第三章 休戦協定 #4
「そ、そんなバカな! たしかに、記事が撤去された今、残されているデータさえ消えてしまえば、我々は万々歳だ。しかし、新聞部に知られることなく作戦を完遂する手立てはあるのかね?」
「半藤、少し落ち着けよ」
「部長、どうか冷静に」
ついに見かねて声をかける準とアサミ。
「こんな話を聞かされて落ち着いてなどいられるかね!? たしかに学園内の世論はこちら側に味方するだろう。しかし、君がやろうとしていることは、日本の法律に照らして言えば立派な窃盗罪だ。悪いが、すぐに足が付くような真似を黙って見過ごすわけには行かない」
「まあ普通のやり方で行ったら、たとえうまく盗み出せたとしても、すぐにバレて御用だろうな。ただ、それはあくまでも人間だけで事を起こそうとした場合の話だ。あんたはルイの存在――いや、その力を完全に見落としてる。逆に言えば、あいつがいることで本来不可能なことが可能になるんだ。学校に仕掛けられたセキュリティの突破はもちろん、暗闇での捜査活動もな」
「そこが私には今ひとつ分からないんだ。守り神様のお力を具体的にどう使うのかね?」
「正確には、ルイから付与された力を俺たちが駆使するんだ」
「俺〝たち〟ということは、君の他にも守り神様から力を与えられている人間が……?」
「そのとおり。ルイに口止めされてるんで実名は伏せさせてもらうが、俺を含めて5人いる。詳しい手順については、これを見てくれ」
準はそう言うと、上着の内ポケットからメモ帳を取り出した。作戦会議のメモを走り書きしたページを開き、半藤に手渡す。
〈STEP1〉侵入経路および手段
ルイより能力を授けられた5人を、仮にA~Eとする。
すべての生徒と教職員が帰宅し、校内が無人となったのを見計らった上で、A・B・Cの3人が部室内に侵入。手段はAの能力『瞬間移動』による。
〈STEP2〉内部捜査と哨戒任務
『透視』の能力を持つBの指揮のもと、3人体制で写真データを探す。
機材・備品などを誤って破損した場合や、侵入の痕跡が隠蔽不可能なレベルで残った場合は『強制復元』の能力を持つCが対処。
『空中飛行』の能力を持つDと『分身』の能力を持つEは、不測の事態に備え、廊下および屋外にて哨戒任務に当たることとする。
〈STEP3〉写真データの取り扱い
すでに紙媒体となっているものは破棄。
データの入ったメディア類は、Cの『強制復元』を応用した『時系列操作』で製品出荷当時のブランク状態に改変。感情に任せて破壊してはならない。
〈備考〉
新聞部では、記事に関わる一切のデータの部外持ち出しを禁じているとのこと。バックアップデータの存在が発覚した際は、改めて作戦を検討の上対処する。
あらかじめ半藤への説明を想定して作成したもので、ルイ以外の名前はすべて伏せてある。
言うまでもなく、A=二三香、B=初島、C=塩崎、D=未波、E=準だが、特にEが自分であることと、その分身がルイであるということが露見しないよう、準は細心の注意を払っていた。
「質問は作戦に支障のない範囲で受け付ける」
「特にない――が、凡人にしては大胆かつ周到な作戦だな」
「まあ、考えたのは俺じゃないんだけどな……。とにかく、問題ないなら今晩にでも実行に移すぞ」
こうもあっさり太鼓判が降りるとは思っていなかっただけに、準の表情は自然と明るくなった。さりげなく凡人呼ばわりされても今は気にならない。
しかし、アサミから唐突に発せられた言葉が、準の思考を一瞬機能不全に陥れた。
「待って。作戦そのものは素晴らしいけど、まだ不十分。土台がまるでなってない」
「……土台?」
「そう。あなたがこうして私たちを訪ねた理由を考えてみて。作戦をスムーズに進めるのが狙いだったはず。それなら、私たち以外の被害者にもコンタクトをとって行動を制限するべき。リスクは可能な限り軽減しておいた方がいい」
「でも、全員を特定してコンタクトをとるのは無理があるだろ。仮にできたとしても時間がかかりすぎるし、その間に被害が拡大したら――」
