第二章 教師たちのジレンマ #10
「あ、当たってる……」
「しかも製造年まで完璧に」
姿を現した硬貨を見つめながら、呆然と呟く未波と塩崎。
「どうです、二三香さん。これが初島先生の能力です」
「なるほどね……。意味がないってのも分かるわ。でも、気づいてたならせめて教えてくれたっていいと思わない?」
ようやく落ち着いてきたのか、二三香の口数も徐々に増えてくる。
と、初島が突如テーブルに叩きつけんばかりに頭を下げた。
「すまん! たしかに妹尾さんの言うとおりだ。気づいた時点で久坂さんか奈津に届けさせていれば、被害は最小限で済んだ。ただ、これだけは言わせてくれ」
「う、初島先生!? とりあえず顔を上げてください。別に誰が悪いって言うような話じゃないことくらい、私も分かってますから」
一瞬唖然としつつも、あわてて初島の説得に回る二三香。
「それで、史郎ちゃんの言いたいことって?」
この騒動の中心人物にして最大の加害者・塩崎が何事もなかったかのようにたずねた。生身の人体に通常起こり得ない現象には言葉を失うくらい驚いていたくせに、人間同士の些細な言い争いには興味がないと言わんばかりだ。この理不尽な態度に異議を申し立てない初島が、まるで仏のように見えてくる。
「見てのとおり、俺が持ってるのは透視能力だ。鎧を着て武装しようがジャージにTシャツでいようが、眼鏡を外した俺の前では、みんな丸裸同然になる。でも、そんな不埒なことに能力を使うつもりは毛頭ない! それだけは分かってほしいんだ。元々は自分の家の中について調べたいと思ってて――」
「自分の家を調べる?」
「ああ。奈津はもう知ってるだろうけど、俺はこの近くに平屋の一軒家を借りて一人暮らしをしてるんだ。家賃が格安な分、かなり古い物件でね。実際、そろそろどこかにガタが来ててもおかしくないくらいボロい。気にしない人も中にはいるんだろうけど、経年劣化でできた隙間なんかを放置しとくと冬場の暖房効率が落ちるし、夏場はゴキブリ屋敷になりかねないからね。自前で補修するか業者に頼るべきか、せめて現状把握だけでもできればと前から思ってたんだよ」
「さすがに1人でやるのは無理があるんじゃない?」
「だから、この透視能力は渡りに船なんだ。正直言って、ド素人が築35年の3DKを隅々まで調べるなんて不可能に近い」
初島は妙に所帯じみた、しかし準にとっても微妙に無視できない悩みを、遺書でも朗読するかのように訥々と語った。
「人が変われば悩みも変わる」などと、格言めいたことを言うつもりはない。しかし、自分と初島たちとの着眼点の隔たりには、改めて色々と考えさせられるものがある。
人生のスタートラインからして違うのだと暗に思い知らされたような気がして、準は何ともやるせない気持ちになった。
「一人暮らしと言えば、渡末君もそうだったわね。せっかくだから、この機会に参考にしてみたらどう? ゴキブリホイホイだらけの台所なんて女の子から見たら即幻滅対象よ」
「たしかに夏場のゴキブリは死活問題ですね。もっとも、うちに誰かが来る予定は今のところありませんけど」
ちらりと未波たちの方を盗み見ながら、準はやや自嘲気味に答えた。
毎日会話をする程度に親しくなったとはいえ、彼女たちを自室に招くには、まだそれなりの知恵と勇気がいる。軽はずみな思いつきで、今後の関係に亀裂を生じさせたくない。かと言って、気心の知れた野郎仲間ができる気配があるわけでもなく――
家族や宅配便、新聞勧誘以外の誰かが部屋の扉をノックする様子を思い浮かべるのは、今の準には至難の業だった。
と、制服の袖が横から軽く引っ張られた。
「ちょいと準さん」
「ルイ、どうした?」
「どうしたじゃありませんよ。さりげなく私を無視するなんてひどすぎます。訪問者を通り越して、もはや同居人と呼んでも差し支えないくらいだと申しますのに!」
差し支えありまくりだった。事情を知らない塩崎と初島が目を見開いて準に詰め寄る。
「渡末君は一人暮らしじゃなかったの? 虚言を弄して教師を煙に巻くなんて……おそろしい子!」
「従妹か遠縁の親戚か地縛霊か110番のどれかだろ? そうだと言ってくれ!」
「全部違いますから。ってか、最後の110番って何ですか。初島先生まで俺をそんな目で見るんですか!?」
誘拐犯疑惑は未波だけでたくさんだ。
「まあそれは冗談として、そろそろあの子の事について教えてくれないかな。いきなり現れたかと思えば、何も言わないうちから俺の能力を見破ったり……月並みな言い方だけどただ者じゃないぞ」
