第四章 カムロの末裔 #3
教室に戻った準を待ち受けていたのは、時間割と清掃分担表の絶妙なコンビネーションが生み出した奇跡だった。
秋津学園(に限らず、宇都宮学園などの系列校も含めて)では、5時間目の授業が終わると、20分間の休み時間を挟んで掃除の時間になる。各自の持ち場をこなし、6時間目を終えれば、残すは必然的にショートホームルームのみ。
おそらく、単調になりがちな授業の間隔を意図的にアレンジし、6時間目から放課後までのプロセスを最小限に抑えようという試みなのだろう。たしかに、午後特有の退屈な空気を蔓延させない意味では、一定の効果を発揮していると準も思う。
さらに、高校生活最初となる今月の分担は、幸いにして3人とも同じ場所――一般教室棟と職員棟兼特殊教室棟を結ぶ渡り廊下だ。
分担が決まってからというもの、ひたすらやっつけ仕事に徹してきた準だったが、今日ばかりはこの不思議な巡り合わせに感謝せざるを得ない。箒を動かす手つきも、心なしかいつもよりリズミカルに感じられた。
* * *
「木を見て森を見ずの典型だね。あんな憶測の垂れ流しで堂々と新聞部を名乗れる神経が理解できないよ!」
「他の運動部に配慮しての措置を、よりによって不正行為扱いするなんて……名誉毀損で訴えられても文句言えないわよ?」
案の定、準の報告は未波と二三香の怒りに火薬を投げ込む結果となった。
雑巾で窓ガラスを乾拭きしていた未波の手元から、ミシミシと不穏な音が響く。
「まあ落ち着けって。掃除中に学校のガラスなんか割ったら、またヤツらに余計な餌を与えることになるぞ」
「でも、あんな冤罪同然の記事を次から次へと……盗撮まがいのやり口といい、黙って見過ごせるって人の方が私には信じられないわ」
「陸上部だって別に泣き寝入りを決め込んでるわけじゃないだろ」
「どうして分かるの?」
「どうしても何も……そうでなきゃ、俺たち新入り風情の計画に賛同してくれたことの説明がつかない。それに、さっきも話したとおり、あの人もルイと同じ守り神なんだ。その気になれば、おそらく新聞部を壊滅させるくらい朝飯前だと思うぞ」
外見も言動も、およそ武闘派とは言い難い竹平部長だが、武力制裁に訴えずとも新聞部の息の根を止める手段はいくらでもある。たとえば、ルイの力を借りて学内回線に侵入し新聞部所有のPCを乗っ取る、新聞部の顧問に苦情を申し立てて公的権力の介入を図る、などなど。
「とにかく先生たちにも打診してみよう。昼休みに考えた侵入作戦に変装を織り込んでみるのはどうか、ってな。塩崎先生の能力で姿形を変えて、竹平部長にオーダーした服を着れば、かなり本格的な変装ができるはずだ」
そう言いながら、準は敢えて未波に視点を合わせた。
物事を並列的かつ前向きに考えるのは、どちらかと言うと二三香よりも未波の得意分野であり、最大の特徴とも言える。
未波は一瞬きょとんとした表情で準を見たが、やがて意図がつかめたのか、
「なーるほど。万が一現場を抑えられても、あいつらの目に映るあたしたちの姿は、見知らぬ小学生とか老人の集団。だからあたしたちは、見張りに人員を割くことなく例のブツ探しに専念できるって寸法だね」
口元に怪しげな笑みを浮かべながら、そう答えた。
「そう。指紋だけ残さないように気をつければ、あとは現場に踏み込まれても二三香の瞬間移動でトンズラしちまえばいい。事あるごとにこき使うようで悪いけど、二三香の能力は一度起こってしまったアクシデントの応急処置に打ってつけなんだ」
準はようやく二三香に二三香に視線を合わせる。
「なるほどね。そういうことなら善は急げ、私さっそく先生たちに伝えてくる!」
返事をする間もなく、二三香の姿がかき消えた。
残された準と未波は仕方なく清掃作業に復帰する。
「二三香って、あんなにアクティブだったっけ?」
「……」
静かに、しかし大きく首を横に振る未波。
「あたしから見ても、今のはちょっと新鮮だったよ。もしかしたら今晩あたり雪が降るかもね」
「俺も正直、あの程度の説明では納得してもらえないと思ってた」
「二三香は基本臆病だからねぇ。ただ……何が二三香の警戒心を駆り立てるのかは分からないんだけど、少なくとも、頭の回転の遅さとか勘の鈍さを無意識にカバーするための予防線ってわけではなさそうなんだよね。準ちゃんはどう思う?」
「俺も未波と同感かな。でも――ひとつだけ言えるとしたら、やっぱり単に持って生まれた性格なんじゃないか? そもそも俺が見る限り、二三香は決してトロいわけでも鈍いわけでもない。本当にトロくて鈍いヤツは、そもそも警戒心がないし――仮にあったとしても、大抵あさっての方向を向いてるか、警戒範囲を絞り切れずに結局注意力散漫になってるかのどちらかだ。とにかく今は先生たちまでスムーズに情報が行き渡ることと、二三香の武運を祈ろう」
準はそこまで言い切ると、平常心と作り笑いをいっぺんに張り付けたような顔を未波に向ける。
おそらくバレやしないだろう。
そんな希望的観測の下に、ルイを学園へと連れ込んでしまった数日前の己に対する自嘲と後悔も、そこには含まれていた。
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