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いったい、この変な関係はいつまで続くのだろう。
私と谷原さん、古賀さんの三人で遊ぶのが定例となってきた週末の土曜日。私たちはいつものように夕方の4時くらいから谷原さんちに集まって、ぐだぐだとしたり、課題をこなしたりしていた。
「宮瀬はテスト何個くらいありそうなの?」
ベッドを背にしてこたつに座り、谷原さんの授業の教科書を読んでいたとき、こたつの右隣に座っていた谷原さんがふと聞いてきた。私は教科書から目を離し、谷原さんの方を向いてしばし頭の中でテストの数を数える。
「えーと、テスト期間中だけだったら5個かな」
「期間中だけなら?」
「うん。期間外のも入れたら10近くあるんじゃない?」
「それは期間中?」
『それ』と言いながら谷原さんは私が読んでいた自分の教科書を指差す。
さっきからなぜ私が谷原さんのものであるこの教科書を必死に読んでいるかというと、この教科書の内容が私のとっている授業とかぶっているからだ。
私は教科書を表紙が谷原さんに見えるように立てる。
「これの期末は期間中。この間の中間、まじやばかったから頑張らないと」
「もう諦めたらいいんじゃない?」
へらへらと笑いながら谷原さんが言う。私はテーブルの上にあった消しゴムを手に取り、すぐ近くの谷原さんに投げつけた。
「縁起でもないこと言わない! 洋くんこそ単位落とせばいいのに」
「俺はもう後がないから落とせない」
胸に当たった消しゴムを拾って、前期に単位を落としまくった谷原さんはわざとらしく真面目な顔を作り首を横に振る。のわりには授業も出てないし、業者が中心になって作る授業ノートも買う気満々なくせに。
「まあ、とりあえず5個ならバイトいっぱい入れるね」
「勉強しないといけないからちょっと無理だわ」
あっはっはー、と軽く笑いながらその言葉を断ち切る。
私のバイト先は、私の大学圏内から駅が一つ隣の塾なのだけど、その隣の駅圏内にも別の大学があって、そこが谷原さんや古賀さん、その他私と同じバイトの人が通う学校だ。つまり、私がバイトする塾にはそこの大学生が多い。しかも、その大学っていうのが理系キャンパスで、文系学部は経済・経営しかないときた。ということは、必然的にテストの多い理系学部の人はバイトにあまり入れなくなる。その代わりとなるのが私や谷原さんといった文系学部の人間だ。テストの時期になると理系学部の人間からやたらと圧力が掛かる。まったく、いい迷惑だ。
「てかさ、文系は勉強しなくてもテストいけるっていうのやめようよ。今回はまじで勉強しないとやばいんだって」
「いや、俺もだよ」
「洋くんはどうせ落とすから勉強しなくていいよ」
「いや、落とさないから!」
必死に私の言葉を否定する谷原さん。まあ、その必死さが余計に今期の授業に出てない不安を表してもいるんだけど。残念ながら、バイト先のほとんどの人間が谷原さんのテスト失敗を予想している。谷原さんが必死になればなるほど、周りは谷原さんが大部分の単位を落とすだろうと思っている。そういう、ある意味残念な人なのだ。谷原さんは。
いい加減それに気づいてもいいだろうに、と思いながら再び教科書を読もうとすると、谷原さんが反論する代わりに別の作戦に出た。
「バイト入らないと、君の後ろにいる人にまた文句言われるよ」
谷原さんが掛けていた黒ぶちの眼鏡を外して、私の『後ろにいる人』を指差す。私はその『後ろにいる人』を振りかえって「ああ」とだけ言っておく。
「ある意味一番文系を軽く見てる人だからねえ……」
眼鏡のレンズを拭きながら、しみじみとした口調で谷原さんは言った。
私の『後ろにいる人』――古賀さんは、谷原さんの発言にもまったく気づかず爆睡している。谷原さんのベッドに入って、布団にくるまりながら。
「まあ、別に何か言われても古賀さんよりは入ってるし、大丈夫でしょ。てか、確実にヒマである谷原さんがそんなに最近入ってないことの方が問題アリだと思うよ」
「俺は、ほら、忙しいから」
「それ、古賀さんの前で言ってみたら」
「無理。俺、この間そいつに携帯貸してって言われて貸したら、そいつ俺のことフルコマで登録しようとしたんだよ」
古賀さんは、たぶんバイトの中で1,2位を争うくらいの腹黒さだ。そして、その1,2位にいつも狙われるのが谷原さん。ほんと、谷原さんって残念だ。
「てかさ、何でこいつ今日こんなに寝てんの? 人んちのベッドで」
谷原さんは拭いた眼鏡を掛けずにテーブルに置いて不満を漏らす。
