2
ステージ発表を終えた後、松木が普段着に戻って、俺たちのいるところに走ってくる。
「よお。かわいかったぞ。松木ちゃん」
「うっせー」
制服を脱いだ松木にそう言えば、松木はいじけた様子で返してきた。それでも、俺の隣にいる美香ちゃんを見ると、嬉しそうに手を振ってくる。その後ろにいた宮瀬にも気がついて、松木は嬉しそうに「宮瀬ちゃーん」と声をかけた。
「どうも。うまかったです。最初のやつも、最後のやつも。特に最後のやつは、もう」
「やめてー!」
宮瀬にすらいじられる松木を見て、俺や犬居はさらに笑う。
「松木さん。これ、控え室運んどきますね」
「おー。よろしく」
松木の後ろから松木の後輩らしい男が声をかけ、机やら椅子やらを積んだ台車をがらがらと転がしてきた。松木が「よろしく」と声をかけたと同時にその後輩の背中をばしんと叩き、男の方が受け止めきれずによろけてしまう。よろけて手元が狂ったのか、不安定に荷物を積んでいた台車もバランスを崩して、ぐらっと横に倒れていく。
「うわ」
ちょうど荷台側にいた宮瀬が驚いたように声を上げ、後ろに下がろうとする。が、いきなりなことでうまく足がついていかず、宮瀬自身も後ろに倒れそうになった。咄嗟に足が宮瀬の方に動いて、倒れそうになる宮瀬を受け止める。台車は、ものの見事に、椅子や机をぶちまけながら倒れてしまった。
「おい」
宮瀬を受け止めた格好のまま、後輩を叩いた松木の方を見る。
「うわ! ごめん、宮瀬ちゃん! 大丈夫だった?」
ぶちまけられた荷台を飛び越えてきて、松木が宮瀬に謝る。後輩も慌てたように、倒れた台車を起こし、椅子や机を積み直し始めた。それを、近くにいた犬居が手伝っている。
「大丈夫ですよ。ぶつかってないし」
「わー! もう、まじごめん!」
「謝るより、それ、片付けろよ」
焦る松木に、後ろにぶちまけられているに荷台を指して言えば、松木は「ほんとごめん!」と再度言い、後ろの後輩たちを手伝い始める。
「大丈夫か?」
宮瀬がちゃんと立てることを確認してから、その腰を抱えていた手を離す。宮瀬は小さく息をはいて頷いた。
「ん。大丈夫。びっくりしたけど」
いつもと同じようにへらっと笑う宮瀬が、やたらと片足に重心を乗っけている。確かめるように宮瀬を見ても、宮瀬は何ともないと肩をすくめただけだった。
「ならいいけど」
詰め寄ったって本当のことは言わないだろうと考え、これ以上は何も言わないでおく。後ろを振り返ると、美香ちゃんも犬居と同じように荷台を積み直す手伝いをしていた。
「ありがとー」
荷台を全部積み直したところで、松木が美香ちゃんに向かって笑みを向ける。美香ちゃんは「いいえ」と首を横に振りながら笑っていた。
松木の後輩が頭を下げながら台車を押していき、松木も次の準備があるからと、宮瀬にもう一度謝ってステージ袖に戻っていった。宮瀬の友達も、自分のサークルの仕事があるから帰らないとと宮瀬に伝えている。そういえば、今日は宮瀬の大学も学園祭だ。
「あー。じゃあ、私、もう少しこっちにいるよ」
「あ、そう? じゃあ、行くね」
「うん。ありがとねー」
ばいばいと手を振って歩いていく友達を、宮瀬も同じようにして手を振り返す。宮瀬の友達がいなくなって、俺と美香ちゃん、藤田さんはそこに残る犬居と宮瀬手を振って、そこから離れた。
「あれ、俺、いない方がよくない?」
キャンパスを少し歩いたところで、自分のおかしな立ち位置に気がついて、横を歩く二人にそう声をかける。
今思えば、美香ちゃんは久しぶりに藤田さんに会っている。俺がここにいるのは邪魔じゃないだろうか。
「え、そんなことないよ」
美香ちゃんがそう言って首を横に振るも、どうも俺は居心地が悪い。それに、さっきの宮瀬が少し気がかりでもあった。
「んー。俺、少し一人で回ってくるからさ、美香ちゃんと藤田さんで回ってきなよ。久しぶりでしょ? 二人会うの」
「え、でも」
「気にしなくていいからさ」
申し訳なさそうに渋る美香ちゃんに笑いかけて、二人に手を振ってその場を離れた。
たぶん、宮瀬はさっきの場所から動いてないだろうなと考えて、先ほどのステージへと足を向ける。その途中で、宮瀬の好きなジュースを一本買っておく。
案の定、宮瀬はさっきのステージからほとんど動いておらず、近くの棟の外にあるベンチに座っていた。宮瀬、と声をかけようとして、宮瀬のベンチの前に犬居がいるのが見えて、一瞬声をかけるのが戸惑われた。
