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「いきなりそんなこと言われたら、さすがに驚くと思うんだけど。しかも、『みたいだよ』って」
「だって、ほんとにそんな感じなんだもん。好きだけど、そういうの欲しいと思っちゃうくらい好きなんだなあって、再確認」
「それはどーも」
笑いながらだけど、どこか棒読みのような言い方をされて、今度は私がおかしくなって笑ってしまう。こんな風に言う時は、たぶん、永井さんが照れてる時だ。初めて会った時も、こんな風な言い方をされたことがあるような気がする。その時のことを思い出して、また少し笑った。もう何も言うまいというように息をついた永井さんから少し離れ、ソファの上で座り直して、永井さんのことを見る。どうしたの、というようにこっちを見る永井さんに笑いかけて、ぎゅっと永井さんの手を握った。
「こう見えても、けっこう好きだよ。永井さんのこと」
永井さんが、目を点にさせる。それから、してやられたというように苦笑いを浮かべた。
「何だかなあ。心配させたと思ったのに」
「してたよ。実際。でも、ちゃんと話してもらえたし、今は大丈夫」
「だったら、また何かあったら、ちゃんと言ってね。黙ってても、良いことないよ」
「努力します」
私の返事に永井さんが笑って、もう一度、私の手を引っ張った。それに逆らうことなくついていき、さっきと同じような体勢に戻る。
「もう少しだから。もう少ししたら、何か言われることもなくなるから」
「うん」
髪を梳かれる感触に目を閉じて、優しく言われる永井さんの言葉に頷いた。
***
それから次の日の日曜日。金曜日から永井さんのところに泊まるようになってからは、夕ご飯を食べ終わった日曜日の夜にも、いつものカフェに来るようになっていた。今日も今日で例外ではなく、夕ご飯を食べ終わった午後の8時過ぎ、いつものカフェにやってきていた。この時間は、金曜日の昼間よりもお客が多い。
「あ、いらっしゃい」
中に入ってすぐあるショーケースの向こう側に、ケーキを補充していたパティシエの人がいた。前に一度ケーキを買う時に話して以来、その人とは会えばよく話す。
「こんにちは」
ケーキを補充し終えたその人が手を振ってきたので、私も挨拶を返しながら手を振る。
「今日、新しいの出てるよ。食べる?」
「わ、ほんとですか? じゃあ、食べようかなあ」
ショーケースの上に腕を置いて、にこにこと笑いながらその人が教えてくれた。
「さっき夕飯食べたのに」
「いいの」
横で苦笑する永井さんの言葉を受け流し、パティシエの人に手を振って、永井さんと一緒に奥に進む。
席に着くと、いつものように、店長らしい若い男の人がオーダーを取りにきて、いつも通り紅茶を頼む。それにプラスして、今日は新作だと言われたケーキも一つ。店長がカウンターに戻ってから少しして、パティシエの人がケーキだけを持って、私たちの席に来た。
「はい。どーぞ」
「あ。ありがとうございます」
ケーキの乗ったお皿を、パティシエの人がテーブルに置いてくれる。顔を上げてお礼を言えば、その人はさっきと変わらずにこにことしていた。どうしたのかと思って首を傾げると、その人はもっとにこにことしだす。
「いや。もう一年くらい経ってるんだなあと思って」
「何がです?」
いきなりそんなこと言われても、何のことか分からない。それをそのまま言葉に乗せると、パティシエの人は私と永井さんの両方に視線を送って、にっこりと笑みを浮かべた。
「二人がここに来始めてから、一年くらい経ってるからさ」
「ああ」
やっと何のことかが分かって、納得したように声が出た。
確かに、永井さんと知り合ったのは、去年の今くらいかもしれない。正確な時は覚えてないけど、しっかりとコートなんかを着こんでいたのは覚えている。それは、今も同じだ。
ということは、もう結構な頻度でここに来ていることになる。永井さんも同じことを考えていたようで、目が合うと、肩をすくめて笑みを返された。
「お待たせしました」
パティシエの人がにこにことしている横から、店長の男の人が二つの紅茶を乗せたトレイを手に顔を見せた。パティシエの人は身体を横にずらして、店長の邪魔にならないようにする。その時に店長の人と目が合ったのか、パティシエの人が顔を引きつらせた。
「じゃあ、後で時間あったら、新作の感想聞かせてよ」
店長の後ろから手を振りながら言って、パティシエの人はカウンターの方へ戻っていく。
「すみません。いきなりあんなこと話し出して」
紅茶をテーブルに置いた店長が、申し訳なさそうに頭を下げる。
「大丈夫ですよ。気にしてないですから」
「それなら良いんですが」
手を横に振って否定するも、店長はまだ困ったような顔をしている。もう一度「ほんとに気にしてないですよ」と声を掛けると、ようやく顔に小さな笑みを浮かべて「ありがとうございます」とカウンターの方に戻っていった。
「そっか。もう一年も経つんだね」
店長たちがいなくなってから、紅茶を啜りながら永井さんがそう言った。私も紅茶を一口飲んで、ケーキのフォークを手にしながら頷く。ケーキにフォークを入れたところで、そういえばと思い出す。一旦フォークをお皿に置いて、永井さんのことを見た。永井さんが「なに?」と首を傾げる。
「そういえばさ。永井さん、何で私のこと覚えてたの?」
私の質問に、永井さんがきょとんとする。それから、少しおかしそうに笑って、「そんなこと」と言った。
「だって、気になるじゃん。あれだけ人数多いのに」
笑う永井さんにむくれて返す。置いていたフォークをまた手に取って、切ったケーキを口に運んだ。程良い甘さが口に広がって、思わず顔が緩む。フォークを置いて、紅茶を啜りながら永井さんを見た。私と目が合った永井さんは、笑いながら肩をすくめる。
「君のリュックが目立ってたから」
「それ以外にもあるって言ってたじゃん」
「よく覚えてるね。そんなこと」
少し苦笑いをして、永井さんが言った。それには返さずに、じっと永井さんを見ていると、ようやく諦めたらしい永井さんが小さく溜め息をついた。紅茶を一口飲んで、永井さんがこっちを見る。
「初めの方でミニレポート出したでしょ?」
「オイディプスのやつ?」
「うん。そのレポート、君が一番に書き上げて俺に出したから、その場で読んでたんだ。で、読んだら、ちゃんと筋通ってるし、理解してるし、二回の授業でよくこれだけ書けるなって少し感心してた」
「それだけで覚えてたの?」
たった一枚のミニレポートで顔を覚えたと言われても、なかなか信用できない。少し呆れたような私に、永井さんはまた苦笑する。
「初めに出した人って、基本的に印象に残りやすいし。君の場合、レポート内容言って五分くらいで出してきたから、余計にだよ。それで、一番出来が良かったんだから、覚えてないわけないよ」
「ふーん」
聞いたのは自分だけど、何となく永井さんの言葉が飲み込めなくて、曖昧な返事になってしまう。赤いリュックを覚えていたというのは何となくそうかと思えるけど、レポート内容が良く出来ていたと言われても、それだけで覚えるものかなと思ってしまう。褒められて、悪い気はしないんだけど。
「まだリュックの方が納得できたでしょ?」
向かい側からも言われて、言葉が返せない。「んー」と首を捻る私を見て、永井さんが笑った。