ、美味しい」
一口食べて、シャルロットも口を押さえた。皿の中心から円を描くように盛り付けられた魚料理やサラダは、昔ミーガンが作ってくれた宮廷料理を思い出させるほどだった。
「気に入った? うちの店の料理なのよ」
「料理屋も開いてるんですか?」
「葵の館の一階でね」
ケイの答えを聞いた途端、シャルロットはしまったと思った。考えずに言ってしまったが、この店が何の店なのか、はっきりとはまだ聞いていなかった。
――葵の館。あれはおそらく、娼館だろう。
(ワット達も気付いてる……よね?)
だが、正面に座るメレイが視界に入ると、それを口に出してはいけない気がした。メレイがこの店とどういうつながりがあるにしろ、聞かれて気持ちのいい事ではないだろう。「ここから南の地はさ」お茶を配りながら、ケイが続けた。
「どんどん治安が悪くなってきているらしい。こういう店は少ないから、繁盛するわ」
「南って……火の王国か?」
ワットが片眉をあげた。ここから南の地にあるのは、火の王国だけだ。
「まぁ、火の王国に限った事じゃないけどね。土の国だって例外じゃない。盗賊だって町を出ればわんさといるし……。火の王国だって、いつこっちの方まで侵略してくるか……。戦争なんて起こされたら、ここはひとたまりも無いからね」
何気ないケイの言葉に、シャルロットは思わずニースを盗み見てしまった。国のために働くニースの前で、火の王国を悪く言うのは、聞いているこっちが気が引ける。
「メレイも気をつけなさいよ。約束破ったら、承知しないから」
「……分ってるわ、心配しないで」
メレイが食事を口に運びながら、顔を上げずに言った。その時、部屋の入り口からトーンが顔を出した。
「ケイ、モメ事なんだ。またあの男が来ててさ」
シャルロットは思わず口が半開きになった。トーンの服は先程と変わっていないが、雰囲気はまるで違う。茶色の柔らかい髪は黄色いリボンでアップに飾られ、赤く潤った口紅に、化粧もかなり濃い。とても美人に見えるというのに、その表情だけは先程と変わらない、けだるい顔だった。
「またかい」
トーンに負けないくらいのけだるさの混ざった声で、ケイは部屋を出て行った。ふいに、入り口に立ったままのトーンが目の前で食事を続けるワットに目を止めた。目が合うと、横顔に顔を近づけ、その口の端をニヤリと上げた。
「さっきも思ったけど、あんたタイプだわ。あたし、今晩空いてるんだけど、一緒にどお? サービスするわよ」
シャルロットは口に含んでいたお茶を半分吹き出した。思わず口を押さえると、ワットは平静の様子でトーンを見上げている。しかし、ワットが口を開くよりも先に、「トーン、行くよ」と、廊下からケイの声が響いた。
「あら残念」
軽く舌を出し、トーンも部屋を出て行った。ワットがつられてがその背を目で追っていたので、シャルロットはテーブルの下から隣のワットの足のスネを蹴飛ばしてやった。
「でっ! 何すんだよ!」
――知ったことか。シャルロットはそしらぬ顔で目をそらした。さっきあんな事をしたくせに、もう他の女性に目をやるなんて!
「おしいわね。あの子、店の一番人気なのよ」
メレイが笑っても、シャルロットはぴくりとも笑えなかった。すると、トーンを追うように部屋から出て行った。
「あれ、もう食べないのかな」
アイリーンが呟くと、ニースが席を立った。「ニース様?」シャルロットはつられて顔を上げた。
「先に部屋に戻る」
ニースが部屋から出て行くと、エディがフォークを置いた。
「ニースさん……、このところ少し様子が変だよね?」
言われても、シャルロットはわからなかった。――そういえば、このところ自分の事ばかりで、皆と話す時間が減ってしまっていた気がする。言われてみれば、ニースが一人で考え事をしている姿を、よく見かけるようになった。以前からそうだと言えばそうなのだが――。
部屋の出口を見つめ、シャルロットはフォークを置いた。
階段を上る前に、ニースは階下からの話し声で足を止めた。普段ならそのまま通過するところだが、偶然聞こえたそれは、ケイとメレイの声だった。「何度も言うようだけど」念を押すように、ケイが神妙に言った。
「絶対あの男には絶対手を出すんじゃないよ。噂だけでも相当やばい」
「そうね、でも感謝してる。何年も連絡入れなかったのに、ちゃんと覚えててくれて……」
――あの男? 足を止めたまま、ニースは会話を聞いてしまっていた。階段の折り返しで、二人からはこちらが見えないだろう。こちらに気がついている様子は、まるで無かった。むしろ今動いた方が、階段の軋む音で気がつかれるかもしれない。
「そんな事はどうだっていいよ。……でも私のせいであんたが死ぬような事があったら……。奴らとは、正直言って関わらないで欲しい」
ケイの声が、少しだけ沈んで聞こえた。――奴ら?
