第27話『別離』-1
「ワットのバカ!」
シャルロットは、人ごみの中を怒りに任せて歩いていた。――何なのよ、あれは!
気にしてないと言いながら、ワットが気にしているのは明白だ。それが、無性に腹が立った。
(あんな怒鳴るなんて、気にしてる証拠じゃない! そうならそう言えばいいのに!)
隠されると、かえって腹が立つ。――だが。
あの女性、――スーディーと言っただろうか。彼女の顔が浮かび、シャルロットは足が止まった。あの人の目は、自分に似ている気がした。
――愛する人を見つめても、想いが届かぬ事を知っている目。
(やっぱり……、あの人と話してあげて欲しいよ……)
『ちゃんと働いていたし……恋人もいた』
ミラスニー・ノラの城下町で聞いた、ワットの言葉だ。
(あの人の事だったんだ。……ワットが好きだった人。あんな綺麗な……)
「ねえ、あなた!」
「うわ!」
思考にのめりこんでいたところに追突され、シャルロットは一瞬視界が白くなった。先ほどと同じ、栗色の髪を豪華に弾ませたあの女性だ。
「さっきの……!」
「一人なの?!」
シャルロットが口を開けている間に、女性が言った。「え? は、はい」思わず、敬語が出た。女性は年も近いだろうが、身に纏う上質なドレスから、反射的にそうなってしまう。
女性が食い入るようにシャルロットの顔を覗き込んだ。
「あなた、トリガーとどういう関係?」
女性の言葉に、シャルロットは思わず「へ?」と、間の抜けた声をあげた。
「ただの連れ?」
「あ……は、はい」
恋人――、というわけではないだろう。シャルロットは一瞬迷った。――前はああ言ってくれたけれど。
スーディーを思い浮かべると、元から無い自信は、さらに無くなった。女性が、疑い深い目を向けた。
「……ふーん、何だか信じられないわ。あの男のそばにいて、無関係な女がいるなんて」
「え?」
女性の早口が、わずかに聞き取りづらかった。
「それにしても、タイミング悪いわね。スーディベル、来月結婚するのよ。昔の男が同じ町にいるなんて考えただけでも寒気がするのに、……しかもあのトリガーが!」
思わず、シャルロットは眉をひそめた。女性は、かなりの意志でワットを嫌っているように見える。しかしそれはこの女性だけではない。
「……あの」
シャルロットの言葉に、女性が顔を上げた。
「どうしてここの人達はそんなにワットの事……悪く言うんですか?」
一瞬、女性が間の抜けた顔をしたが、すぐにそれは、驚きと嘲笑に変わった。「あなた、トリガーのそばにいて何も知らないの?」その目が、シャルロットの足先から頭までをさっと見通した。
「ま、確かにあいつの好みには見えないけど」
「な! 何ですって?!」
明らかにバカにされた言葉に、シャルロットは一瞬で顔が赤くなった。
「あなたにそんな事言われる筋合いないわよ!」
女としてのプライド――などといった大層なものは持ち合わせていないが、今のは頭にきた。通行人が振り返っても、目に入るものか。「ふん」と、女性も怒鳴られる筋合いなどない、と言うように鼻を鳴らした。
「知らないなら教えてあげるわよ」
その目が、ワットを見る目と同じに目に変わる。
「私も、この町の皆も、スーディベルの味方だからよ。当然でしょ? あの男が他の娘に手を出したから、ミジベントおじ様達が、トリガーとの結婚を許さなかったのよ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。女性が続けた。
「一人だけならまだしも、この町であの男が何人の子に手を出したと思ってるの? 本当、スーディベルの結婚に万一傷がつくようなことがあったら……」
「おい!」
突然、女性の言葉を男の声がかき消した。女性の後ろから、ワットがその肩を引いたのだ。シャルロットはワットを見上げて口を開いたが、言葉は出てこなかった。
一瞬、女性は呆気に取られたようだが、すぐにその手を払った。
「何よ、まだいたの?」
――心から嫌悪するような目。その目が、ワットの後ろのパスとアイリーンも一緒にとらえた。
「もう行くっつってんだろ。人の連れに勝手な事吹き込んでんじゃねえよ」
言葉こそ冷めたものだったが、その裏には女性に負けないほどの嫌悪感が含まれている。女性が、ワットを睨んだ。
「本当の事じゃない。……今すぐこの町から出て行って。二度とスーディベルの目に入らないで頂戴……!」
踵を返し、女性は髪を振ってシャルロット達から離れて行った。
「何だ、あいつ……」
パスが女性の背を見送りながら呟いた。
「おい、あいつから何言われた?」
ワットに肩を引かれ、シャルロットは我に返った。いつの間にか、放心していたらしい。ワットを見上げると、シャルロットは頭が真っ白になった。
「……スーディーさんと別れた理由って……何?」
それしか、言葉が出てこなかった。女性の言葉を鵜呑みにするわけではない。だが、それが事実なら、自分はどうしたらいい?
