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「かわいいね。今日着てるシャツ」
次の日、昼ご飯を食べて、ぶらぶらと街を歩いていると、美香ちゃんがいきなり言った。
「え?」
さっきまで「あそこのランチ美味しかったね」なんて話してたのに、いきなりそんなことを言われて、思わず聞き返してしまった。対して美香ちゃんの方は、ごく普通に俺の方を見てにこっと笑った。
「それ」
歩きながら俺の身体を指差して、またしてもにこやかに笑う美香ちゃん。美香ちゃんの指差す先がコートの中に着ているシャツだとやっと理解して、混乱をごまかすために数回頷いてみせた。
「ああ。うん。ありがと。昨日買ったんだ、これ」
「そうなんだ」
「うん。今日デートだったから、昨日友達に付き合ってもらって、買ってきたんだ」
横断歩道の信号に引っかかって、美香ちゃんと二人その手前で止まる。美香ちゃんが急に何も言わなくなって、どうしたのかと思って少し下の目線にいる美香ちゃんを見下ろす。美香ちゃんはなぜか恥ずかしそうにして顔を下に向けていた。
「どうしたの?」
美香ちゃんがそうする意味が分からず、視線を下に向けながら尋ねた。美香ちゃんは未だに恥ずかしそうにしていたが、やっと顔を上げてくれて、はにかむように笑った。
「えーと。嬉しくって」
「嬉しいって、何が?」
美香ちゃんの言っている意味がまったく分からず、首をかしげてしまう。タイミングが良いのか悪いのか、信号が青に変わって、一応二人とも足を進めた。
「だって、今日のためにわざわざ買ってくれたんでしょ?」
「あー、うん」
「それって、嬉しいよ。博己くんも、今日のデート楽しみにしててくれたんだなって」
そう言って、美香ちゃんは恥ずかしさの残る顔で笑った。
「そっか」
小さく笑って美香ちゃんの言葉に返すと、美香ちゃんは「うん」と笑顔のまま頷いた。その顔が、少しだけ昨日の宮瀬とかぶって見えたけど、今日もワンピース姿な美香ちゃんを見て、自分の考えを頭から追い出した。
「その人と仲良いの?」
人通りの多い歩道を歩きながら、美香ちゃんが聞いてきた。
「うん。最初はこの服も買う気なかったんだけど、『ぜったい似合うから買え』って言われてさ」
「そうなんだー。珍しいね。男の人が可愛い感じの服勧めるなんて」
美香ちゃんの言葉に足を止めそうになる。が、そこは何とか我慢した。代わりに首をひねってしまう。美香ちゃんは、今、『男の人』と口にした。俺は友達が男とも言ってなければ、女とも言ってない。言わずもがな、俺の言った友達は宮瀬のことだが、それを美香ちゃんに伝えるのは、何だかまずい気がした。だから、俺は適当に「あー、うん」と言って美香ちゃんの言葉をやり過ごす。すると、俺の言葉を聞いた美香ちゃんの方がなぜか慌てだした。
「あ、ごめんね。男の人が可愛い服着たらダメっていうのじゃなくて。何ていうか、ただ珍しいなって」
どうやら自分の言葉で俺が不機嫌になったと思ったようで、美香ちゃんは焦ったように言葉を続ける。俺はそんな美香ちゃんの様子がおかしくて、少しだけ笑ってしまった。
「大丈夫だよ。別に怒ってないから」
「あ、ほんとに?」
「うん」
笑ったまま頷けば、美香ちゃんは安心したように溜め息をついた。それからも「よかった」と言いながら、胸をなで下ろしていた。俺はそれを見て、口の端を上げて笑った。
改めて、俺と宮瀬の関係が、特殊だということを認識した。俺が普通に『友達』と言えば、その友達は男として認識される。それが女だと思われることなんかほとんどないだろうし、間違えられたそれを訂正しても、それはそれで変に思われることなんだろう。そうやって考えれば、昨日見た宮瀬の学校の女子たちの行動も分からないでもない。俺は今さらそんなことに気付いたけど、宮瀬はずっと前から気がついていたんだろうか。
「博己くん?」
「ん?」
美香ちゃんの方を向けば、『どうしたの?』という顔をされた。ぼんやり考え事をしてたみたいで、少し悪い気がした。何でもないよと返し、考え事をしてたのを悟られないように美香ちゃんの手を取った。びっくりしたようにこちらに目を向けてくる美香ちゃんに、首を傾げて了解を求めると、恥ずかしそうにしながらも美香ちゃんは頷いてくれた。
その日の夜は、いつものように河原でのんびりとした。デートの終わりに、この河原でのんびりと過ごすのが、すでに定番となっていた。二人並んで座り、買ってきたコーヒーやカフェオレを飲む。
「テスト、いっぱいあるの?」
カフェオレを一旦地面に置いて、美香ちゃんがこちらを向いた。
「そうだね。少し多いかも」
「そっか。じゃあ、テストが終わったらまた遊ぼ」
「うん」
答えながら、コーヒーを飲んで、もう春休みかと考えた。今学期はあと一週間で終わって、その次の週からのテスト期間が終われば、あとは二カ月以上続く春休みを残すだけだ。それが済めば、二回生も終わる。色々あった、二回生が、終わる。
「あーあ。二回生も終わっちゃうね」
「そうだねー」
美香ちゃんの言葉に頷きながら、二回生でいた一年を思い出す。一年間のことを思い出そうとしても、思い浮かんでしまうのは、夏休み以降の約半年間のことばかりだ。夏休みから宮瀬の彼氏は日本を離れて、それをきっかけに宮瀬との距離が縮まっていって。ほとんど毎週のように谷原も含めた三人で遊んで。どんどん、どんどん宮瀬と近付いて。それでも、ぜったいに触れるところにはいないで。
春休みが済めば、宮瀬の彼氏も帰ってくる。俺と宮瀬の関係は、何か変わるかもしれない。俺は宮瀬が永井さんといると決めても変わらないと言ったけど、彼氏が帰ってきてからのことは宮瀬が決めるしかない。俺がどうこう言っても、それに納得する彼氏ではないだろう。こうやって、二回生でいた時のことやこれからのことを考えるその全部の中に、宮瀬がいた。
「二回生の時に、博己くんと会えてよかった」
隣で、美香ちゃんが心からそう思っている口調で、そう言った。隣を向くと、やっぱり恥ずかしそうな顔をした美香ちゃんがいて、それを隠すようにカフェオレを飲んでいた。
「二回生で会えたから、春休みにいっぱい遊べるもんね」
カフェオレから口を離した美香ちゃんは、そう言って笑う。美香ちゃんの笑顔に俺も笑い返す。美香ちゃんは、笑みを交わしあった後も、俺から目を離さなかった。それに気がついて、俺は持っていたコーヒーを美香ちゃんがいるのとは反対側の地面に置く。美香ちゃんの方に向き直って、地面に置かれていた美香ちゃんの手に自分の手を重ねた。顔を見れば、恥ずかしそうに、それでも、嬉しそうにはにかむ美香ちゃんがいて、それが余計に、宮瀬を思い出させた。
そんな宮瀬も、俺の名前を呼ぶ宮瀬も、全部頭から追い払って、美香ちゃんと顔を近づけて、ゆっくりと唇を重ねた。