pt 2, 2
その言葉で、何となく言いたいことを理解する。要は、謝る云々ではなく、はっきりと気持ちを口にしてほしいのだろう。あの男に。その気持ちが、学生の気持ちに応えるものでなかったとしても。はっきり言って、それはあの男には無理だと思う。『話を聞いてくれ』と泣きついてきたくせに、俺に経緯を話す時でさえおろおろと戸惑っていたような男だ。その男に、はっきりと気持ちを口にできるとは思えない。学生も、それを分かっているようだ。
「誘ってきたのだって、永井先生からそういうこと聞いたからなんでしょ?」
「別に俺は何か言ったわけじゃないよ」
「でも、先生が『永井せんせいに相談して……』みたいなこと言ってました」
何を言っているんだ、あの男は。思わず頭を抱えたくなる。仮にも自分に気持ちが向いている人間に向かって、誰がどうこう言っていたからなんてこと、口にするもんじゃないだろうに。そういう自分の言動が、目の前の学生を落ち込ませていることに、きっとあの男は気付いていない。
学生は少し視線を落としていて、見るからに落ち込んでいた。
「分かって、るんですけどね。先生がそういう人だって。そういう先生を、好きになったんだから」
学生はあははと、わざとおかしそうに笑って自嘲する。それが強がりなことは明らかで、どうしたものかと溜め息が漏れる。
「で、話聞いてほしいって何だったの? 愚痴なら容量オーバーなんだけど」
冷たいとは思うが、正直今はボランティアでほとんど面識のない人間の愚痴を聞いてやれる余裕はない。万里子が家を出たことを彼女に知られてしまって、それは確実に彼女の心に引っかかっている。色々と動こうとするも、万里子の方もめげずにあれこれと余計な世話を焼いてきて、思うように動けないでいるのだ。そんな状態で、他の人間に構う余裕なんてない。
「あ、違うんです。愚痴とかじゃなくて」
学生が焦ったように両手を交差させて俺の言葉を否定する。その言葉にひとまず安心し、「そう」とだけ返してコーヒーを手に取った。
「永井先生に、協力してほしくて」
今度は、俺がコーヒーをこぼしそうになった。勢いよく顔を上げたせいで、カップの中身が少し跳ねる。幸いなことに中身がカップの外に出ることはなく、俺はこぼさないようにカップをもう一度テーブルに戻した。
「協力? 何に?」
「神田先生の、気持ちを聞く、協力です」
学生は強調するかのように言葉を切って話す。俺の方は、学生の言葉に引きつったような笑みしか出せない。
「ちょっと、冗談でしょ?」
「そんなわけないじゃないですか」
目の前の学生はいたって真剣な目をしている。俺の言葉を真っ向から勢いよく否定した。思わず溜め息が出て、それと同時に椅子に深く腰掛ける。どうして俺がそんな協力しなきゃならないんだ。確かに、あの男は第三者から何かしらの助力を受けないと気持ちなんて話しはしないだろうし、それ以前に自分の気持ちがどこにあるかなんて分からないだろう。だとしても、その協力者が俺である必要はない。
「勘弁してよ。別に俺じゃなくてもいいでしょ」
「ダメですよ! 永井先生みたいにはっきり言ってくれるような人じゃないと」
肘かけに置いた方の手でこめかみを押さえる。自然と、大きな溜め息が出た。学生は、それを無視して「それに」と言葉を続ける。
「手伝ってくれないなら、神田先生とかに喋っちゃいます。先生が、奥さん以外の人と、付き合ってること」
途切れ途切れに話されたその言葉に顔を学生の方に向けると、学生は気まずそうに視線を逸らしていた。手をこめかみから離して、じっと学生を見据える。
「なに?」
もう一度聞き返すと、学生は視線を俺に合わせて強気に見返してきた。
「だから、喋っちゃいますよ。先生が、女の子と一緒にいたこと」
「……どういうこと?」
強気な学生の発言が嘘とは思えず、それでも簡単に肯定することもできないので、話の真偽を確かめる。学生は、言いにくそうに、また視線を少し俺から外した。
「前に、見ちゃったんです。先生が、女の子と仲良さそうに歩いてるの」
「ただの学生かもしれないでしょ」
「うそ! だって、手繋いでたじゃないですか。それに、最近指輪してないっていうし」
またしても、こめかみに手を当てて溜め息をついてしまった。一体、どうして他の研究室の院生が指輪のことを気にするんだ。
「どこで見たの、それ」
こめかみから手を話して、そのまま頬杖をついて学生に尋ねる。カマを掛けてるのかもしれないが、学生の顔は本気のようで、嘘をついているようには見えなかった。思った通り、学生の口から出た答えは、本当に俺と彼女のことを指しているものだった。
初めて目にしたのは、俺が彼女を学会のあるところまで呼んだ時。二回目に目にしたのは、ついこの間、彼女と一緒に舞台を見にいっていた時。
学生は話しながらも視線をうろうろとさせていて、何かまずいものを見たと思ったその時を思い出しているようだった。