手が付けられなくなるぞ? と続くはずの言葉は、半藤の無言の制止によって半ば強制的に中断させられた。準もまた、視線で半藤に抗議する。
「さっきの君の言葉、そのままお返ししよう。君こそ冷静になりたまえ。神沢君は『可能な限り』と言ったはずだ。『完全に』とは言っていない」
「……じゃあ、どこから声をかければいいんだよ」
半藤とアサミを交互に見ながら、準は問う。
「陸上部だけでいい。記事全体を見る限り、新聞部に対して強い遺恨を持ちそうなのは、陸上部とあなたたちくらい」
「被害状況から言えば乃木教諭も含まれるだろうが、あのお方は普段から記事を賑わせている常連だからな。特に心配するまでもないだろう」
2人ともほぼ即答だった。
たしかに、乃木はともかく陸上部は人数が多いだけに、ひとたび暴走させてしまうと収拾がつかなくなるおそれがある。
「分かった。メンバー全員に伝えて、すぐ実行する」
「ちなみに、陸上部の部長は私と同じクラスの竹平涼子という女子生徒だ。午前中見ていた限り不審な動きはなかったが、念のため私からも軽く声をかけておこう」
「悪いな、いろいろと手を煩わせて……」
意外な申し出に戸惑いながらも、準は素直に頭を下げる。
「礼には及ばない。私としても、部として正式に認められるまで伏せておきたかった研究会の存在をネタバレされた恨みがあるし、守り神様がマスコミ気取りの下衆どもの餌食にされる可能性も見過ごすわけには行かないのでね。『必要とあらば、あらゆる協力を惜しまない』と他のメンバー諸氏にも伝えておいてくれたまえ」
半藤はそう告げると、準の返事を聞くこともアサミに声をかけることもなく、足早に去って行った。
「私の知らない間にそんなことが……」
今朝からの数時間で起こったことをかいつまんで聞かせると、ルイはため息まじりに天を仰いだ。
「次から次へと、よくもまあ……って感じだよ」
パック入りの緑茶を飲み干し、準も苦虫を噛み潰したような渋面を作る。
半藤たちと別れた足で売店に駆け込み、そこで調達したジャムパンを頬張りながらの説明はなかなか苦しいものがあった。が、この昼休みを逃せば、放課後が事実上のラストチャンスになってしまう。
二三香が偵察で掴んだ情報や、陸上部との交渉の行方次第では大幅な作戦変更を強いられる可能性もあるだけに、放課後はできるだけフリーな状態にしておきたい。
さらに「屋上に上がるのはしばらく自重した方がいいかも知れないわね」という二三香の提案に従って選んだ場所――それがここ、本校舎から遠く離れた部室棟裏だった。
説明を急ぐのはもちろん、遅くとも昼休み終了5分前にここを発たなければ、その時点で遅刻が確定してしまう。
(まだ時間あるよな……?)
胸ポケットから携帯を取り出そうとした、その時だった。
「やっぱりここにいたのね」
学園を囲むように張り巡らされたフェンスの切れ目、その奥の雑木林から、突如声が響いた。聞き慣れているはずの声なのに、条件反射で体が強張ってしまう。
「そんなに身構えなくてもいいじゃない。私よ」
「二三香か。どこにいるんだ?」
「こっちよ」
とりあえず声のした方に目を向けてみる。
準の立ち位置から、ちょうど死角になる大クヌギの陰。
そこから二三香が現れ――さらに、その後ろから塩崎がひょっこり顔を出した。
「塩崎先生まで……いったいどうしたんですか?」
「渡末君だけに任せっきりにしておくのも申し訳ないと思って、様子を見に来たのよ。どう? 半藤って子とは話ついた?」
「ええ、一応。ルイの力で何とかするんで手出し無用と言ったら、大人しく引き下がってくれましたよ。しかも、必要であれば俺たちに協力してくれるそうです」
「あっぱれ! 上出来だわ」
塩崎は不敵な笑みを浮かべると、準の腕をとり……
「ちょ、何するんですか」
そのまま高々と突き上げた。まるでリング上のボクサーと審判のように。
「素直じゃないわね。せっかくの大手柄なんだから、もっとドヤ顔したっていいのに」
「嬉しくないわけじゃありませんけど、俺たちの最終目標はあくまでもデータの回収ですからね。喜ぶのはまだ早いですよ」
