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これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Story 26. 相反する気持ち
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携帯が鳴ったのは、永井さんが学校に出掛けて一時間程経った頃だった。



『ごめん。机の上に資料があるんだけど、持ってきてくれない?』

「持ってくって、永井さんの学校に?」

『うん。今は院生もいないから、大丈夫だよ」

「分かった。今から行くね」

『ありがと』



携帯を切って、出掛ける支度をした。

今日は土曜日。いつも通り、金曜日から永井さんのところに来て、そのまま泊まった次の日だった。朝に起きて朝ごはんを食べてから、永井さんの携帯に電話が掛かってきて、永井さんは私に謝りながら学校に向かっていった。それから一時間程経ってからの、電話だった。

本当のことを言うと、少しだけ、金曜日が来ることが憂鬱だった。



『宮瀬ちゃんはさ、勝手だよ』



学園祭のあった先週の土曜日、古賀さんの友達である犬居さんに言われた言葉。それはまだ、しっかりと頭に残っていた。分かっていたはずなのに。自分のしていることが、世間一般から見ればおかしいことくらい。それでも、古賀さんや永井さんといった、これ以上ないくらい優しい人たちがいてくれたおかげで、そのことを忘れていたことは確かだ。そして、それは金曜日に永井さんに会った時にも、一瞬忘れたことだった。自分がおかしいことをしていることは分かっている。だけど、永井さんと会って、いつものように過ごすだけで、私はそのことを都合良く忘れてしまっていた。今日までで何度も犬居さんの言葉を思い出したけど、その度に何でもない風にして、考えないようにしてきた。どうせ考えたっ

て、自分の行動が変わるわけでもない。変えることができるなら、金曜日の段階で、永井さんと会ってなんかいない。

もう勝手でもなんでもいいや、なんて自棄な考えを持って、電車で永井さんの学校の最寄り駅まで行った。最寄り駅から歩いて大学まで行き、キャンパスに入ると、永井さんに教えられた通りに研究室があるという棟まで歩いていく。土曜日だからか、キャンパス内にはほとんど人がいなかった。時折、サークルか部活かのスウェットを着た人やぶらぶらと歩いている人がいたくらい。

研究室のある棟まで来て、入ってすぐの階段を上がる。三階まで上ったところで、踊り場を抜けて廊下に出る。その踊り場を出ると、私が歩こうとする方向の先に、一人の人がいるのが見えた。歩く度に、その人が着ている白衣がぱさぱさと動いている。教授かな、と適当なことを考えて、私もその人の後を追うように歩き出した。

一つ目の角を曲がると、前を歩く人が私を振り返った。ばちっと目が合って、反射的に足を止めてしまう。白衣を着たその人は男の人で、私のことを一瞥して、すぐに前に向き直って歩いていく。何なんだと思いながら、私もその後に続いた。そこから少し歩いて、永井さんの研究室が近付いてきた時だった。



「いい加減にしろ!」



たぶん、永井さんの研究室と思われる場所から、永井さんの怒鳴り声が聞こえた。思わず、歩いていた足を止める。前を歩いていた人も、私と同じように足を止めていた。研究室からは、さっきよりは声が小さくなったといえど、未だ永井さんの怒ったような声が微かに聞こえている。

こんな風に、永井さんが怒るのを今までに一度も見たことがないし、その声を聞いたこともない。どうしたんだろう、と疑問に思ってすぐ、中から『万里』という言葉が聞こえた。その言葉だけが、異様にはっきりと聞こえて、『ああ』と変に納得してしまう。

中にいるのは、永井さんの奥さんなんだ。

その後ですぐ、二人の言い争いは終わったらしく、言葉が途切れてすぐ研究室の扉が勢いよく開いた。中から、女の人が怒ったような足取りで出てくる。その女の人が、永井さんの奥さんなんだろう。

女の人は泣きながら怒っていて、その顔を隠すこともなく、つかつかとこっちの方に歩いてくる。近くまで歩いてきたその人に顔を背けそうになって、ぐっとそれを堪えた。代わりに、自然に見えるように視線だけを下に向ける。女の人は自分の今の状況を気にすることもなく、前を歩いていた男の人と私を通り過ぎて階段の方へと向かっていった。女の人の後ろ姿を追って、その人が階段を下りていったのを見ると、無意識に小さく息を吐いていた。



「永井に用事?」

「え?」



女の人が行ってからもどうしようかとその場所で止まっていると、いつの間にか前を歩いていた男の人がすぐ目の前まで来ていて、声をかけられた。聞き返した私に、男の人はふいっと視線を永井さんの研究室にやって、もう一度私を見下ろす。



「永井に用があったんじゃねーの?」

「え、ああ。まあ」



『永井』と呼ぶこの人は、どうやら永井さんの知り合いらしい。白衣のポケットに両手を入れて、「ふーん」と頷いている。



「永井、せんせいに渡すものあったんですけど……」



普段のように『永井さん』と言いそうになって、慌てて言葉を濁すように言い直す。中途半端に言葉を終わらせた私を見て、男の人は「ああ」と訳知り顔で、もう一度永井さんの研究室に視線を送った。



「確かに、今は行きにくいわな」



男の人も永井さんの状況を知っているのか、どこか面白そうにして言う。私は、男の人の言葉に「そうですね」と返すしかできない。



「渡しとこうか? その、『渡すもの』ってやつ」

「は?」

「どうせ俺も永井のところ行く予定だったし」



私の返事も聞かずに、男の人が片手をポケットから出して、こっちに向かって差し出す。逡巡していると、「ほら」と急かされた。

行きにくいという気持ちは本当だったし、どうせただの資料だからこの人に渡したって何も変に思われないだろうと考えて、鞄の中に入っていた資料のクリアファイルを取り出す。



「じゃあ、お願いします」



ファイルを渡して軽く頭を下げる。男の人はさして気にしてる様子もなく、「了解」という言葉と共にファイルを受け取った。男の人が私に背を向けて、前に歩き出す。それを確認してから、私は来た道を戻るようにして歩き出した。


犬居さんが言ってたことは、こういうことだったんだろうか。そんなことを、大学からの帰り道で考えた。



『他の人のことも、もっと考えてよ』



他の人のことなんて、何にも考えてない。考えてるくらいなら、最初から永井さんと付き合ってない。考えてたら、永井さんの奥さんがあんな風に泣いてるのかもしれないと、予想くらいはしてる。私のしてることは、ああいうことなんだ。未だはっきりとしている女の人の泣き顔と怒った顔を思い出して、思う。どうして、こう、都合の悪いことが連続して怒るんだろう。

永井さんのマンションの近くまで来て、永井さんからメールが送られてきた。



『昼には帰れるから、家で待ってて』



それを見て、苦笑してしまう。



「帰ると思ったかな」



渡された資料から、私が研究室のすぐ外にいたことは分かったんだろう。そんなに帰りそうだと思われたかなと笑いながら、マンションのエントランスを通り、永井さんの部屋へと進む。初めて来た時にもらった合鍵を使って、中へと入った。






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