「噂じゃ奴らは火の王国にいるって話だ。一人で……行くんだろ?」
「ええ。あの子達を巻き込む気はない」
「……メレイ」
「いいから、私が決めた事よ。明日には皆、出て行くわ」
メレイの言葉と同時に足音が動き、ニースは一瞬緊張した。しかし足音は、そのまま階下に降りていった。少し間をおくと、ケイもそれについて行ったようだ。
ニースはその場から動けなかった。あの声は、内情を全て知ったものに見せるものだ。自分達と一緒のときとは違う顔――。普段見せないメレイの心がどれほど深いものなのか、それだけが頭にめぐっていた。
夕食を終えると、シャルロット達は部屋で寝る支度を整えた。窓の外では、暗闇のなかにちらほら明かりが灯っている。周囲の店が、賑わい始めているのだろう。雨は、今や音を立てるほどだ。
「そろそろ寝ないとね。ワットさんとニースさんは?」
「さっきからいないよな。……あ、でもワットなら二階で見たぜ」
アイリーンはエディのベッドから降りると、一人剣を拭いているメレイの横に座った。
「メレイ、一緒に寝よ」
「もう少ししたら寝るわ」
アイリーンは仕方なく、一人でベッドに入った。メレイは剣を鞘に収めると、布を巻こうとしてから気がついたように振り返った。「そういえば」メレイの声に、荷の整理をしていたシャルロットは振り返った。
「何?」
いつも剣を巻いていた布を結ぶ紐を手にとり、メレイはそれをシャルロットに向けた。
「これ」
シャルロットが「え?」と、首を傾げると同時に、手元にその紐が飛んできた。ほんの十センチにも満たない白い紐だ。両端には小指の爪ほどの小さな青い石が二つあり、透き通るような細工がされている。とても綺麗な飾りだと、シャルロットは以前から思っていた。
「前に気に入ってたじゃない? あげるわ」
「え?! だって……」
とても、安物には見えない。それに、これが無いと剣を布で隠せないのでは――。だが、それを口にする前にメレイが「いいのよ、もう必要なくなったから」と笑った。
剣を隠す必要が無い、という意味なのだろうか。メレイが背を向けてしまうと、シャルロットはそれを聞くタイミングを失った。
「あ……りがと。大事にする」
そう決めて、石を握った。――しかし。
それを握った瞬間、嫌な予感が胸をかすめた。――言いようもない、身を包み込むような不安。静かに、暗雲が身を包み込んでしまうような――。
「もう寝なさいよ、明日も長いでしょ」
メレイの言葉に、シャルロットは我に返った。「そ、そうだね」笑顔を返し、石を枕元に置いて、手招きをするアイリーンと一緒にベッドにもぐった。ベッドの温もりに包まれても、心を蝕んだ何かは消える事はなかった。
(一晩寝れば、きっと良くなるわ)
できるだけ、前向きに考えたい。そう思って目を閉じると、意識はあっという間に薄れていった。
雨が、降っていた。
部屋の中から眺めていた時よりはずっと弱まっていただろうが、身を濡らしてしまうには充分なほどだ。
――深夜。街の明かりが消えた大通りを抜け、メレイはこの街に入った時とは反対の側の街の出口を目指して走っていた。
剣を背にかかげ、片手には自分の荷物。雨で地盤の悪くなった道を体が浮く程度の速さで軽く走る。いつもなら泥がハネるのが気になるところだが、全身濡れている事を思えば、それはなんて事はない。
街の外れには、荒野との境となる人の身丈ほどの石垣がある。メレイはそこまで駆け寄ると、そのペースを崩すことなく石垣の上に手を置き、片足を浮かせてそれを飛び越えた。
バシャン、と、雨を多く含んだ足元の土がはね上がった。バランスを崩すことなく、そのまま走り続ける。目の前にあるのは一面に広がる荒野だけ――の、はずだった。
