表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Story 18. きたないハート
52/111



やっぱり、何かあったんじゃないのかな。

金曜日、いつもより遅れて永井さんの授業にやってきて、何だか疲れている様子の永井さんを見て、そう思った。前回の授業で、今日はレポート提出だけだと聞いていたから、今朝は油断して思いっきり寝坊してしまった。教室の前の方にあるドアを開くと、真ん中の教壇に座っていた永井さんと前の方の席に座っていた友達がこちらを向いた。あと、他の何人かの人も。入ってきたのが私だと分かると、永井さんは少しおかしそうに笑みを浮かべていた。友達の方も、やっぱり、という顔をして笑っている。教室にいる学生の人数は、いつもより少ない。ほとんどの人が、レポートを提出してすぐに教室を出ていったみたいだ。とりあえず、友達が座る席まで行って、鞄を下ろす。



「やっぱり、寝坊したね」

「起きたらもう授業開始時間でびっくりした」



へらっと笑いながら帽子を脱いで、鞄の中からレポートの入ったファイルを取りだす。



「あれ。それ、最近買ったやつ?」



鞄の上に置いた帽子を指差して言った。レポートをファイルから取りながら、「そうだよ」と頷いておく。



「土曜日に買った。若干衝動買いに近かったけど」

「へー」



帽子を手に取って見る友達の横を通り過ぎて、教壇に座る永井さんのところまでレポートを出しにいく。永井さんの目の前まで行って、「どうぞ」とレポートを既に出されてあったレポートの上に重ねる。



「寝坊?」



口元に笑みを浮かべたまま永井さんが聞いてきて、答える代わりにまたへらっと笑う。しょうがいなとでもいうような顔をして、永井さんは重ねられたレポートの束を重ねてトントンと机の上で整える。その時になって、永井さんの左手に包帯が巻かれているのが目に入った。その視線を永井さんの顔に向けて、疲れている表情を見せる永井さんに首をかしげてみせる。それに気付いた永井さんは、私がなぜそんなことをしているのかも分かっているようで、少し笑って「何でもないよ」と言った。そんな心許ない言葉で納得なんかするわけもなかったけど、今この場で永井さんに理由を聞くわけにもいかず、「そっか」とだけ言ってその場を離れた。

友達のいるところに戻れば、友達が私の帽子をかぶって遊んでいた。



「いいね。これ」

「でしょ。けっこう安かったよ」



かぶられたままの帽子はそのままにしておいて、ファイルを鞄の中に仕舞う。その帽子は、先週の土曜日に古賀さんと谷原さんと一緒に行ったショッピングモールで買ったやつだ。これを買ったときは古賀さんと二人だけで、その時に一緒に古賀さんの翌日の日曜日のデートのために着ていく服も買っていた。古賀さんとはその買い物やデート以降もバイトで会っているけど、「デートどうだった?」と聞いても、楽しかったよくらいの答えしか返ってきてない。まあ、楽しかったならいいけどと思いながらも、あんまり話したくないのかなとも思えて、あまり突っ込んだことは聞けていなかった。

友達の隣に座って、もう一度永井さんを見た。やっぱり、疲れているように見える。永井さんは、自分のことを、つまり結婚のことを、ちゃんとすると言っていた。私のためというよりも、自分のためという感じで。そうは言っても、やっぱり、私の存在は重荷になるんじゃないだろうか。永井さんが何とかしようとすることで、負担が増えていっているんじゃないだろうか。でも、例えそんなことが起こっても、永井さんはそのことを私に話したりしないだろう。そんな人だ。永井さんは。



結局その時間に永井さんに理由を聞けることなどできず、昼休みを終えて、三時間目も終えてしまった。たぶん、この後にいつものようにカフェに行く。でも、そこでも永井さんは理由を聞かせてくれないと思う。なら、無理やり聞きにいこう。三時間目の間にそう考えて、三時間目の授業が終わると、永井さんが授業をやっている教室に向かった。教室のそばの廊下で、中の学生が全部出ていくのを待つ。全部の人が出ていったのを確認して、教室の中に入った。ドアの開く音で顔を上げた永井さんが、私の姿を見て少し驚いた顔をする。



「どうしたの?」

「ちょっと」



永井さんの質問にはっきり答えず、真っ直ぐに永井さんがいる端っこの教壇に向かった。永井さんの目の前まで来て、じっと永井さんの目を見る。いつもみたいに笑みを浮かべてこちらを見てくるその顔は、やっぱりどこか疲れているようだった。



「ねえ、何かあったの?」

「え?」

「え、じゃなくて。そんな疲れた顔してるし、怪我もしてるし」



教卓に置かれた左手に視線をやって言うと、永井さんは笑みを浮かべたまま首を横に振った。



「何にもないよ。これは、少しよそ見しててなったものだから、気にしなくていい」



授業の時と同じようなことを言って、私の質問から逃れる永井さん。そう言うだろうと思っていた。だから、カフェには行かずにここで聞いてしまおうと思っていた。カフェに行ってしまったら、何だか聞けずじまいになってしまいそうで、それが嫌だった。



