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第四章 カムロの末裔 #2

「待ってください。あいつ、たしか携帯とか持ってないんじゃ……?」

「いや、カラクリは普通に携帯持ってるよ。ついさっきもキミの名前とクラスをメールで教えてくれたし、そのあと電話で『あんたの尻拭いのために動き回って下さってる方なんだから、くれぐれも粗相のないように!』って念押しまでされたからね。……これはボクの勝手な憶測だけどさ、カラクリがキミの前に初めて現れた時、あいつ手ぶらじゃなかった? 着のみ着のままっていうか」

「言われてみれば……たしかに手ぶらでした。しかも、体操服にブルマなんてマニアックなコスプレまでして」

 まさに平穏な日常が音を立てて崩れ去った瞬間だった。今でこそルイを分身として、そして同居人として徐々に受け入れつつあるが、驚愕と衝撃とほんの少しの後悔が全身を駆け巡ったあの感覚だけは、死ぬまで忘れない自信がある。

「やっぱりね……思ったとおりだよ」

「どういうことです?」

「舞い上がっちゃってたんだよ。それこそ簡単な荷造りも忘れるくらいに」

 いくら欲望に忠実な神様とはいえ、にわかには想像し難い失態だ。いや、欲望に忠実なればこそかも知れない。

「65年ぶりの外の世界だから、ですか?」

「大雑把に言えばそうなるかな。しかもカラクリの場合は、ただ閉じ込められてたんじゃなく、常に外の情報に触れながらの65年間だったからね。あいつもボクに負けず劣らず好奇心旺盛だし、その時々の流行を知りながら直に触れたり見聞きできなかった鬱憤は相当たまってたと思う。……っと、ボクはこんな与太話をしにきたんじゃなかったんだ!」

 しみじみと語り終えるやいなや、竹平部長は大事な用を思い出したとばかりに口に手を当てる。

「新聞部のことで、ちょっとキミに知らせたいことがあるんだ」

「知らせたいこと?」

「あそこの部長――滝林菜々っていう3年の女子なんだけど、実は……」

 意味深に言葉を濁し、周囲をきょろきょろと見回し始める竹平部長。

「ここで話しにくいことなら場所変えましょうか? それに――神様相手に生意気かも知れませんが、俺はもう大抵のことには驚きませんよ。たとえば、新聞部の部長もしくは部員全員が実は神様だったとしても」

「まあ、普通の存在じゃないことは確かなんだけど……何て言うのかな、血筋が微妙に神懸かってるんだよね。キミ、日本史は得意?」

「ええ。中学の教科書レベルなら人並み以上にはできるつもりです」

「OK、それじゃ話すよ。単刀直入に言うと、滝林一族は代々情報屋とか諜報員をやってきた家系なんだ。藤原摂関家とか足利将軍家なんかに比べれば知名度はゴミみたいなもんだけど、教科書に載るような事件に、ちょくちょく裏で関わったりしてる」

「日本史の教科書に載ってるとなると、壇ノ浦の合戦とか二・二六事件とかですか?」

「お? たとえにしては、なかなか鋭いね。そう。あいつの家系を遡ると、平安時代末期に平清盛が都に放った〝カムロ〟の末端構成員に行き当たるんだ。〝カムロ〟がどんな連中だったかは知ってるよね?」

「はい」

 カムロ。反平家勢力の出現を恐れた平清盛が、その兆候を逐一把握するために組織させた密偵の俗称だ。元服前の10歳前後の少年だけを集めて編成され、彼らは揃って赤い服を着て任務に当たった。一目で仲間と認識できるようにするための措置だったのか、単に平家の旗の色に因んだだけなのかは分からない。だが、かなり目立つ出立ちではあったはずだ。にも関わらず、彼らの存在に当初から気づいていた都の人間は、皇族や貴族も含め、ほぼ皆無と言っても差し支えないほど少なかったと言われている。