「……さすがね。ただ、あんまり神経を張り詰めてると本番まで持たないわよ? ところで、ルイちゃんから見て今回の作戦はどう?」
塩崎からルイへ繰り出される突然のキラーパス。
「私もその作戦で行けるような気がします。ただ、その前に……どうしても皆さんのお耳に入れておきたいことが」
「耳に入れておきたいこと?」
「はい。部費の不正取得疑惑をかけられている陸上部部長の竹平涼子ですが、実を言いますと……私と同じ守り神なんですよ。以前、皆さんにお話しましたよね? 私が鳥居に閉じ込められている間も外界の情報をキャッチできていたのは、他の守り神が近くにいたからだと。その守り神が竹平涼子なんです」
ルイの言葉に、3人とも絶句した。
神様も十人十色千差万別とはいえ、よもや人間の女子高生に化けて学園に潜伏する神様がいようとは。
「30年ほど前でしょうか。中学や高校を舞台にした青春映画や学園ドラマがやたらに流行った時期があったんです。ミーハーな涼子はすぐに夢中になって、ついに……」
「観るだけに飽き足らず、自分もリアルJKにジョブチェンジしちゃった、と」
「はい。『ボクも甘酸っぱい青春始めるんだ!』とか言って」
塩崎の適当な推論に首肯しながら苦笑いを浮かべるルイ。
「完全に『おら東京さ行くだ!』系のノリね。でも、ボクっ娘キャラは時代を先取りしすぎじゃないかしら」
そう答える塩崎の頬も筋肉痛のように痙攣している。
能力者5人の中で最も大雑把な性格の塩崎でさえこうなのだから、初島などは絶句したまま固まってしまうに違いない。
「け、結構アクティブなのね。ルイちゃんのお友達って」
「……いや、こう言っちゃ悪いけど、単に頭が弱いだけだと思うぞ」
オブラートに無理矢理包んだ感のある二三香の言葉を、準はバッサリと切り捨てた。
塩崎や二三香同様、竹平部長の短絡思考にドン引きなのはもちろん、それ以上に陸上部というチョイスが謎だ。部活で青春の1ページを飾ろうという発想は……まあ、辛うじて理解できる。が、ルイの話を聞く限り、竹平部長の目指すところは『甘酸っぱい青春』だったはずだ。仮に運動部で青春を満喫できたとしても、そこに付加されるのは『甘酸っぱさ』ではなく『汗臭さ』のような気がするのだが。……かつて、陸上部に3年間所属していた準がそうであったように。
それとも、神の手――文字どおりのゴッド・ハンドにかかれば、汗腺から芳香剤や香水を分泌できるようにでもなるのだろうか?
「まさに準さんの仰るとおりです。私は長らく助けてもらっている立場上、頭ごなしに反対できませんでしたが……」
「悪い、ちょっと言い過ぎたな。まあ、きっかけはどうあれ同じことを30年も続けてるあたり、ただのミーハーってわけじゃなさそうだ」
「どうか気になさらないでください。今にして思えば、はっきりとやめるように言ってやらなかったツケがこのような形で回ってきたのかも知れません。ただ……その代わりと言っては何ですが、放課後まで私を自由にしていただけませんか? 廃神社に置いたままの荷物を整理したいんです」
「ああ。別に構わないけど……」
物分かりのいい態度を装ってはみるものの、準は内心不安だった。
そんな思いを見てとったのか、
「ご心配なく。鳥居に憑依したら私の姿は消えてしまうので、誰かに見つかる心配はありません。知らず知らずのうちに〝札〟で見張られていたことはありますが」
そう言って、にっこりと微笑むルイ。
考えてみれば、ルイはこの一帯を100年以上前からホームグラウンドにしている。秋津に引っ越してきて1ヶ月弱、入学して1週間やそこらの人間がしたり顔で「危ないから気をつけろ」など、大きなお世話かも知れない。
「まあ、みんな授業中だし大丈夫か。――それじゃ放課後になったら、また来るよ」
「よろしくお願いします。では」
ルイはそう言うと、かつての自分の根城へと歩き出し――鳥居の少し手前で、宣言どおり姿を消した。本人には申し訳ないが、どんな言葉や態度よりも神様らしさを感じる瞬間だった。