「嘘つかないで。それ、絶対に私も関係してるでしょ? やだよ。知らないところで永井さんが変に疲れるのとか」



だんだんと視線が下りていって、最後には永井さんから目を放してしまった。言うだけ言ってしまったらどうしたらいいか分からなくなって、そっと永井さんの服をつかんだ。少しして、永井さんが小さく息をはいた。その溜め息に顔を上げると、少し困ったような顔で笑みを浮かべている永井さんと目が合う。



「こうなりたくないから、言わないつもりだったのに。心配、かけるつもりなかったんだけどね」



「やっぱり嘘つけないね」と続けて、永井さんの手が私の頬に触れた。そのまま永井さんは教壇の椅子に座って、私の腕を引いた。



「今から言うことに、『ごめん』って言うの禁止ね」



前置きされる言葉に頷いて、頬に触れている永井さんの手に自分の手を重ねる。永井さんは優しく微笑んで私の手を握り返すと、繋いだ手をゆっくりと自分の膝に置いた。



「正直に言うと、少しまいってる。話し合いがあんまり進まなくて、今はやりすぎなくらい良い妻アピールされてて。これは、先週話し合った時にできたんだ」



包帯の巻かれている左手を上げて、永井さんは苦笑いを漏らした。



「なかなか進まないことと、進められない自分に、まいってる」



やっぱり私自身もそのことに関係していて、何か言おうと口を開きかけた。けど、永井さんがそれを目で制するのを見て、開きかけた口をまた閉じる。代わりに、繋がれた手をぎゅっと握った。永井さんもそれが分かったようで、優しげに笑みを浮かべてくれる。



「君がいるっていうことで、甘えてるのかな」

「私だって、甘えてるよ」



私の言葉に、長井さんは少し嬉しそうな顔をして、手を繋いでいない方の手で私の腰に手を回して、自分のところに引き寄せた。繋がれた手を離されて、その代わりに永井さんの両手が私の背中に回された。私も永井さんの首に腕を回して、二人の間にあった距離をなくす。四時間目始まりのチャイムは当に鳴っているけど、幸いこの教室は使われないみたいだ。時々、遅れてきた学生の走る音がドアの向こうで聞こえる。



「鞄があって抱きしめにくい」



少しして出た永井さんの言葉に、思わず笑ってしまう。永井さんも笑っていて、笑いながら私がかついでいるリュックを下ろそうとする。



「ちょっと、下ろせないよ」

「やだ」



永井さんが非難の声をあげるが、私はそれを無視して永井さんに抱きつく。それでも、二人とも笑ったままだった。永井さんから離れて、途中まで下ろされていたリュックをかつぎ直す。



「それ、似合ってるね」

「え?」



離れて言われた言葉に首を傾げてしまう。永井さんは言葉の代わりに私の頭を指差した。指差すものが帽子だと分かって、「ああ」と頷く。それで、古賀さんに似合うと言われてこれを買ったのを思い出す。



「ありがと。この間、古賀さんと洋くんと遊びにいった時に買ったんだ」

「そっか」

「うん」



帽子を買ったのを思い出すことで、古賀さんのデートのことも思い出しそうになって、それを打ち消すように帽子を買った経緯を話す。永井さんはそれに頷いて、机に置いてあった鞄を手に椅子から立ち上がった。



「さ、行こうか」

「うん」



二人並んで教室を出て、キャンパスを歩いて学校を出た。






「今日は、ありがとう」



いつものようにカフェに行って、その帰りに、永井さんはそう言った。車は私のマンションの前に止まっていて、シートベルトを外そうとしていたところだった。



「何が?」



ありがとうの意味が分からず聞き返すと、永井さんは小さく笑った。



「まいってること、言えてよかったと思って。いつも通りにカフェに行ってたら、言わずにいただろうから」

「そう思ったから、教室まで行ったんだよ」



やっぱり、私の思った通り、永井さんはいつものままだったら理由を言う気はなかったらしい。わざとそんなこと初めから分かってたというような口調で言えば、永井さんはおかしそうに笑う。そのまま永井さんの手が伸びてきて、前みたく私の頬に触れられる。それからゆっくりと永井さんが近付いてきて、私は目を閉じる。すぐに唇が重ねられた。何度も重ねられる永井さんとのキスに、もう戸惑うことなんてなかった。



「日曜日、一緒に出掛けようか」



唇が離れた後で、永井さんが提案した。手は頬に触れられたままで、今は優しく頬を撫でられていた。



「大丈夫なの?」

「うん。村瀬が来るから、夕飯は三人になるけど。残念だけどね」

「村瀬健吾が来るなら行こうかな」

「ひどいなあ」



にこにこと笑ったままやり取りをして、永井さんがもう一度軽くキスをする。



「時間決めたら、また連絡するから」

「うん」



私の答えを聞いて、今度は長めに唇を重ねてくる。



「じゃあね」

「ん。気をつけてね」



永井さんの手が私の頬から離れる。少しの間永井さんを見て、それから車を降りた。開けられた助手席側の窓の外で永井さんに手を振り、永井さんの車が見えなくなるまで見送る。車が角を曲がったところで、私もマンショへと歩を進めた。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