そこの通りに出店は出ておらず、学園祭だというのに人がほとんどいない。今はベンチに宮瀬がいて、その目の前に犬居がいる。あとはちらほらといる程度だ。
「宮瀬」
一瞬、犬居がいつもとは違う、真剣な顔をしたのが見えて、咄嗟に声をかけた。宮瀬は犬居の表情に気がついていなかったようで、普通な顔してこっちを向いた。
「あれ、古賀さん。どうしたの?」
きょとんとした宮瀬の前で、犬居はすでにいつもと同じ様子に戻っていた。
「何となく居心地悪くなったから、抜けてきた」
「ああ。確かに女2で男一人って、変な感じするよね」
ひひひっと、宮瀬が意地の悪い笑い方をする。その前で、犬居もおかしそうに笑っていた。
「俺も、ぶらぶらしてこーっと」
笑いを収めた犬居が、ぐーっと腕を上に伸ばして、俺の方に向かって歩いてくる。
「あ、そういや、メール見たか?」
「メール? 見てないけど」
俺の隣まで来て、犬居が思い出したように言った。
「松木のやつが、今日の夜、みんなで飲みたいってさ」
「みんなって、誰だよ」
「俺とお前と松木と、美香ちゃんに藤田さん。それと、宮瀬ちゃんも」
ね、と犬居が宮瀬に向かって笑いかけた。宮瀬が、困ったように笑みを浮かべる。その様子から、宮瀬はすでに犬居からそのことを聞かされていたらしいと分かる。
「なんだよ、その微妙なメンバー」
「しょうがないだろ。松木がしたいって言ってんだから。終わったら、松木の家な」
そう言って、犬居は「じゃあな」と歩いていった。
「お前、いいの?」
少しの間だけ犬居の後ろ姿を見て、今度は前にいる宮瀬に問い掛けた。
「いいって何が?」
「人見知りのくせして、ほとんど知らない人たちと飲めるんですか」
宮瀬が「ああ」と苦笑いする。その笑みに呆れつつ、宮瀬の隣に座った。
「しょうがないじゃん? おいでよ、とか言われたら断れないし」
「ねえ?」と同意を求めようとする宮瀬。
「じゃあ、俺に頼んなよ」
「え、それはちょっと」
前もって忠告してやると、宮瀬がやめてよと顔をしかめる。それに笑って、持っていた缶ジュースを差し出した。一瞬何のことだと思ったらしい宮瀬だが、「あげる」と言うと、嬉しそうにそれを受け取った。
「さっき、足どうかしたのか?」
蓋を開けて飲む宮瀬に尋ねれば、宮瀬は目線だけをこっちにやって、肩をすくめる。缶を口から離して、「んー」と首をひねった。
「少しだけ捻ったかな」
「大丈夫か?」
「うん。思いっきりじゃなかったから、休んでたら大丈夫だと思う」
「ならいいけど」
宮瀬の言葉に頷き、ぶらんと足を前に伸ばした。横から「飲む?」と缶が差し出される。「サンキュ」とそれを受け取って、一口飲んだ後に宮瀬に返した。
「今日は永井さんとこ行かなくていいのか?」
「うん。昨日会った時に、行っておいでって言われた」
「ああ。今期も、永井さん、お前の学校来てるんだっけ」
「うん。私は取ってないけどね」
ごくごくっとジュースを飲んだ宮瀬が、いきなりこっちを向いて、にやっと笑った。何だと目を向けると、その笑みはさらに深くなる。
「美香ちゃん、かわいいね」
「なんだ、いきなり」
「いや、あんな可愛いなんて思ってなかった」
にやにやと締まりのない顔をこちらに向けてくる宮瀬。それに何と返したらいいのかも分からず、適当に相槌を打っておく。
「藤田さんの友達って感じだよね」
「ああ、それはあるな」
美香ちゃんは今日も今日でワンピースを着てきていて、それは藤田さんも同じだった。似たような格好をしていた二人を思い出して、宮瀬に同意する。
宮瀬が、いきなり「うー」と言いながら腕を上に伸ばし出した。十分に伸びをしたところでぱっと腕の力を抜き、ゆっくりと膝の上に手を落とす。腕とは反対に、顔は空を見上げたままで、缶を持っている方の手を力なく動かしている。
「微妙にまだあったかいね」
「だな。来月あたりから寒くなりそうだけど」
宮瀬の言う通り、10月末の今日はまだ太陽が出ていて、気温も十分に暖かかった。それでも、来月に入れば寒波が入り込んできて、少しは冬に近付くだろう。
「冬かー。また冬季講習だ。やだな」
「がんばれ」
「いや、古賀さんが頑張ってよ。私、就活だし」
「そんな理由通用しませーん」
「通用させる!」
いつものようにくだらない話を続けて、笑いあって、俺と宮瀬は残りの時間を過ごしていた。