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これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Extra Story
106/111

永井さんの受難1

Story. 18の少し前くらいの話。




数メートル先で、ドアがいきなり開いた。そのあまりな勢いに、進めていた足を思わず止めてしまう。中から、一人の女が出てきた。見た目からして、たぶん、学生だろう。そして、こっちの棟にいるってことは、院生かもしれない。その女子学生の後からすぐに男も一人出てきて、その学生の腕を掴んでいた。



「待って、向井さん」

「やです! 離してください!」



男の腕を振り切って、女子学生は俺の場所と反対方向に走っていく。ちらっと見た限りでは、泣いていたようにも見えた。どうしたものか、と思いながら立ちすくむ男を見ていると、男が肩を落として自分の研究室に戻ろうと身体を回して、俺と目が合った。まずい、と思った時には既に遅く、男の方がぽかんとした顔でこちらを見てきた。



「永井せんせい……」

「……どうも」




***



大学からほど近いカフェに入ってすぐ、ここに来たことを後悔した。店内には軽快なジャズが流れていて、それが目の前に座る男の雰囲気とは真逆すぎていて、こちらも気が滅入ってくる。俺の方はゆっくりと頼んだコーヒーを啜るが、男の方はそれに手をつけることもない。この状況で、面倒だと思わない方がどうかしている。

男のことは知っていた。仮にも大学で働いていて、同じ准教授という身分である男のことを知らないわけがない。専攻は違えど、文系という広い意味で捉えれば同業となるなら、なおさらのことだ。



「僕、どうしたらいいんでしょう」



泣きそうな声で言われて、さらに気が滅入る。たぶん、自分も現在面倒なことを抱えているから、余計にそう思うのだろう。



「どうしたらいいも何も、俺は何があったのかも知りませんよ」



若干声に面倒くささが入っているのを感じ取ったのか、男は泣きそうな顔をこちらに向けてきた。溜め息をつきそうになるのを堪えて、コーヒーの入ったカップをテーブルに置いた。

こんなことになるなら、さっさとあの場から去ればよかった。その思いも、今となっては後の祭りだ。何とも気まずい場面に出くわしたあの後、目の前に座る男に『話を聞いてくれ』と半泣き状態で懇願され、仕方なく頷いたのが間違いだった。どちらかの研究室でいいだろうと思っていたのが、他の人間には聞かれたくないと言われ、わざわざキャンパスを出る羽目になっている。



「僕、向井さんに、告白されたんです。二週間くらい前に」



目の前に座る男がやっとぽつぽつと話し始めた。顔はまた下を向いている。男の言う『向井さん』とは、先ほど泣きながら研究室を出てきたあの学生のことだろうと見当をつける。



「よかったですね」



何となくそういうことに関係しているとは思っていたので、大して驚くこともせず素直に思ったことを口にする。だが、男はいきなり顔を勢いよく上げて、俺の方を見てきた。



「でも、向井さんは学生なんですよ。それも、僕の研究室にいる」

「いいんじゃないですか。学生っていっても院生でしょう。お互い大人なんだから、節度持って行動してたらばれないと思いますよ」



男が驚いた目でこちらを見てくる。その視線には、肩をすくめるだけで返した。

自分は形はどうであれ、院生でもない学部生の彼女と付き合うことになったのだから、今さら院生だの学生だのと言われても何とも思わない。まあ、男と違って同じ学校、ましてや同じ研究室なんかではないけど。大学なんて場所は、高校や中学のように教師と生徒の仲が疑われて何かなるわけじゃない。院生ともなれば、ほとんどの時間を研究室や教授と過ごすなんてことだってある。その中で疑いを持つのは、難しいことだ。



「それで、告白は断ったんですか?」



先ほど泣いて出ていった学生のことを思い出して言えば、男の方は視線を泳がせて、またしても顔を下に向けてしまった。それを見て、こちらもまた溜め息が出そうになるのを堪えた。経験上、男のような行動がどういうことを示しているかは何となく察しがつく。『断る』というよりも、更に悪いことが起きているらしい。その行動をされてその先を聞きたいと思うのは、今のところ彼女に関することだけだ。別に男の恋愛相談に乗るつもりは初めからなかったので、わざわざ聞くこともせずに、俺の方も黙ったままでいた。



「……初めは、断りました」



またしてもぽつぽつと話し出す男の言葉を聞いて、今度は少しだけ感心してしまった。てっきりうやむやにして、何となく流すようなタイプだと思っていた。『初めは』という前置きが少し気にはなるが。



「でも、土曜日に、研究室のみんなで飲み会をして……」



目の前の男は未だに視線を下に向けたままぽつりぽつりと話す。言葉が止まったところで、男が言い淀む。その視線がうろついていることは、見なくても十分に予想できた。話すなら早くしてほしいが、わざわざ先を促すこともしたくない。話したくなければ、俺は別にそれで構わない。



「僕の論文が学術誌に初めて掲載されて、僕も嬉しくて、あんまり飲めないのに飲んじゃって。それで、向井さんが僕を送ってくれたんですけど、そこでも、告白されて。その、家で、抱き、つかれちゃって……。僕も、酔ってて……」

「寝たんですか。彼女と」



話の展開が見えて先回りして結論を言えば、男が焦ったようにきょろきょろと周りを確認しだす。幸いかどうかは知らないが、平日の午後にカフェに寄る客は数人だ。それを確認した男が俺の方に向き直る。



「そんなはっきり言わないでください!」

「はっきりも何も、事実でしょう」

「でも、」



何かと言い訳を重ねる男を無視して、テーブルにあるコーヒーに手を伸ばした。『寝る』なんて言葉だけで焦る男を見て、これで自分と同い年かと思えた。正直、あんまりそう考えたくない。



「酔った勢いだったって言って、彼女が泣いたんでしょ?」



分かりやす過ぎる展開に、男の言葉を待つのも面倒に思われた。案の定、男は言葉に詰まって、またしても視線をうろうろさせる。



「そう、ですけど……」



男が歯切れの悪い言い方をして、少しいらっとする。それを抑えようとして、コーヒーのカップを意図的にゆっくりとテーブルに置く。それ以外に何があるのか考えるのも面倒で、男が話し出すのを待った。







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