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「あ。あれ、お前に似合うんじゃない?」
そんなことを考えてしまう自分が恥ずかしくなって、偶然目に入った近くの店の帽子を指差した。宮瀬も俺の言葉に反応して、俺から顔を背け、その店の方に視線を向ける。二人して足をその店に向け、店の一番前にある棚に飾ってあった帽子を宮瀬が手に取った。それから髪を少しだけ整えて帽子をかぶる。すぐそばにあった鏡で帽子の位置を確認し、満足いったところで、ぱっと俺の方に顔を向けてきた。
「どう?」
「あー。うん。似合う」
「ほんとに?」
俺の答えに少しの間があったのを察してか、宮瀬が疑うように聞き返してきた。今度はちゃんと頷いてやると、宮瀬もその帽子が気に入ったようで鏡を見ながら「そうかー」と頷く。少しの間迷っていた宮瀬だが、決意したのか「よし」と言って、もう一度俺の方を向いた。
「買ってくる」
「おう。ここで待ってるわ」
宮瀬が帽子を手にレジの方へ歩いていくのを見送って、少しだけ歩いて吹き抜けになっている一階を見下ろせる柵に寄りかかった。柵に寄りかかって、小さく溜め息をついた。会計をする宮瀬を見ながら、その本人のことを考える。
ほんのちょっと、本当にちょっとだけ、帽子をかぶって振り向いた宮瀬を、可愛いと思ってしまった。俺がいつも見ている宮瀬は、不安げだったり何か悩みを持っていたり、笑うときだってもちろんあるけど、さっきのとはどこか違うものだ。さっき振り向いたときの宮瀬の顔は、何ていうか、純粋にこの時を楽しんでるかのようだった。遊んでる時はいつも同じのはずなのに、そう感じた自分に意味が分からなくなる。さっきのやり取りが、付き合ってる同士のやり取りのように感じた自分が、理解不能だ。
店の中を見たままぼんやり考えていると、宮瀬がこちらに戻ってくるのが見えた。考えるのを止めて、柵からも離れて宮瀬の方に歩いていく。
「お前も谷原んち行ったらファッションショーしろよ」
「なんで。私、帽子だけじゃん」
戻ってきた宮瀬にそう言うと、言外に嫌だという意味を含ませながら宮瀬が反論した。
「帽子かぶって、谷原のB系ファッションな」
「は? やだよ。古賀さんがしたらいいじゃん」
「やですー」
通路を歩きながら、いつものように軽口をたたき合う。そうやってれば、さっき感じた意味不明なことも、消化できるだろうと思って。
***
「あー。負けたー」
ベッドの上にコントローラーを投げて、宮瀬がそのままベッドに後ろ向きに倒れた。俺はコントローラー片手に小さくガッツポーズをして、早々にゲームに負けた谷原はその向かいで笑っていた。テレビ画面がゲーム画面ではなくなったのを見て、俺もコントローラーを置いてテーブルに置いてあったお茶に手を伸ばす。
谷原と宮瀬の三人で映画を見た後、いつものように谷原の家で夕飯を食べて、ぐだぐだとして、暇だからと谷原の部屋にあったゲームをしていた。谷原は、俺と宮瀬の買い物が終わって数十分後にショッピングモールに来て、それから映画の時間までは三人してぶらぶらとしていた。
ベッドでごろごろとする宮瀬を横目に、自分の腕時計を確認する。と同時に、思わず声をあげてしまった。宮瀬が何だというように身体を起こす。谷原も不思議そうにこちらを見ていた。
「もう2時かよ。明日早起きなのに」
その言葉で意味が分かったのか、宮瀬も谷原もなるほどという顔でそれぞれ時計に目をやった。明日は、というかもう今日、美香ちゃんとデートだった。調子に乗っていつも通りに過ごしてたが、明日は昼ご飯を一緒に食べようと言っているので、いつもの休日よりは早起きをしなければならない。
「もう帰ろうか」
宮瀬も時計を見て、ベッドから立ち上がった。俺も立ち上がって、ベッドの上に放ってあったコートを手に取る。宮瀬も同じようにして、コートを着ていた。
「じゃあねー」
「はい、お休み」
二人ともが準備したところで、宮瀬が谷原に向かって手を振る。谷原も振り返してきて、それを見てから谷原の部屋を後にした。
宮瀬と肩を並べて、寒い外に出る。当たり前だが、外は真っ暗だ。しかも、国道からそれたところにある谷原んちのマンションの近くはこの時間帯とても静かで、それが余計に寒さを増している気にもなる。二人して背を丸めながら、それぞれの自転車と原付に向かった。
「古賀さん、」
自転車に鍵を差し込んだところで、後ろから宮瀬に呼ばれた。何かと思って振り向くと、宮瀬の方は原付に鍵も差していない状態だった。
「なに?」
