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これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Story 6. あかし故に痛い
16/111




「生涯の終りの日を幸福のうちに迎えるまでは、誰であろうと幸せ者と呼んではいけない」



テーバイの長老の言葉で、舞台が締めくくられた。そうして、舞台が暗転し、客席からは大きな拍手が送られた。

もちろん、俺もその中に混じって拍手を送る。横の彼女も同じように手を叩いていた。

しばらくその拍手が続いた中、舞台にもう一度ライトが照らされ、次々と出演者たちが姿を現し始めた。クレオン役の俳優が礼を済ませたところで、大げさに両手を中央奥の宮殿に向かせ、観客の注意を引きつける。宮殿の扉から、イオカステ役の女優と、オイディプスを演じた村瀬が登場した。客席の拍手は、先ほどよりも一層大きくなる。

二人の役者は互いに手を取り、反対の手で客席に向かって手を上げながら階段を下りてくる。二人が他の役者と同じ中央に来ると、手を取り合ったまま二人は客席に向かってお辞儀をし、顔を上げたところで互いに抱き合った。

横の女の子たちが、「やだ」と声をあげる。

他の客はそんな女の子たちを無視して、抱き合った二人の役者を見て更に大きな拍手を送った。





「やっぱり、後味の悪い話だよねえ」



盛大なカーテンコールも終わって観客が次々と席を立つ中、彼女が言った。少し疲れたのか、両手両足をぐーっと前に伸ばしている。俺もついていた肘を離して、少し腕を伸ばす。



「そう?」

「うん。話的には面白いけど、何かねえ。『ああ、終わっちゃったな』って感じ」



彼女はそう言いながら首を左右に動かす。

彼女の言ったことは、何となく分かった。確かに『終わっちゃったな』という感じはする。王国の危機からオイディプス自身の出生に関する混乱を経て、テーバイに再び秩序がもたらされた。けれど、その秩序は喪失を伴っての秩序だ。観終わった後の、この『終わっちゃったな』という感覚は、この喪失によりもたらされた秩序を目の当たりにしたからかもしれない。横に座っていた女の子たちのように、「かわいそうだったねー」などでは済まない感覚だ。

周りの客も席を立ち始めたことで、彼女も立ち上がろうと腰を浮かせた。それを見て、肘かけに置かれていた彼女の手に自分の手を重ねて彼女を引きとめる。



「なに?」



彼女が『なんだ』というようにこちらを見てきた。



「もう少し待ってて。今行っても、スタッフ通用口に入れないから」

「え?」



意味が分からないという顔をする彼女。どうやら、舞台が始まる前にした約束のことをもう忘れているようだ。



「会うんでしょ? 村瀬に」

「あ、ああ。そういえば、そんなこと言ってたね」



そう言って、彼女はもう一度座席に腰を落ち着ける。彼女が座ったのを見て、重ねていた手を離した。



「けどさ、ほんとに関係者と知り合いなの?」

「ほんとだよ。君に嘘つく必要ないでしょ」

「既に一回つかれてる人に言われても何の説得力もないけどね」



じろっとこちらを睨むようにして彼女が言った。



「まあまあ、それはいいじゃない」



彼女の視線は笑って受け流すことにして、俺は椅子に深く座って人の流れが落ち着くのを待つことにした。


人の流れがだいぶ収まって、もうほとんど俺たちで最後じゃないかというくらいになって、俺は立ちあがった。



「さ、行こうか」



コートを羽織りながら彼女を振り返れば、彼女は眼鏡をケースに入れて鞄の中に放り込み、自分も立ち上がった。



「ほんとに嘘だったら何かおごってもらうからね」



歩きながらコートを着て、彼女がこちらを見て言う。未だに俺の言葉を信じてないみたいだ。



「分かった分かった」



彼女の後ろに続きながら適当に相槌を打つ。

前を歩く彼女を見ていて、ふといつもと違うようなことに気がついた。何だろうと考えながら彼女の格好をじっと見ていると、その原因が思いつく。彼女の着ている服が、いつもとは違うんだ。いつもの彼女にはジーンズとかの長いズボンを履いているイメージがあったんだが、今日はそうじゃなかった。コートの裾から出ているボトムは、ふんわりとした丈の短いものだ。万里子の読む雑誌にもこんなものがあったような気がするけど、名前までは覚えていない。