初島は急に真面目な顔つきになると、準とルイを交互に見ながら言った。
いよいよルイの出番だ。
信じる信じないは、聞き手である塩崎と初島の感性に任せるしかない。だが、こと能力発動までのプロセスに関して、ルイ以上に辻褄の合う説明ができる人物は、おそらく現時点では皆無だ。未波も二三香も、それを理解した上で能力を使いこなしている。多少時間はかかっても、5人の意思がその方向でまとまればいいのだが……。
ルイの声に耳を傾けながら、ふとそんなことを考える準だった。
コーヒーと紅茶とチーズケーキの匂いが充満する中、一心不乱にノートパソコンのキーを打つ音が響く。
音の主はクラスの副担任・初島。そのスピードたるや、見ているだけで思わず手に汗を握ってしまうほど。ルイの話をひととおり聞き終えた直後は、塩崎ともども考え込むように沈黙していたが、
「何か注文しましょう。こういう時の気分転換は大事ですよ」
という未波の機転を利かせた(?)提案で、一足先に復活したのだった。
「せっかく注文したんだから、飲んでからやればいいのに」
塩崎が紅茶の入ったカップを指差すも、初島は見向きもしない。
「今の守り神様の話で、メモる分量が一気に増えたからな。忘れないうちに打っとかないと不安なんだよ。こんなことならICレコーダーでも用意しとくんだった」
「でも、熱いうちに飲んだ方がおいしいわよ。飲みながらやるのはどう?」
「あいにく猫舌だから、少し冷めてるくらいでちょうどいいんだ」
「初島先生。できましたら、その〝守り神様〟という呼び方はやめていただけませんか? 先程お話しました半藤もその呼び方をするので、半分トラウマ化してるんですよ。お恥ずかしい話ですが」
同じく猫舌なのか、紅茶が冷めるのを今や遅しと待ち侘びていたルイが、初島にクレームを付けた。
「では、何とお呼びすれば……?」
「準さんと同じように〝ルイ〟と呼んでください。私たちの大半は、ローマ法王や弘法大師のように名指しで信仰対象にされる事がありません。なので、畏まられると逆に戸惑うというか、リアクションに困るというか……」
「ルイにゃんのコインを透視した時みたいな話し方でいいと思いまふよー」
チーズケーキを口いっぱいに頬張りながら、未波が横から口を挟んだ。さすが小休止を提案しただけあって、血糖値の確保に余念がない。ルイも「天啓を得た!」とばかりに便乗する。
「そうです! あの時みたいな感じで是非お願いします」
「――よし、分かった! 間を取って〝ルイさん〟と呼ばせてもらおうかな」
「それにしても、久世川さんからパソコンなんか借りて何を一生懸命作ってるの?」
横から画面を覗き込みながら、塩崎は首をかしげた。これには準も同感だ。単に内容が増えただけなら、わざわざノートパソコンを借りずとも携帯ひとつで対応できる。ただのテキストではない形式のメモとなると……?
「俺と奈津は、能力の影にルイさんという第三者がいた事を、つい何分か前まで知らなかった。しかも、その能力には俺たちの思考だけじゃなく、歴史的な背景も複雑に絡み合ってる。さらにクラスどころか学年も違う生徒が関わっていたとあっては、文章なんかじゃとてもまとめられん」
「たしかに。一目で話の流れを把握できる年表とか相関図みたいなのが欲しくなるわね」
「だろ? 今それを作ってるんだ。年を取ると物覚えも悪くなるし」
「ねえ、完成したら私にも1部くれない? フラッシュメモリに保存すれば帰りにコンビニで印刷できるでしょ?」
「別に構わんが……」
「『わざわざこんなものを欲しがるなんて珍しいな』って言いたいんでしょ? でも勘違いしないで。私も基本的には史郎ちゃんと同じ考えよ。自分だけ知らん顔決め込むつもりはないわ」
「そうか。ただ、これだけは言っておく。現時点で俺たちにできることは何もないぞ。半藤とやらの身辺を探ってみて、確たる証拠が見つかれば話は別だけどな」
「史郎ちゃんらしくない物言いね。〝俺たちにできることは何もない〟なんて。少なくとも、私はそうは思わないわ。今、自分で言ったじゃない。半藤って生徒の身辺を探ってみるって。それが私たちにできる――いえ、私たちがやるべきことなんじゃないかしら」
塩崎の穏やかながらも熱の篭った言葉に、一同は――塩崎の言動の9割に疑念を抱いてきた準までもが、静かに耳を傾ける。