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これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Story 6. あかし故に痛い
17/111



***



柔らかなソファに座りながらも、彼女は未だに俺に信じられないというような視線を送ってきている。


村瀬の楽屋を後にした俺たちは、駅前に立ち並ぶ商業施設の一つに入り、いくつか自分たちの欲しいものを買ったあと、そこの一階に入っていた大型コーヒーチェーン店に腰を下ろしていた。俺は彼女に教えてもらった本を、彼女は俺が教えた本を一冊ずつ購入した。今はこのコーヒーチェーン店の一番奥にあるソファ席に向かい合って座っている。



「何でそんなに不満そうなの」



頼んだコーヒーを飲みながら、彼女に尋ねてみた。



「まず一個目が、席を嘘ついてたこと。二個目が村瀬健吾と知り合いとか言わなかったこと。ご飯行くとか聞いてなかったことが、三個目」



どうだ、と言わんばかりの視線で俺を見ながら、彼女も自分の頼んだものを口につけた。彼女のオーダーしたものはラテをベースにしたものだが、そこに彼女は色々と自分でカスタマイズの注文もしていて、結局俺にはそれがどんな味になっているのか分からない。



「一個目と二個目のことは、君を驚かそうと思ってしたんだよ。まあ、予想以上に驚いてくれて面白かったけど」



そうやって平然と答えると、彼女はぎろっとした目をこちらに向けてきた。それに構うことなく肩をすくめる。



「三個目は、まあ、誘おうと思ってただけで、あの時はまだ口にしてなかったでしょ?」



三つめのことに関しては、やっぱり自分でも歯切れが悪くなるのが分かる。村瀬が俺より先に言ってくれただけで、あれがなかったら、たぶん彼女は俺の誘いには乗らなかっただろう。



「いいんじゃない? 村瀬と食事ができるんだし。それに、さっきも言ったけど嘘もついてないよ」



そう言えば、彼女は持っていたカップをテーブルに置いて、椅子に深く座りなおした。



「村瀬健吾と行くって言っただけで、私がいること言ってないだけでしょ」

「ま、そうだけどさ。どっちにしても、村瀬と一緒に夕飯食べるって言ったときは、君が来るなんて知らなかったし」



それでも、彼女はあまり釈然としない顔をする。



「考えすぎだって。君と二人だけで食事するわけじゃないんだから」

「そうなんだけど、ね。結婚した人と友達になったことないから、よく分かんないんだよ。しかも永井さん、まだ若いしね」



そう言って、彼女は手を伸ばしてカップを手にとった。

『友達』。彼女と知り合って一週間ほどしか経っていないけど、俺が大半の彼女の大学での友達よりも近くなっていることは、間違いないと思う。それを彼女も分かってるから、ところどころで俺との距離を測りかねてるんだろう。

ちらっと目線を下げれば、左の薬指にはめられたシルバーの指輪が目に入る。これ一つで、彼女が距離を測りかねるんだな。



「まあ、深く考えない方がいいよ。俺だって、学生とここまで仲良くなったことないから」

「そうする」



そう言って、彼女はまたカップに入ったラテに口をつけた。






村瀬から連絡が入ったのは、8時を少し過ぎた辺りだった。駅前の居酒屋に既に席をとってあるという。俺たちがそこに着くと、村瀬がもう席に着いていて、飲み物だけを注文していた。



「宮瀬さんもビールでいい?」

「あ、ソフトドリンクでお願いします」



テーブルに近づくなり、村瀬が彼女にそう尋ねて、彼女は慌てたように村瀬の向かいに座ってメニュー表を見た。そして少し悩んでから「りんごジュースで」と店員に伝え、そのままその席に落ち着く。俺もコートを脱ぎながら彼女の隣に腰を下ろした。店員が座席のすだれを下げて、厨房へと戻っていく。



「アルコール飲めないの?」



向かいに座った村瀬が首を傾げて彼女に聞いている。彼女はそれに少し困ったように笑って、コートを脱ぎ始めた。



「飲めないことはないんですけど、苦いのが嫌いなんです」

「えー。じゃあ、強い?」

「どうだろう。本格的に飲んだことないんで」



ははっと、彼女は笑う。村瀬はそんな彼女を見て「珍しいね」と言う。



「それより、お前、そんな堂々としてて周りにばれないのか?」

「大丈夫だよ。そこまでまだ認知されてないから」



オイディプスの衣装を脱いだ村瀬は普段の格好に直っていて、眼鏡なんかもしていない。それを心配してやるも、村瀬は何ともないようにして笑う。



「宮瀬さんも、この間のドラマくらいじゃない? 俺のこと知ったのって」



テーブルに肘をついて村瀬は彼女に尋ねる。彼女はその質問に首をひねって少しの間考えてから、口を開いた。



「どうかな。完全に名前覚えたのはそのドラマですけど、村瀬さんのこと知ったのは去年くらいのドラマですよ。そのドラマの最終回で『あ、この人かっこいいなあ』って思ったの覚えてますもん」