でも、それを着ているだけで、彼女のイメージががらりと変わった。



「そっちじゃないよ」



人の波について会場から出たところの廊下を左に曲がろうとする彼女の腕を掴んで引きとめる。掴んだ拍子に彼女の身体がいきなりストップしてしまい、後ろからの客に迷惑そうに押されてしまった。人の圧迫から遮ろうと、彼女の腕を引いて自分の胸元に引き寄せた。いくら人が少なくなったといえども、900人近くが入る劇場だ。今いる人の数だけでもそうとうな数だろう。

人の流れに逆らうようにして廊下を右に進む。邪魔にならないように端の方を歩くが、やはり何人かの客には迷惑そうにされた。やっとスタッフ通用口の前までたどり着き、彼女を見下ろす。腕の中にいた彼女は、あの人の多さに少々疲れた様子だった。



「お疲れ」



そう言って彼女の抱いていた腕を離す。彼女はようやく着いた曲がり角の位置で疲れたように溜め息をついた。



「疲れた……」



心底疲れたという顔をする彼女に少し笑って、目の前に立つガードマンの方を向いた。中年の男性ガードマンは何事かと先ほどから俺たちの方を怪訝な様子で見ていた。



「永井といいますけど、お話はうかがってますか?」

「ああ、永井さんですか。はい、うかがっています。どうぞ」



ガードマンの男性は俺の名前を聞くと納得した顔で、俺たちに道を開けてくれる。彼女は驚いた表情をしながら俺の後についてきた。



「知り合いがいるって本当だったんだ」

「だから本当だって言ってたでしょ」



きょろきょろと、物珍しそうに辺りを見回しながら彼女は言った。俺はそんな彼女を視界の端で捉えながら村瀬に教えてもらった楽屋に向かう。

先ほどガードマンのことも、村瀬が前もって俺のことを伝えておいてくれたものだ。あいつの公演のときは、いつもそうして楽屋まで出向いている。

先ほどの出演者やスタッフの間を縫って歩き、『村瀬健吾』と書いた紙が貼ってあるドアの前まで来た。そのドアを数回ノックする。すると、中から「はいー」という間延びした声が聞こえてきた。



「俺だ。入るぞ」



村瀬の声を聞いて、返事を待たずにドアを開ける。後ろから彼女の戸惑ったような声が聞こえたが、あえて無視する。

ドアを開けると、中には鏡の前にある椅子に座った村瀬がいた。メイクの人が首の方に滴り落ちた血のりを一生懸命落とそうとしている。村瀬が着ている白いオイディプスの衣装も、胸から上はほとんど血のりでべっとりだ。



