第四章 カムロの末裔 #1
5時間目の授業は、予想に反して落ち着いた気分で受けることができた。
塩崎には「無事にデータを盗み出すまでがミッションですよ」などと堅苦しいことを言ってしまったが、ほぼ唯一と言ってもよい役割を終えたことで、頭の中がだいぶ整理できたような気さえしてくる。
――事前視察(と称した部室覗き)を前に、やや緊張気味の二三香とは対照的に。
「うう……見たことをありのまま伝えるだけなのに、どうしてこんなに緊張するの~」
「二三香はさ、見るのが怖いんじゃなくて、見てるのを誰かに見られるのが怖いんじゃない?」
「どういうこと?」
未波の意味深な指摘に、そわそわと落ち着きを欠いていた二三香の動きが止まる。
「ちょっと考えてみてよ。二三香がやろうとしてることは、能力をうまく使えば別に難しくも何ともない。でも、先生公認とはいえ、授業を抜け出すことに何となく抵抗がある」
「当たり前じゃない。他の先生にばったり出くわして『授業中に何やってんだ!』なんて言われたら、どう言い訳すればいいのよ?」
「じゃあ逆に聞くけどさ、二三香は瞬間移動できるのに、どうして他の先生に見つかることを前提に考えてるの? 二三香の瞬間移動は部室に忍び込むためだけに使うものと決まってるわけじゃないんだよ? まあ、入ったことのない部室棟に直接移動は無理だとしても、一旦裏手に回ってから壁伝いに歩いてくとか、安全な方法はいくらでもあるんじゃないかなぁ」
「う、それは……」
二三香は言葉に詰まったまま、ついに下を向いてしまった。未波も自分の指摘がここまで当たっていたとは思わなかったらしく、かける言葉が見つからないまま固まってしまっている。
どうやら二三香は、初島の手引きで教室を抜け出した後、周りを警戒しながら部室棟まで本当に歩いて行くつもりだったらしい。
たしかに塩崎は「能力を使って部室の様子を見て来るように」と指令を下した。だが、別に「部室の様子を見るため〝だけ〟に能力を使え」とは言っていない。
いつも冷静な二三香らしからぬ勘違いだな、というのが準の率直な感想だった。
しかし、一口に『冷静なタイプ』と言っても、その思考パターンは2つ――それも正反対な――に分類される。
冷静で常識的な思考を持つ人と、冷静で奇天烈な思考を持つ人。
目の前の2人に当てはめれば、二三香が前者、未波が後者だ。そして二三香のような常識人には、言われたことを忠実に実行すべく、途中課程にまで異様に固執してしまうタイプがしばしばいる。身も蓋もない言い方をすれば『頭が固い』のだ。
……確信犯的お騒がせキャラ(例:未波・塩崎)や、どっちつかずでつかみどころのない謎キャラ(例:ルイ・アサミ)も、それはそれで考え物だったりするが。
と、未波のSっ気全開な指摘に涙目でうなだれていた二三香が、何かの気配に気づいたように顔を上げた。つられるように、準と未波も二三香の視線を追う。
2年生か3年生と思われる女子生徒が、クラスの男子生徒に何やら話しかけていた。
学年の違いは上履きの爪先部分の色で判別できる。準たち1年生が黄色なのに対し、女子生徒のそれは緑。些細な違いではあるが、学年を識別する唯一のポイントだけにかなり目立っていた。――その目元の愛らしさや、バストの自己主張の激しさも相まって。
さっそく部活の勧誘か何かだろうか? 中学時代の後輩の人脈を頼り、20分あるとはいえ決して長くはない休み時間を惜しんでまで部員集めに奔走する健気な姿に、準は心の中で同情する。
ちなみに、現時点で何らかの部活に入る意思は……毛の先ほどもない。今の準が真に掴むべきはインターハイへの切符ではなく半額セールの冷凍食品、真に追いかけるべきはライバルの汗臭い背中ではなくラノベの新刊情報だ。
男子生徒は、やや緊張気味な顔で先輩女子の話に耳を傾け、時折頷いている。
(まったく、ご苦労なことだな)
心の中でため息をついた、その時だった。
「取り込み中ごめん。竹平さんって2年生が、渡末副委員長に用があるらしいんだけど」
準は男子生徒に名指しで呼ばれ、思わず椅子から腰を浮かせた。
「竹平さんって、さっき渡末君とルイちゃんが話してた陸上部の部長さんじゃない?」
「だな。でも、向こうからわざわざ来るなんて……とにかく行ってくる」
準は言伝に来た男子生徒に「ありがとう」と軽く頭を下げ、席を立った。
「キミが渡末君?」
陸上部部長・竹平涼子――という設定の女子高生に化けた守り神の第一声は、少し早めに訪れた五月晴れのような印象を準に与えた。
色に例えるなら、文句なしの緑色。それも、有料の画像編集ソフトで濃度調整や背景透過処理を施さなければ出せないような、透明感のある緑色だ。
青春一筋30年のキャリアがハリボテではないことを、改めて感じさせられる。
「はい。すみません、わざわざ足を運んでいただいて……」
別に準から呼び出したわけではないが、作戦を無事成功に導くためには、是が非でもコンタクトをとっておきたい相手だ。おそらく、作戦決行前に軽く打ち合わせをしておくよう、半藤が竹平部長に言い含めておいてくれたのだろう。
仲介を頼る手間が省けたことへの感謝も込めて、準は素直に頭を下げた。
「やっ、やだな~。別にそんな畏まらなくてもいいのに。それに、お礼を言わなきゃいけないのはボクの方だよ。陸上部の濡れ衣を晴らしてくれるなんて、1年生なのに頼もしいじゃん! 達尚と〝カラクリ〟が太鼓判押すのも何だか分かる気がしてきたよ」
「カラクリ……?」
聞き覚えのない名前に、準は「はて」と首を傾げた。
カラクリというのはたしか、機械全般を指す(水面下で行われる巧妙な根回しやコネ作りを揶揄する意味でも、ごく稀に使われるが……)古典的隠喩表現だ。何があっても表情ひとつ変えないアサミのことだろうか?
半藤と竹平部長の話し合いの場に、彼女も同席していたかどうかは分からない。が、当の竹平部長は、今回の写真データ奪取計画の代表格が1年3組にいて、それが準であることを把握している。半藤から聞いたと仮定するには、あまりにも不自然だ。と言うのも、準は半藤に対し、自分の本名から学年に至るまで素性を明かすような言動を意図的に避けてきた。
渡末準という名前に加え、クラスまで詳細に教えたのが竹平部長の言う〝カラクリ〟の方であるとするなら、ますますアサミ以外に考えられない。
「……ああ、半藤と一緒にいた1年の女子のことですね?」
しかし、竹平部長はゆっくりと首を横に振り、
「その1年生は達尚の彼女的な何か? ボクの言い方が悪かったかもしれないけど〝カラクリ〟ってのは、キミたちが〝ルイ〟って呼んでる学園裏の守り神のことだよ。トイレの神様とか学問の神様がいるのと同じで、あいつはカラクリ、今風に言えば機械の神様なんだ。……その顔はひょっとして、何も聞かされてない?」
「あいつが神様ってこと以外……全部初めて聞きました」
「なっ、ななな、なんですとー!? あいつ、ほんっとダメだなー。これからお世話になろうって人に、肝心なことを何も話してないなんて。……よし、ここはひとつ、ボクがビシッとお説教を……」
鼻息も高らかに、竹平部長は制服のポケットに手を突っ込み――
(け、携帯!?)
新秋津駅のご当地マスコットキャラ『あっきー』のストラップが付いたスマートフォンを取り出した。