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これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Story 16. 不釣り合いの関係
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「意味分かんない!」



そう言って、万里子がソファに置いてあったクッションを投げてくる。それを身体で受け止めて、ずるずると落ちてくるクッションを手にとった。



「何が意味分からない? ちゃんと説明するから」



手にしたクッションをダイニングの椅子に置き、万里子の方を向いた。視線を向けた先の万里子は、当たり前だが、怒っている。



「いきなり離婚なんて、意味分かんない!」

「それはいきなりじゃないって、さっきも言ったろ。ずっと考えてたって。これ以上、万里子と生活していくことはできない」

「それも意味分かんない!」



そう叫びながら、今度はソファの向かいにあるテーブルから雑誌を引っ掴み、こちらに投げてくる。それも身体で受け止めて、雑誌は俺の足元へと落ちていった。

彼女と別れて家に帰ってきてから、このやり取りが幾度となく続いている。帰ってきてすぐに万里子に離婚のことを切り出すと、初めは嘘だと拗ねられ、俺の言葉が真実だと分かると今のようにして怒りだした。いきなりだということも分かっていたし、非があるのはこちらだということも分かっていた。だから、万里子が怒ることに関して、俺は何も言えないし、言わない。けれど、いくら理由を説明しても意味が分からないと繰り返す万里子に、さすがに疲れてきていた。



「俺は、きっと、これからもっと自分の研究に没頭する。そうなれば、家を空けることも多くなるだろうし、万里子の望みのままいることもできない。溝が深くなる前に、万里と離れたいんだ」

「私はマサくんと一緒にいれたらそれでいい!」

「違うだろ? 万里、俺のしてること、ちゃんと理解示してくれてるか? これからどんどん遠出や長期の学会も増えてくるし、そういうの許せるのか? 俺が書斎にこもってても、平気でいられるのか? これから研究を続けていけば、今までみたく、万里と一緒にいることはできなくなる」



「それでもいいのか」と続けると、万里子は唇を噛みしめて、また雑誌を投げつけてきた。それを制することもなく、小さく溜め息をつく。



「仕事が忙しくなるからなんて、嘘ばっかり! 私と別れて、他の女の人と一緒になるんでしょ!」

「そうじゃない。万里とのこれからの生活が見えないから、別れたいんだ」



そう言っても、万里子は信じない。相変わらず怒ったままでいて、自分がくしゃくしゃにした離婚届を手にして、それを破り始めた。



「そんなことしても、気持ちは変わらない」

「気持ちってなに? 私となんて別れて、他の女の人のところに行くってこと?」



まったく変わらない万里子の発言に、思わず溜め息が大きくなり、髪をかき上げた。それを見た万里子が、更に激昂した。ソファのあるリビングから俺のいるダイニングテーブルのところまで歩いてきて、テーブルに置いてあった俺の鞄を探り出す。俺が止めるのも聞かずに、その中から俺の携帯を取り出した。



「何してるんだ」

「証拠見つけるの!」

「いい加減にしろ!」



万里子の行動に、思わず声が大きくなる。めったには大声を出さない俺を見て、万里子が一瞬動きを止めた。



「見たいなら好きにすればいい。けど、その中には女からの連絡だって入ってる。仕事やプライベートのものも含めて。それを証拠にしたいなら、そうすればいい」



自分でも、声に冷たさと呆れが混ざっているのが分かる。

もともと携帯にロックなんかは掛けないし、見られて危ないものなんかない。男女関わりなく、仕事もプライベートでも関わりがある。当たり前に、携帯には女からの連絡だって入っている。それを証拠扱いしたいならすればいいが、どうやったって証拠になんかならない。



「なによ!」



万里子もそのことを理解したのか、大きな声をあげながら携帯をこちらに投げてきた。それは壊すわけにはいかず、身体にぶつかった携帯を手でキャッチした。そして、俺が何か言う前に万里子は俺の横を通り過ぎて、リビングを出ていってしまった。廊下の方から、寝室のドアが閉まる大きな音が聞こえた。

万里子がいなくなってからもう一度溜め息をつき、携帯を鞄の上に放る。一度で分かってもらえるとは思っていなかったが、ここまでこじれるとは思っていなかった。とりあえず、リビングに散らかったものを片付けていく。一通り片付け終わったところで、シャワーを浴びに向かった。鞄も携帯もそのままだ。万里子が携帯を見ようが何をしようが、知ったことではない。万里子が寝室にこもろうと、折れる気はなかった。

シャワーを浴びて、簡単な夕飯を食べると、もう遅い時間になっていた。その日はリビングのソファで眠ることにして、一日を明かした。どうせ、朝も俺の方が早いだろう。



その次の日、大学から帰ってくると、万里子の姿がなかった。

まず書斎に入って、自然と溜め息が出た。机の上は散らかされ、本棚からは本が落とされ。床の上には机の上にあったはずの書類や文具、本棚の本が乱雑に落とされていた。そこに鞄を置くことは止め、リビングへ行くと、更に大きな溜め息が出てきた。



「なんだ、これは」



昨日片付けたはずのクッションや雑誌はまたしても床に投げられており、その他にもグラスや棚に置いてあった小さな花瓶が割れて粉々になっていた。寝室に行けば、クローゼットから万里子の衣類がいくらか出されており、その中にあったスーツケースもなくなっていた。行き先の予想はついたが、今はそれよりも一人になりたい。

