第3話『出国』-2
街を出て荒野を進み、街がすっかり見えなくなる頃、馬上のシャルロットはついに怒りを抑えきれなくなった。
「何で」
「ん?」
ニースも苦笑いをしつつ、無言でその様子を見守る。シャルロットは自分の隣でゆうゆうと歩くワットを睨み付けた。
「何で付いてくるって自分で言った癖に馬も持ってないのよ!」
「そんなこと言われてもなぁ…。一般人が馬なんて持ってるわけねぇだろ」
ワットはさほど非があるようにも思っていないようだ。それが、ますます勘に触る。ワットは「なぁ」と、馬に同意を求めるようにシャルロットの乗る馬の首を撫でた。
「ワットが歩いてたら日が落ちる前までにドミニキィ港につけないじゃない!」
「シャルロットが一緒に乗せてくれれば問題ないんだけど?ニースの方には男二人も乗れねぇし」
シャルロットは顔をそむけた。
「ダ、ダメよ。この子が二人乗りは嫌だって言ってるの!」
「へえ?」
二人乗りを嫌がる口実にしか聞こえない言葉を受け流し、ワットは変わらず歩き進んだ。街をでてからずっとこんな調子だ。ニースはため息をついた。
「まぁまぁ二人とも…。シャルロット。少し辛抱して彼を乗せて上げたらどうだ?」
ニースの言葉でもこれは譲れない。ほとんど知らない男と一緒に馬に乗るなんて、絶対に嫌だ。無礼を承知で、そこは聞こえないフリを決め込んだ。
「シャル…」
言いかけで、ニースの言葉が途切れた。何か別のことに気をとられた様子に、シャルロットとワットは振り返った。同時に、何かが走ってくるような音が聞こえた。
馬の足音だ。後ろから次第に近づいてくる音に振り返ると、すぐに丘の遠くから、数頭の馬に乗った人達がこちらに向かってくるのが見えた。
「何かな」
馬を駆らせているのを見て呟いたが、それが近づいてくると、すぐに理由がわかった。先程ワットが追い払った若い男達が、仲間を引き連れて追ってきたのだ。相手は6人、武器も見える。
ワットは手に腰を当てて、呆れたようにため息をついた。
「おやおや…」
「知り合いか?」
馬上から、ニースがワットに顔を向けた。
「ワット!あれってさっきの…!」
「よくこんな所まで追ってくるなよなぁ。暇な奴ら」
慌てるシャルロットをよそに、ワットは微塵も動揺していない。
「そんな呑気な…!ニース様、あの人達さっき私が絡まれてた時にワットが追い払ってくれた変な人達なんです!きっと仕返しに来たんだわ!どうしよう!」
何も考えられないシャルロットをよそに、ニースは男達を見据えた。皆殺気立ったよな形相をしている。欠伸をするワットに視線を戻した。
「どうするつもりだ?」
「先に行ってていいぜ。こういうのはちゃんとケリつけとかないとな」
ワットが一歩前に出ると、シャルロットは慌てて馬から降り、ワットの腕を引いた。
「ちょっと!相手する気!?何言ってんのよ!6人よ!?」
「まぁまぁ、大丈夫だって。それにいい機会だ。護衛の実力は計っておかなきゃ心配だろ?」
ワットは調子よく笑った。男達が目の前まで迫り、次々と馬から下りた。
「おい、てめー!さっきはよくもやってくれたな!」
ワットが先ほど蹴飛ばした男に間違い。
「覚悟しろよ!」
別の男が大き目のナイフをワットに向けて怒鳴った。ワットはニヤリと笑った。
「いいぜ、受けて立ってやる。シャルロット、こいつと一緒に先行ってな」
「ちょっと!バカなこと言ってないでよ!」
行けるわけがない。ワットの腕から離れないシャルロットを無視して、男がワットにナイフを振った。
ヒュッ
小さい風切り音と共に、シャルロットの体はバランスを失った。ワットに突き飛ばされたのだ。
ガキッ!!
