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これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Story 9. 知らない話なんか知らない
30/111




***



あれからしばらくして、カフェを後にした。

彼女はあれから彼氏のことを話題にすることはなく、代わりにバイト仲間たちとのことを口にしていた。彼氏のことを話しているより、バイトなんかの話をしている時の方が彼女はずっと楽しそうだ。やっぱり、彼女にとってバイトやその友達とのことは、生活の中心になっているんだろう。


いつも彼女が原付を止めている商業施設に着いたのは、6時過ぎだった。いつもはもっと早いんだが、今日は割とカフェでゆっくりしていたらしい。駐車場に入ると、彼女が原付を止めている駐輪場の近くまで車を進めた。夕飯近くだからか、今の時間はそれなりに車がある。車を駐車場の端の方にある駐輪場の近くに止めて、サイドブレーキを引いた。



「じゃあね」

「うん」



彼女は頷くと、鞄を持って車を降りようとしたが、何かに気付いたように「あっ」と声をあげてもう一度シートに座りなおした。



「どうしたの?」



彼女の行動の意味が分からず尋ねると、彼女は朝から持っていた小さな紙袋の中から小さな透明の袋を取り出した。



「はい」



そう言って差し出された袋には、口の部分が可愛らしく紐で結ばれていて、中を見ればカットされたチーズケーキが入っていた。



「なに、これ」

「お礼だよ。コートの」



彼女が差し出したものに目を丸くして聞くと、彼女は当たり前だというように返してきた。あまり状況が飲み込めていないものの、一応差し出された袋を受け取る。あまり反応を示さない俺に、彼女は苦笑しながら口を開いた。



「一応友達からも好評価はもらってるから、心配しなくていいよ」

「あ、そう」

「え、甘いものダメだった?」

「いや、大丈夫だけど」



彼女の質問に首を振って答える。特に甘いものが嫌いというのもないし、出されたものは何でも食べる。が、これはそういう普通の類のものではないし、どう反応していいか分からなかった。



「何で、今?」

「だって、さすがにカフェでそれは渡せないでしょ。中身見えてんのに」



そう言って苦笑する彼女に、そうかと納得する。

だいぶこの状況が飲み込めてきて、袋をちゃんと持ち直してから彼女に笑いかけた。



「ありがと」

「うん。あ、でも家に帰る前に食べちゃいなよ?」

「ああ……」



彼女の言葉に今度は俺が苦笑する。

確かに、こんなものを家に持って帰ったら、万里子が何を言うか分からない。コートは教授に貸したことになっているし、誰に貰ったかを説明するのは一苦労だろう。会ったこともないのに、彼女は万里子のことをよく見抜いている。

彼女は俺が苦笑いするのに笑って、「じゃあね」と言って今度こそ車を降りようとした。それを、彼女の腕を掴んで引きとめる。



「なに?」



彼女がきょとんとしてこちらを振り向いた。



「どうせならここで食べてくからさ、それまでいてよ。一人で食べるなんて嫌だし」



そう言えば、彼女は呆れたように笑った。それから、リュックの中を探り、財布を取り出してからまた俺の方を見る。



「コーヒー? 紅茶?」

「じゃあ、コーヒーで」



俺の答えを聞くと、彼女は財布だけを持って車を降り、すぐそこにある自販機に駆け寄った。彼女がコーヒーを買いにいっている間に、ラッピングの紐をほどいてケーキを取り出す。



「はい」

「ありがとう」



戻ってきた彼女からコーヒーを受け取り、運転席のホルダーに入れる。彼女を見れば、自分の分は買ってきてないようだった。彼女が横で座りなおすのを横目に、ケーキをそのまま一口頬張る。濃厚なチーズケーキの甘い味がした。片手でコーヒーのタブを開けながら、うんうん頷いてみる。彼女が窺うように、こちらを見てきた。



「おいしいよ」

「よかった」



彼女は満足そうにそう言って笑う。

もう一口食べてコーヒーを飲むと、甘いケーキと苦みのあるコーヒーでちょうどいい感じだなと自分でも思った。



「ケーキなんて作るんだね」



俺がそう聞くと、彼女はわざとらしく心外だというようにして顔をしかめた。



「こう見えても、料理はそれなりに出来るんです。お菓子もたまに作るし。それに、今週はけっこう暇だったから」

「なるほどね」



頷きながら、彼女がくれたケーキを食べていく。予想以上においしくて、自分でも分かるくらいぱくぱくと進めている。ケーキはすぐになくなった。最後の一口を食べ終えてからコーヒーを飲み、彼女の方に向き直った。