谷原さんの不満はもっともだけど、古賀さんの傍若無人ぶりにはもう二人とも慣れてしまっていて、最近ではあまり文句を言わない。まあ、それは私だけだけど。谷原さんは未だに文句を言い続けてて、それが原因での谷原さんと古賀さんの小競り合いはしょっちゅうだ。
私はぐうぐうと眠る古賀さんにちらっとだけ目を向けて首を少し傾げる。
「なんか、昨日の英語のプレゼンを木曜の夜にずっと書いてて、寝たのが4時くらいだったらしいよ。それで一時間目行って、バイト行ってってして……。んで、昨日はご飯食べてから中山さんち行ったんじゃないの?」
「そういえばそうだったなあ。なんだかんだ言って、古賀もゲームずっとしてたし」
中山さんとは、私たちのバイト仲間で、古賀さんと腹黒さ1,2位を争う人だ。この人も一人暮らしをしていて、中山さんの部屋は一人暮らし生の中では一番の広く、また大抵の男が喜んで遊ぶもの(マンガ、ゲームなど)がたくさんある。
バイト終わりには私を含めたバイト仲間数人でご飯を食べに行くのだが、私と古賀さんだけは月曜から木曜は『お家でご飯』という体制をとっている。私は節約と勉強のため。古賀さんは実家生だから、勉強のためと主に次の日に学校に行けるようにするため。だから金曜日だけがほとんどのメンバーがそろってのご飯となる。その帰りに中山さんちに行くというのも、たまにあるパターンだ。昨日はやりたいことがあったので、私は中山さんちには寄らずに家に帰っていた。
「でも、今日は寝れたんじゃないの?」
テレビのリモコンを取って、番組表を確認しながら谷原さんが尋ねてくる。
「今日は午後から教習でしょ。……あ、それ観たい」
「ん? ああ、これ?」
テレビの番組表に私の好きな洋画のタイトルを見つけて、谷原さんにチャンネルを合わせてもらう。
パッと、チャンネルが変わって、アメリカ人の俳優がテレビに映し出される。ちょうどCM開けだったのか、画面の下にテロップで『番組終了後、レムス・ウェインが最新作【街角の恋】をPR! お楽しみに!』と流れている。
「古賀の教習っていつ終わるんだろうね」
「さあ」
若干の呆れを含んだ声で谷原さんがベッドの古賀さんを見やる。エアコンも効いて、それほどは寒くないのに、古賀さんは布団の中で丸まっている。
どうせ谷原さんの部屋だし、と関係のない私はさっさとテレビに視線を戻す。
「この『ニューヨークの騎士~ナイト~』ってやつ面白いの?」
「んー、まあ私は好きだけどね。っていうか、レムス・ウェインが好き。まあ、ラブストーリーが好きじゃなかったら、あんまり好きじゃないかもね」
「ふーん。じゃあ、下に書いてあった新しいのも観に行くの?」
その質問に答えるより早く、テーブルの上にあった携帯が振動して着信を知らせた。谷原さんの携帯だ。
谷原さんは目の前にあった携帯を取るなり「うわ……」と嫌な顔をして、通話ボタンを押した。
「もしもし? ああ、なに?」
そっけない谷原さんの応答から察するに、相手はよっぽど嫌いな人だったんだろう。私は、電話を気にすることもなくテレビに目を戻して映画を楽しむことにする。
谷原さんの電話は聞いているだけでも相当面白く、時々にやにやしてしまう。
「はあ? めんどくせーよ。お前が来い。知るか。……あー、もう。分かったよ。んじゃあ、中間地点のコンビニでいいだろ」
結局は谷原さんが折れる形で電話は終了し、谷原さんはいらついたまま電話を切った。
「だれ?」
「田川」
むすっとした顔で谷原さんは答える。電話を聞いて『もしかして』と思ったけど、大当たりの人物で思わず笑ってしまった。
田川、とは谷原さんと同じゼミで谷原さん曰く『他のゼミ生にも嫌われてる』と噂の人だ。彼の奇行、愚行は谷原さんを通してバイト仲間のほとんどが知っている。
私が大笑いする横で谷原さんはテーブルに置いた眼鏡を掛けて立ち上がり、財布もキーケースや携帯、音楽プレイヤーと一緒に手に取った。
「なんか田川が月曜のゼミ発表の原稿渡したいとか言ってるから、ちょっと行ってくる。ついでに飯買ってくるよ」
『飯』という言葉に時計を見る。なんだ、もう9時過ぎてる。振り向いて、ダウンコートを着る谷原さんを見上げる。
「おごり?」
「古賀のね。今日はおごるって言ってたから、後で金貰う」
「やったね」
食費が浮いて喜ぶ私を置いて、谷原さんは玄関へと向かう。イヤホンをつけながら玄関を出ようとする谷原さんに私は一声掛ける。
「なんか飲み物もよろしくー。いってらっしゃーい」
『了解』というように谷原さんが右手を上げて、玄関のドアを開けて出て行った。
さて、映画を観なおそうとテレビに向き直ったけど、テレビよりもぐうぐう眠る古賀さんに目がいって、ベッドに腕をついて古賀さんをじーっと見てみる。起きる気配はない。