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これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Story 11. 食われる気分
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『ごめん。今日もバイトになった』



昨日彼女から送られてきたメールをもう一度見て、やっぱり何かあったのだろうと考える。先週も、昨日も、彼女と授業以外で会うことなく過ごしてきている。別に、その日の予定なんて彼女のものなのだからあまり構わない。ただ、それに連絡の頻度が減ってきていることとあまりやり取りを続けたくないと思わせる文面が加わると、どうも何かがおかしいと思わざるをえない。それが、二週間前からだとすればなおさら。

彼女があの車の中でのことを気にしていることは、何となくメールから想像できた。こちらが何も気にしていないような内容を送っていることが、余計に彼女を悩ませているだろうということも。彼女が俺ともう会いたくないというなら、それも仕方ないと思う。元を正せば、俺と彼女には何の接点もないのだから。だが、その理由が俺との距離を気にしてだということならば、俺は後ろには下がらないだろう。

二週間前のあの時から、彼女は俺に近付いてきていた。カフェで話したことが、彼女に届いたのだ。それを彼女も自覚しているから、あの車でのことを気にしている。俺との距離に、どうすればいいか分からなくなっている。そこまではいい。それの行きついた先が、俺と会わないということなら、俺はそれを良しとしない。その答えに、古賀という彼が関わっているなら、なおさらだ。



「すみません」



肘かけに肘を置いて彼女とのことを考えていると、横から女の人が座席に着くために前を通ってきた。俺は少し深めに椅子に座り、その女性が通りやすいように道を作る。女性が俺の前を通って、俺の右隣に腰を下ろした。それを横目で見て、また先ほどと同じように座って、肘かけに肘をかけてその手を頬杖にする。反対の手で持っていた携帯は、ジーンズのポケットに仕舞った。

今日は、隣の県まで芝居を見にきていた。なかなか大きな劇団で、それなりに名前の売れている役者も出ている。この劇団の関係者と俺の知り合いの教授が知り合いで、その教授から今日の舞台のチケットを貰っていた。万里子も一緒にということだったが、テレビ俳優が出ているならともかく、元からあまり舞台には興味のない万里子は『知ってる人がいないから』という理由で来なかった。今日は、友達と買い物に出かけると聞いている。昨日も先週も彼女に会わずにいて、余ったチケットをどうすることもできず、部屋のゴミ箱に丸めて捨てた。

横の女性が座ってすぐ、開幕のブザーが鳴る。考えるのを止めて、今日の舞台に集中した。







舞台が終わって、挨拶をする出演者に拍手を送る。最後のファンサービスも終わり、幕が下りると、次々と客たちが席を立つ。俺の周りも、どんどんと人が立ち上がっていった。隣に座っていた女性も立ち上がり、俺の前を通ろうとして頭を下げる。俺は最初と同じように深く椅子に座り、前を開けた。女性が前を通ったとき、その人が手に持っていたマフラーが床に落ちた。



「落としましたよ」



気付かずに歩いていきそうになるその女性に声を掛け、椅子から立って落ちたマフラーを拾い、女性に差し出した。声に振り向いた女性は、20代後半のようで、俺の顔を見て「すみません」と謝ってマフラーを受け取った。女性がマフラーを受け取ったその時、その顔にわずかながらの失望が見てとれた。



「ありがとうございます」



けれど、顔を上げてそう言う女性はきれいな笑顔になっていて、先ほどの表情は何なんだと思う。「いいえ」と答えた時に自分の左手が目に入って、これかと理解した。



「先、進んでますよ」

「え? あ、ありがとうございます」



そのまま俺の前に立つ女性に、前の人が進んでいることを教える。その女性はそれに一瞬戸惑ったものの、また礼を言って先を歩いていった。女性以外の右側の席にいた客たちは、反対側の通路に向かって出ていったようだ。

