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これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Story 12. 今、どこにいるの
35/111



永井さんが教室に入ってくると、一番に目を向けられた気がした。

結局、この一週間、永井さんからの連絡を全部無視していた。それが原因の苛立ちが、向けられた視線に隠されているようだった。

そんなものを思っているのは私一人だけのようで、横に座っている友達は、何ら変わりなく携帯をいじっている。永井さんが教壇に立つと、その携帯もさっさと仕舞って、授業の準備を始めていた。何となくそんな友達がずるくて、いきなり身体をぶつけてやる。



「え、なに」

「何となく、ストレス発散」

「意味分かんないんだけど」



そう言って、友達は笑う。

学校で一番仲が良いともいえるこの友達にさえ、永井さんと知り合いだということは言っていなかった。言えば、この友達も絶対に相談に乗ってくれる。それでも、やっぱり言えなかった。結局、この問題は、自分の中で何とかするしかないと自分でも分かっている。それを、直視したくないだけで。

そうやって考えて、また溜め息をつきそうになって、椅子にもたれかかったままずるずると身体を下げていった。



授業の終わり際に、永井さんが先週提出したミニレポートについて何人かに聞きたいことがあると言って、学籍番号を呼んでいった。私は特に気にすることもなく、筆箱なんかをさっさと鞄に放り込んで、友達と教室を出ようとする。



「それから、」



最後に呼ばれた番号は、私のものだった。友達もそれに気付いて、『あれ?』という顔をしてくる。



「名前でも書き忘れたかな」



へらっと笑ってそう言い、友達に先に行ってもらう。周りの学生もどんどんと教室を出ていき、呼ばれた数人の学生が教室の端っこにある教壇に向かっていた。鞄を座っていた場所に置いて、私もそちらに向かっていく。

本当は、名前なんて書き忘れていない。永井さんが、わざと私の番号を呼んだということくらい分かっている。それでも、ああやって呼ばれたからには、行かないと友達が変に思うだろう。永井さんは、ひきょうだ。

数人の学生が列をなしている端っこの教壇に行って、近くの長机に浅く座る。呼ばれた学生は、本当にミニレポートに関することを聞かれていた。ほとんどが先週来ていないとかで提出できてないということだったけど、中には同じ内容のものを書いた学生もいたようで、書き直すか単位を落とすかどっちがいいかと聞かれていた。ずるがばれた学生は永井さんからミニレポートを受け取り、肩を落として出口の方へと向かっていった。

最後に私だけが残り、教壇に近付くも、永井さんは私に気にすることなくレジュメなんかを整理している。教壇の反対側からドアが閉まる音が聞こえて、学生がいなくなるのを待っていたのかと思い当たった。幸か不幸か、永井さんの授業は二時間目で、お昼休みにここに来る学生はいないみたいだ。

永井さんはレジュメを鞄に仕舞うと、教壇とセットの椅子に座って、私を目の前に呼んだ。教壇の前に立っていた私は、素直に教壇を回って永井さんの目の前に立つ。



「何で連絡無視したの?」



机に頬杖をつきながら、永井さんが聞いてくる。



「じゃあ、何であんなことしたの?」



逆に聞き返せば、永井さんは少しだけ首をひねって、また私を見てきた。



「君も俺に近付いてるんだって分かったから」

「なに?」



言葉の意味が分からず、思わず聞き返してしまう。



「君の本心が知りたくて、誘われそうになったことを言ったら、君が嫌そうな顔した気がした。それで、君も俺に近付いてきてるんだって思ったんだよ」



真っ直ぐにこちらを見て言う永井さんから、視線を逸らせてしまう。

やっぱり、永井さんは分かっていた。



「それでも、永井さんは気付かない振りすべきだよ」



もう一度永井さんを見て言えば、永井さんは少し困った顔をして笑う。頬杖を止めて、腕だけを教壇に置いた。



「そうしようと思ったんだけどね。無理だった」

「無理って……。好きとかそういうのがないんだったら、」

「たぶん、好きなんだろうね。君のこと」



あっさりとそう言う永井さんを見て、言葉に窮してしまう。



「……冗談やめてよ」



やっとのことでそう口にしても、永井さんは私から目を逸らすことはなかった。



「冗談じゃないよ。あの日、君がああいう顔したの見て、自分から制御するの止めたんだから。簡単に君から離れたように見えた?」



何なんだ、この人は。そう思って、もう完全に永井さんから視線を外す。

あの時離れた永井さんの目は、今でも覚えていた。永井さんの問いかけに「嫌だ」と答えれば、そのままどこかに行きそうだった。「帰る」と言えば、引きとめられて、更に深みにはまりそうだった。だから、何も言わずに車を出た。



「あの後、家に帰って、どうしようもなくて、万里子を抱いた」



『万里子』という名前は初めて聞いたけど、それが誰だかは検討がついた。

永井さんに顔を戻した私を見て、永井さんが小さな笑みを浮かべた。



「嘘だよ」

「え?」

「万里子を抱いたなんて嘘。家に帰ってからも、君とのこと忘れられなくて、何もまともなこと考えてない」



永井さんの言葉に、何か言おうと口を開くも、何を言ったらいいのか分からなくなって、結局口を閉じた。



「そんな顔するから、あの時だって止められなくなった」

「そんな顔ってなに」

「嫉妬してるけど、嫉妬してないように見せかけてる顔」

「意味分かんない」



もう嫌だ。何を言えば、永井さんから離れられるんだろう。



「意味が分からないのは君の方だよ。嫉妬してるなら嫉妬してるで、ストレートに出してくれた方が分かりやすい。近付きたいなら近付きたいで、何も考えずにそうしてくれた方がずっと楽だ」