リビングに戻って鞄をダイニングの椅子に置き、ゴミ袋を持ってきて片付けを始める。鞄から携帯を取って、村瀬に電話を掛けた。



『なんだ、ばかやろう』



声に不機嫌さが感じられたが、電話に出たということはそこまででもないんだろう。



「はいはい。馬鹿野郎でいいから、結果聞きたくないのか?」

『もう出たのか?』



グラスの破片をゴミ袋に放り込みながら言えば、村瀬が電話の向こうで驚いた声を出す。村瀬も俺と同様に、事がすんなりと運ぶとは思っていなかったようだ。



「ある意味ではな」

『それは、良い意味でか? 悪い意味でか?』

「さあな。っつ……」



話しながら破片を片付けていたら、その破片で指を切ってしまった。一瞬だが痛みに顔をしかめれば、通話口で村瀬が『大丈夫か?』と声を掛けてきた。



「ああ。グラスの破片で指切った」



切れた指を見れば、少しだけ血が出ている。これくらいなら大丈夫かと思い、血の出ている指を舐めて、片付けを再開した。



『お前、今何やってんの?』

「万里子が散らかした部屋の後片付け」

『散らかしたって、どんくらい?』

「書斎がめちゃめちゃにされてて、リビングもめちゃめちゃ。クッションとか雑誌とかが散乱してて、グラスとか花瓶が割れてる。ちなみに、万里子はいない。どこかに出ていった。一時的かどうかは知らないけど」



俺の言葉に、村瀬が電話の向こうで『おお……』と驚きのような言葉も出ないというような声をあげた。それを聞きながら、破片をどんどんと袋に放っていく。



『え。つまり、それが結果ってことか?』

「そういうこと。ああ。離婚届も破られたから、新しいのもらってきたら、保証人のところにサイン頼んだぞ」

『え、俺がかよ』

「よろしく。村瀬健吾さん。また何かあったら連絡するよ」



村瀬の嫌そうな声は無視してそう告げると、電話を耳から離す。通話を切ろうとして、離れた通話口から村瀬の声が聞こえてきた。もう一度電話を耳にあてて、なんだと尋ねる。



『お前、春希ちゃんとのこと、どうすんの?』



『春希』という名前に、片付けていた手が止まった。電話を持ちなおして、ものが落ちていない床に座る。



「さあ。まだ分からない。これからどうするかは、彼女が決めるよ」

『彼女が、ってお前……。春希ちゃんは大学生なんだぞ。これから彼氏だってできるかもしれないし、』

「言ってなかったか? 彼女にも彼氏がいるよ」

『は?』



村瀬の言葉を途中で遮って言うと、何とも間抜けな声が返ってきた。電話の向こうで、村瀬が慌てている。その様子が目に浮かんで、思わず笑ってしまった。



『え、ちょ、え? は? え、なに。お前、それ知ってたの?』

「知ってるも何も、彼女と知り合ったきっかけは彼氏関係のことだ」

『え。それなのに、お前、キス、とか。え?』



村瀬は彼女に彼氏がいたという事実を知って、だいぶ混乱している。それで、それにもかかわらず、俺が行動を起こしたということに、意味が分からなくなっているようだった。



『え。じゃあ、どうすんの? 春希ちゃん、彼氏と別れんの? ていうか、その前にお前、』

「寝たよ。彼女と」



質問に先回りして答えてやると、村瀬が絶句した。

拾える範囲で破片を拾い、言葉を続ける。



「それと、彼女が彼氏と別れるかどうかは知らない。それも含めて、俺とのこと考えてるのかもしれないし」

『え、ごめん。もう意味分かんない』

「曖昧でも何でも、彼女が欲しいって伝えた。だから、俺は彼女が彼氏と続けたままでも構わないって言ってある」



村瀬の溜め息が、通話口から聞こえた。



『なに、そのちぐはぐな感じ。要はお前も浮気相手ってこと?』

「そう言われれば、そうだな」

『何で今気付いた風なんだよ』

「いや、本当にそう思ったんだ。彼氏は今日本にいなくて、彼女も彼氏と連絡取り合いたいと思ってないから」



その言葉は本当だった。彼女の彼氏の存在が曖昧すぎて、そういう考えはまったく思いつかなかった。というよりも、彼女といる時は、彼氏がどうとかなんて考えていない。



『えー。もう、春希ちゃんもどうなってんの?』

「彼女が話してもいいって言ったら、今度話してやるよ」

『おー』

「いきなり電話して悪かったな。また何かあったら連絡するよ」



元気のない村瀬の返事を聞いて、電話を切った。

破片を拾うのを一旦やめて、後ろにあったダイニングテーブルの脚に寄りかかる。小さく息をついて、昨日までの、彼女とのことを思い出した。

彼女が欲しいと、いつの間にそこまで欲深くなったのか。名前を呼ぶだけじゃ足りなくなって、キスをしても足りなくて、触れてももっと触れたくなって。彼女に関しては、どこまでも欲深くなる。彼女に相手がいようが、関係ないとすら思ってしまうほど。彼女が自分の立場を悩む必要はない。俺だって、彼女と立場は同じなんだから。

彼女自身の答えが聞ければ、それでいい。俺といたくないというなら、それも仕方ない。それが彼女の出した答えなら。

だけど、彼女が俺のことではなく、誰かのことを考えて出した答えなら、俺はそれを受け取れない。

自分勝手な人間だと笑えた。結局は、彼女が欲しいだけか。そう自嘲しながら、もう一度立ち上がって、片付けを再開した。






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