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「そう、なんだ」
たったそれだけを口にしただけでも、喉がからからになって、ばれないようにゆっくりと紅茶を啜った。
別に私のことを言っているわけでもないのに、ふらふらとする私のことを言い当てられているようで、狼狽を顔に出さないでいるのがやっとだった。
「私、建介さんと会えたらそれでいいと思ってたんだけど、それだけじゃだめだったんです。会うだけだったり、話すだけなら、他の知り合いの人でもいいけど、一緒にどこかに出掛けたりしたいって思うのは、建介さんだけだったんです。会えなくなって、初めて分かったんですけど」
言いながら、困ったように笑う彰ちゃんは、ちゃんと自分で答えを見つけられたんだ。
私は、見つけられていない。誰が必要なのかも。誰が必要なのか、考え始めることも、できていない。
「自分で言って思いっきり後悔してたけどね」
横から、真田さんの声が聞こえた。電話が終わって戻ってきてたらしい。にこにこと笑って、彰ちゃんの隣に落ち着く。
「会えなくて、死にそうだったもん」
言葉のわりには、にこにことしている。今隣に彰ちゃんがいることが嬉しくて仕方ないっていう顔だ。彰ちゃんへの愛情が駄々漏れ状態で、見ていて微笑ましくなる。
「嫌いって言われたら、どうするつもりだったんですか?」
やっと落ち着いてきた心臓にほっとして、少し茶化すようなことを言ってみる。にこにこと笑っていた真田さんの顔が、困ったようなそれに変わった。
「ほんとだよね。でも、嫌いって言われたら、たぶんもう会いに来なかったと思う。彰チャンの気持ち聞けて良かったとは思うけど、そのまま会い続けるのは無理だったろうし。変わらないでいられたらそれが一番なんだろうけど、俺、そこまで優しくないしなあ。結局、自分の守りに入ってたんじゃないかな」
真田さんの隣で彰ちゃんが「建介さんは優しいよ」と言い、真田さんが「ありがと」と笑みを見せている。そのやり取りを見ながら、ぐぅっと、胸を押されるような痛みを感じた。
『どんなことになっても、俺とお前は変わらないから』
『以前の関係に戻っても、いつでも話は聞くから』
古賀さんと永井さんは、優しい。とんでもなく。いつだって、私の側についてくれる。いつだって、私を守ろうとしてくれる。
苛々していた自分が、情けない。古賀さんも永井さんも、何よりも私を思ってくれているのに、それに気付けないなんて。後は私だけなんて、ばかみたいだ。私が決めないで、誰が決めるんだ。
「惚気ますねー」
どくどくと早鐘を打つ心臓を無視して、目の前の二人を茶化す。二人ともが照れたように笑って、彰ちゃんがにっこりと笑った。
「会えなくなっちゃった時は嫌だったけど、その時に気付けてよかったです。じゃなかったら、もう一生建介さんに会えなかった」
歯も浮くようなセリフなのに、ほわほわとした彰ちゃんが言うと、何の嫌味にもならない。情けないことに、顔を見合わせて微笑む二人を見て、私はやっとの笑顔を作ることしかできなかった。
それから一時間ほどお喋りをして、これからご飯を食べに行くという二人と別れた。
家に着いてからも、彰ちゃんと真田さんの言ったことが頭から離れない。こんなに考え事をして、よく無事故で帰ってこれたと思う。
私が決めなければいけないということは分かった。そうでなければ、古賀さんにも永井さんにも、最低なことをするということにも気が付けた。
だけど、私はまだ、どちらが必要なのかが分からない。手を取る相手が誰なのか、思い描けない。二人はこんなにも、私を思ってくれるのに。
「なさけな……」
ベッドに寝転がって上を向いた時、視界がぼやけて、一筋の水滴が顔を伝っていった。
***
次の日の日曜日、あれから頭がすっきり冴えわたるといった劇的なことは起こらず、もやもやとしたものがこびり付いて離れないまま、私は学校に来ていた。課題のレポートを終わらせるために、図書館の本を借りにきていた。本も借り終わって、ついでに掲示板も見ていこうと思って、自分の学部の掲示板に着いた時だった。
「また会った」
面白がっているような声が聞こえて、視線を前に向ける。そして、次には顔をしかめてしまった。
「ひっでー顔。もう少し愛想良くした方がいいんじゃない?」
「相手が相手なんで」
以前と変わらない、人をばかにしたような笑みを浮かべて、春日さんがそこに立っていた。
「なんでここにいるんですか?」
本来なら絶対に会うこともないような場所で、会いたくもない人と会って、余計に気分が滅入る。
「打ち合わせ」
「理工か何かですか?」
一番初めに会った時は確か白衣を着ていたから、理系の先生なんだろうとは見当がつく。他大学の春日さんがうちの大学と何の打ち合わせがあるのかは知らないけど。
「理工っていえば理工だな。俺の専門、生命科学だし」
「え、生命科学なんですか?」
思わず聞き返した私に、春日さんが「へえ」と意外そうな声を漏らした。
「知ってんだ」
「ああ、まあ。知り合いがその学部なんで」
「ふーん」
また何かを探ろうとする目付きに、さっと視線を逸らした。
生命科学は、古賀さんが専攻している分野だ。
「でも、うちの大学は生命科学ないですよね。何の打ち合わせが必要なんです?」
「共同研究なんだよ。専門外の教授とも話さないと、本が完成しない」
「ああ、なるほど」
それで納得した。だからといって、この人と仲良くお話するのは嫌だけど。苛々しない最善の策は、さっさと離れることだと思い、掲示板はまた今度にして「それじゃあ」と背を向けた。が、「ちょい待ち」と肩を掴まれてそれを阻まれる。
「なんですか」
思いっきり嫌そうな顔を向けたにもかかわらず、春日さんは私を見ていなくて、ふいっと後ろに目を向けている。何かあるのかと思って私もその方向に目を向けたら、ぐいっと手を引かれて、春日さんに引っ張って歩かされるような形になった。
「なんなんですか」
「いいこと教えてやるよ」
私の抗議の声は、楽しそうに嫌味な笑みを浮かべた春日さんによって封じられ、手を引かれるままに地下ラウンジへと連れていかれた。