「知ってると思うけど、」



これ以上永井さんの言葉を聞きたくなくて、少し強めに言葉を続けた。それでも、永井さんの表情は変わらない。



「私、まだ大学生なの」

「うん、知ってる」

「ドロドロの不倫にはまる気なんて、さらさらない」



そう言い切っても、永井さんは顔に小さな笑みを浮かべる。



「不倫にするつもりはないんだけどね」

「何言って……」



そこまで言って、永井さんの左手に視線を移した。そうして、あることに気付く。いつもの場所で光っている、シルバーの指輪がそこにはなかった。いつからだろう。



「今日、ここに来るときに外したんだ。今まで何も感じなかったのに、あの日初めてあれが苦しく感じた。無視しようと思ったんだけど、そうもいかなくなった」



それを聞いて、何も言えなくなる。呆然とする私に、永井さんは安心させるように微笑んだ。



「君のせいじゃないよ。どのみち、こうなるつもりだった」



そんなことを言われても、まったく説得力がない。『こうなるつもりだった』と言われても、結局こうなったのは私と会ってからで、あんなことがあった後だ。どう転んでも、発端は私にあるような気がした。

永井さんは黙る私を見て笑い、鞄の中を探りだす。そして、そこから取り出したものを、テーブルの上に滑らせてきた。そこにあったものは、電車の切符だ。ここから、三つ隣の県までの。ということは、永井さんの住むところからは隣の県ということだ。行ったことはないけど、確か快速で一時間ちょっとだった気がする。

意味が分からず永井さんの方を見ると、永井さんは相変わらず笑みを浮かべたまま、私の方を見ていた。



「来週の土日に、そこで学会があるんだ。朝が早いから、ホテルをとってある。良かったら来て」

「なん……」



最後まで言葉を続ける前に、永井さんに引き寄せられて、キスをされていた。椅子に座っているとはいえ、足の長い椅子に座っている永井さんと私では、まだ永井さんの方が高く、両手で頬を包まれるようにして、顔を上に向けさせられていた。

あの時のように、何度も、ゆっくりと唇を重ねてくる。重ねた唇から、永井さんが入り込んでくる感じがする。抱き締められたりとかよりも、永井さんを感じている気がした。押し返そうと上げた腕が、宙ぶらりんのまま、永井さんの膝に落ち着く。

少しして、ゆっくりと離れた永井さんの目は、あの時と同じ目をしていた。どうしていいか分からず、永井さんの目を見返す。



「部屋が分かったら、また連絡するよ」



両手で頬に触れ、真っ直ぐにこちらを見たまま、永井さんがそう言った。そうして、私から手を放し、教壇に置いていた鞄を持って、私の横を歩いていった。

私はどうすることもできずにそこに立ったままでいて、後ろから聞こえたドアの閉まる音で、ようやく動き出す。教壇を見ると、電車の切符が置かれたままになっていた。それを手に取って、どうすればいいんだと考える。もう、本当によく分からなくなってきた。自分が何をしたいのか、どうしたらいいのか。

その時、ジーンズのポケットに入れていた携帯が震えた。のろのろと携帯を取り出してメール画面を見れば、先に出ていった友達からだった。まだ時間が掛かるのかという内容を読んで、携帯の時計を見ると、もう昼休みが30分ほどしか残されていなかった。慌てて友達に電話を掛けながら、鞄の場所まで戻る。

切符は、自分の財布に仕舞っておくことにした。



***





家に帰ってから、ぼんやりと切符を眺める。今日は金曜日だけど、永井さんからの連絡もなければ、バイトも入っていなかった。家のソファに座りながら部屋のカレンダーを見れば、来週は月曜が祝日で、土曜から月曜にかけて三連休になっていた。

永井さんは、私が嫉妬していると言った。そんなつもりはなかった。確かに、永井さんが誘われそうになったと言ったときや、奥さんを抱いたなんて言ったときは嫌な気分になったことは事実だ。それでも、嫉妬とは並べてほしくない。永井さんは、嫉妬なんてするべき対象ではないはずだ。いきなり『抱いた』なんて発言されたら、誰だって嫌な気分になるだろう。そうやって勝手に決めたものの、切符は手放せずにいた。

テーブルに置いてあった携帯が、いきなり震えた。誰だと思って画面を見ると、そこに表示されていたのは番号だけ。つまり、彼氏からだ。溜め息をついて、携帯を取ってソファに放る。しつこく鳴っていたが、しばらく無視していると、それも鳴り止んだ。横に放った携帯を見て、自分も一緒かと自嘲する。

永井さんには結婚しているとかどうとか言って、近付くなと言った。距離が近いと、特定の距離を保てと言った。

自分だって、永井さんと同じ立場のくせに。結婚していないだけで、相手がいることには変わりない。そんな私が、永井さんとどうにかなるのか、どうなのかということを悩む時点で間違っている。永井さんが結婚しているから離れるのではなく、自分に彼氏がいるから離れるべきなんだ。

そう思うのに、私は、切符を眺めたままでいた。


次の日の夜、古賀さんに相談しようか迷っていると、当の本人から電話が掛かってきた。



「どうしたの?」



日付も変わるような時間で、何かあったのかと思う。今日は、美香ちゃんとデートのはずだ。



『いや、ちょっとな』

「なに?」



言いにくそうにしている古賀さんに、笑って先を促す。反対の手では、昨日のように切符をいじっていた。



『今日、美香ちゃんと遊んでさ』

「うん」

『結局、付き合うことになった』



切符をいじっていた手が止まる。



「そっか。おめでとう」







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