自転車を背にするように向き直って、宮瀬に尋ねてみた。宮瀬は首を少し傾けた状態で、少し俺から視線を外していて、迷っているような様子だった。もう一度聞きなおすことはせずに宮瀬が話しだすのを待っていると、宮瀬がゆっくりと口を開いた。
「昨日、永井さんに言った」
ようやく俺と視線を合わせて、宮瀬がそう言った。
やっぱり、予想は間違ってなかった。宮瀬は、答えを出したんだ。それで、たぶん、その答えは……。
「永井さんと、一緒にいることにした」
「……そっか」
宮瀬は言いながら、小さく笑みを浮かべた。だけど、俺の返しに頷いてみせたものの、その顔には少しだけ不安が隠れているような気がした。それに首を傾げそうになったが、すぐにその原因が思い浮かんで、それをやめる。
「言ったろ。俺とお前は、変わらないって。お前がどういう風に永井さんといるか決めても、このままだ」
そう言えば、宮瀬の顔から不安がなくなって、本当に嬉しそうな微笑みが浮かんだ。
宮瀬は、永井さんと一緒にいることに決めた。たぶん、彼氏とも続けながら。それを、永井さんも受け入れた。そうまでしてでも、永井さんは宮瀬を欲しがった。
宮瀬は、そうする自分が勝手な人間だと認識している。でも、周りの人間が何と言っても、俺は宮瀬のそばにいる。これまでと変わらず。
「よかったな」
「……うん」
宮瀬は泣きそうになって、それでも嬉しそうに頷いた。その嬉しさの中に、俺も入っていればいいと思った。永井さんだけじゃない。俺も、同じようにお前を受け入れる。永井さんと形は違うかもしれないけど。
「古賀さんとか、永井さんとかがいるから、他の人にどんな風に見られても、大丈夫だって思える。今日だって、『そんな目で見たいなら勝手に見ろ』って思ったし」
思い出すようにして笑って、宮瀬がそう言った。俺は何のことかと考えて、少しして宮瀬の言っていることを理解した。
宮瀬の言っていることは、今日のショッピングモールでのことだ。谷原が到着して、三人でモール内をぶらぶらとしていると、三、四人の女子が宮瀬のことをちらちらと見ていた。反対方向から歩いてきたその女子たちは、少しだけ、いや、かなり面白がった目を宮瀬に向けていた。あの、女子特有の『やだー』と誰かを馬鹿にするような、蔑むような目で。それが宮瀬に向けられているのだと気がついて、反射的に宮瀬を見ると、宮瀬はその女子たちを一瞥しただけで、小さく鼻で笑うようにして目を逸らしていた。それを見てぱっとその女子たちに目を戻せば、彼女たちはすごすごと通り過ぎていくところだった。
「あの、女子たちのことか?」
「うん」
今度ははっきりと頷いて、口の端を上げるようにして笑った。
「あの人たちにね、前学校で『他の男の人と遊んでるなんて、彼氏がかわいそう』って言われたんだ。それにもいらってしたけど、段々あの人たちがああいう目で見てくるようになったから、面倒だなって思ってた」
『ああいう目』っていうのは、今日モールでしていたような目のことなんだろう。そう考えて、宮瀬の話を聞く。また少しだけ泣きそうな顔になって、宮瀬は自嘲的に笑う。それでも、すぐにさっきの清々しいような顔つきに戻った。
「でも、古賀さんたちみたいに、ちゃんと分かってくれる人もいるから大丈夫だって、思えるようになったの。分からない人たちは分からないままでいればいいし、その間に私は自分のできることしたらいいって」
「ね?」と言って、宮瀬はすっきりした笑顔で、俺に首を傾けてきた。
「今さら気付いたか。ばーか」
「ばかでいいですー」
いーっと、いつも見せるようにして宮瀬が拗ねた。
「よかったな」
さっき言った言葉をもう一度言ってやれば、宮瀬は安心したように、満足げに「うん」と頷いた。
それを合図のように、二人してそれぞれの自転車と原付に向き直った。いつものように宮瀬の準備が整うのを待って、俺も自転車に乗る。
「じゃあな」
「うん。お休み。明日のデート、楽しんで」
にやにやと返してくる宮瀬に笑ってやる。
「おう。何かあれば、また言え」
「うん」
そう言って、お互いに手を振り合って、反対方向に進み始めた。
自転車を漕ぎながら、さっきの感覚を思い出す。宮瀬がこちらを向いて、同意を求めるように笑顔を浮かべた時の感覚。それは、宮瀬が帽子をかぶってこちらを見てきた時と、同じものだった。純粋に、気持ちが俺だけに向いている感覚。まるで、付き合ってるみたいな感覚。
馬鹿みたいだと思った。そんなこと、あるわけないのに。あいつの気持ちは、今は永井さんに向いているのに。馬鹿みたいだ。けど、あいつの安心の中に俺がいることが、どうしようもなく嬉しいと思ってしまう。
こんな気持ちを、俺は美香ちゃんに持てるんだろうか。