小さく息をついて、自分の席にまた座る。左手を肘かけに置きそうになって、薬指にある指輪が視界に入った。さっきの女性も、どうやらこれを見て失望したらしい。こういうことは、何度かあった。女というものは、男を見るととにかく誰でもそういう対象として見てしまうのか、指輪を見て微かに表情を変える人が過去にも何人かいた。大抵の場合、それには何の意味もなく、単に『結婚してるのか』くらいの気持ちだということはこっちも理解している。面倒なのは、それがかえって相手に火をつける時だ。障害があれば燃えるのか知らないが、しつこいくらいの積極さを向けられたことが主に遠出の学会等で一、二度あった。さっきの女性は、左手のこれを見た後も動かなかったから、もしかしたらこれが見

えずにマフラーもわざと落としたのかもしれない。これほど、この薬指に光るものは、それなりの威力を示す。望むと望まないとにかかわらず。

もう一度息をついて、今度は俺も立ち上がって出口に向かいだした。


出口ドア付近まで来て、そこから先がまだ少し混雑しているようだった。前の人間に合わせて歩調を緩め、ゆっくりとドアの外に向かう。上にどれだけいたのかと思い、自分よりも上の席の方を見た時、ある人間に目がいった。その人は、俺のことに気がついておらず、階段をゆっくりと下りて、俺が出ようとしているドアより数段上にあるドアに向かっていた。驚きのあまり目を逸らせずにいると、その人間――二週間前から会わずにいる彼女、宮瀬春希も何気なしといった風に下を見て、俺に気付いたようだった。遠くからでも分かるくらい彼女は俺を見て驚いているようで、歩いていた足が止まってしまっていた。ほんの少しの間お互いに目が放せなくなっていたが、俺から先にドアではなく彼女に向かって歩

き出していた。彼女もそれに気がついたようで、はじかれたようにその場を離れ、前を歩く人たちを避けながらドアに向かっていく。



「すみません。ちょっと通して下さい」



人の間を縫って歩くようにして、彼女の方に向かう。終わり際の人といえど、人を押しのけるようにして歩く俺に、何人かは迷惑そうな顔をした。今はそんなものは無視して、彼女の方へと歩を進める。

先ほど彼女が立っていた場所まで来ると、彼女は既にドアの方にいて、廊下へと出てしまっていた。俺もその後を追って、廊下へと出る。だが、廊下を出たところには更に大勢の人がいて、彼女の姿はその中に紛れ込んでしまっていた。右を見ても左を見ても、彼女の姿は見えなかった。ドア付近に突っ立っている俺を横目に、周りの客はどんどんと先に向かって歩いていく。俺もそれに続こうと足を一歩前に進める。

流れについて歩いていったところで、やっと劇場のロビーフロアに出た。客はそれぞれの方向に歩いていっている。舞台のパンフレット等を売っている物販のところにいる人もいれば、併設されている駅やショッピングプラザに向かう人もいる。その中に彼女を探してみるも、やはりその姿を見つけることはできなかった。



「永井さんじゃないですか」



携帯で彼女に連絡をとろうか考えていた時、横からそう声が掛かった。声の方を見れば、俺にチケットをくれた教授がそこに立っていた。携帯を仕舞って、その教授に向き直る。



「どうも」

「いやー、会えてよかった。もう少ししたらここの知り合いと会う約束になっているんだ。一緒に来ないか?」



教授の誘いに、内心顔をしかめてしまう。『ここ』というのは、おそらく教授と知り合いの劇団関係者だろう。正直、今は彼らと一緒に話したい気分ではない。どうにか断る理由はないかと思い教授の方を向くも、教授の方はにこにことした顔でこちらを見ている。心の中で、溜め息をついた。



「ええ、ぜひ」



そうやって笑って答えると、教授は嬉しそうな顔をして「よかったよかった」と言う。

誘いを断っても、彼女を探すことは分かっていた。いるかいないか分からない彼女を探すより、この人たちと話していた方がマシだろうと、自分で自分に言い聞かせて、教授の話に耳を傾けた。



