第三章 セーラー服と守り神 #1
「だったらメイド服に決まりだね! 王道とお約束の違いも分からないド素人なんてお呼びじゃないのさベイベー」
「いいえ、ナース服以外ありえないわ。ルイちゃんの知的な雰囲気を100パーセント生かすなら、ここはナース服一択よ!」
燦々と降り注ぐ陽光が眩しい昼休みの屋上。
ゆうべルイと交わした約束どおり、未波と二三香に服のことで相談を持ちかけた準は、その答えに愕然とした。
ちなみにメイド服を推したのは未波、ナース服を推したのは二三香である。
準は全身の力が抜けていくのをこらえながら、さらに説明を試みる。
「重ね重ね言うけど、必要なのはあくまでも『服を買いに出かけるための服』なんだ。コスプレ大会に行くんじゃあるまいし、そもそも2人はメイド服とかナース服なんて持ってるのか?」
「持ってるわよ。元演劇部員だし、ある意味当然よね。ちなみに私の自作だったり」
「あたしも持ってるよー。中学の文化祭の仮装コンテストで着たやつ」
「冗談だろ……?」
平然と答える2人に、準は開いた口が塞がらない。
どんな演目でナース服が出てくるのか、また、どんな経路でメイド服を調達したのか気になるところだが、そこにあっさり食いついては話が大きく脱線してしまう。それに、アニメや漫画は大好きだが、コスプレは準の守備範囲外だ。
ふつふつと沸き上がる疑問を抑えながら、なおも粘る。
「普通の服なら何でもいいんだ。たとえば中学の時に着てた制服とか」
それを聞いて、二三香がポンと手を打つ。
「なるほど、そういう手もあるわね。私ので良ければ押入に眠ってるけど、サイズは未波の方が近いかもね。未波はまだ持ってる?」
「私も持ってるよ」
卒業から1ヶ月しかたっていないとはいえ、お下がりで譲ってしまっている可能性も考えられる。未波の言葉に、準は胸をなで下ろした。
「いやー助かった。さっそく今度の週末にでも借りていいかな?」
「うん、いいよ! ……って言うか明日だよね? 今日は金曜だし」
「早くも交渉成立ね。あとは私がルイちゃんを瞬間移動で連れて行けばOKと。さすがに渡末君が女子中学生の制服持ったまま街を歩くわけに行かないものね」
「そうだな。変な噂が立ったら終わりだ」
「そうそう、ひとつ聞きたいんだけど」
やや真剣な表情で、二三香が準に尋ねる。
「どこで買うか、ある程度目星はついてるの?」
痛い所……と言うか、まったく予想外の所を突かれ、準は返事に詰まった。そんな様子を見て、二三香は嘆息する。
「はあ……思ったとおりだわ。未波、明日は一日空いてる?」
「ばっちり空いてるよ」
「じゃあ決まりね」
「決まりって何がだ?」
二三香の言わんとしていることがよく分からず、準は即座に聞き返す。
「私たちも買い物に付き添うわ。ルイちゃんは服のことしか言わなかったと思うけど、替えが必要な物は服以外にもあるでしょ?」
「なるほど、そういうことか。……となると、たしかに一から十まで俺が付いてるわけには行かないな」
ようやく二三香の真意が読めた準は、顔を赤くしながら頷いた。
ルイに金だけ渡して買いに行かせ、準は別の場所で待つという手もある。だが、ルイは見てのとおり推定年齢13歳の外見だ。さすがに迷子になることはないだろうが、たとえばすり寄ってきた店員に、訳も分からぬまま高い服を売りつけられる可能性は十分考えられる。
それに、普通の服ならまだしも下着売場にまで付き添う度胸はない。ルイだってあまりいい顔はしないだろう。
しかし、目の前の女子2人組が付き添ってくれれば問題はすべて解決する。そして何よりも、服を見る目は間違いなく準より確かなので、安心して任せられる。
「ありがとう。恩に着るよ」
「いいっていいって。あたしはルイにゃん七変化を見るためなら何だってするよ!」
自信満々に言い放つ未波。
「変態は置いてくから、そのつもりでね?」
間髪を入れず、二三香の冷静なツッコミが入った。
「ルイにナース服を着せようとした人間が言う台詞じゃないだろ。メイド服より遥かに変態じみてるぞ」
改めて釘を刺す準。
ただの服選びがマニアックな衣装合わせと化してはたまらない。
たしかに、ルイの外見に似合わぬ大人びた言動を考えればメイド服よりナース服が似合うのは明白だし、デフォルトの体操服ブルマよりマシと言えなくもないが、目立つ格好であることには変わりない。
「でもさあ……」
納得が行かないといった表情で未波が口を開く。
「どうしたんだ?」
「新しい服を買ったら、あの体操服とブルマはどうなるの? ルイにゃんが気にしてるなら仕方ないけどさ、あたしは正直あれが一番似合ってると思うんだよね」
「気にしてるかどうかは分からない。俺はただ『人前に出ても平気な服が欲しい』としか言われてないからな。ってか、そんなに気に入ってるなら直接ルイに掛け合ってみればいいだろ。あいつにも明日の買い物の件は話さなきゃならんから、その時にでも」
「たしかに、あれはあれで他に代え難い魅力があるわね」
意外なことに、二三香も未波と同意見のようだ。
「2人の意見が合うって珍しいな」
「誤解してるみたいだけど、私と未波は年中言い争ってるわけじゃないのよ? それに、今のルイちゃんに一番魅力を感じてるのは渡末君なんじゃない?」
「はあ!? 何バカなこと言ってんだよ! 頭の中が昭和で止まってるおっさんじゃあるまいし」