 無理もない。

 そもそも平安時代の日本において、洛中警護やお尋ね者の監視は検非違使(けびいし)――現在の警視庁に当たる組織の管轄と相場が決まっていた。元服前の子供が〝偵察(カムロ)〟という物騒なミッションを背負って都を徘徊するなど、当時の常識に照らして考えれば、平家が厳島(いつくしま)神社や大輪田泊(おおわだのとまり)を突然事業仕分けするのと同じくらい異常な事態だったのだ。

 とはいえ、度を超えた警戒心の薄さは時として、そして歴史の常として致命的な油断に繋がる。カムロが『平安京エイリアン』のモンスターよろしく都に放たれるや否や、遠方あるいは僻地に左遷・配流されたり、官位を剥奪されたりする者が続出した。

 処分された者の多くは貴族や下級武士だったが、中には皇族に連なる者や僧侶も含まれていたと言われている。彼らに共通していたのは、その場のノリや酒の勢いで口走った平家への不平不満が運悪くカムロたちの耳に入り、やがて平家の知るところとなってしまったことだった。清盛の巧妙な炙り出し作戦は、良くも悪くも見事に当たったのである。

「そのスパイ活動で滝林の先祖がすっぱ抜いたのは以仁王の挙兵計画」

「……マジですか」

「それだけじゃないよ。大塩平八郎が大阪奉行所襲撃に失敗したのも、近藤勇の潜伏先が官軍にバレたのも、みんな滝林一族が裏で掴んだ情報をお上に横流ししたからなんだ」

 周到に仕組まれたはずのテロやクーデターが失敗する原因のひとつに、敵方との内通者や密告者の存在が挙げられることは多々ある。しかし、何の接点も共通項もないはずのこれらの事件に特定の一族が一貫して関わっていたとなると、もはや『よくあること』『歴史の常』では済まされない。

「平たく言えばただのチクリ屋なんだろうけど、それを抜きにしても新聞部そのものが昔から『裏風紀委員』なんて異名を取ってるくらいだからね。くれぐれも気をつけて」

 チクリ屋一筋800年以上。背後からの不意打ちとはいえ、堂々とケンカを吹っかけようとしていた相手が、そのようなとんでもない一族の末裔だったとは――。準の背中を嫌な汗が伝う。

 だが、相手の出自を知っただけで諦めるのはいささか早計が過ぎるし、何より癪でもある。せめて、少しでも安全で確実な方向に作戦を絞り込むための判断材料としたいところだ。

「滝林個人の素性については、とても参考になりました。ところで、新聞部全体のことについては何か知りませんか? だいたいの部員数とか活動時間とか。一応、こちら側としても面の割れない方法でデータを盗み出すシナリオは考えてあるんですが、万全を期すために、できれば把握しておきたいんです」

「新聞部ねえ……とりあえず、運動部も文化部も『活動は夜7時まで』って決まってるんだよね。部員はボクが知る限り、ざっと7~8人ってとこかな。たぶん伏兵はいないと思う」

「伏兵?」

「そう、伏兵。滝林の言葉を借りるなら幽霊部員」

「どういうことです?」

 伏兵と幽霊部員。

 表舞台に出てこないという共通点はあるが、戦力として考えるには雲泥の差――いや、存在価値そのものが正反対と言ってもいい。

「勘違い……もっと中立的な言い方をすれば、認識の違いってとこかな。新聞部が陸上部について書いた記事の内容、覚えてる?」

「ええ。幽霊部員を使って部費の予算を水増ししてる、ってやつですよね」

「そうそう。実際、あれに書かれてることは事実かも知れない。でも、うちには〝練習にも大会にも出ない〟文字どおりの幽霊部員なんて1人もいないんだ」

「普段は顔を出さないが、大会には参加する。あるいは、その逆……。つまり、自主トレ中心に活動してる部員ってことですか?」

 準の問いかけに、竹平部長が大きく頷く。

「陸上ってさ、野球とかバスケと違って種目ごとにやることがバラバラでしょ? その分だけ広いスペースが必要になるわけだけど、グラウンドは野球部もサッカー部もラグビー部も使う。だから、全員が自分で納得できるトレーニングとなると、どうしても校外での自主トレに頼らざるを得ない。これが新聞部の言う幽霊部員の正体だよ。それでも、ボクらは自主トレの成果を見るために、必ず月に1度は全員集まってる。もちろん顧問の乃木先生立ち会いのもとでね」

 見かけによらず徹底してるんですね。

 そう言いそうになるのを、準は辛うじて抑えた。

 練習場所がなければ、大抵の人間は活動そのものを断念する。

 だが、それでも――気の遠くなるような自主トレに甘んじても、幽霊部員の謗りを受けても、なお活動を続けられる理由とは……?

