表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Story 4. 抵抗しない何よりの理由
9/111



「えー?! じゃあ他の男の人と遊んでるの? それじゃあ彼氏がかわいそうだよ」



そんな言葉が、学部の掲示板の前で響く。

響くといっても、そこまで大きな声ではないけど、近くを通った人間には確実に聞こえるくらいの大きさだ。現に、俺の他にもこの無粋な発言が耳に入って、声の主の方を向く学生が何人かいる。声の発信源は、三人ほどの女子学生たちで、その中の一人(たぶん言われた人)は完璧に今の発言にいらっとした様子だ。

ふいっと、何の気なしに、好奇心程度で、通り過ぎる際にそちらの方を見る。その学生たちを見た途端、思わず足を止めそうになった。その中の一人は、俺の受け持っているクラスにいる学生で、今は女子学生から悪者扱いになっている。言われた彼女の方は、一瞬だけども、いらだたしげに顔をしかめた。

一介の外部講師がこの小学生のような言い合いに入っていくのもな、と考えて、そのまま通り過ぎて掲示板を過ぎてすぐの棟の入り口に入った。




棟に入ってすぐのところにある教務課のドアを押し開き、中に入る。中は程よく暖房が効いていて、外の寒さに耐えていた身体がじーんと温まっていく。教務課には、職員はもちろん、何人かの学生もいた。

すぐの目の前のカウンターに来週の休講を伝えようと一歩踏み出したところで、後ろからばんっと大きくドアが開く音がした。思わず後ろを振り向くも、入ってきた人間は俺の方には目もくれず、ずんずんと教務課の部屋の左側にある留学スペースに歩いていく。しかも、歩いてくときに肩が少し俺にぶつかった。若干、いらっとしてその歩いてく人間の後ろ姿を見やると、その背中にしょっている赤色のリュックサックに目がいった。それが目に入った途端、少しいらつきも収まっていく。

俺の肩にぶつかりつつ身体全体でいらだたしさを表して歩いているのは、先ほどの彼女だ。いらいらの原因は、さっきのあれだろうな、と思いながら自分のいらいらは収めて、もう一度カウンターに向かって進んだ。



「すみません、来週の授業を休講にしたいんですけど」

「あ、はい。この紙に記入お願いします」



肩にかけていた鞄を下に置いて、職員の人が渡してくれた用紙に必要事項を記入していく。

まったく、金曜日に学会だなんて面倒くさい。金曜日に学会があると、次の日が休みなので、たいてい飲みに誘われてしまうのだ。飲みに行くこと自体は嫌いじゃないが、一週間の最後の日という一番疲れているときに行くことがあまり好きじゃない。

今日は帰ったら資料をまとめようと考えて、記入し終わった用紙を職員の人に渡す。



「はい。それじゃあ掲示しておきますね」

「お願いします」



鞄をまた掛けなおして、教務課を出ようと後ろを振り向く。

何歩か歩いて入口のドアに手を掛けようとしたときに、彼女の声が聞こえた。



「どっちを基準にして聞いてるのか分からないですけど、私は自分が勉強したいから勉強してて、自分のしたいことしか勉強しません。他の人がどうとか、この年で考えることでもないでしょう。それに、あっちのことが聞きたいんだったら直接連絡でもとったらどうです? いちいち私とあっちをリンクして考えないでください」



その冷たい声に、たぶん、教務課内にいた全員が彼女の方を見たと思う。もちろん、俺も含めて。ドアに触れようとした手は宙ぶらりんのまま止まってしまった。

彼女の方は、周りの視線を気にすることなく、すらすらと何かを所定の用紙に書いていき、「じゃあ、これお借りします」と言って、くるりと職員の女の人に背を向け、自分の後ろにあるもう一つの入り口から出ていってしまった。

女性職員は彼女の発言に少し恥いったような顔をした後、自分も用紙に何かを書いてそそくさと自分のデスクに戻っていく。

教務課の中にいる人間が不審がりながらも自分たちの行動に戻りはじめて、俺はがっと勢いよくドアを引き、外に出た。



廊下に出て、右を向くと、ちょうど彼女が俺の方の入り口に歩いてきたところだった。彼女の方は俺のことに目がいっていないらしく、いらだたしげに視線を前に向けているだけだ。



「大丈夫?」



数歩前に出て、彼女の左腕を掴みながら尋ねる。

彼女は、今まさに俺の事に気付いたようで、腕を掴まれてはっとして俺を見上げてくる。



「……永井先生?」



どうやら彼女はちゃんと俺のことを覚えてくれているらしい。が、彼女の顔にははっきりと『先生ここで何してんの?』と書かれていて、俺が彼女のあまりよろしくない出来事に遭遇していたことに気付いていないようだ。



「いろいろ見聞きしたもんで」



俺が彼女の腕を放しながら今のことや先ほどのことを遠回しに告げると、彼女の方は「ああ……」と苦い笑みを漏らした。



「ちょっといろいろあって」



彼女はそう言って、肩をすくめた。

あんまり言いたいことではないことは分かるけど、俺だって理不尽に悪者扱いされたであろう人を放っておく人間ではない。



「いろいろあった時は、人に話した方が楽になると思うよ。宮瀬さん?」



彼女の名前を出すと、彼女はぎょっとしたように俺の方を見た。



「え、私のこと知ってんの?」

「そりゃあ、ね。自分のクラスにいるんだから」



俺の言葉を聞いて、彼女は余計に怪訝に思ったようだ。

そりゃそうだ。俺の受け持つクラスには、たぶん学生が7,80人はいる。その中で特定の学生を覚えてるなんて、何かの繋がりがない限り、普通はありえない。そして、俺はこの大学に教授として籍をおいてないし、よって学生と何かの繋がりがあることもない。

俺が彼女を覚えているのは、ほんの偶然からだ。偶然といっても、彼女の方には思い当たる節もないだろう。ただ単に、彼女が書く授業内のミニレポートの内容がずば抜けて優れていたというだけ。そんでもって、それをものの五分ほどで書いてしまって、一番に俺に渡してきたんだから、覚えてないはずがない。そして彼女はいつも前から三番目ほどの席に友達と座っている。今も担いでいる赤いリュックサックを横に置いて。

彼女にその気があろうとなかろうと、俺にはそれだけで十分彼女を覚える理由になったのだ。

彼女を見ると、未だに怪訝な表情をしていて、今度は俺が肩をすくめてみせた。



「まあ、立ち話もなんだから、どこかに行こうか」



授業が始まりのチャイムは鳴っていたが、学生各々の時間割がある大学では、授業中でも教務課に足を運ぶ学生がいる。さっきも一人男子学生が俺の後ろの入り口から教務課に入っていった。

こんな人の多いところで、話したくはない内容だろうし。

彼女は少し迷った様子を見せたが、小さく数回頷いて、俺の誘いを了承した。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