「きゃっ!!」
同時に、背中を何かに支えられた。馬に乗ったままだったニースが、伸ばした片手で支えてくれていた。
男のナイフは、ワットが短刀で受け止めていた。ずっと腰に下げていた、エリオットと戦ったのと同じ短刀で。手に持つと、その刃は肘から手首ほどまでの長さがあるだろう。
「あっぶねーな…!まぁそう焦んなって…」
それでもワットの余裕は崩れなかった。言葉が途切れると同時に短刀を横に流して身を翻し、倒れかけた男の首の後ろに膝を入れた。その勢いで男は悲鳴をあげて倒れた。
シャルロットがニースに支えられたまま、一瞬の出来事に口が開いた。男は立ち上がらない。
「野郎!」
別の男達がいっせいにかかってきた。ワットが同じ態度で、足を引いて短刀を構える。
「ワッ――」
思わず踏み出したシャルロットの腕は、ニースに掴まれた。反射的に振り向くと、ニースはまっすぐにワットを見つめていた。
「大丈夫だ。彼は――、強い」
シャルロットは眉をひそめ、再びワットを見た。しかし、その瞬間は、ワットが最後の1人の腹に、まっすぐ蹴りを入れたのと同時だった。
「ぐ…は…っ!!」
男はナイフを落として、腹を押さえて倒れた。シャルロットは開いた口が塞がらなかった。ワットの他に、立っている男は誰もいない。ワットが音を立てて短刀を腰に納めた。
「ヘヘッ、やっぱチョロい奴等だったな」
変わらない調子に乗った態度で、ワットは彼らが乗っていた馬の一頭に近づくと、手綱を掴んで馬にまたがった。そして、シャルロットとニースに顔を向けた。
「おーい、こいつ、もらっちまおうぜ!」
その呼びかけに、シャルロットはやっと我に返った。
「…ウソォ」
夕暮れ時、背後の丘と空の隙間はオレンジ色に染まり始めている。何も無い荒野を進みながら、シャルロットは前を進むワットの背を、飽きんばかりに眺めていた。いいかげんに、たまりかねたワットが振り返る。
「…何だよ。言いたいことがあるならさっさと言えって」
「だって信じられないんだもん!あんなに簡単にやっつけちゃうなんて!」
今までの経緯を考えると、素直に好意も示せないが、目の前であっさり悪漢を退治してしまうような強さは、シャルロットには無い。どうすればそうなるかなど知らないが、すごいと思う気持ちは隠せなかった。
「ふーん、そう?」
褒められて悪い気はしないのか、ワットが満足げに笑ってシャルロットに馬を寄せた。
「そんなに感動したんなら、可愛い君に今夜は特別に指導してあげようか?」
「え!教えてくれるの!?私ちょっと興味あるんだ!」
シャルロットが手を合わせて顔が明るくなると、ワットは目をそらした。言葉は、別の意味でとらえられたようだ。
(やっぱガキ…)
ワットが別の事を思ったとたん、同時に別の事を思い出したシャルロットは口をつぐんだ。
「あっ!だ、だめ!やっぱりいい!私まだ許した訳じゃないんだから!」
そう、強さに興味があるのは事実だが、エリオットの事でワットを許したわけでは無い。勝手に自己完結すると、シャルロットは馬を進めた。
「見えてきたぞ。ドミニキィの町だ」
「えっ?」
ニースの声で、シャルロットは初めて目の前に広がる夕日に染まった大きな港町が目に入った。
実際に町に足を踏み入れたのは、日がすっかり沈んだ後だった。ドミニキィの町は港も兼ねた大きな町だ。しかし、港以外、特別秀でたものはない。木建ての平屋が数多く並び、町の入口には目印として二本の柱が立っている。日も落ちた時間は、町中を歩く人もまばらで、ようは田舎の町である。
町の住民達の服装も華美とは程遠いもので、宮殿は元より、べル街の住民たちよりも生活水準ははるかに低いことを伺わせた。
「えーっと…、あ!あれですね、宿屋!」
エリオットからもらった町の道案内メモを広げ、シャルロットは宿屋を指さした。
「お兄ちゃんがここの地図も書いてくれたんです。行きましょう」
「へぇー、準備いいじゃねぇか」
感心するワットをよそに、シャルロット達は宿屋に向かった。
「こんばんはー」
「いらっしゃい、お泊まりで?」
戸の軋む音と一緒に宿屋に入ると、商売笑顔を向ける店の主人が振り返った。小太りの五十前後の男だ。
「はい。お部屋空いてます?」
シャルロット達を全員見つめ、主人は伺う目を向けた。
「生憎と一部屋しか空いておりませんが…。それでもかまいませんか?」
「あ、それでいいです。私ここで寝ますから」
その言葉に、主人が「え」と驚いた。
「それは困りますよ、あんたみたいな若い娘を、こんな所に1人で置いちゃおけない!4人部屋なんですから泊まるなら皆さんで頼みます」
「だ、だって…、」
シャルロットは迷った。ニースのような身分の高い人間と一緒に泊まれるわけがない。失礼ではないか。シャルロットの様子に、ワットが呆れてため息をついた。
「お前バカか?普通逆だろ?」
シャルロットはワットの言い方に目を細めた。
「な、何よ。だって、申し訳ないじゃない」
「同室が嫌なら私とワットがここに寝るが…」
ニースの言葉に、シャルロットは始めてその意味に気が付いた。
「そ、そう言う事じゃなくて…」
「そうしてくれた方がましですよ」
店主が付け足した。ワットは不満そうにシャルロットに顔を向けた。
「…おいおい、二人とも疲れてんだろ?シャルロットも、申し訳ないなんて言ってんな。足止めする方がよっぽど申し訳ないぜ」
ワットの言葉に、シャルロットはまたカチンときたがワットは気にもしていない。
「全員その部屋で頼む」
宿の主人に、ワットが勝手に言った。
「だって…」
「シャルロットが良ければそれが一番いいな。主人、それで」
「はいよ」
ニースも半分どうでもよさそうだった。主人は「やっと落ち着いたか」というように、店の奥に行って鍵を取ると、一番近くにいたワットに、鍵を手渡した。
「部屋は二階の一番奥ですよ」
シャルロットが納得いかなそうにしていると、ワットがシャルロットの持っていた荷物をスッと持ちあげた。
「あ…っ」
シャルロットがワットを見ると、ワットは笑った。
「まぁまぁ、女は大事にされておくもんだぜ」
シャルロットはポカンとしていたが、なんだか笑ってしまった。