「おやおやー? 準ちゃんのお顔が真っ赤ですぜ、二三香の旦那~。こりゃあれですな、ムッツリスケベってやつ?」
未波が絡んできた。しかも、新しいおもちゃを見つけた子猫のような目つきで。
これはまずい。
二三香の言うことは図星だが、素直に「はい、そうです」と認めるわけには行かない。
ルイは自分の姿が準の潜在的な好みに基づいた結果であることを知っている。にも関わらず、ルイは未波と二三香に対し、それを伏せる形で己の顕現した理由を説明した。
自分の個人的なプライドはどうでもいいとしても、ルイの配慮を無駄にするのはいかがなものだろう? かと言って、ムキになって否定すれば自ら墓穴を掘るようなものだ。
準は事実と創作を半々にして誤魔化す作戦に出た。
「魅力を感じてる余裕なんかないよ。ひとつ屋根の下に住んでると尚更な。俺が男だからかも知れないけど、とにもかくにも目のやり場に困る」
「そっか……。私たちは学校でしかルイちゃんに会わないから忘れがちだけど、呼び出してるうちは同棲してるのと同じなのよね」
「ネガティブな言い方をすると、一部始終を監視されてるようなもんだ」
二三香の口から飛び出した『同棲』という単語にドキッとしつつ、準はため息をつく。
「ルイにゃん持て余してるならあたしが喜んで引き取るんだけどなー。うへへへ」
未波がよだれを拭う仕草をする。普段の流れなら「そんなこと誰も言ってねえよ」と横目で睨んでいるところだ。しかし、それをやってしまうと、うまく変わりつつある話の流れが台無しになりかねない。準はそ知らぬ顔でスルーした。
二三香も「やれやれ」とばかりに苦笑いしていたが、急に真顔になり、
「でも服とかに限らず、困ったことがあったら相談に乗るから遠慮しないでね」
話題を変えようと張りつめていた神経が途切れ、二三香と入れ替わるように、今度は準の表情が緩む。作戦成功だ。
「そう言ってもらえると少し気が楽になるよ。俺には話せなくても、女同士なら気兼ねなく話せることだってあるだろうしな、あいつも……」
「ところで、お二人さん。もうすぐお昼休み終わるよ? 早く教室に戻らないと」
未波の声が割り込んだ。
携帯の時刻表示を見ると1時25分。5時間目の授業開始5分前になっていた。
「あ、もうこんな時間か。休み時間に限って流れが速いんだよな……」
教室まではゆっくり歩いても1分とかからないが、教科書にざっと目を通すくらいはしておきたかった。何事も最初が肝心だ。
「ところで次は何だっけ?」
意気込んだはよかったが、次が何の授業だったかどうしても思い出せず、準は未波にたねる。
「準ちゃん……」
突然、未波の声が暗くなった。
「ど、どうしたんだよ。変な声出して」
「いくら何でも次の授業の科目忘れるなんて……。同じクラス委員として、あたしは悲しいよ!」
「へぇー。あんたが真面目に委員長やるなんてね。こりゃ今晩あたり槍か1万円札が降るかも」
拳を握りしめて涙を流す未波に、二三香は心底意外そうな反応を示した。しかし、次の瞬間には未波もけろっとした表情に戻り、
「真面目にって言っても、とりあえず最初だけだよ。手を抜いても平気なとこが見つかるまでのガ・マ・ン。てへっ」と舌を出して笑い始める。
「……前言撤回。やっぱり未波は未波だったわ」
「手抜きの未波さんは高校でも健在なのでしたー」
特に反論するでもなく、ひたすら笑い続ける未波。
「まあ、俺も気が緩んでたって言うか、自覚が足りなかったって言うか……。やっと思い出したよ。次は数学Aだろ? 早いとこ戻ろう。俺、数学苦手なんだよ」
「あ、2人は先に教室戻ってて。あたしトイレ寄ってくから」
一足先に階段を駆け降りる未波。
その背中に、二三香が声をかける。
「晩御飯までには戻ってくるのよ?」
ピタリ。
そんな擬音が聞こえてきそうなほど静かに、未波の足が止まった。
そして猛然と振り向き……
「いくら大きい方だからって、そんなにかかってたまるかー!」
階段の前を通りかかった男子生徒が、水飲み場で手を洗っていた女子生徒が、声の主に注目した。
「何だったんだ、今の……」
「大きい方がどうのこうのって聞こえたな」
「……胸の話かな」
「あんたって胸のことしか頭にないわけ? さいっっっってーね。私はその前にトイレがどうこうって話し声が聞こえたんだけど……」
「ってことは、まさか」
「何を想像してんのよ。さいっっっってーね!」
ざわめきの中から漏れ聞こえる会話が、徐々に真相に近づきつつある。
が、未波はそんなことお構いなし。再び猛ダッシュで走り去ってしまった。いや、気づいていない可能性もある。
「未波……。さりげなく墓穴掘ったな」
「ええ。5分で戻って来られるかしら。何にせよ、学食でカレー食べた後じゃなくてよかったわ」
「……勘弁してくれよ」
お前もさいっっっってーだな! と罵倒してやりたい衝動に駆られるが、気まずい空気を共に分かち合える仲間を、みすみすドブに捨てるわけにはいかない。ここはひたすら我慢の人だ。
――とは所詮ただの綺麗事で。
カレーは渡末家主催の夕食メニュー選考会場から退場を余儀なくされたのだった。
* * *
乾いた足音と共に、4人分のコーヒーが運ばれてくる。
足音に混じって聞こえるカチャカチャという音は、グラスに氷がぶつかる音だろうか?