「ほんとに?」



彼女の答えを聞いて、村瀬は嬉しそうに反応した。彼女は特にそれを何とも思ってないようで、村瀬の興奮とは反対に普通に「はい」と答えていた。



「そのドラマ、たぶん俺が初めてテレビに出たやつだよ」

「あ、そうなんですか?」



村瀬の言葉に、彼女は少し驚いた様子で返事する。

確かに、自分が初めて出たドラマを知ってて、しかもそれを見て自分のこと覚えてくれたってなったら嬉しいだろうな。村瀬はずっと舞台俳優としてやってきてて、村瀬も出演したある舞台の脚本を担当した人にそのドラマに推薦された。この間放送された公共放送のドラマも、その脚本家が書いたものだ。

村瀬と彼女がドラマの話で盛り上がっていると、「失礼します」という声とともにすだれが上がって、店員が二つのビールとりんごジュースを一つ運んできた。俺と村瀬の前にビールを置き、彼女の前にジュースを置く。俺はそれらを受け取りながら、適当に料理を注文していった。



「あと、ウーロン茶も一つお願いします」



注文の最後にそれを付け足して、店員が下がっていく。



「何でウーロン茶頼んだの?」



横に座っている彼女が不思議そうに尋ねてきた。



「君を送ってくために決まってるでしょ」



そう言いながら、俺の前にあったビールを村瀬の前に滑らせる。



「えー、お前飲まないの?」



村瀬から非難めいた声があがる。



「私電車で帰るから、飲んでいいよ」

「そうもいかないよ。夜遅いんだから」



既に8時を過ぎてる。この食事が終わった頃に彼女が帰るとなると、確実に終電近くなってしまう。



「どっちにしたって最寄りの駅前から原付なんだから、送ってもらってもあんまり意味ないよ」



だから飲んで、と彼女は俺の意見を無視して、村瀬の前に滑らせたビールを俺の前に戻してきた。

少し非難の混じった視線を彼女に向けるが、彼女は気にしていないようで、ぐいっと俺の前にビールジョッキを突き出してくる。もうこれ以上何を言っても無理だと思い、そのジョッキを受け取った。村瀬が「やった」と嬉しそうな声を出す。



「じゃあ、かんぱーい!」



村瀬が言葉とともにジョッキを軽く上げ、俺と彼女もそれにならって三人で乾杯をした。



「そういえばさ、宮瀬さんの下の名前って何ていうの?」



三人してジョッキの中のものを一口飲んだところで、村瀬が尋ねてきた。



「ああ。春希です。春に希望の希で、春希」

「へえ。じゃあ、春生まれ?」

「はい。4月生まれです」

「おおー。なんか、それっぽい名前だね」



そう言って、村瀬はビールをごくごくと飲む。今の二口目で既にビールがジョッキの半分まで減っている。



「4月生まれなんだ」



俺も軽くビールを飲みながら、横の彼女に聞く。



「うん。だからさ、入学した時とか新学期とか、友達からぜったいに祝われないんだよね」

「なんで?」



村瀬が聞いたところで、またすだれが上がり、俺が注文したものが運び込まれてくる。その時に、先ほど注文したウーロン茶も運ばれてきて、どうしようかと思っていると、彼女が何も言わずそのジョッキを自分の手元に置いた。サラダや揚げ物類がテーブルに並ぶと、村瀬は早くも二杯目のビールを注文する。



「で、なんで祝ってもらえないの?」



村瀬の再びの質問に、彼女はジュースを飲んでから口を開く。



「新学期とかって、まだあんまり誰とも仲良くないじゃないですか。それで、だいぶ日が経って、友達の誕生日とかに『おめでとう』って何かあげると、『ありがとう。お返しするよ。いつ誕生日?』みたいになって、『ごめん、もう過ぎてる』みたいになるんです」



それを聞いた村瀬は少しの間黙っていたが、すぐに大笑いをしだす。俺も彼女の隣で手で口元を押さえながら笑っていた。



「それはまた、残念だね」

「残念っていうか、あの友達との間の微妙な空気がいや」



それを聞いて、村瀬が更に笑う。彼女の方は、大笑いをする村瀬を見て笑った。



「ああ、面白かった」



村瀬はそう言いなが、料理に箸をつける。俺は彼女から遠いところにある揚げ物類を小皿に入れて渡した。彼女もそれを受け取って、「ありがと」と普通にする。すると、それを見ていた村瀬が不思議そうな顔をする。



「春希ちゃんってさ、永井の学校の学生なの?」



いつの間にか、村瀬が彼女を名前で呼ぶ。彼女もそれに慣れていなかったのか、反応するまでに少しの間があった。



「いえ。明法大です」

「え? 明法って、隣の県の?」

「ああ。本キャンパスはそっちですけど、私の学部のキャンパスはもう一つ隣の県です」



村瀬はその答えに彼女ではなく、俺の方を見てくる。俺はその視線の意味が分からず、「なに?」と聞いた。



「いや、じゃあ、どうやって……」

「永井さんは週一で私のキャンパスに来てるんですよ。外部講師として」

「あ、そうなんだ」



求めていた答えを俺ではなく彼女の方から聞かされて、村瀬は気の抜けたような返事をする。

彼女はそれから料理に手を出し始めたが、村瀬はまだ何かを聞きたそうな顔をしている。俺はそれを目で制して、今日の舞台の話題を口にした。

村瀬はそれに違和感を残すような顔をしたものの、彼女の方は気付いてなく、話はそのまま舞台やドラマの話へと流れていった。






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