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「これ似合うんじゃない?」
「これー? 俺、こんなん普段着ないんだけど」
「だからいいんじゃん」
宮瀬が持ち上げた服を見ながら不平を言うも、簡単にそれは宮瀬によって封じ込められた。着てみろというようにハンガーに掛かったままの服をこちらに押し付けてくるので、無理やりそれを掛かっていた場所に戻した。
「あー。なんで戻すの」
「これは無理です」
「わがままだなー。あ、じゃあ、これは?」
宮瀬は隣の棚にあるTシャツを取って俺に見せてくる。にやにやと意地の悪い笑みを浮かべながら。
「ふざけんな。誰がこんなキャベツ歩いてるのなんか着るか」
「いいじゃん。イメチェン、イメチェン」
宮瀬が持っているものを取り上げてポイッと棚に戻す。そうすれば、宮瀬は「もー」とまたしても膨れる真似をして、別の棚へと歩いていく。その後をついていきながら、宮瀬を観察する。どうやら、永井さんとのことで悩んでいたのがなくなったようだった。今日は、いつも通りの宮瀬だ。結果はどうであれ、永井さんとのことで何かしらの答えを出したんだと思う。俺は、その答えを知らないけど。
土曜日の今日は、宮瀬と谷原の三人で近くのショッピングモールに来ていた。目的は映画と、俺の明日のデートのための服を買うため。本当は映画だけの予定だったんだけど、昨日の夜電話していた時にぽろっとデートのことと服を買わないとということを口にしてしまい、こうして宮瀬と服選びをすることになってしまったのだ。そう、宮瀬と二人で、だ。谷原のやつは絶対に休むわけにはいかない授業の補講があるとかで、映画の時間からここに来ることになっている。俺と宮瀬の二人は昼過ぎにここに来て、服を買うため店を何軒も回っている最中だった。
「じゃあ、これはー?」
先を歩いていた宮瀬がひょいっと一つのシャツを掲げてこちらに見せてきた。
明日のデートは、もちろん美香ちゃんとのデートだ。それは宮瀬にも当たり前にお見通しで、それを電話で知った宮瀬は張り切った声で服選びを「手伝う!」と言ってきたのだ。付き合うことを報告した時は、あんなに普通だったくせに。
そんなことを考えながら、宮瀬が待つ場所までいって、掲げられている服を見てみた。
「あー、かわいいな」
「でしょ?」
「でも、だから、俺こんなん着ないって」
「だーかーらー」
宮瀬が先ほどと同じことを言いそうなのを察して、ぱっと宮瀬の持っている服を取る。それを見て、宮瀬は満足そうに笑みを浮かべた。呆れた顔でそれに返しつつ、しょうがなくそれを胸の前に当てて、近くにあった鏡で自分の姿を見てみた。横から宮瀬もそれを見てくる。
「あー、似合う似合う」
「そうか?」
宮瀬はそう言うが、正直、俺は自分にそれが似合っているのか分からない。俺が首をひねっても、宮瀬は「絶対似合う」と意味不明なくらい断言する。俺が胸の前で当てている服は、黒地に白のドットがあるシャツだが、普段の俺はこんな柄の入ったシャツなんか着ない。さっき宮瀬が差し出してきたものも、何か柄というか絵がプリントされたものだった。
俺が悩んで、隣の宮瀬が「買え買え」とはやし立てる中、一人の店員が鏡に映り込んできて、俺のすぐそばで止まった。
「何かお探しですか?」
その声に、俺と宮瀬が店員の方を向く。男の店員が、にこやかに立っていた。さっきまではしゃいでいた宮瀬が、急に大人しくなる。俺の横に大人しく立って、にこやかに笑顔を浮かべた。この笑顔が、まったくの他人だけに向けられる類のものだということは、宮瀬と長いこと一緒にいることで覚えた。この、人見知りが。
「えーと。明日ちょっと出掛けるんで、何か良いのないかなと思って」
店員としゃべる気のない宮瀬の代わりに俺が答えると、店員は「そうなんですか」とこれまたにこやかな笑顔で返してくる。
「そっちは新しく入ってきたもので、他にはチェック柄でこういうのもありますよ」
店員は近くの服が掛かっているところから、俺が持っているものよりもだいぶ明るい色合いのチェック柄の服を取った。それを見て、若干顔が引きつる。そんな明るい色、久方ぶりに着てない。それが宮瀬にも伝わったわしく、横に立っている宮瀬がにやにやと笑うのが横目で見えた。