着地と同時に、数メートル先に、人影がある事に気がついた。暗闇の中、荒野の唯一の障害物である一本の木。その足元に、男が一人立っていた。夜目は利く方だが、その目を細めるまでもなく、それが見慣れた人影だということがわかった。
「……ニース」
ニースは腕を組んだまま、そこに立っていた。メレイが足を止めるのと同時に、ニースが一歩、前に出た。
「……何してんの、こんなとこで……」
呟くように口走りつつも、ニースの腰に剣が下がっている事に気がついた。こんな郊外にいるなら、それを持っていても不思議ではないのだが――。
「そっちこそ、どういうつもりだ?」
数歩離れた所でニースが足を止めた。――いつもの低い声。女子供に話す、優しさを含んだそれとは違うもの。自分に対しては、いつもそうだ。ワットに話す時と、まるで変わりない。
「……一人で行く気なんだろう。火の王国に」
その冷めた声には、わずかな怒りがあるようにも聞こえた。闇の中、互いの顔ははっきりとまでは見えない。それでも、その顔は容易に想像できる。対照的に、メレイはいつものように笑って見せた。
「盗み聞き? 趣味悪いわよ、かの大国の騎士団隊長ともあろう者が」
冗談めいた言葉にも、ニースは一言も答えない。今更、それに付き合う気などさらさらに無いのだろう。メレイは息をついた。
「……それじゃあ、今更嘘ついても仕方ないわけか」
ニースの目が、射るようにメレイを見つめた。「実はね、探していた男が見つかったの」メレイはふっと口元を緩ませた。
「ケイのおかげで。ここを出たときからずっと店で聞ける情報を集めてもらっていたの。私は火の王国に行くわ」
「俺達だって、そこに向かっている」
「知ってるわよ」
メレイが当然のように返す。
「一緒に行けばいいだろう。それとも、これ以上は俺達とは一緒にいられない理由でもあるのか?」
ニースの言葉に、メレイはすました顔で目をそむけた。
「わざわざ一人で……。女の一人旅がどんなに危険か、わかっていないはずがないだろう?」
「あんた、私を女だと思ったことなんてあるの?」
メレイが、鼻で笑った。
「俺達が、それを黙ってみていられるとでも思うか」
ニースの追求に、メレイは目を伏せた。
「……元々、都合が良かったから一緒にいただけよ」
冷めた声で、メレイが言った。その目が、まっすぐにニースを射た。
「目的が変われば、一緒にいる意味は無い」
「お前……」
「それでも、あんた達と旅した時間は、私の人生の中で二番目に楽しかった時間かもしれない。だからこそ、これ以上あんた達とつるむ気もない」
メレイが足を進め、ニースの目の前まで歩き寄った。
「今まで楽しかったわ。皆にもよろしく言っといて」
すれ違う瞬間、ニースはメレイの腕を掴んでいた。降り注ぐ雨が肌を伝う。メレイが眉をひそめ、ニースを見返した。
「……何の真似?」
「行かせるわけにはいかない」
ニースの目に、メレイは鼻で笑った。そのまま振りほどこうと手を引くも、ニースの力の方が強く、離れない。
「……何よ」
「お前が危険に進むのを、黙って見ていられるわけがないだろう。今は、宿に戻れ」
ニースの言葉に、メレイの目が鋭くなった。
「……いつから、あんたの言う事聞かなきゃいけなくなったのかしら」
一瞬、メレイの腕から力が抜けた。それにつられ、ニースも力を緩めたが、かすかな金属音に、体が先に反応した。
数センチの目前を通り過ぎた刃――。それは、メレイの手元から繋がった、彼女の剣だった。背中のそれを抜き取り、ニースに向かって振ったのだ。ニースが身を引かなければ、確実に当たっていた。
同時に、二人の距離が開いた。
「どうしても止めたいんなら、力ずくで止めてみたら? ……その自慢の腕で!」




