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「先生さ、最近さっきみたく窓見てたり、腕組んでぼけっとしてること多いよね」
月曜日のバイトで、いつも授業をみている高校生の女の子にそう言われた。その言葉にペンを動かす手が止まり、ぎぎぎっと鈍い音がなりそうなほど、ぎこちなくその女の子の方を見る。女の子は私のこのぎこちなさには気付いていないようで、両腕を机の上に置いて「何かあった?」なんて可愛らしく聞いてきた。
「いや、特に何もないけど。学期末だから疲れてるんですよー」
わざとらしく疲れた顔をしてみせ、へらっと笑う。
「えー。先生そのうち倒れるんじゃない?」
「倒れたら看病よろしく」
「やだよ」
生徒が冗談で笑って言うことに、冗談を返して、それに返ってきた生徒の返答に二人して笑う。笑いながら、気付かれていことにほっとする。
最近のことを考えれば、『何かあった』どころの話ではない。彼氏とは未だ別れられず、古賀さんにもまだ何も伝えていなくて、永井さんとはどうなるかさえ分かっていない。それを自分でどうにかしなきゃならない。誰かに全部ぶちまけて楽になりたいような、そうでないような。そんな気分だ。
生徒に次の場所を指定して椅子から立ち上がる。金曜日から、何も進んでいない。自分の欲しいものが何なのか、未だに分かっていなんだから。
***
バイトが終わって、いつものように古賀さんと二人定位置に座って、二人ともが何も言わずにぼーっとしていた。古賀さんは携帯を開いて何かをしていたようだけど、それもすぐに終わらせて、何を言うでもなく、いつものコンクリートブロックのところに座っている。私の方は、意味もなく携帯をいじって、永井さんのことや彼氏のことを言おうかどうしようか迷っていた。言いたいけど、言いたくない。今の状況を話してしまいたい気持ちもあったけど、それを話して古賀さんに嫌われたくないという気持ちもあった。
「……どうなった?」
古賀さんが、私の考えを読んだかのように、そう口にした。携帯を持ったまま顔を上げると、古賀さんがこちらを見ていた。その古賀さんを見るだけで、また古賀さんが気を使ってくれたんだと理解する。自分からは言いだせない私に、助け舟のように、古賀さんから聞いてくれたんだ。やっぱり、古賀さんは優しい。
「なーんにも進んでない。別れてもないし、断れてもないし。別れようって言っても、おあいこだから別れたくないとか言われて、一緒にいれないって言ったら、ちゃんと私の答えが欲しいって言われて。人に流されちゃってる」
軽い口調で言ってみたら、古賀さんが、少しだけ眉を寄せた。きっと、古賀さんは私がそんな口調と同じ気持ちでいるなんて思ってない。眉を寄せた古賀さんを見て、そう思った。
「彼氏とかそういうの全部無しにして、お前はどうしたいの?」
それを聞かれると、うまく答えられない自分がいた。古賀さんから視線を外して、こつんこつんと足を原付にぶつけながら、ぼんやりと地面に目をやった。古賀さんは私を急かすことなく、黙って私の答えを待っている。
私は今、どうしたいんだろう。このままでいたいのか、それとも永井さんと一緒にいたいのか。
「永井さんと、一緒にいたいのか?」
斜め向かいから、古賀さんが尋ねた。それでも、私はそれには答えずに、こつんこつんと足をぶつけたままでいる。
永井さんと一緒に、いたいんだろうか。嫌いじゃない。永井さんのことは。永井さんと会って、カフェで話をするあの時間が、好きだった。何があっても味方だと、永井さんは言ってくれた。曖昧でも何でも、私が欲しいと。
「……たぶん」
足を原付にぶつけながら、視線を古賀さんから外したまま、古賀さんの質問に答えた。
自分で答えてから、本当にそうなんだろうなと感じた。
「なら、それでいいじゃない?」
私の答えに同意してくれる古賀さんの言葉を聞いても、それを素直に受け止めることができなかった。古賀さんに目を向けずに「うん」と曖昧な返事をして、まだ足を動かす。
「お前が彼氏と付き合ったまま永井さんと一緒にいることを選んでも、俺は、俺とお前は、変わらない。ずっと、このままだ。何かあれば、話しにくればいい」
そう言う古賀さんの言葉を聞いて、やっと私は古賀さんの方を向いた。暗くて古賀さんがどんな顔をしているかまでははっきと分からないけど、古賀さんはちゃんと私の方を向いていて、今の言葉が嘘ではないと感じられた。そんな古賀さんを見て、少しだけ泣きそうになった。
古賀さんは、本当に私のことをよく分かっているみたいだ。私が、惰性で彼氏と続けることも、永井さんに気持ちが向いていることも、古賀さんは分かっていた。曖昧な自分が古賀さんに軽蔑されることを恐れていることも、分かっていた。ずるくて、ひきょうな私を、分かっていた。それでも、自分は変わらないと、そう言ってくれている。
「何かあったら、変なこと考える前に話せって、いつも言ってるだろ。お前が変なこと考えだすと、ろくなことない」
少し笑いながら、古賀さんがそう言った。
「だって、古賀さんがいなくなったら、どうしたらいいか分からなくなる」
「いなくなるもならないも、同じバイトなんだから変わらないだろ。あほなこと考えんな」
「どうせあほですよー」
いつもみたいなやり取りをして、さっき泣きそうになったことを隠した。古賀さんがいつものように笑ってる。それを見て、私も笑えた。いつものように古賀さんに話したおかげで、さっきまで感じていた重苦しい気持ちが、どこかに飛んでいった。全部、全部古賀さんのおかげだ。だから、私は古賀さんがいなくなることが怖い。
「お前の好きにしたらいいんだよ。どうするか決める権利は、お前だけにあるんだから」
もう何回目かも分からない言葉を、古賀さんは口にした。こうやって、古賀さんはいつも私が欲しい言葉をくれる。それがどれだけ助けになっているか、きっと古賀さんは知らない。
「ありがとう」
「どういたしまして。何かあるなら、話せばいい。話くらいは聞くから」
「だから、それが嬉しいんだって。こんなこと言えるの、古賀さんしかいないんだよ」
「あー、あの時、お前の愚痴なんて聞くんじゃなかったー」
わざとらしく落ち込む古賀さんが、本当に優しくて、嬉しかった。
周りに何を言われても、古賀さんがいると思えば、それだけで乗り越えられる気がした。