「イメチェンって大事だと思うよ」
横からにやにやとした顔のまま宮瀬が言った。それから、店員が援護射撃なのか知らないが、宮瀬の加勢をする。それも、とんでもない言葉で。
「彼女さんの言う通りですよ」
店員が、愛想良く「ねっ」と宮瀬に聞いた。俺も宮瀬も、今の言葉を飲み込むために数回瞬きをしている最中だった。そんな俺たちの様子に気がついた店員が、『あれ?』という表情をする。
「残念だけど、別の人とデートするんですよ。この人。捨てられたんですー」
「この人」と言いながら、宮瀬が俺のことを指差した。そして、わざとらしく悲しい顔をして、店員に訴える。本来なら、思いっきり気まずい雰囲気が流れるところなんだろうが、宮瀬がふざけたおかげで、それは回避された。店員は慌てたように謝ってきたが、その顔には笑みがあった。
「試着してみたら? どっちでもいいからさ」
店員の謝罪が済んだところで、宮瀬が俺の持っているシャツを指差して言った。店員の持っている方を指差さなかったということは、宮瀬もそれは俺に似合わないと思ったんだろう。店員の目の前で断るのも面倒だったので、とりあえず宮瀬に勧められたほうだけ試着することにする。店員に試着室に案内され、ドット柄のシャツを手にその中の一つに入った。
中に入ってその日着ていたパーカーを脱いで、シャツを広げた。確かに、良いと思う。服の趣味が合うことも、俺と宮瀬が似ていると思う原因の一つだ。男のくせして『かわいい』という基準で服を選ぶことのある俺と、女のくせに男物の服を買うことのある宮瀬とは、その境目がちょうど合うらしく、雑誌なんかを見ていても意見の合うことが多かった。一度、軽いB系のようなダボダボな服装をして出掛けようとした谷原を見て、二人して「ふざけんな」とダメ押しをしたことがある。谷原が雑誌を見てかっこいいと言った服を二人ともが「びみょー」と言ったこともある。他の友達ともちょこちょこ合うところはあるが、宮瀬ほど俺と似ている部分が多いやつはなかなかいない。そんな俺が、宮瀬とは似ても似つ
かない、美香ちゃんと付き合っている。美香ちゃんと初めて会った時に感じた微妙な違和感は、たぶん、すぐそばにいた宮瀬と比べていたからだろう。ばかみたいなことだ。
「着替えたー?」
外から宮瀬の声が聞こえて、考えを振りはらってパーカーの中に着ていたTシャツの上にシャツを羽織った。軽く整えてから試着室のカーテンを開くと、宮瀬と店員が揃ってこちらを見てくる。
「あー、やっぱ似合うよ」
自分の見つけたやつだからか、宮瀬が嬉しそうな声をあげた。普段こんなの着ないから似合ってるのかどうかは定かじゃないけど、宮瀬がそこまで言うんだったらそれなりに似合ってるんだろう。
「今みたいに羽織ってもいいですし、今日着てらしたパーカーとかカーディガンの下に着てもらっても似合うと思いますよ」
「へー」
店員からも好意的なアドバイスを貰い、少しずつ買う方向に気持ちが傾いていく。ぺらっとボタンの部分についていたタグを裏返すと、そんなに高い値段でもない。
「どうする?」
試着室の壁に寄りかかって宮瀬が聞いてきた。
「じゃあ、これ一枚買おうかな」
タグを放して言うと、宮瀬が嬉しそうな顔をした。店員もにこやかに笑って、「預かりますよ」と手を差し出してくる。羽織っていただけのシャツをその場で脱ぎ、店員に渡して、着ていたパーカーをもう一度着る。
「楽しみだなあ。それ着た古賀さん」
会計を済ませてその店を出ると、宮瀬がにこにことした笑みを浮かべながら言った。
「明日のデートで着てくんだから、お前が楽しみにしなくてもいいだろ」
「いいじゃん。似合ってたよ。それ。古賀さんに」
「どーも」
「洋くんちで一回着てみてよ」
ショッピングモールの通路を歩きながら、宮瀬がへらっと笑う。
「やだよ」
「いいじゃん。着てよー」
宮瀬の頼みにはにべもなく断るも、宮瀬は駄々をこねるように押してくる。何度か嫌だ嫌だと断っていたが、宮瀬の方も一向に諦める様子を見せないので、結局俺の方が折れてしまった。渋々ながら頷いてやれば、宮瀬は嬉しそうにして喜ぶ。こんな風に喜ぶ宮瀬の顔が、実は少し好きだったりするっていうのを、改めて感じた時だった。