第二章 教師たちのジレンマ #9
「私たちからは以上ですけど……何か質問はありますか?」
「だいたいのところは分かったし、私からは特にないわ。強いて言えば、渡末君の分身みたいな子の存在が気になるけど」
「でも後で説明があるんだろ? それなら俺も現時点では特にない」
「となると、次はいよいよ私たちね」
塩崎はそう言うと、隣に座っている二三香の頭に手をかざした。
「えっ? あ、あの……」
「ごめんね、妹尾さん。ちょっと実験に付き合ってもらうわね。あ、座ったままで大丈夫よ」
「――アレをやるのか」
突如、謎の言葉を口にする初島。塩崎も意味深な笑みを浮かべてオウム返しの返事をする。
「ええ、アレをやるのよ」
「先生、アレって何ですか?」と未波。
「妹尾さんを見てれば分かるわ」
塩崎は手短かに答えると、静かに目を閉じた。
言われるままに二三香を凝視する準・未波・ルイ・初島。
異変はすぐに現れた。
青白い光が塩崎の右手から放たれたかと思うと、一気に二三香の全身を覆い始める。やがて、その光は少しずつ小さく弱くなっていき――塩崎が目を開けると同時に雲散霧消した。
「ふ、二三香……?」
未波が魂の抜けたような声を漏らした。
無理もない。光の中から再び姿を現した二三香は、ほんの十数秒前までの二三香の姿ではなくなっていた。体は小さくなり、髪型も前髪ぱっつんのセミロングを後ろで無造作にまとめただけのお子様スタイル。目元に辛うじて二三香の面影が残っているような気もするが、全体的にルイよりも2~3歳ほど幼く見える。
と、目の前の幼女が不機嫌そうに口を開いた。
「ちょっと未波。あんた、さんざんエラそうなこと言っといて何よ、その間抜け面は」
少し舌っ足らずな、年齢相応の声が薄暗い客席に響く。しかし、未波に対してだけ微妙に棘のある口調は、紛れもなく二三香そのものだ。さらに、奇異なものを見るような視線を自分に向けている人物が未波だと理解していることを考えると、やはり二三香本人なのかも知れない。
「それにしても塩崎先生、周りの物がさっきより微妙に大きく見えるんですけど……もしかして大きさ変えました?」
「私は妹尾さん以外何もいじってないわ」
「それじゃ私の体の方が小さくなった、ってこと?」
返事の代わりに、その場の全員が首を縦に振る。
「う、嘘でしょ!?」
途端に泣きそうな顔になる二三香。見かねた初島が半分宥めるように問いかける。
「妹尾さんは小学生の頃、前髪を揃えて後ろでまとめてなかったかな」
「え、どうして知ってるんですか?」
「どうしても何も、任意の対象物の時間軸を操作するのが奈津の能力なんだ。たとえば、カビの生えたミカンを新鮮な状態に戻したり、渋柿を食べられる状態まで進行させたり。試しにトイレの鏡で確認してみるといい。自分でも見覚えのある顔になってるはずだ」
「ちょっと確認してきます! ちなみに、これって元に戻せるんですよね?」
「もちろんよ」
塩崎が力強く答える。それを見た二三香は一目散にトイレへとダッシュして行った。
再び訪れた静寂を破るように、準はぽつりと呟く。
「ってか、あれだけ髪型が変わったら、鏡を見る前に違和感に気づいてもよさそうなもんですけど」
「よほどびっくりしたみたいね。妹尾さんには悪いことしちゃったな」
「それにしても――これはないと思うぞ」
ため息まじりに床から何かを拾い上げる初島。
テーブルの上に置かれた〝それ〟に、一同は思わず絶句した。
「これ、まさか……二三香の、スカート?」
「ああ。小さくなったのは妹尾さんの体だけで、おそらく服の大きさまでは変わらなかったんだろうな。サイズが合わなければ当然、立ち上がった瞬間にずり落ちる」
「そうなりますと、二三香さんは今……」
ルイの言葉に、初島は無言で首を横に振った。
どうしてこうなった! としか、もはや言いようがない。
懐かしさに顔をほころばせた二三香が、ブラウスの裾から水色の逆三角形をちらつかせながら戻ってきたのは、それから数分後のことだった。
「なあ二三香、いいかげんに機嫌直せよ」
自分が落としたスカートを初島から受け取った瞬間から顔を真っ赤にして押し黙ってしまった二三香に、準は半ば呆れ顔で声をかけた。二三香本人してみれば災難だったし、気持ちも分かるが、第三者的に見れば所詮逆ギレに過ぎない。見たくもない、と言えば嘘になるが、予期せず見てしまったものを咎められるのは、やはり腹に据えかねる。
自分の出番に移るタイミングを完全に逸してしまった初島はと言うと、考え事をしているのか、あるいは待ちくたびれて眠ってしまったのか、目を閉じたまま微動だにしない。もし後者なら起こしてやろうかとも思った準だったが、少し考えて思いとどまった。この超能力騒動に加えて、新しい仕事と職場に馴染まなければならないという重圧を初島は背負っている。ほんの一時の安らぎを邪魔するほど準も野暮ではない。
とはいえ、このままでは初島の能力披露が宙に浮いた状態で終わってしまう。さて、どうしたものか。
と、その時。導入は思わぬところから始まった。
「二三香さん。少々厳しいことを言うようですが、どんな服をどれだけ重ね着しようと、初島先生の能力を前にしては、何の意味もありません」
「……どういうこと?」
低くて微かにしか聞こえなかったものの、声の主がルイということもあってか、ようやく口を開く二三香。
「せっかくなので試してみましょう。準さん、とりあえず何でもいいので硬貨を1枚お借りできますか? あ、初島先生には見えないようにお願いします」
「別にいいけど何に使うんだ?」
財布から適当に硬貨を取り出し、ルイに手渡す。穴が開いているのが指先の感触で分かったので、5円玉か50円玉のどちらかだ。
「まあ見てのお楽しみです。初島先生、ちょっとよろしいですか?」
あまり聞き慣れない声に名前を呼ばれて驚いたのか、初島もぴくりと体を震わせて目を開ける。
「私の手の中に硬貨が1枚あります。〝能力を使って〟何円玉か当ててみてください」
ルイはそう言うと、右の拳をテーブルの上に差し出した。一瞬面食らったように硬直しつつも、すぐに眼鏡を外してそれを凝視する初島。
回答は意外に早く、しかし恐るべき精度で行われた。
「中身は50円玉だね。さらに言うと、世にも貴重な昭和62年製造のものだ」
「――ファイナルアンサー?」
「――ファイナルアンサー!」
値踏みするようなルイの視線に、初島も自信満々の笑みで答える。
ルイは満足そうに頷くと、軽く握った拳をゆっくりと開いた。