***




喫茶店を抜けて、腕時計に目をやって、溜め息をついた。今の時間は5時過ぎ。昼の公演を観終わった時間から考えると、約二時間もここで教授や劇団関係者と喋っていたことになる。その二人は、まだ中で喋っていた。このままだと夜も付き合わされそうで、適当な理由を作って逃げてきた。

駅の地下街を歩きだして、家に帰ろうかとも考えたが、今は家に帰る気にならない。どこか時間を潰せるところはないかと考えて、併設されたショッピングプラザを思い出した。そこなら本屋の一つや二つはあるだろうと思い、そっちに向けて歩きだす。


思った通り、本屋は10階建てのそのプラザの8階にあり、そこそこな人がいた。下の服売り場になると、土曜日ということもあって、これより多くの人がいたが。本屋に入って、適当に何かないかとぶらつく。雑誌のコーナーに行くと、ふと小さな文字で村瀬健吾と書かれてあるのが見えた。手にとってみれば、それはカジュアルな女性週刊誌で、パラパラとページをめくると、村瀬の写真とインタビューが3ページほどあった。メジャーな週刊誌に出るくらいなのだから、村瀬もだいぶ名前が売れてきてるらしい。記念に買っていってやろうかとも考えて本を手に顔を上げると、棚の向こう側にある通路に、彼女がいた。

彼女は、本屋の目の前にあるエスカレーターの横のソファに座っていた。手持ちぶさたな様子で、携帯をいじっている。こちらには、気付いていない。棚を挟んだこちら側で黙って彼女を見ていると、今度は彼女のことをちらちらと見ている大学生くらいの男が目に入った。自然と、眉間にしわが寄る。大学生は彼女の隣にあるソファに座っており、よく見ていると、彼女だけでなくその向かいにあるCDショップにも目をやっている。その視線を追って、俺の位置から斜めにあるCDショップを見ると、二人の大学生ほどの男が彼の方をはやし立てるように見ていた。

そういうことかと、呆れてしまう。彼女の方を見れば、横のソファの男にも、その向かいにいる男にも気付いていないようだった。彼女も女の子のようで、今日みたいな日には服にも気を使ってくるらしい。いつものジーンズ姿と違い、今日はスカートをはいていた。そういえば、以前に会った舞台の時もいつもと服装が違っていたのを思い出す。劇場で見たときは気がつかなかったが、今日は髪も何かしらアレンジしてあるようだった。

見ていると、彼女も男の方もどちらもまだ動きそうになかったので、本を持ってレジへと向かった。

レジで会計を済ませて、彼女が座るソファへと歩いていく。彼女も、男も気が付いていない。



「はい」



彼女の斜め前に立って、今買ったばかりの雑誌が入っている袋を彼女の前にぶら下げた。俺の声に、彼女が勢いよく顔を上げる。その顔は、驚きと戸惑いが混ざっていた。



「え、」

「村瀬が出てたよ。これ」



驚きや戸惑いに加えて、意味が分からないという表情も顔に表れ、彼女は何度も瞬きをする。そんなことは無視して、彼女の前で袋をぶらぶらと揺らす。



「ほら」

「あ、うん」



目の前で揺れる袋を、彼女は意味も分からず受け取った。その時に、ちらっと気付かれない程度に横にいる男を見ると、その男は明らかに落ち込んでいるような顔でこちらを見ていた。CDショップにいた男たちの方は、『あーあ』というように顔に同情とも諦めともとれる表情を浮かべている。隣の男が友達のところに戻ったのを見てから、座っている彼女に目を戻す。彼女の顔から驚きはなくなっていたが、戸惑いは依然として残っていた。そして、その顔のまま、彼女は居づらそうに視線を泳がせている。俺も何も言わずに、彼女が携帯を持っている方の手を取って、彼女を立たせる。彼女の顔にまた驚きの表情が戻って、俺を見上げている。



「なに?」



慌てて彼女が手を放して、携帯をポケットに仕舞い、尋ねてくる。



「いいから。行くよ」



離れた手をもう一度掴んで、俺は彼女を連れて下りエスカレーターに向かった。






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