 もはや言うまでもないことだ。

「みんな、それだけ陸上が好きなんですね。俺、中学で3年間陸上部にいましたけど、そこまでできません」

「色んな意味で孤独との戦いだからねー。サッカーとか野球みたいな花形スポーツに比べたら、ひたすら地味で目立たないし、同じ部員でも種目が違えばお互いに相談すらできないし。……っと、もう休み時間終わっちゃうね」

 竹平部長に倣い、準もポケットから携帯を取り出して時刻を確認する。

 14時28分。

 ようやく本題に入りかかったところで、無念のタイムリミットだった。

「竹平先輩は、時間を止めたり……できないですよね。さすがに」

「うーん。残念だけどボクは『衣の神』だし、時間を操る神は他にいるからねえ」

「衣って、着物とか白装束とかの……?」

 見目鮮やかな朱色の袴と白の巫女装束に身を包み、不敵な笑みを浮かべる竹平部長の姿が、準の脳裏にイメージアップされた。

「イエス。あ、衣って言っても和服だけじゃないよ? 洋服だって作れるし、その気になれば宇宙服とか特撮用のモビルスーツなんかも作れると思う。ちなみに、カラクリがキミの前に現れた時に着てた体操服を作ったのもボクだよ」

「どっちの好みか知りませんが、随分とマニアックな趣味ですね」

「当時はあれが主流だったんだけど……やっぱり現代っ子の反応の素直さと残酷さは紙一重だね」

「ちょっと待ってください。当時の主流だった、って……いったい何年前に作った代物なんですか?」

「えーっとね、あれはボクがここに潜入――もとい入学してすぐの頃だから……30年くらい前になるかな」

 事も無げに言い放たれた数字に、準は絶句した。30年前となると、準の両親でもせいぜい小学校高学年か中学生くらいだ。

 流山にある祖父母の家に帰省した際、父親が中学時代に着ていたという詰め襟の学ランを見せてもらったことがあるが、その保存状態たるや目も当てられないひどさだったことを覚えている。落ち武者狩りにでも遭ったかのように第2ボタンはむしり取られ、校章は錆び付き、袖口はボロボロになっていた。

 長らく放置されていたことによる経年劣化もあるかも知れない。だが、たとえば歯ブラシやママチャリのように、日常的に使う物は大抵が比較的短い周期で寿命を迎える。いずれにせよ、ルイのそれはギネス入りを狙えるレベルだ。

「正直、ボクもあの物持ちの良さにはびっくりしてるよ。まあ、あれはちょっと特殊な例かなー。キミたちも変装しなきゃいけない状況になったら遠慮なく呼んでね。いつでも協力するからさ」

 不意に、携帯番号とメールアドレスが書かれた薄い水色のメモ用紙が差し出された。アドレスのドメインは、準と同じ通信業者(キャリア)のものだ。

「俺の番号とアドレスも赤外線で送りますよ」

「ボクのスマホ、最新型のくせに――いや、最新型だからかな? 赤外線通信に対応してないんだよね。申し訳ないけど手動で登録しといてくれる?」

 竹平部長は矢継ぎ早にそう言うと、陸上部エース――かどうかは分からないが、その集団の長を名乗るに恥じない機敏な足取りで去って行ってしまった。

「……しょうがないな」

 苦笑しながら、準も教室へと歩き出す。

 特に急ぐような距離でもないが、天真爛漫な先輩女子の後ろ姿を見送りながら甘酸っぱい余韻に浸る時間までは残されていなかった。

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