「あー、やっと来たな。今日の舞台どうだった?」



俺の姿を鏡越しに見つけて、村瀬が嬉しそうな声を出す。俺は楽屋の中に足を踏み入れて、入り口で驚いて目を丸くしている彼女も中に引き入れてドアを閉める。



「良かったよ。正直、お前のファン層の広がりにびっくりしたけどな」

「さすがテレビだろ」



そう言って村瀬は嬉しそうに顔を緩める。そして、鏡の中に俺の隣にもう一人の人間がいることに気付いてきょとんとした表情になった。



「その子、誰?」



その言葉を聞いても、俺の隣にいる彼女はまだ混乱から抜け出せないでいる。



「俺の学生だよ。たまたま席が隣だったんで、連れてきたんだ。一応お前のファンらしいぞ」



そう言えば、村瀬は「ほんとに?」と言って、また嬉しそうな顔を浮かべた。

俺は彼女の背を押して、楽屋の中央にある革張りの応接ソファに座った。彼女もそこに座るが、未だにこの状況を理解していないように見える。



「大丈夫?」



目が点の状態になっている彼女の顔を覗き込んで、一応聞いてみる。彼女は数回瞬きをした後、ぱっと俺の方を向いた。



「な、何で、村瀬健吾?」

「会わせてあげるって言ったでしょ?」

「でも、関係者がいるって」

「あいつは関係者じゃないの?」



『あいつ』と言って、俺たちの目の前にいる村瀬を指差した。村瀬は自分のことだと気付いて、鏡越しににこやかに彼女に向かって手を振っている。



「本人なんて聞いてない!」

「驚かそうと思って」



彼女は村瀬が手を振っても返す余裕もないらしく、代わりに俺の方を向いてそう言った。彼女の言葉に肩をすくめてそう言えば、彼女は信じられないというような視線を送ってきた。



「まあ、いいじゃない。村瀬に会えたんだから」

「そうだけど……」



彼女はまだ少し不満げな顔をしたが、少しして落ち着いたように息をはきだした。



「変なやつでしょ、永井って」



その様子を見ていた村瀬が、鏡越しに笑いながら彼女に話しかけた。彼女も鏡越しに村瀬の方を見返して、ちらっと俺のことを見たかと思うと、村瀬に同意するように頷いた。



「変な人です」

「だよねー」



彼女の同意を得ると村瀬はへらへらと笑った。彼女も村瀬と同じ意見を持てて嬉しそうに口元に笑みを浮かべた。

メイクの人は、やっと血のりが取れたのか、ぱぱっと後片付けをして村瀬と俺たちに会釈しながら楽屋を出ていく。

村瀬はメイクの人が離れたと同時に座っていた椅子をくるっと回転させて俺たちの方を向いた。



「今日は来てくれてありがとうね」



この言葉は、俺ではなく横の彼女に言ってるんだろう。彼女もそれに気付いたようで、「いいえ」と首を横に振っている。



「こっちこそ、こっちで公演やってくれてありがとうございますって感じです」

「そうだねえ。あんまりこっち側で公演やらないもんね」

「その分テレビで見る回数は増えたんじゃない?」



俺がそう聞くと、彼女は「まあね」と言って笑った。



「それはそうとさ、夜公演が5時からなんだ。8時には出れると思うから、飯、一緒に食うよな?」

「ああ。ちゃんと言ってあるから大丈夫だよ」



俺の答えを聞くと、村瀬は満足そうな顔をして、ぱっと彼女の方に顔を向けた。



「君も一緒に行かない?」

「え?」



突然の村瀬からの誘いに、彼女は驚いて目を丸くさせる。



「そんな、いいですよ。二人、久しぶりに会ったんじゃないんですか?」

「別に気にしなくていいよ。どうせ俺も誘うつもりだったから」



そう言ってソファの肘かけに肘を置いて彼女を見ると、彼女は呆れたような目でこちらを見ていた。



「今日はもともと村瀬と約束してたし、特に嘘もついてないよ」



以前に話していたことを思い出すようにして彼女に告げる。それでも、彼女はまだ白い目でこちらを見ている。



「まあ、いいじゃない。俺も君と話してみたいし」



村瀬にそう言われて、気持ちがぐらついているみたいだ。少し視線をさまよわせた後、彼女は俺の方を見てきた。俺が『いいんじゃない』というように首を傾けると、彼女も数回頷いて村瀬に了承の返事をした。



「よかった。じゃあ、それまでどっかで待っててよ」

「ああ。お前も、次のやつまでにちゃんと休んどけよ」

「分かってるよ」



その言葉を合図に、俺がソファから立ち上がると、彼女も続くようにして立ち上がる。



「あ。名前、何て言うの?」



彼女がお辞儀をして俺についてこようとしたところで、村瀬が彼女に声を掛ける。彼女は立ち止って、村瀬の方を向いた。



「宮瀬です。今日は、ありがとうございます」



そう言って、もう一度村瀬に頭を下げる彼女。村瀬も「いえいえ」と言いながら、椅子に座ったまま頭を下げる。



「じゃあ、後でね」

「はい」



二人のやり取りが終わったのを見て、俺は村瀬に手を上げ、彼女を連れて楽屋を後にした。






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