――嘘であって欲しい。そう祈るだけだ。
その目に、ワットはその意図を察したかのようだ。
「聞いたんだな」
ワットが、息をついた。「……ったく、あの女」顔をそらし、小さくした打ちする。
「……ホント……なの?」
信じられない、信じられないけど――。
「ワットの事が……原因で?」
「あいつがどう言ったか知らねぇけど、お前が気にすることじゃ……」
「気にする事よ!」
はぐらかされたくない。声を上げたシャルロットに通行人が振り返るのを、パスとアイリーンが気にしている。だが、そんなことはどうでもよかった。
「そんな……そんな事があったなんて……、信じたくないもの!」
ワットを見上げても、自分を見下ろすその目は何も語っていないかった。口を、開こうともしない。シャルロットは唇を噛んだ。――早く、違うと言って。
ワットは、黙ったままだった。
「バカ!」
シャルロットはその場から走った。このままここにいれば、惨めな涙を見せるだけだ。人ごみを走り抜けながら、シャルロットは涙を拭った。
(何で違うって言わないのよ!)
スーディーと別れた理由など、シャルロットにとってはどうでもいい事だった。しかし、本当にそれが原因で二人が離れる事になったのなら――。
「……きゃ!」
突然、誰かに腕を引かれ、シャルロットの足が止まった。
「何……、どうしたの?」
振り返った先で腕を掴んでいたのは、シャルロットの涙に目を見開いたメレイだった。人ごみの中、偶然通りかかったのか。
「メ……レイ」
気がつけば、シャルロットは宿のそばまで戻ってきていた。
「……何かあったの?」
メレイの顔に、勝手に涙が溢れてきた。
「ちょ……どうしたのよ?!」
メレイに抱きつき、シャルロットはそのまま声を上げて泣いてしまった。
グリンストンを出発したシャルロット達の馬は、誰もいない荒野を静かに進んだ。シャルロットはメレイの背にくっついたまま、隣を走るワットを見ないようにした。
「何だ、まだケンカ中か?」
ワットと一緒の馬に乗るパスが呟いたが、誰からも返事は返ってこなかった。このメンバーで、二人の喧嘩には、既に慣れたものだった。パスはそれ以上関わるよりも、話題を転換した。
「なあニース、次の町までどれくらい?」
「二時間も無いだろうな」
前方で馬を歩かせるニースが振り返らずに答えた。
「次はクィッドミードね」
メレイが口の端を上げてシャルロットを振り返る。しかし、顔を上げないシャルロットに、その視線をワットに移した。それに気がついても、ワットも顔を向けない。「あんた達さー、最近喧嘩ばっかじゃない?」メレイが冗談めかして言った。
「……ほっとけ」
ワットの舌打ちを、メレイは「はいはい」と受け流した。「シャルロット、こんなつまんない男もうやめたら?」メレイの冗談にも、シャルロットは顔を上げる気分にはなれなかった。
シャルロットにとって、スーディーの存在自体はほとんど頭から消えていた。だが、許せないのはワットの態度だ。あの女性の言葉を鵜呑みにする気は無いが、ワットが否定しなかった事が許せない。自分がどうしたらいいのか、分からなかった。――だが。
ある事が、シャルロットの心に引っかかっていた。宿でのスーディーとワットを思い出すと、どちらかというとワットが、彼女を嫌っているように見えた。
『私のせいなんだから』
スーディーが呟いた言葉だ。彼女は、ワットと話したがっていた。ワットのせいで別れたのなら、彼女がワットを恨むはずではないか。
シャルロットは一瞬ワットを盗み見たが、背けられた顔からは、何も伺えなかった。「それにしても驚いたわ」メレイが空気を変えるような声で言った。
「ワットがグリンストンに住んでた事があったなんて」
空気の重さに、誰からも返事がない。「そうですね。偶然通りかかるなんて」と、エディが気を使って言った。
「そっちの事じゃないの」
メレイがふふ、と笑った。
「今向かってるクィッドミードの街……。私、そこに住んでた事があるの」