不規則ながら、どこか事務的な響きだと準は思った。
学校帰り。
時間帯で言えば午後4時過ぎという、昼食にも夕食にも半端なタイミングで寄った喫茶店。
客は他になく、照明も有線の音量も控えめに抑えられて異様な静けさを放っている。
準は落ち着かない様子で天井を見上げた。
いや、実際居心地の悪さを感じているのだが――原因は店内の雰囲気より、主に同席しているメンバー構成にあった。
準の傍らにはルイ、向かいの椅子には未波と二三香。4人掛けの席を、額面どおり4人で囲む構図となる。
パーテーションで区切られたボックス席は、程良い狭さといい薄暗さといい、居酒屋でよく見かける個室さながらだ。
そんな密室同然の状況下で、準の心臓はと言うと――地下の活断層や海底プレートと共鳴して大地震でも引き起こしそうなほどに高鳴っていた。
男1人に女3人。
「リア充爆発しろ!」
そんな罵声が飛んできそうな超黄金比率だが、独特の薄暗さと閉塞感は準の交感神経をこれでもかと刺激した。
「お待たせ致しました」
店員の抑揚のない声が響く。穏やかで、静かで、どこまでも透明な水面を思わせる声。準は神妙な面持ちで耳を傾ける。
コーヒー・ストロー・ミルク・スティックシュガーの順番でテーブルに並べていく一連の慣れた手つきも、この張り詰めた状況(主に準にとってだが)にあっては、事務的な冷たさより絶対不変の安心感を与えてくれる。そんな気がした。
「準さん。さっきからどうも落ち着かないみたいですけど、もしや喫茶店初めてだったりします? ゲスな言い方をすると『喫茶店童貞』ってとこですかね」
ハッと顔を上げると、声の主――ルイが訝しげに準の顔を横から覗き込んでいた。
「どどどどど童貞ちゃうわ!」
条件反射的に叫んでから、はたと気づく。
ここにはルイの他に、未波と二三香もいるわけで――案の定、向かいの席からは好奇に満ちた視線が投げかけられていた。
「ルイにゃん……。『童貞』なんて言葉、どこで覚えてきたの? あたしは、そんな……そんな破廉恥な子に育てた覚えはないよっ!」
芝居がかった口調で、テーブルを拳で叩く真似をする未波。
いったいどの口が、そのような厚かましい物言いをするのか? そう問い詰めたい衝動に駆られる。
「うちの近く――あ、ここじゃなくて地元の方だけど、田舎だから喫茶店そのものがなかったんだよ。そりゃまあ何度か出入りしたことはある。ただ、それはみんな野郎同士での話だ。正直言って慣れてないんだよ、こういうメンバー構成って言うか男女比率は」
未波のボケはルイが責任持って拾えとばかりに、準は言葉を区切った。
しかし、ルイは未波のボケを徹底的に無視して、なおも食い下がる。二三香もアイスコーヒーをすすりながらだんまりを決め込んでしまい、未波の涙目が芝居ではなく本物になるのに大して時間はかからなかった。
「準さん。念のため言っておきますけど、ハンバーガーショップは喫茶店のカテゴリには入りませんからね? こんなこと、60年以上閉じ込められてた私でも知ってますよ」
「はいはい、すごいですね……って、閉じ込められてただって!? どういうことだ、そりゃ?」
投げやりな返事から一転して、あわてて聞き返す準。
ルイが自身の過去について触れるのは、おそらくこれが初めてだ。他愛のない会話の応酬に紛れて、危うくスルーしてしまうところだった。未波と二三香も緊張の面持ちでルイを見つめる。
「閉じ込められてたって、まさか……あの鳥居に?」
目を丸くした未波の素っ頓狂な声が、静かな店内に響く。