「ありがとう。おいしかったよ」

「どういたしまして」



彼女は笑ってそう言ったものの、少ししてから困ったような顔つきをした。どうしたと聞くように首を傾げれば、彼女は俺を見て小さく笑う。



「さっきは、ありがとう」

「なんのこと?」



お礼の意図が分からず、先ほどよりも首を傾げてしまう。



「さっき、何をするかも考えるかも、私の思うようにしたらいいって言ってくれたでしょ?」

「ああ、うん」

「あれ、嬉しかったんだよ。決める権利は私にしかないっていう風にも言ってくれて」



彼女は先ほどの事を思い出しているのか、少し俺から視線を外してそう言った。その顔は本当に嬉しそうで、意図を理解した俺は、彼女の顔をじっと見ていた。



「古賀さんもさ、そういう風に言ってくれたことがあって。そうやって言われると、少し安心する」

「そっか」



彼女が再びこちらを向いて言うので、俺は笑みを返してそれに答える。

古賀という彼が、彼女にそう言っていたとしても、今は何も不思議に思わない。彼は、たぶん、彼女に今一番近いところにいて、いつだって彼女の味方になる人間だろう。彼女の欲しい言葉も、分かっていて当然のような気がしていた。



「今日は、永井さんがいてくれてよかった」



彼女はそう言って続ける。



「永井さんがいなかったら、今日は家で一人で勝手に苛々してただけだったろうし。あの時、永井さんがいて、ああ言ってくれて、なんか、安心した。永井さんは、味方でいてくれるんだって」



だから安心したと言う彼女。そう言って嬉しそうに笑う彼女に、自然と笑みが漏れていて、目を逸らせなかった。



「勝手だって分かってるけど……」

「勝手じゃないよ」



俺の視線に気付くことなく話す彼女の言葉を途中で止める。彼女が首を傾げる。俺は彼女から視線を外さなかった。



「君は、夢が叶っていなくても、頑張ってるじゃない。貧血気味だって言われるまで、がむしゃらに頑張ったんでしょ? そうまでして何とかしようとしてる君に、勝手だなんて、誰も言えないよ」



その言葉に、彼女は少し笑って、泣きそうな顔をした。



「ほら。そう言ってくれるでしょ? そんなこと言ってくれる人、ほとんどいないから、本当に嬉しいんだよ」



彼女は笑ったまま、泣きそうな顔でそう言った。そんな彼女の顔に手を伸ばし、目元に手を触れ、そのまま片方の頬を手で包むように触れた。彼女の目が、少し驚いたように丸くなる。



「言ったでしょ? 俺も、君の味方だって」



彼女は口では答えず、代わりに数回小さく頷いて俺の言葉に答えた。彼女が頷くのを見て笑みを返し、触れている頬を指で撫でる。先週出来た擦り傷は目立たないくらいのかさぶたになっていて、触れなければ分からないくらいだった。

俺は彼女から目を逸らさずにしていて、彼女の目が戸惑いで揺れているのが分かった。ゆっくりと、頬を撫でていたのを止める。けれど、頬に触れた手はそのままだった。

つけっぱなしにしてあるラジオから流れている曲が終わりを迎えた。どちら側かのシートが、キッと音をたてた。



「帰るね」



瞳を戸惑いで揺らしたまま、彼女が言った。その言葉と同時に、俺から顔をそむける。自然と、彼女の頬から俺の手も離れた。



「うん」



何事もなかったように返事をし、触れていた手をハンドルに置いた。彼女が鞄を持って、ドアに手を掛ける。



「気をつけて」

「うん」



じゃあねと続けて、彼女は車を降りた。俺の顔を見ないまま。

彼女が駐輪場に走って、原付で帰っていくのを見送りながら、窓に肘を置いた。

自分の行動に呆れた笑いが漏れる。一体、何をしようとしたのか。彼女が座っていた助手席を見て、また笑みが漏れる。まったく、自分で自分を制御できない年でもあるまいし。


彼女の言ったことに、自分も嬉しさを覚えたことは自覚していた。彼女が俺の言葉で嬉しくなったと言い、俺もそれを嬉しく思った。彼女が微笑んで、それに目を離せなくなった。そして、彼女に触れたいと思ったことも、覚えていた。

ただ、それからどうしようとしたのか、何かをしようとしたのか、キスでもしようとしたのか、それは分からなかった。分かりたいのか分かりたくないのか、それすらも。そんな自分にまた苦笑する。


どうやら、俺が思っていた以上に、彼女は俺の生活に、俺自身に、入り込んできているようだ。

苦笑いを漏らしたまま、車を発進させた。







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