「ええ?!」
沈黙が、一瞬で吹き飛んだ。「クィッドミードに?」全員の驚きの声に続き、ワットが口を開けた。
「ええ、奇遇よね」
メレイは明らかに皆の驚きようを楽しんでいるようだ。「私も結構長いこと住んでたから、何年かはワットと隣町に住んでたはずよ」思わず、シャルロットも顔を上げた。ワットがへえ、と息をついた。
「俺、クィッドミードになら何度か行ったことあったぜ」
「ええ本当、奇遇よね」
メレイが笑った。しかし、いつもと同じように見えるメレイの横顔が、シャルロットにはどこかいつもと違うように見えた。
水平線がわずかにオレンジ色に染まる頃、シャルロット達はクィッドミードに到着した。清潔で整った町並みのグリンストンと違い、クィッドミードはまったくの逆だった。
おそらく、街が栄えた全盛期は過ぎてしまったのだろう。人が多く住む、というよりは、巨大な繁華街だけが取り残された街、といった表現の方が近い。
木造りの家々に、舗装されていない赤茶色のままの道。街に入ってすぐの大通りを中心に左右に商店が並んではいるが、まだ日暮れ前だと言うのに、そのほとんどが閉まっている。人通りはあるが、グリンストンのように上質のドレスを着た者など一人もいなかった。
「着いたぁー!」
アイリーンが、馬上で大きく腕を伸ばした。「今日はここに泊まるんだろ?」振り返るアイリーンに、エディが「そうだね」と笑う。
「雨、降りそう」
シャルロットは空を見上げて呟いた。彼方に見える美しい夕焼け。しかし、かすかにそんな予感があった。
「そう? いい天気なのに」
エディが隣で空を見上げた。夕暮れ時とはいえ、雲はほとんど無い。「雨のにおい……する」アイリーンが頷いた。
「早いとこ宿探そうぜ」
ワットが言うと、メレイがニースに馬を寄せた。
「寄りたい所があるの、悪いけど、宿に行くなら先に行ってて」
「どこに?」
ニースの返事に、シャルロットは振り返った。――いつもなら、ニースはそんな事を尋ねたりしない。
「昔住んでたって言ったでしょ? 知り合いに会いに行くのよ」
「メレイの友達? あたしも一緒に行きたい!」
アイリーンが何の脈絡もなく手を上げた。楽しげな遊びを見つけたような提案に、シャルロットとパスは顔を見合わせた。いままで、メレイの単独行動には誰も付いていったことが無い。元々、それを許さない雰囲気がメレイにはあったからだ。
「先に宿で休んだら?」
メレイがあっさりそれを遮断する。しかし「さっきの町で十分休んだよ!」と、アイリーンは引かなかった。
「あたしが行ったらダメか?」
しゅんと、アイリーンの顔が曇った。そう言われると、メレイも頑なに断るわけではなかった。「そういうわけじゃないけど……」と言いつつ、片眉を上げる。メレイはアイリーンには弱いところがある。
「まぁいいか。じゃあシャルロット、アイリーンと変わってくれる?」
アイリーンがエディの馬から下りるのを見た途端――。
「わ、私も!」
シャルロットは、考えるよりも先に口が出た。――メレイの知り合いなら、自分だって会いたい。
「行きたいなー……、何て……ダメ?」
「え! じゃあオレも!」
シャルロットに続き、素早くパスが手を上げた。パスの場合は、ただ単にこのまま宿に入るのが退屈なだけだったかもしれない。メレイが、返事をせずに斜め上を見上げた。
「……他に、来る奴は?」
ばらばら言われるのは面倒だ、という顔で、メレイが息をついた。
「俺も行こう」
ニースが言った。意外な候補者にメレイが目を瞬くも、その視線がワットに移る。「じゃ、俺も」雰囲気に流されたように、ワットが言った。そこまで行くなら、当然エディもということになる。
「……ったく、いつからこんな団体で動くようになったんだか……」
メレイがぼやきながらも、馬の向きを変えた。
「仕方ないわね、こっちよ」
毎度お読みいただきまして、誠にありがとうございます<(_ _)>
まだまだ続きますが、これからもお付き合いくださいませ。