第26話『過去と呪縛』-2
夜も更けた頃、シャルロットが宿の部屋から廊下に出ると、ちょうど正面の部屋から、ワットが姿を現した。
「どうした?」
「メレイがまだ戻らないの」
いつもふらりと出かけても、メレイは必ず皆が寝る前には帰ってくる。日中の事もあり、シャルロットは不安だった。既に雪は降っていないが、いくら剣を持って行ったとはいえ、暗くなれば足場も悪いだろう。
「もうこんな時間だし、下で待ってようと思って……」
「あいつなら平気だろ。それに下にならニースも……」
その時、二階まで宿のドアが開く鐘の音が聞こえた。「ほら、帰ってきた」ワットの言葉を聞ききる前に、シャルロットは軽い足どりで出迎えに行った。
「あら?」
「戻ったか」
活気の溢れた日中とはまったく違う、静まりかえった食堂で、ニースがわずかな明かりで、一人テーブルについて地図を描いていた。珍しくない光景に、メレイはそのまま階段に足を向けた。
「皆は上? 私も疲れたからもう休……」
「さっきの男、知り合いなんだろう?」
メレイがニースの隣を通り過ぎると、ニースが言った。メレイが足を止め、振り返る。
「まあね」
どこか笑ったような、それ以上何も語ることのない、いつもの口調だ。ニースは息をついた。
「良い機会ではないか?」
「何が」
メレイが、まったく口調を変えずに言った。
「お前が俺達と一緒に旅をしてもう長い。……旅の理由を、話してほしい」
まだ姿の見えないメレイとニースの会話が聞こえた途端、階段を下ている途中だったシャルロットは、思わず足を止めた。後ろのワットと顔を見合わせるも、足は進まなかった。
「どうしたのいきなり。今まで聞いたこともなかったじゃない」
「今までは、話す気がないのならそれでも構わないと思っていた。君は腕もいいし、シャルロット達にも優しい。だが……」
「気になっているのはどの辺?」
ニースの言葉が終わる前に、メレイが遮った。突然低くなった声と同様に、ニースをまっすぐに見つめる目も、冷めたものだ。質問なら、さっさと言えと言わんばかりの。
そんな態度に、ニースの低い声にも遠慮がなくなった。
「ずっと前に言っていたことだ。人を、捜していると」
「ええ、言ったわね」
「誰を捜している?」
ニースの感情のこもっていない口調、その声を、シャルロットは初めて聞いた気がした。それだけ、ニースは自分達には優しかったから。その態度は、自分達というよりは、ワットに大してと近いかもしれない。
「質問を変えよう。ゴーグス=ギャレット。君との関係は?」
答えないメレイに、ニースが続けた。この質問にも、メレイは顔を背けるわけでもなく、ただ、ニースを見返している。わずかに沈黙の後、メレイが息ついて背を向けた。
「……疲れたの。休ませて貰うわ」
階段を、一歩上がる。
「おい、メレ……」
「じゃあ明日」
呼びかけを遮断し、メレイは階段を上がった。すぐに食堂からは死角だったシャルロットとワットと鉢合わせた。
気まずい空気にシャルロットは思わず笑顔が引きつってしまった。
「お、おかえり」
「ただいま。……今日は寝るわ」
メレイはシャルロット達に顔色一つ変えなかった。「シャルロット?」メレイが去った後に、ニースが地図を片手に階段を上がってきた。
「ニース様、メレイちゃんは……」
「どういうことだ、今の」
ワットが、シャルロットを遮った。「ゴーグス=ギャレットだと?」責めるような声に、シャルロットは首をかしげた。どこかで聞いたような、聞かないような名前だ。
「ニース」
答えないニースにワットが詰めると、ニースは顔を背け、息をついた。
「……メレイがギャレットの知り合いではないかと思ったんだ」
ニースの言葉に、ワットが「何?」と、目を見開いた。
「ゴーグス……?」
シャルロットはワットを見上げた。その名を聞いても、やはり思い出せない。
「昼間の男が言ってただろう? ……ギャレットと。偶然かもしれんが、メレイはゴーグス=ギャレットの手配書も持ちあるいている。はぐらかされたけどな」
(あ……!)
ようやく、思い出した。ゴーグス=ギャレッド。いつだったか、メレイが持ち歩いていた手配書の中に、その男の名があった。「まさか」ワットが鼻で笑った。
「ギャレットっていやあ、昔は一千万を越える賞金首だぜ? もう死んでるし……、盗賊団の頭だった奴だろ? そんな奴とあいつが知り合いだって?」
ワットの言葉に、ニースは伏せた目を上げた。
「俺達は、メレイの何を知っている?」
ニースの言葉に、シャルロットとワットは二の句が継げなかった。
――その通りだと思った。毎日一緒に、こんなにそばにいるというのに、メレイについて知っている事など、ごくわずか。無に等しいものだ。彼女が今まで、どう生きてきたかなど。
「メレイについて知っている事はごくわずかだ……。以前から思ってはいたが、今日、また認識した」
そのままニースが階段を上がっていくと、シャルロットとワットは黙って顔を見合わせた。
翌朝、宿を出るときも、メレイの様子はいつもと変わりはなかった。そんなメレイを見ると、今更昨夜の事など聞きづらい。それを分かって、メレイはいつも通りにしているのだろうか。シャルロットは冷たい風に身を抱きしめながら、ニース達と一緒に馬を引いて港に下りた。
「さっむーい……!」
雪に加え、早朝の港は一層冷える。吹き抜ける風が雪を運び、顔に当たった。シャルロットが声を上げても、隣のパスはがちがちに震え上がって声も出ていない。周囲の客達に混ざり、シャルロット達も港で一番の大船に乗り込んだ。
船が出発すると、船尾のシャルロット達の中で、唯一雪に震えていないアイリーンが、手すりを握った。離れ行く純白の大陸は、いままで見てきたどの大陸よりも美しかった。薄くかかるもやが、幻想的な雰囲気さえもかもしだしている。
「……綺麗ね」
シャルロットの言葉に、アイリーンが振り返った。
「当然だぜ、あたしの生まれた国だ!」
自然と、それを見返す顔がほころんだ。
「メレイ! どこにいたんだよ、この荷物お前のだろ?」
遠くの、パスの声にシャルロットは振り返った。向こうで荷を運んでいるニースとパスと、近くを通りかかったらしいメレイが見えた。改めて考えると、こういう時でもメレイは、どこか自分達とは一線引いたところにいる気がする。
もちろんメレイの過去を無理に聞きたいわけではない。だが、少なからずメレイには自分達には見せない、内に秘めたものがある。
(……やっぱり、話して欲しいよ)
メレイのそれは、彼女の心を縛る何かだと予感させられる。いつもの笑顔でパス達と話すメレイに、シャルロットは胸を押さえた。
船内では部屋を一つ取ったが、ニース達はほとんどの時間を雪も降らなくなった甲板で過ごしていた。広い甲板で、パス達が走り回って遊んでいる。しかし、メレイの事を考えると景色を楽しむ気分にもなれなかったシャルロットは、一人で部屋に戻っていた。
「何だ? いねぇと思ったら……」
部屋に入るなり、ワットがベッドに寝転んでいるシャルロットを見て言った。「ワット」体を起こし、シャルロットは唯一昨夜の話ができる相手をありがたく思った。
「……メレイちゃんの事が、気になって」
うつむくシャルロットの隣に、ワットが腰を下ろす。
「お前が気にしてどうなる事でもねぇだろ」
「そうだけど……」
いつもの言葉に、二の句を失う。「それより、大丈夫なのか?」ワットが、シャルロットの顔を覗き込んだ。
「……え?」
「前みたいに、何か見える事は?」
ワットの目から伝わる優しさに、思わず頬が染まる。
「……ううん、今は平気みたい」
「そうか」
ワットが、笑いを落としてシャルロットの頭を撫でた。「アイリーンから母親の話を少し聞いた。あいつが一番詳しいだろうし……また何かあれば、聞けばいい」
「うん……!」
自分の知らないところで、ワットが心配してくれていたと思うと、とても嬉しかった。その時、パスが欠伸をしながら部屋に戻ってきた。
「あー、疲れた。オレもう寝るぜ」
「お前が何に疲れんだよ」
ワットが呆れたようにパスを見る。
「お前が体力付けろっつーからやってんだろが! 今日だってどんだけオレが……」
「さっさと寝ろよ」
はいはい、と、ワットがパスの言葉を遮断する。怒りに鼻息を荒くしているパスを尻目に、シャルロットは少し安心した。自分達と一緒にいることで、少しでもワットが孤独を忘れられるなら、いくらでもそばにいたい。
「私達も寝ようか」
シャルロットがベッドを直すと、ワットが振り返った。
「一緒に?」
「違……っもう!」
冗談だと分かりつつも、顔が赤くなる。頭まで布団をかぶり、眠る事にした。
陸地に着くまでは、三日を要した。日頃の疲れを癒すように、シャルロット達は船内でだらだらと過ごしたり、パスに関しては、甲板で走り回っている姿をよく見かけた。メレイは、一人で潮風に当たっている時間が多かったようだ。
到着の朝、船の振動でシャルロットは目を覚ました。まだ寝ているワットとメレイ、アイリーンを残し、シャルロットが甲板に出るとニースとパス、エディが既に甲板に出ていた。
まだ日も登ったばかりだろうか、澄んだ冷たい空気の中、目の前に広がるのは、眩しいほどの太陽の日を浴びた、広く大きな赤茶色の大地だった。振動は、港に着いた合図だったようだ。
小さな港町は赤茶色の大地の上に、木造りの二階建ての家がほとんどだ。周囲には赤茶色の山々が広がり、行き交う人々は質素な服に身を包み、早朝にも関わらず、せわしなく働いている。
「ここが土の国……」
まさに、その言葉がピッタリの印象を持つ赤茶色の大地だ。冷たい風が、シャルロットの肌を触った。「ちょっと冷えますね」シャルロットは隣のニースを見上げた。
「水の王国と同じくらいかな」
エディが言った。確かに、雪の王国に比べれば、服装の差は明らかだ。分厚いコートを着ている者など誰もいない。ワット達を起こし、荷物をまとめて船から降りると、ニースが地図を広げた。
「そうだな……、ここからなら夕方までには隣町まで行けるだろう。グリンストンは大きな町だから……」
「グリンストン!?」
今まで半眼で寝ぼけていたワットが、突然うなだれた首をまっすぐに上げた。
「昨夜はセーズナを通るって言ってたじゃねーか」
「そう思っていたんだが、船で他の客に聞いたんだ。セーズナは海沿いだから、賊が多いと。今はアイリーン達もいるし、危険は避けた方がいいだろう」
「でも見ろよ。海沿いの方が近い」
ワットがニースの持つ地図を一緒に覗き込んで指差した。
「早いと言っても半日の差だ。話を聞いてるのか?」
ニースが眉をひそめると、ワットは「あ? ああ……、そうか」と、身を引くようにニースから離れた。
「どうしたの?」
いつもは、道のりに口を出したりしないのに。シャルロットはワットに近寄って顔を覗き込んだ。しかしワットは「別に」と言っただけで、先に馬に乗ってしまった。
「そう?」
ニースと顔を合わせて首をかしげる。シャルロット達も馬に乗り、小さな港町から出発した。